青裸々日記 Aorara Diary

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本物にはかなわない。

2011年11月29日 23時22分31秒 | 青裸々日記。
穴守稲荷神社・菊祭りから(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「実力主義」という言葉は、いつの時代も重んじられます。
 ことあるごとに「あなたの実力はどれくらいありますか?」と問われるわけですが、
 実力がなければ、頼み事のひとつも安心してできないし、信頼関係も作りようがないからです。
 そう、どんな種類のものにせよ、「力量」は「信頼」に直結するものなのです。


 では、その「実力」というのは、一体なんでしょうか!?

 「実力」というのは「だいたいの時は出せる力」のことです。
 よく「あの時はあれだけのことをやれた」と言う人がいますが、
 そういう人は、まず「実力」の本当の意味をわかっていません。
 「輝いている時」とか「絶頂期」を出してそれで「実力」となるわけがないからです。
 たとえば、英語の勉強をやったとします。
 勉強が進んだところでテストをして、1回目のテストで100点満点でした…といったところで、
 それがそのまま英語をいつでも使いこなせる証明にるかと言えば、おおかたの人は疑問に思いますよね。
 「英語力」と言っても、語学には読解力やリスニング力、洞察力までいろいろな力の総合が「英語力」になるのです。
 しかも、回数が少ないほど「まぐれ当たり」が出る確率は上がります。
 それなのに、全部測れたかもわからないたった1回のテストで「英語力全部」の判定をしてしまうなんて、
 どう考えてもおかしい話でしかないのです。
 本当に英語力を測るのなら、何回にも分けていろいろな角度やシチュエーションからテストをして、しかも常に成果を残せる…というところまでいって、
 はじめて「英語力」が測れるのではないでしょうか。


 そう、「実力」とは、平たく言えば平均点のことを言うのです。
 そこを間違える人ほど、まともな信頼関係の一つも築けないのです。

 「私が若い頃は…」
 「本気を出せば…」
 「あの時〇〇さんにいい人だと言われたから…」

 そんなこと、ハッキリ言ってどうでもいいのです。
 信頼に根差した関係を望むなら、「その場ですぐに出せるもの」に焦点を当てること。
 いつでも披露できるものなら構わないのですが、「たまたまうまくいったもの」をあたかも自分の実力かのように言うのは、
 ひどい言葉で言えば詐欺も同然
なのです。


 続けて同じ成果を出せなければ、「実力」などという言葉を使ってはいけないのです。
 いつも実績がある人-たとえそれが性格でも-こそ、
 いちいち自分から言わなくても、「あの人は力がある」と認めてくれるようになるのです。

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