青裸々日記 Aorara Diary

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「理想の性格」!?

2011年02月12日 22時39分41秒 | 青裸々日記。
河津桜(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 恋愛に限らず、「付き合ってみたい性格」というのはだいたい決まっているものです。
 筆頭格として挙げられるのが、
 ・頼り甲斐がある
 ・優しい
 ・強い
 ・コミュニケーション力がある
 ・知的で理解力がある
 …と、だいたいこんなところでしょうか。
 そして、もちろん選べるのなら、
 誰だって「理想の性格」に近い人を選ぶに決まっていますよね。


 ところが。

 「理想の性格をした人」を選んでいたにもかかわらず、いつのまにか険悪な関係になってしまう、
 こんなパターンにはまってしまう人がいます。
 出会った時点では「理想的だ」と思えたのに、
 「付き合う時間」と反比例して「相手の魅力」が見えなくなってしまう。
 見る目がないのなら別ですが、相手に問題がないのにこういったことのデジャヴュというか繰り返しが起こるなら、
 電化製品の「あれ!?と思ったその時に」のように、
 自分の考え方や人に投げ掛ける視線を、
 少しだけ振り返ってみるとよい気がします。


 ☆ ☆ ☆

 「人のために生きる」
 「この人を思えばなんでも出来る」
 こういうことを言う人がいるとは言えど、
 人間が「100%他人に合わせる」ということは、まず無理です。
 「四六時中、自分の理想を体現してくれる人」がいないこと位、
 誰だって分かっていますよね。


 しかし、です。

 たとえば「強い人が好き」と言っているつもりが→「いつも必ず絶対に強い人が好き」になってしまっていること、
 思い当たる節はないでしょうか!?
 「〇〇な人がいい」と言うのは構わないのですが、
 少しでもその「〇〇」をどうにかしてくれなかったり、
 あるいは相手が疲れていて元気がない時などに「思ったほどじゃなかった」と完璧主義を求め、切り捨ててしまうような考えでいると、どうなってしまうでしょうか。
 そう、結局は誰とも付き合えなくなってしまうのです。


 理想を掲げるのはよいとして、なんのために理想を持つのか。
 減点主義で人を見たり、プロ意識のような目で人を見てあげつらうためではなく、
 理想というのは本来、自分に合う相手、力になりたい相手と幸せを築いていくためのものであるハズです。


 人間には限界があるのです。
 「自分の理想に沿う人」というのは結局、
 相手を得点主義で見ていくことで見つかるのではないでしょうか!?

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