タイボンと私(育児回想録)

 『病は気から!』と難病と闘いながら頑張る母ちゃん!
 とは言え、障害を抱えながら、涙有り、笑い有りの子育て回想記録

二人目への夢

2009年01月31日 20時15分38秒 | Weblog
 今日で1月も終わり。本当に月日が経つのは早いものですね~

 まあ、着々と暖かな春に向かってるかと思うと、ワクワクした気分にもなりますが


 ところで、早速、幼稚園時代から、小学低学年にかけてのタイボンの話ですが、
 一時、すごく兄弟を欲しがりました

 子どもが大好きな私も、嫁入りしていきなり、旦那の弟さんの子どもの
 面倒を見るにあたって、戸惑う事はありましたが、それなりに楽しんでいましたし、
 タイボンを含めて4人の母親のつもりで、遊びにも躾にも同じように接してきました。

 でも、夕方になるといとこのリョウクン達3人は、帰って行きます
 その後の一時的ではありますが、静まり返った我が家は灯が消えてしまったかの様で、
 タイボンが寂しがるのは当たり前

 私も旦那も結婚当初は、3人位は子供が欲しいと考えていました
 しかし、タイボンを出産した後のあの大変な思いはなかなか消えるものでもなく、
 それでもタイボンの為にも兄弟が居るといいなあ~と思い
 欲しい気持ちを何度も、医師や旦那にも話していました

 医師は、コロコロ変わっていたのもあって、OKサインを
 出してくれる方は多く居ましたが、タイボン出産直後に関わった医師だけは
 「元気になって欲しいと思う時期があるだろうけど、辞めた方がいいと
 私は思いますよ」
 と、言われてて、旦那はその言葉がズッシリと頭から離れず、
 私の体の事も考えてくれていたんだろうと思いますが、同意してくれませんでした

 確かに、足が不自由になってしまった私一人では子育ては無理

 本当に周りの方々のお世話になってタイボンも育ててもらったし、
 これからまたそれが始まるなんて、4人の子守りをしてきたばあちゃんにとっても
 もう歳からして、酷と言うもの


 タイボンは何度も、弟や妹の話をしていましたが、

私「タイボンごめんなあ~
  でも、タイボンにはたくさんのいとこや、友達が居るから、毎日たのしいやろう?」

 一時はタイボンを出産した直後の私の体の異変をタイボンが知ったとき
 自分を責めたりはしないか、などと心配したりしたこともありましたが、
 その点に関しては、旦那がうまくフォローしていてくれたようで良かったです。

 そして、兄弟に関しても、暫くすると
タ「お母さん、僕はな一人の方がいいわ!だって、赤ちゃん産まれたら
 お母さん僕の事ほったらかしにするやろ

 とな
 あわわ・・・なんでそんな発想に変わってしまったのか、今だに謎に包まれたままですが
 そんな事を言われた私は逆に、こんな甘ったれにはやっぱり兄弟でも
 作って、お兄ちゃんらしくなってもらわなくては
 と考え、しつこく旦那にねだっていた私が居ましたキャハッ!!


 
 まあ、そんなこんなで、年月が経ち、二人目への夢は年齢とともに
 はかなく消え去ってしまいましたが・・・

 でも、ホントこれは深刻な問題でしたのよ



   お知らせですが、私のブログは、
 「障害者自立支援法に障がい者にも子育て支援を」組み込んでいただけるようにと
 国へ要望するべく運動の一環として子育て回想録を書いています。。
 HPがありますので、是非ご覧になって下さいね

 こちら http://kosodatesien.sakura.ne.jp/index.html 

恐ろしや大玉!

2009年01月23日 19時04分42秒 | Weblog
 まあ!!!
 新年を迎えたかと思ったら、もう1月も下旬

 皆さんの年末年始はいかがだったでしょうか?

 我が家は、毎年のように元旦は近くの神社やお寺にお参りに行き・・・
 って、ところが今年は雪に降られ、私はお参り出来ず
 そして、我が家は本家なので、数件の年頭の挨拶をお受けするんですね。
 と言っても、私の出来ぞこないのおせちとお造り程度でのおもてなししかできませんが

 そうして、お昼頃には届いた年賀状をチェックして、お返事を出しがてら
 私の実家へ帰省します
 雪が結構降ってて怖かった~
 元旦の夜は実家で1泊させてもらって、お昼頃また帰ってきます。
 

 と、こんな感じが毎年のお正月でして、今年も家で年末年始を迎えられて
 良かったな~
 なんて、今頃お正月のブログ書いてるのなんて、私くらいのものでしょうが
 こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願い致します

 いやいや、タイトル見て何???と思われてるかと思いますが、
 一応、子育て回想録!年始からあんまり良い事ではないのですが、
 大変な思いをした1月の出来事を書こうかと思いまして・・・


 大玉と言うのは、今はあまり見かけなくなったんですが、昔一つが10円玉
 位の大きな飴玉がありました。
 それも、コーラ味やソーダ味なんかもあって、子どもたちには人気があったんです

 その大玉が年初めのスイミングに行くと、2個プレゼント
 タイボンは勿論大喜びで、張り切っていきましたよ

 その時まだ卒園してなかったと思います。
 だから、喉に詰めるのが怖くて、余り与えてませんでしたが、
 年上の子達が食べてるのを見ていて欲しかったんでしょうね~
 スイミング終わると、受けつけの方へ走って行って、嬉しそうに2個
 好きな味の大玉を選んでもらってきました

 早速帰り道、口いっぱいにほおばるようにして食べていたタイボン。。
 それがまた、なぜか嬉しそうに歌い始める
 いつもなら、スイミングで疲れてうとうと居眠りを始めるんだけど
 気持ちがとってもの様子で・・・

 曲が又、お正月もとっくに過ぎてるのに、「赤鼻のトナカイさん
 
私「タイボン、飴ちゃんがのどに詰まると怖いから、歌うのは止めて
 と何度言っても聞かない

 なかなか止めてくれずに何回も繰り返し歌っていたタイボンが、突然歌うのを止めた
 ふと、後ろの様子をルームミラーで見たら、苦しそうにもだえてるタイボンが!!

 車はもうすぐ右折をするから、追い越し車線に居て、左から来る車を何台か
 待って、端っこにやっと駐車したんだけど、タイボンの顔がみるみる間に
 真っ赤になりとっても苦しそうで、どうしたらいいのか分からず、とにかく
 背中を、どんどん叩いて、吐き出させようと必死でしたよ~

私「タイボン、大丈夫!!ゴホンと咳してごらん」

 「飴玉を吐き出すんだよ~~!ほれっほれっ!」

 と、当時は携帯もないし、誰かに助けを求めようにも、車から出るのも危ないような
 通りの激しい道だったので、本当に困って祈るような思いでした

 そうしたら、タイボンがはあ~~~っとため息をついて
タ「あ~あ、お母さん、飴玉飲んでしもたー

私「ああ!!良かったーーお母さんタイボンが死んじゃうかと思って
 本間に心配したんよ~
 飴玉ならもう一個あるやんタイボンの命は一個しかないんやからね!
 もう、口にものが入ってる時に歌を歌うのは止めてな

 と言って、それでも勿体ないことしたなあ~と言いながらも、もう一個の
 大玉は大切に手に持って帰ったタイボンでした
 それからしばらくは大玉に手を出そうとしなかったタイボン。。。
 やっぱり、余程苦しかったんでしょうね~

 この事は私も本当に怖い思い出です
 今でも、こんにゃくゼリーなどでの悲しい事件を見聞きすると胸が痛みます
 
 最近は私の方がむせる事が多く、薬も小さな錠剤でも1粒ずつしか飲めなくなりました
 今度は私が気を付ける番かしら


     お知らせですが、私のブログは、
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