リーダーのレゾンデートルは、折衝の成功にあるよりも、集団の利益を最大限に標榜し、集団成員に意を十分に受け止める事であって、もしこれに失敗すれば、自分自身が危うくなるという立場に置かれている。
実はここに、異なる意見統一に困難さが存在するのである。「タテ」の折衝は、ある意味で単純に帰着し過ぎるのであるが、「ヨコ」の折衝がこのように非常に困難であるということは、x(タテ)集団的構造を持つ社会においては、「ヨコ」に働くメカニズムが不在で、もしあったとしても、それが機能しにくいということに求められる。
これが同時に「タテ」の折衝に置いても、「ヨコ」に折衝においても、実は「論理」というものが重要視されていない、ということが指摘できる。論理に代わってここに出ているのは「力関係」である。(p132-133)
さらに、このリーダーと直属幹部成員との関係は(その他の成員すべてにも共通した関係であるが)、「タテ」の直接的人間関係であるために、それによって招来されるエモーショナルな要素に支えられていることである。
「タテ」のエモーショナルな関係は、同質の者(兄弟・同僚関係)からなる「ヨコ」の関係より、いっそうダイナミックな結びつき方をするものである。古い表現をとれば、保護は依存によって答えられ、温情は忠誠によって答えられる。すなわち、等価交換ではないのである。
このために、「ヨコ」の関係におけるよりいっそうエモーショナルな要素が増大しやすく、それによって、いっそう個人が制約される。この関係はした(子分)を縛るばかりでなく、上(親分)をも拘束するのである。「温情主義」という言葉に表されている情的な子分への思いやりは、常に子分への理解を前提とするから、子分の説、希望を入れる度合いが大きい。(p139-140)
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