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タテ社会の人間関係 その26

2016-10-14 19:35:47 | 世間

個人と個人との間に理性的な、あるいは抽象的なコントラクト関係の設定が困難であるということは、人間関係が、極めてパーソナルな、直接的な人と人の関係によって設定されるためと言うことが出来よう。

近代日本における経営者と従業員の結びつきや、西欧的教養を身に着けているとされている知識人の間においてさえ、このような「タテ」の情的な関係が強いのであるから、これがヤクザの世界の親分・子分関係となれば、論を待つまでもない。親分のために殺人くらいすることは当然であろう。

ある保護施設の園長の言によると、やくざの世界を一度味わった子供が、何回連れ戻しても戻ってきてしまうのは、ヤクザの絵会では、その子にとって、保護施設や里親などからは得られないような、理解と愛を受けるからであるという。親分・子分関係の強さ、エモーショナルな要素は、弱い者にとって安住の世界を作っている。

戦後とみに盛んになった新興宗教団体が、魅力的なリーダーを持ち、直接接触を媒介とするエモーショナルな「タテ」の線 集団組織の機関としていることも注目に価する。創価学会の折伏による「タテ線」、立正佼成会の「親l・子」関係は、その典型的なものである。これによって信者は、しっかりと組織網に入れられ、「私はもう独りぼっちではないのだ」という安定感に浸ることができる。

また、古い歴史を持つ伝統的な教団と言われるものにも、これら新興宗教とは異なるが、基本的ンには「タテ」の繋がりが見られる。たとえば、真宗の門徒は、真宗という教理の共通性自体を媒介として集団を作っているというよりも、むしろ、実際には自分の父も、祖父も門徒であったからという「タテ」の線によって、現在のこじんが支えられていると言えよう。

信仰というような、一見抽象的なものを媒介として、成立しているがごとき集団いおいても、それは驚くほど顕著に表れている。また、競願組織そのものも、「タテ」関係を貫いていることは、天理教の本教会・分教会組織、真宗の本寺・末寺関係などによく表れていることも付け足しておこう。(p167-169)


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