これでお開き

体育会系俳人のつぶやき

白桃にほほぼねのあり紅を挿す

2013-07-06 21:15:24 | Weblog

6月はたった一度の更新、7月も今日が初めての更新ということで、
数年前に戻ったような、いい加減さとなってしまった。
もし、毎日覗いて下さっている御方がいらっしゃれば申し訳ないの一言。

ま、この間、会社の若い仲間の結婚パーティーが2回など、
呑みの回が多かったことも影響しているというのは言い訳にしか過ぎない。


一方、株式市況は日経平均においては直近の安値からの半値戻しを達成して、
自分の持ち株も評価益を回復している途中という段階にある。
一部の目先の利益を目論んだ株は売って手持ち資金にしている。
また、デイトレでの利益を狙っているというのが正直なところだけど、
私の内のジキル博士は「慎重に!」としきりに呟くのだ。



  いろいろな泳ぎ方してプールにひとり  波多野爽波  『一筆』


何のテクニックも使っていない句だけど、
そこを含めて、たまらなく好きな句の一つ。

寿司江=体育会系、爽波=俳句スポーツ説も影響しているのかも?

「テク」、身につけたけど、出来れば使いたくねえや!!

かへりみて走井橋の霞むかな

2013-06-19 20:07:24 | Weblog

走井橋=はしりゐばし



短期の金儲け(株式でいえばデイトレ、僕はしないけどFXなど)に、
頭の内が集中していると、やっぱり俳句には目が向かないね、全く。

というわけで、久しぶりの更新になってしまった。
日々、ここを覗いて下さっていた方、ごめんなさい。

株式市況もようやく落ち着きを持ち始めて、
中長期投資(買い)を一部再開してもいいかなと個人的には思っている。
ま、余裕を持って株式投資を進めたいんけど、そうもいかない事情があるのでね。



2日前の月曜日だったかな、深夜勤を終えたあと風呂に入ってから、
ビールを飲んでいた時、書棚にある結社誌「G」の2013年7月号が、
何故か、読み返して欲しげ(?)に前に出ていたと僕は感じたのだ。

手に取ってみると、今から10年前の同人吟行作品が掲載されていた。
各10句、掲載者はT子姐さん、ダンディー、KM、そして僕。
「2003年4月20日 比叡山延暦寺と石積みの里・坂本吟行」

自句を読み返してみると、(表現が)下手くそだなぁと改めて思う。
今からちょうど10年前の吟行というわけで、まだ俳句歴6年目だから、
表現面では下手も当然なんだけど、すでに結社内の同人となっていたわけで、
そんな言い訳は出来ない立場にあったように思えてならない。


10年を経た今、改めてこの10句を顧みたもの(10年後の完成形?)を、
この場で発表して、もやもやとしたところに区切りを付けたいと思う。


まずは、2003年の結社誌発表の10句。


  ① 雨に打たれてあぢさゐは葉の盛り

  ② 圧し鮓や穴太石工の裔と云ふ    穴太石工=あのういしく

  ③ 焼討のあとかたもなく霞みけり

     (根本中堂、1200年不滅の法燈)
  ④ すいと膝畳んで春の法燈に

  ⑤ 法話聴くかたち叡山菫かな

  ⑥ 藤棚は雨宿りには向かぬ棚

  ⑦ かへりみて走井橋の霞むかな

  ⑧ たうとう花虻に怪しまれてしまふ

  ⑨ 一人静みづうみのもの口にせず

  ⑩ 青梅いまに雑草のよく戦ぐ



上記の10句に関する現時点での不満。


  ① 「雨に打たれて」が説明的!

  ② 「計算」「サブリミナル効果」と言われようが、徹するべき。

  ③ 「あとかたもなく」の「なく」が嫌!

  ④ 「春の法燈」、特に「春の」が嫌!

  ⑤ Sさんに言われるまでもなく、「法話聴くかたち」が嫌!

  ⑥ 「~は~には~棚」は煩い!

  ⑦ 今日の表題句にしたように、唯一、今も許せるというか好きな一句。
    「かへりみて」は「(振り)返り見て」と「顧みて」が掛けてある。
    吟行句でありながら、境涯句のようで僕らしくないかもしれない一句けどね。

  ⑧ 雨が16時頃に上がった後に得た句。イマイチだけどこのまま。

  ⑨ その日は琵琶湖のものを口にしなかったけど、俳句的には「口にして」だと!

  ⑩ なんで「雑草」にしたのか呆れる。正解は「下草(したくさ)」



僕自身がこの吟行で一番詠みたかったのは①と⑩だったわけで、
その二句の表現が未熟だったことは、改めて反省材料となる。
春から夏へ向かう植物のその生命力・雨中であってもその明るさを詠みたかったのだ。

この十年前の4月20日・この吟行日のことは、今も鮮烈に記憶している。
これ以後もセンセには評価されなかったけど、風景句も僕の一部になった日だったから。


というわけで、未練がましいようだけど、
2013年・10年後の推敲版「比叡山延暦寺と石積みの里・坂本吟行」を。



   雨粒に跳ねあぢさゐは葉の盛り

   焼討のそのあとかたも霞みけり

   圧し鮓に穴太石工の裔と聞く

     (根本中堂、1200年不滅の法燈)
   ともりゐて春の燈しやぬかりなく

   両の膝すいと叡山菫かな

   藤棚は雨宿りにも向かぬなり

   かへりみて走井橋の霞むかな 

   たうとう花虻に怪しまれてしまふ

   一人静みづうみのもの口にして  

   青梅いまに下草のよく戦ぐ



その始終口を挟まず立葵

2013-05-28 20:20:45 | Weblog

今日は公休日だった。

午前8時を過ぎて、PCで株式の「板」状況を探る。
「板」を見た限り、狼狽売りや信用担保切れの小口売りと読めたので、
三銘柄ほど、とりあえずの打診買いを入れてみる。

結論からいえば、更に株価が下がれば、買い下がって行くつもりだったんだけど、
何気なくそして弱々しく株価は上昇したので、結局はデイトレとなってしまう。
ま、一日3万円も儲かればデイトレとしては御の字だけどね。
要は、今日が公休日であったことに感謝。



  籐椅子の鱗払ひて坐りけり  波多野爽波  『一筆』


爽波の句の中ではベスト5に入るほど、好きで評価をしている一句。
要するに、爽波は主観写生句において本領を発揮したというのが、僕の結論。
爽波の客観的?写生句は、総じて説明的でつまらない。

ひとつまたひとつ雨中へ夏帽子

2013-05-26 19:54:32 | Weblog

あくまで純粋写生句として作ったんだけど、ま、深読みも可能な句として。



さて、明日以降の株価の推移だけど、よくわからない。
一端は日経平均の引値で14000円を割る場面があるかもしれないけど、
そこからの深押しはなく、14000~16000円でのBOX相場で推移と予想する。

今回、15900円を突破し、16000円に迫ったとたん急落したわけで、
日経平均16000円には心理的な壁が出来てしまったように思える。

したがって、いつになるかは解らないけれど(期限は参議院選挙前までに)、
16000円を突破して引けた場合は強気で対処していいと思っている。

強弱感が交錯して値動きが激しくなってきた今こそ、得意?の場面なんだけど、
染屋時代と違って、本格的デイトレが出来ないことはツラい。
ま、デイトレで儲かることばかりではなく、大損だってしたからね。

でも、今の基本投資スタンス(資金の2/3)は中長期の買いだよ。



  雨を来し灯虫のひとつひとつかな  波多野爽波  『舗道の花』


今日の表題句は掲句をヒントに作ったもの。
やっぱ、爽波の方が作為を感じさせずに自然だな。
でも、僕には物足りない、好きだけど物足りない。
この矛盾なんなんだろうね??

眠る子に風のたゆたふ噴井かな

2013-05-23 22:49:13 | Weblog

今日、日経平均が急落、1143円もの大幅な下げとなる。
ま、上昇ピッチが急だったから、単なる調整局面だと僕は思っているけど、
親父からの心配の電話に、上記のように答えると、
「アホ、相変わらずお前は能天気やな」と、嗤いながら諭される。

満87歳になった父だけど、今も杖の頼りが必要なく歩けるほど元気だ。
株式投資と将棋をボケ防止に、日々悠々と過ごしているようである。

「ようである」というのは、87歳の父と82歳の母だけど、
二人だけで、まだまだ十分に生活していけるから偶にしか連絡しない。
逆に、頼りない息子である僕のことが心配でならないようで
向こうからは、ちゃんと深酒をせず出勤しているか? などと電話がかかってくる。

もうすぐ還暦というのに、情けない息子だよね。
ま、心配させる息子だから体力も衰えず、頭もボケずにいるのかも……
それを親孝行といえるかどうか、言えないよね!



  怖き父家に在る日の草いきれ  波多野爽波  『骰子』


というわけで、僕にもよく理解できる一句であります。

なつがすみ目星に蹤いて往けとのみ

2013-05-18 21:42:14 | Weblog

今日の表題句のような、慣用句をわざと誤用するレトリックを用いた句が、
結社「G」のとりわけ初期において、大ブレークしたことは間違いない。
レトリック、テクニックとは縁遠かった作句姿勢の僕までがその影響を受けたもん。
結社を離れた今となっても、実体験自体は身に付いていると思う。

確かに、作句のすべてをレトリック、テクニックに頼ってはいけないと思うけど
このような技術を(曲がりにも!)身に付けて置いたからこそ、
いざ、授かった発想に詩嚢が接した際に活かせることも多いと思う。

【そう、無理矢理に句を作りだそうとする時に濫用してはダメなのだ】
                ↑
上記が、もっぱら自分への戒めに聴こえるのはどうしてなんだろうね。



  手に軽く握りて鱚といふ魚  波多野爽波  『骰子』


さりげなく詠んでいて、読み手にも共感を与える一句だと思う。
深読みをすれば、人間の男女関係に発展させることも可能なんだろうけどね。
前のここなら、そのあたりを入念に書き綴っていただろうけど、もう書かないよ。

薄暑かな布に包むと讀むかばん

2013-05-16 23:23:42 | Weblog

ま、一般的には理解してもらえない句だと思うけど、
京都@東山には「一澤信三郎帆布」が存在していて、
京都を訪れて下さる観光客の一大スポットとなっている。

革に包むと書いて「鞄」という漢字となるんだけど、
そこを逆手に取った【作字】を銘打ち =「布に包む」と記したカバン、
それを「一澤信三郎帆布」は、京都・東山のお店でのみ販売している。

ネット販売しない(手触りでその良さを感じて欲しいから)との姿勢も共感するし、
素材・縫製を含めた品質も十分に納得するものではあるんだけど、
地元の者からすれば、販売価格はあと2割ほど安くして貰えればとの思いもする。


  汗かかぬやうに歩きて御所の中  波多野爽波  『骰子』


僕だって、自宅から御所までは歩いて10分ぐらいなので、
散歩がてら京都御苑を訪れることはしばしば。

現代とは時代背景が違うということを別にしても、
「汗かかぬやうに」というフレーズは理解できる。

でも、だけど、今に生きる僕だったら、


    御所の内玉の汗とはならざりき  康司


なんて詠むんだろうな。
逆説・へそ曲り、ま、なんでもいいや!

僕的表記は「中」ではなく、「内」。

修司の忌さうぢもせぬに箒禿び

2013-05-15 21:18:18 | Weblog

没後30年、されど寺山修司は不滅である!

思い返せば十年ほど前、僕が或る句会の後席において或る方に、
寺山修司のことを「寺山修司こそ、僕を俳句に導いてくれた作家なんです。」
というと、「へ、貴方の作られる俳句に寺山修司の『ての字』も感じないんですけど」
と一蹴されてしまった。ま、自分でもその返答自体は、今となっては納得しているんだけど、……。

ま、要するに、僕は(表面的に「雑俳」に映ってしまう下手糞なところはともかく)
俳味に寄り掛かった俳句であっても、詩性を秘めたものを目指していると言いたかったわけ。

ということで、今夜は寺山修司の一句を。



   もしジャズが止めば凧ばかりの夜  寺山修司  「氷海」


「氷海」は、言うまでもなく秋元不二男の主宰俳誌。
不二男は僕も敬愛する作家だし、そこへ投稿していた修司もさすが。

僕もこのような句を作っていた時期(ここのブログを始めた頃からかな?)もあり、
自分の資質に向いていないと気付く(結社退会寸前)まで、修司の影響は強かった。

ま、ここまで読んで「あんたには爽波も修司も似合わないのに」
と、思っておられる方が多数を占めるであろうことは、結構自認している。

剛波剛波の爪剪りそろへ夏を待つ

2013-05-14 18:44:43 | Weblog

「剛波剛波」については、無粋に付き、ルビは振らないのでよろしく。

自解をするまでもないだろうけど、我が足の爪の形状を顕すオノマトペである。
確かに、生来より分厚い足の爪だったけど、その形状が波打ち出したのは、
染屋を廃業して、年中靴下を履く職業に転職してからであった。
ということで、ここからの鑑賞はおまかせ。


さて、今日は久しぶりの公休日(昨日は深夜勤)だった。
京都もすっかり夏の気温となったんだけど、
この場の表題句&爽波の一句は本日まで、春の句ということで……。

今日は買い物の後、家から少し離れた公園でゆったりと過ごした。
「家から少し離れた公園」というのは、平日の真っ昼間に近所の公園で、
缶ビールなんかを呑んでいる姿を顔見知りの煩方に見つけられたら、
「平日の昼間から、ビールなんか呑んで、結構な御身分ですな!」なんて、
皮肉を言われるのが鬱陶しいわけ。ま、平気で受け流せばいいんだけど、ね。

というわけで、長閑にスマホで本日の株価動向などを確かめながら、
午後のひとときを過ごせたのでありました。もちろん、缶ビール付!


  袋掛すみたる哺乳瓶が立つ  波多野爽波  『骰子』


僕、この句よく解らないんだど、なぜか魅力を覚えるんだな。
このことを、それは爽波を贔屓し過ぎと捉える方もおられるだろうけど、
前衛俳句とはまた違った、心地よい難解さを僕は喜ばしく思っている。

僕自身の掲句への解は曲りなりにもあるけど、記さない方がいいよね。
ま、「袋掛」「哺乳瓶」の関わりは興味深いとのみ。

紋白のこれぞ不惑といふ舞か

2013-05-12 22:58:34 | Weblog

昨日の表題句、

  尿つこする形も柱も貝櫓   康司

について「康司さんも犬を飼っておられて、その犬を亡くされたんですか?」
との携帯メールを、或る方から戴いたんだけど、
「犬は好きだけど」、僕は「犬を飼ったことはありません、でも……」と返信した。

「でも……」以下の部分は、飼い犬を亡くされた方を想定しての机上句だけど、
「飼い犬を亡くされた」との鑑賞をして戴いたこと、嬉しく思います。
「読み返すたび、涙が出て来ました」なんてほんと有難いです、との返信を申し上げた。

恐縮はしたものの、机上句であってもそこまで言って戴けたことに自分自身も感動した。
この先、株で損をしても、このブログを続けて行こうと改めて思ったのであった。



  恥づかしきものげんげ田に捨ててあり  波多野爽波  『一筆』以後


僕が爽波の句の中で一番好きな句といえば、掲句かもしれない。
発表当時よりより現在、そして未来永劫「リアル」なフレーズだと思う。
そう、「げんげ田」がこの世、この日本に存在する限り。
ま、「リアル」はKМの評論文の専売特許だけどね、……

尿つこする形も柱も貝櫓

2013-05-11 20:47:29 | Weblog


  形=なり


ま、飼い犬の散歩風景からの写生+知的操作句なんだけど、
この程度が、自分が現時点段階で納得の句なのだと言わざるを得ない。



  籐椅子の鱗払ひて坐りけり  波多野爽波  『一筆』


説明的に映るけど好きな句なり。
確かに「鱗払ひて」という中七の措辞には実感があると思う。

ひこばえを拒む一樹に彼奴を見し

2013-05-08 23:20:56 | Weblog

彼奴=きゃつ


今日の表題句、たしかに植物の季語を用いた人事句ではあるんだけど、
僕的には、G化調とは一線を画した句だと思っている。

退会した僕がこんなことをいうのは非礼かもしれないけど、
結社ホームページの特に「G化の森 Ⅱ」掲載句は、
主宰選に媚びたと思ってしまう句が並んでいることは残念に思う。

でも、遠い昔? 僕もそうだったから自己批判であるんだけど……



  魚島やばりばりひらく宿の傘  波多野爽波  『一筆』以後


爽波の晩年の句では著名な句なので、
この場でいまさら解説・鑑賞も必要ないんだけど、
掲句のオノマトペ「ばりばり」は、意外と打ち出せないフレーズと感心するばかり。




しつとりとパサパサと春惜しむなり

2013-05-07 19:16:52 | Weblog

この「しっとり」「パサパサ」は和菓子・洋菓子の食感のつもりである。
「パサパサ」は、本来ひらがなで「ぱさぱさ」とすべきところなんだけど、
僕の好みでカタカナ表記とさせて戴いた。いかがでしょう、Sさん。



  風呂敷をはたけば四角葱坊主  波多野爽波  『湯呑』


ま、好意的に読めば「はたけば」が活きている句だと思うけど、
それほど新鮮な発見とも言えないし、「角」「丸」の対比も作家的とまで言えない。

どこまでが俳句愛好家で、どこからが俳人(作家)なのか不明だけど、
上記の爽波の句に関しては、俳句愛好家レベルとあえて言わせて戴く。


山頭火いいえ吾なり遍路ゆく

2013-05-05 22:43:55 | Weblog

今日はこどもの日で立夏でもあるんだけど、
まだまだ朝晩は肌寒いので、夏の句を詠む気にはなれない。
ま、春は僕の得意な季節でもあるので、もう少し春の句を詠み続けたい。

作句の上で、好きな季節(正月を除く)の順は、春→夏→冬→秋だな、僕は。
結社所属時代の発表句でも、春の句はすぐに思い浮かぶ。
いずれも同人になる前の発表句なんだけど、

  鷹化して心許なき首づかひ   康司

  失恋の猫も引越荷物なり    康司

  風船にもう月曜の来てゐたり  康司

などなど。


  種痘する机の角がそこにある  波多野爽波  『鋪道の花』


「種痘」は死語に近い季語だけど、
幼少時に経験したことのある自分には懐かしい季語だ。

掲句「机の角がそこにある」という口語表現が、
その不安を映し出していると、僕には思える。

伏せ籠鶉めく八十八夜かな

2013-05-04 23:40:29 | Weblog

伏せ籠=ふせご

この伏せ籠はおそらく放し飼いの鶉用なのだろう。
もしも伏せ籠内に有精卵が産み捨てられていたら、幸福の卵とも思えてくる。
そう、産んだ牝鶏も、ま、牡鶏も、そしてここの管理者もGW中なんだろう!

でも、どのように詠んでもこなれた表現にならないなあ。


  若き医師ら集ふに一望の干潟  波多野爽波  『一筆』


う~~ん、とは思う句ではあるけど、現時点、僕はこのように詠めない。
破調云々ではなく、俳句下手?云々ではなく、俳句に対する精神の違いとも?