特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

西宝珠花車庫から春日部のロビンソン百貨店へ男子高校生が行った話

2017-06-16 00:25:19 | 旅行

 「路線バスでまちづくり」を提唱され全国でも珍しい路線バス専用ターミナル『関宿中央ターミナル』を完成に導いた最後の関宿町長、河井弘さんが先月亡くなりました。

 本日は昭和63年、旧関宿町在住のクラスメートと一緒に、関宿中央ターミナルが出来るまで路線バスの終点として存在していた「西宝珠花車庫」を訪れた思い出をお話しします。






 
 上の画像、平成13年に自家用車で見に行った埼玉県庄和町の東武バスの廃車庫の光景です。
 対岸の旧関宿町に関宿中央ターミナルが完成し東武バスが姿を消してから4年の歳月が経過しています。まだ「東武バス」の標識が残っていますね。
 その名を「西宝珠花車庫」と申します。

 いつ頃出来たのかよくわかりませんが少なくとも昭和57年野田市駅~境車庫線に乗った時に車内で見た車内路線図にはすでに記載されていました。
では昭和56年はどうだったかというと、以前境車庫線の話で触れたように対岸にある東宝珠花の転回場で「春XX 春日部駅東口」と表示した大型方向幕車が止まっているのを確かに見たことがあるので、56年~57年のいずれかの時期に春日部から境へ移管されて出来たのではないかと思います。
 
 庄和町はまごうかたなく行政区分は埼玉県であり、今やクレヨンしんちゃんでその芳名を全国に余すことなく響かせる埼玉県春日部市の一部となっておりますね。
 しかしながら実は明治初期まで我々と同じ千葉県に属していてその地名も、下着姿の若い女の幽霊が夜な夜な現れることで有名な「金野井」をはじめ「宝珠花」「親野井」と野田市と共通する地名があるのです。
 あまりに地名がそっくりなので庄和郵便局と川間郵便局の人が配達するのに困ることがある、という話を耳に挟んだことがあります。
 なんでも江戸時代に江戸川開削で引き裂かれ旧ドイツの如く東西に分け隔てられてしまったそうです。そしてそれは利根川に舞台を入れ替えて野田と茨城県岩井市の間柄にも言えることなのです。野田は独仏国境にまたがるロートリンゲンなのです。


宝珠花橋を渡る春日部駅東口行き東武バス。(年代不詳。野田市のI様ご提供)



 また話があさっての方向へ行ってしまいましたが、さて、私の通う高校は現在東武バスイーストの堂々たる本拠地千葉県柏市にありました。
なぜ柏の高校生二人して県境越えまでしてロビンソン百貨店までいったのかというと二人とも見たかった映画、荒俣宏原作の『帝都物語』がロビンソン百貨店の中にあったロビンソンシアターで柏よりもいち早く上映開始されていたからです。

 旧関宿町にあった級友宅はお金持ちで富士通のFM7なんぞを持っており宅にお邪魔してPC用ゲーム「イース」を小一時間ばかりやらせてもらってからほどなく「東宝珠花」停留所へ歩いて行き春日部にバスで行こう、という皮算用でした。しかし現着して時刻表を見たら40分か50分待たないとバスが来ない。

 小学5~6年生当時乗りバスにはまっていた、という黒歴史をしっかり隠蔽したつもりではありましたが
ここでむくむくと生来のバスマニア気質が蘇り「川向こうの西宝珠花からも春日部行きあるよ」と意見具申したところ快諾を得たので20分ばかし練り歩き東は「東宝珠花」から西は「西宝珠花車庫」へと足を踏み入れたのです。
談笑しながら宝珠花橋たもとまで歩いて来ると野田市駅~境車庫線その2で熱く語った、酪農家の牛舎の屋根が見えました。
牛の顔こそ見えませんでしたが、幼き日の車窓の光景が脳裏に浮かぶと思わず前触れなく歩調を緩めてしまい、ひたすら牛舎の屋根に視線を投げかけ続ける私に級友は「?」という顔をしておりました。

「東は東、西は西、しかして両者、永遠に相まみえることなかるべし」(キップリング)。


昭和の頃『ジョイフーズ』奥の明るい色調の壁のお家が集まってる辺りに牛舎があり、
壁ではなく柵で囲われていてその柵から顔だけを出しモグモグしている牛さんが見れたのです。


宝珠花橋をわたる朝日バスより見る江戸川。
キャサリン台風で西宝珠花が現地に移転するまで左岸東宝珠花と右岸西宝珠花は川面を隔てて指呼の間であったでしょう。




宝珠花から春日部方面へ走る「芦橋経由 春日部駅東口行」。今日廃絶しています。私も乗ったことありません。(『広報庄和』)
春日部駅前から6時55分、13時55分の2本のみあり立野→榎→平野→芦橋→木崎→集会所前→上芦橋→上吉妻→西親野井入口→大松前→一本松→宝珠花入口と回って春日部駅へ戻る循環線であった様です(『東武時刻表』他)。
前述のように車で西宝珠花車庫を見に行ったとき、たまたまこのルートを走りましたが、
上吉妻停留所の跡地にはいかにもバス停留所を設けるにふさわしい佇まいの酒屋兼タバコ屋さんがあり小腹を満たすような菓子パン等を買いました。




野田市駅~境車庫線のお話をしたときに東宝珠花には商業集積の歴史が子供にも感じられた旨お伝えしましたが、西宝珠花は更なる繁華な土地だったようで、早くも明治初期に宝珠花村(現西宝珠花)には人力車15輌があり、粕壁と往来していたとのこと。その後の紆余曲折は・・・

明治32年、東武伊勢崎線粕壁駅が開業した前後に乗合馬車に変わり、現在も残存するバス停「辻橋」あたりに人馬の休息所を設けていた、辻橋には茶屋があり1銭払うと茶が飲めた

大正年間に馬車横転事故があり大正12年4月から粕壁町在の越沼某氏が経営するタクシーに変わった

大正末に越沼氏が宝珠花村・粕壁駅間の路線免許を取得して10人乗りの外国製車両で路線バスの運行が開始された

粕壁~宝珠花間を1日に36往復、所要25~26分、運賃は粕壁~宝珠花は片道60銭、粕壁~辻橋は片道50銭。(於昭和7年9月1日)

大戦期に東武鉄道に会社丸ごと売却された

終戦後東武により路線が延伸され春日部駅前~野田下町間となる(当時の宝珠花舟橋は自動車の行き来が不可能なので江戸川左右岸で乗り換えをしていたか?)

昭和33年舟橋400メートル上流地点に現宝珠花橋が開通し春日部駅前~関宿日枝神社となる
(『庄和町之百年』『庄和町史編纂資料新聞篇』他)

と、春日部と野田を結んでいた路線なのであって、郷土野田市のバス史を語るうえで触れざるを得ないわけです。
また明治期の西宝珠花の人々はまことに財力豊かで銀行をも設立していますが後年負債超過に陥った際、我が野田町の野田商誘銀行に合併を申し入れています。

また『春日部市史』(平成25年)に昭和45年現在、春日部駅前を発する路線として以下の路線が紹介されています。なお当時春日部駅に『西口』はまだ出来ていません。駅の入口が現東口の一つしかないので「春日部駅東口」ではなく「春日部駅前」となっております。『西口』からバスが走り出すのは昭和55年まで待たねばなりません。

①春日部駅前~宝珠花~日枝神社 13往復/日
②  〃  ~柳 原~西宝珠花 11往復/日
③  〃  ~柳原~宝珠花~二川郵便局 7往復/日
④  〃  ~宝珠花~木間ケ瀬~野田市駅 6往復/日
⑤  〃  ~芦橋~宝珠花~日枝神社 6往復/日
⑥  〃  →柳原→立野 1往路のみ/日

さらに西宝珠花から発する非駅間路線もあって

①西宝珠花→二川郵便局 2往路のみ/日
②  〃 ~日枝神社 3往復/日


うーむ、二川郵便局へ行くものが後年の工業団地入口行きの前身なのかな、と。
昭和55年東武時刻表に西宝珠花始発の工業団地行という記載があり「平日のみ 0815 1035 1509 1700」となっています。

春日部駅~木間ケ瀬~野田市駅なる路線は私の小学生時分にはすでに存在していません。
しかしながら昭和57年春頃、西宝珠花車庫始発野田市駅行きというが平日11時台に一本だけ設けられていて、
宝珠花橋を渡って千葉県側へ入ると木間ケ瀬を経由せず境車庫~野田市駅のルートに沿って野田市駅へ達するという興味深いものでした。
野田市駅の時刻表には「西宝珠花車庫行き」というものは無かったので往路のみだと思われます。

当時新聞の折込に入っていた野田市周辺のバス時刻表があり「川間局入口」停留所の野田市駅行き時刻の中に記載されていました。
存在に気づいてから半年もしないうちに境でダイヤ改正があって、残念ながら乗りつぶしにかかる前に消滅してしまいました。
もし乗れていたならば幼少のうちに西宝珠花車庫の知見を得られたであろうと思うと忸怩たる思いです。

さらにうるさい方ならお気づきのようにこれに「春日部駅東口~西関宿」という路線も付け加えるべきでありましょう。
西関宿とは旧関宿町とは似て非なる場所、幸手市にあります。
乗ったことはありませんが、遅くとも昭和57年の境車庫の車内路線図には記されていて経路は判然としませんが凡例欄に「春日部駅東口~西関宿」とあったのだけは覚えています。






宝珠花交差点を右折して宝珠花橋へ向かう日枝神社行き。看板に書いてある「キッコーパン」を食べたことありますか?(昭和40年代『春日部市の100年』)



 私自身、西宝珠花車庫は小学生時分に境車庫線の車内路線図で見たっきりで実際に利用したことはなく立地も不明確でしたが車庫は宝珠花橋詰から見えるところにあり非常に分かりやすかったですね。
 到着するとすでに3台ほど止まっており「東武動物公園駅」幕のが1台、「春日部駅東口」幕のが2台。
 野田にもチラホラ新塗装車両を見かけるような時代でしたがそこにあった3台は全て旧塗装でしかも前方方向幕も従来の大きくないサイズでした。

 東武動物公園駅行きは昭和33年に開設された杉戸駅~船渡橋~宮前線がいつしかここ西宝珠花車庫まで路線延伸してきたものです(『庄和町史編纂資料新聞篇』)
 



 16年前の平成13年、宝珠花橋詰から俯瞰して撮った西宝珠花車庫(跡地)。庄和町民が学校給食全廃とともに渾身注力していた『大凧会館』の基礎工事中の模様が左後方に見えます。私が申すのも差し出がましくて恐縮ですが、野田市側に東宝珠花が残っているのだから春日部市側にも歴史ある「西宝珠花」と付くバス停を残しておいてはいただけなかったのでしょうか。

 後年乗り場に雨よけシェルター屋根が設けられたようですが、昭和末期頃は乗り場は全く野ざらしでベンチなど腰掛けるものはなく、一本だけオレンジ色ポールが立っており動物公園行きと春日部駅行きのと2枚上下に時刻表板がオレンジパイプにボルト止めされていました。
 動物公園行きと春日部駅行きも同じような本数でしたが、東宝珠花発の春日部駅行きに比べると3倍ほどありました。
 
 乗り場左斜め前方には、なんの看板も広告も取り付けられておらずともするとただの物置小屋にしか見えないほどの平凡すぎるたたずまいの乗務員詰め所があり、小屋の隣は客用の自転車置き場になっていましたがこれもやはり野ざらしでした。

 置かれている自転車は20~30台はあって「のどかな所だが利用者が結構いるのだな」ということがすぐ分かりました。自転車のうちいくつかは後輪カバーに高校の校名シールを貼ったものがありましたが「ナントカ学園埼玉」とか他県民には今ひとつイメージが沸かない校名ばかりでした。

 先客に生命保険の勧誘員みたいなかっちりした服を着た20~30才くらいのご婦人が一人おり、左肩に白っぽいコートとは対照的な地味な色をしたトート様のショルダー鞄を掛け、紀伊国屋らしき紺色ラインの入ったカバーで覆われた小さめの判サイズの本を読んでおり、私たちがおしゃべりしていても一向聞こえていない風に立ち佇んでいます。

 晴れてはいますが春先にしてはやや湿気が感じられる外気。目と鼻の先にある江戸川土手に生える草の香りをはらんだそよ風が、3台並んで退色しかけた東武バスの、青いボディの隙間をときおり吹き抜けていきます。

 女子高生と違い男子高生同士ではノンストップで会話が続きません。土手の上をモタクサと散歩する老人をぼんやり眺めながら「滑って転がり落ちてバスの天井に乗っかってそのまま東武動物公園まで無賃乗車したら宝珠花交差点にあった駐在さんが終点まで自転車で駆けつけてきたりしてさぞ面白いだろうなあ」と不敬なことを想像してますうちに、定刻1分前に詰め所から運転士のおじさんが出てきました。

 出てくるのは良いのですがこちらに向かって「はいぃ、春日部駅ひがしぐちぃー」と一声大きく叫んでから車両へ向かいます。級友も先客も特段リアクションしませんでしたが私は心の中で「なんだこれ?西宝珠花車庫だけのローカルルールなのかな?」と思いました。




現在は「イオンモール春日部」という新しい商業施設を経由してたり、東宝珠花~春日部駅東口が廃止になってたり、はたまた春日部~境車庫というロング系統が出来てたりまあいろいろ変わりましたな。
 ほとんど男子校のような高校に通っていたので千葉県でもよく知られる名門、春日部女子高校そばの「女子高入口」という停留所名に若かりし日の私は心躍らせました。通学時間帯にご一緒できなかったのが実に悔やまれます。



  
一番驚いたのは我が青春の一コマを彩ったロビンソン百貨店がわけのわからん屋号の店に変わっていたことです。
確か当時ずばり「ロビンソン百貨店前」という停留所名だったはず。



 
 現在は駅前に大きなロータリーが出来て経路が変わってしまったようですが、当時はロビンソン百貨店を過ぎるとこの「いちかわ」というお店さんの角を左折して続く細い一方通行路をユルユルと進んでいましたよね。

 21世紀の今、路線バスにひょいと乗ると車内でスポンサーのCMソングが流れたり幕張の京成バスみたいに野球選手の声が流れたりバラエティに富んだ車内放送が聞けますが、当時の東武バスはもうまもなく終点というこの道でいきなり「輝きをあげよー君は明日のスター、ビューティフルなんとか~ 東京宝石ぃ~~」というラジオでよく流れてた東京宝石のCMソングが流れてきたのを思い出します。突拍子もなく流れてくるので「誰かウォークマンの音漏れしてんのかな?」と思いました。


駅前には「豊野工業団地行き」という見覚えの無い別の乗り場が今はできていました。昔は東・西宝珠花か関宿の「工業団地入口」行き乗り場の一つしかありませんでした。
 私もこういう明るい日中に春日部駅前に来たことはなかったので定かではないのですが、まだロータリーの造成工事中で「春日部交通」(?)というタクシー屋さんの車庫がすぐそばにありタクシーとバスと駅から吐き出されてくる人ごみとでしっちゃかめっちゃかしてる中にひまわり型のオレンジポールが一本だけ立っている、という様相じゃなかったかなあと思います。
 







 しかしやはりあの「関宿中央ターミナル」。
今年の正月野田の実家から見に行ったところターミナルと言っても終端、つまりただの行き止まりなのではなく川間線→春日部線→東武動物公園へと乗り換えるお客様が多数いるのを見て、「路線バスのあるまちづくりとはまさにこれであろう」と刮目いたしました。旧関宿町の皆様をうらやましく思います。

謹んで河井さんのご冥福をお祈りいたします。
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バス
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