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Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

遠くて美しい場所

2005年06月23日 | Days

 なんとなく、見てみたいなと思っている場所がいくつかある。
 絶対に、というわけではなく、もし機会があれば見てみたいなというくらいの重さで、訪れてみたい場所だ。
 たいていそれはメジャーな観光地であったり、旧跡であったりする。
 グランドキャニオンも、僕にとってはそういう場所のひとつで、たとえば自分の長期休暇を使って見に行きたいというような場所ではなかった。
 けれども今回、研修の最終日にのみ日中自由になる時間があって、その時間を利用して行ってくることにした。ラスベガスからセスナ機を利用してグランドキャニオン空港に降り立ち、そこからバスで2つのビューポイントをめぐるちょっとしたツアー。料金は250ドル。ちょっと高いような気もするけれど、なかなかない機会だしと参加することにした(ちなみに、夜は課題さえ終われば自由時間だったのだけれど、ずっと観てみたかった『O』を見ることができたのは嬉しかった)。

 一緒に研修に行っていた同期の仲のよいメンバー5人でツアーに参加。驚きの段取りの悪さで出発時間は遅れに遅れ、結局ラスベガス郊外にある小さな飛行場に着いてからセスナ機に乗り込むことができたのは、3時間ほど後のことだった。様々な場所で待たされることには大分慣れているつもりだったけれど、それでもさすがにそれは新記録。けれども遅れたことで夕日を見ることができそうな感じではあったので、それはまあよかったかもしれないと思っていた。

 セスナ機に乗り込む前の手続きの中で、各人の体重を測るという過程があった。これは、セスナ機が小さいので(定員30人くらい?)、左右のバランスをある程度均一に保つためにやっているのだということだった。つまり、大きな人ばかりが右側に集中すると、飛行中に傾いてしまうということなのかもしれない。なるほどなあと思いつつ、出発を待っていた。
 セスナに乗り込む直前には、なぜかパイロットと記念撮影をさせられてしまう。帰ってきたときにその写真は現像されていて、ちゃっかり15ドルくらいで販売されているのだ。旅の思い出を買いませんかというように。商魂たくましいなと思うけれど、買う人は買っていた(僕は買わなかったけれど。飾りようもないし)。ジェットコースターに乗っているときに撮られる写真みたいなものかもしれない。誰が買うのだろうといつも不思議なのだけれど。

 セスナでは窓側の席に座ることができ、窓からラスベガスの街や、その果ての砂漠、そして湖や広がる森といっためまぐるしく変化する光景を見ることができた。街が整然とした計画に基づいて作られているのだろうことや、湖の複雑な地形、そして世界の果てまでが森なんじゃないかと思えてしまうような緑の絨毯を見ていると、世界は広いということを改めて実感させられていた。そんな光景はそれまでほとんど見たことがないものだったからだ。

 そして、こういう場所でもし子供時代を過ごしていたらと酔い止めの薬の影響で眠たい頭で考えていた。セスナは殺人的に揺れるよという話があって薬をちゃんと飲んでいたのだけれど、その薬があまりにも強力に効いていた。せっかくの景色だからちゃんと見ていたいという希望すら、気がつくと打ち砕かれて窓に頭を預けて眠ってしまうくらいの破壊力。途中、周囲を見回すと、一緒に参加していた酔い止めを飲んだメンバーは全員眠っていた。
 それでも、途中何度か落ちながらも何とか頑張って窓の外に広がる景色を見ていた。
 思いがけず、印象的で忘れられない感じの光景だった。

 グランドキャニオン空港はネバダ州で2番目に大きい空港とのことなのだけれど、その言葉がとても信じられないような小ぢんまりとしたところだった。まるでログハウスのような小さなターミナルに、ちょっと木を切り倒してみましたというようなささやかな滑走路。のどかな、人里離れた山奥の町に寄り添う、あまりにも小ぢんまりとした空港だった。
 ガイドの人は、それでもこの空港に大統領機が降り立つこともあるのだと説明していた。

 空港からはバスになる。日本人とアメリカ人とフランス人のツアー客を乗せたバスは山間の町を走る。
 途中、ドライブインっぽい感じのレストランや、ちょっとした宿泊施設の横を通る。ほんの少しだけ家もあって、こんな場所でも町が(あるいは村が)あり、人の暮らしがあるのだと思うとなんとなく感動してしまう。たくしましいなと思う。
 ゲートで運転手が通行料を払っていた。グランドキャニオン国立公園に入るためには通行料が必要で、その料金が状態の保全などに活用されているらしい。自然の場所であっても維持は必要ということなのだろう。

 バスを降りて、ビューポイントのひとつに向かう。ちょっとした階段を抜けると、そこにはもう写真などで見ていたグランドキャニオンの絶景が広がっていた。
 日々の暮らしの中で、声を失ってしまうということはそんなにあることじゃないと思うけれど、そのときには文字通り声を失ってしまった。
 目の前に広がる光景は、圧倒的な存在感で押し迫ってきた。もしかしたら、楽しみにはしていたけれど、心のどこかでは写真でも見たことがあるしと思っているところがあったのかもしれない。既視感のあるものを追認するというくらいの気持ちでいたのかもしれない。
 けれども、現実の光景はそういった予測をはるかに超えていて圧倒的だった。
 だから、僕らは一瞬声を失った後に、「すげー」というようにようやく声を絞り出していた。
 想像以上という言葉が何人からもあがる。
 確かにそれは想像以上だった。何万年もかけて作られた自然の姿は、大きな畏怖の感情を揺り動かすには充分すぎるほどだったのだ。

 集合時間だけ決められていてあとは自由に見ていいことになっていた。
 僕らは展望台に入り、記念撮影をし、ガイドの話を聞いたり、貴重種となっているアメリカンイーグルを見たり、はるか下方に見える細く蛇行する道を見ていたりした。
 その間、何枚も写真を撮っていた。自分の目でしっかりと見ようという気持ちと、この景色の上澄みの部分だけでも残しておきたいという気持ちの両方が慌しく訪れていたのだ。だからなんだかいっぱいいっぱいだった。もう慌しくて大変だった。
 幾重にも連なる断層。視界の先にある渓谷までは、実際の距離で20キロ以上あるのだという説明があった。
 下のほうへ降りていくこともできるのだけれど、指をさしたあたりまでは1日でもいけないということ、乗り物としては馬とロバの間に生まれたラバが用いられているということ、旅人を運んだラバはその後で5日間もへたり込んで動くことができないということ、そういったことを聞きながら、その間も視線はグランドキャニオンに釘付けだった。

 美しい場所というのは厳しさを併せ持っているのだということを、普段は全然実感できていない。昔の人はちゃんと肌でわかっていたのかもしれないけれど、たとえば僕は日々の暮らしの中でそういうことにはかなり無頓着だ。
 そういったことを感じさせられた。たぶんそこにいた人の多くが、自然と比して人間がいかにもちっぽけなものだというようなことを、実感していたのではないかと思う。

 バスは2つ目のビューポイントへ向かう。
 途中、本物のラバ牧場を通り過ぎたり、小さな列車の駅を通り過ぎたりする。こんなところにまで線路が通っているなんてとちょっと感動する。小さな駅、やっぱりささやかなホーム。日本とは違う時間軸で動いているように見える場所。

 2つ目のビューポイントはいかにもグランドキャニオンという景色から、ほんの少しななめにずれたような、ちょっとした穴場的な場所だった。観光客の姿もずっと少なくなり(それでもまあそれなりにはいたけれど)、僕らもさっきよりは落ち着いて、崖の途中に座り込んでゆっくりと景色を眺めたりする。
 その間に遠くの空が少しだけオレンジ色に染まっていき、夕方になりつつあった。雲が結構あったのできれいな夕景というわけにはいかなかったけれど、それでも魅力的な時間だった。ガイドが眼下にある川と、その川にかかっている吊り橋の説明をしてくれる。インディアンたちが架けた吊り橋が、画用紙に間違ってつけてしまった線のような頼りなさで、眼下に小さく見えている。はるか昔に、どうやってあんな場所に橋を作ることができたのだろうと思う。
 風は涼しく、僕らは写真を撮る回数も減って、「いいね」と言い合いながら景色を見ていた。誰かが日本だったら絶対に柵があるよなと言った。さっきの場所もそうだったのだけれど、グランドキャニオンには柵がなかった。つまり、ちょっと勇気のある人なら崖の淵までいくことができたし、少し下の方まで降りてみることもできた。実際、アメリカ人男性が自分の勇気を誇示するかのように、かなり下の方にある出っ張りのところまで降りていた。そしてそこでガッツポーズをしていた。見ていて怖くなってしまうような場所で。
 そしてこういうところも国民性の違いなのだろうなと思った。落ちたとしても、それは自己責任の範疇ということ。

 やがて集合時間が訪れ、名残惜しい気持ちで振り替えつつバスに向かう。バスは再び空港を目指し、セスナ機が飛び立つのを待つ。
 ちょうど空港で待っているときに日が沈もうとしていた。外に出て何枚か写真を撮った。
 滑走路の先に広がる森がゆっくりとオレンジ色に溶けていく。
 プロペラの回転する音が聴こえている。

 帰りは結構アバウトで、なんとなくセスナ機に乗らされ、座席も適当に座りなさいというような感じだった。行きに体重を量ったのはいったいなんだったのだと思うような感じ。僕はまた窓際に座り、すっかり闇になった景色を見ていた。
 そうしたら急に眠たくって、次に目を覚ましたのはラスベガスに到着する直前だった。

 いいものを見ることができたと思う。
 忘れがたい景色だったと思う。
 参加して、よかったと思う。


―――――――――

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 最近はAmerieの「1 Thing」を繰り返し聴いています。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (karinto)
2006-06-04 01:14:53
初めまして。

グランドキャニオンにあこがれて数年、そろそろ行きたいと考えるようになりました。

でも、行ったことのない未知の土地。国外に出たことのない私には不安がいっぱい。

何かアドバイスを頂けないでしょうか。

当方掲示板に書き込み頂けると幸いです。

よろしくお願いいたします。
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