突然の訃報が飛び込んできたのは昨年の大晦日も迫った慌しい12月30日のことです。
あまりに突然。
僕にとって大滝詠一は偉大すぎて。
やっと心の整理がつき、今お別れのブログあっぷしています。
はじめて大滝詠一と出会ったのは「はっぴいえんど」です。
今でさえ普通にJ-ROCKなんて言う言葉が普通に使われいます。
でももしかしたら日本語で歌った日本のROCKのさきがけではないでしょうか。
伝説のバンドです。
メンバーも伝説のメンバー。
細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂。
なかでも代表曲「風をあつめて」は多くのミュージシャンに影響を与えたと言われています。
僕が始めて買った大滝詠一のLPレコードは「NIAGARA MOON 」※1975年発売
今でも大切に倉庫の奥に眠っています。
当時はまだ思春期の僕。もちろん洋楽にかぶれていました。
そんな中で泥臭いROCK。この時、大滝詠一に出会いました。
ジャケットがPOPな感じが新鮮でした。
そしてなんといっても1981年に発売された日本ROCKの名盤中の名盤。
それが『A LONG VACATION』でした。
これは今でも僕の部屋の本棚の大切なアートとして飾られています。
永井博によるジャケットも秀逸です。当時LPレコードのジャケットはアートとしても楽しめました。
何よりその分厚い大滝サウンドです。
「心地よいエコーサウンドは機械的に作られたものではなく、これを作り出すために、ギター5人、ピアノ5人、パーカッション5人。
それらがせ~のでレコーディングしていた・・杉真理」
また大滝詠一の音楽造形は果てしなく深く、僕の大好きなクレージー・キャッツを深く愛していたことでも知られています。
彼がプロデュースした植木等の「スーダラ伝説」は今でも色褪せません。
今やっと心の整理がついて、やっと彼の死を受け止めています。
今、心ときめく音楽が少ない。
海外に旅をしても、流れる音楽はどれも同じに聞こえてくる。
もちろんサウンドはかっこいいのだが、心にアプローチしてくる何かが足りない。
日本の音楽も同じだ。
今となっては70年・80年と駆け抜けたあの頃の音楽がまるで宝石のようだ。
その中心にいたのがまさに「大滝詠一」だった。
この音楽的損失は非常に大きい。
心からご冥福をお祈りします。
そしてこれからも変わらず僕の音楽史の真ん中にあなたはいます。
あまりに突然。
僕にとって大滝詠一は偉大すぎて。
やっと心の整理がつき、今お別れのブログあっぷしています。
はじめて大滝詠一と出会ったのは「はっぴいえんど」です。
今でさえ普通にJ-ROCKなんて言う言葉が普通に使われいます。
でももしかしたら日本語で歌った日本のROCKのさきがけではないでしょうか。
伝説のバンドです。
メンバーも伝説のメンバー。
細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂。
なかでも代表曲「風をあつめて」は多くのミュージシャンに影響を与えたと言われています。
僕が始めて買った大滝詠一のLPレコードは「NIAGARA MOON 」※1975年発売
今でも大切に倉庫の奥に眠っています。
当時はまだ思春期の僕。もちろん洋楽にかぶれていました。
そんな中で泥臭いROCK。この時、大滝詠一に出会いました。
ジャケットがPOPな感じが新鮮でした。
そしてなんといっても1981年に発売された日本ROCKの名盤中の名盤。
それが『A LONG VACATION』でした。
これは今でも僕の部屋の本棚の大切なアートとして飾られています。
永井博によるジャケットも秀逸です。当時LPレコードのジャケットはアートとしても楽しめました。
何よりその分厚い大滝サウンドです。
「心地よいエコーサウンドは機械的に作られたものではなく、これを作り出すために、ギター5人、ピアノ5人、パーカッション5人。
それらがせ~のでレコーディングしていた・・杉真理」
また大滝詠一の音楽造形は果てしなく深く、僕の大好きなクレージー・キャッツを深く愛していたことでも知られています。
彼がプロデュースした植木等の「スーダラ伝説」は今でも色褪せません。
今やっと心の整理がついて、やっと彼の死を受け止めています。
今、心ときめく音楽が少ない。
海外に旅をしても、流れる音楽はどれも同じに聞こえてくる。
もちろんサウンドはかっこいいのだが、心にアプローチしてくる何かが足りない。
日本の音楽も同じだ。
今となっては70年・80年と駆け抜けたあの頃の音楽がまるで宝石のようだ。
その中心にいたのがまさに「大滝詠一」だった。
この音楽的損失は非常に大きい。
心からご冥福をお祈りします。
そしてこれからも変わらず僕の音楽史の真ん中にあなたはいます。