運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

魂の友

2010年05月19日 21時50分37秒 | Weblog
魂の友・・ソウルメイト・・いまではよく使われるようになってめずらしくはないが、たぶん最初にこの言葉をポピュラーにしたのは、かつて私のボスだった(いえ、今も心のボスですが)とある映画監督がサインに必ずそうしたためていたこともあると思う。
サインには必ず、そう書かれることはいまでは有名だが、当初は、特別に自分だけがそういわれたと思い、「魂の友」と言っていただけた者です、と感激しておっしゃる方も多かった。


たとえ、自分にだけでないとしても、言われたらやっぱり私も嬉しい。
そういえば、かつて、私も別の或る人から、魂のつながりだとか、あなたには僕がかけのぼっていくのをずっと見守っていてほしいな、なんて言われてときめいたっけ。
もう、男はこりごり、今後は独りを楽しみます、と言っていた頃だ。
この言葉にかぎらず、耳障りのよい言葉というのは解釈次第でどうとでもなるから、どんな人が言っているかをよく見極めないといけない。

「黙って生き様で示します」。。なんてわざわざ言うせりふもあるが、それって、すでに言っている以外のなにものでもないし、その言葉を繰り返し使い続けているだけということもある。

言葉は難しい

ただ、最近ちょっと思っている。
自分を自分の魂の友、と思えたとき、どの人もまた魂の友だって。
これは、確実でぶれないように思う。



東の魔女

2010年05月13日 10時07分17秒 | Weblog
不思議な家を建てた友人が居る。
女の細腕で資金もため、誰も借りることのできなかった、富士山を眺める聖地を借り、設計も自分でして、森を庭として住んでいる。
あまりのお洒落さに各種撮影にも使われているが、その家にはじめて泊めてもらった。
ガラス張りの部屋(でも、外は森で誰も来ない)に置かれたアンティークのバスタブにつかり、天蓋つきの、これまたヨーロッパのお城にあるみたいばベッドで二匹の猫と眠った。
ひろーーーーい、そのアンティークだらけの部屋で、夜中目覚めたら怖いなあ、なんて思いながらぐっすり眠り目覚めたら、雨のしずくがまだしたたる一面の輝く緑がガラス張りの部屋の前にひろがっていた。
ここで過ごしていると、きっとそのうち、現生での記憶が消えていってしまう。。そんな場所だ。
庭とかアーチとか、」映画の「西の魔女が死んだ」みたいかな。

さしずめ、ここを建てた女性は東の魔女といったところ。

アール・グレーの紅茶が入ったよー、と、畏れ多くも魔女がよびにきてくれたから降りていこう。
山藤と、クリスマス・ローズとを眺めながらの、魔女の朝食。

「地球交響曲第七番」完成の意味

2010年05月04日 22時23分48秒 | Weblog
素晴らしい五月晴れと光の降る中、一日目が明治神宮、二日目が伊勢の皇學館大學にて「地球交響曲第七番」の完成披露上映が行われた。
「すべての生命が潔く健やかに生き続けるために」とのメッセージ性が、言葉ではなく、胸の痛くなるような美しい水の流れや氷河の動きからも発せられていたが、異質なものを受け容れる、ということ、太陽と月の結婚が皆既日食であること、と知り、あらためて深い感動を覚えた。
昨年の奄美大島での皆既日食にはそんな意味があったのだ。
まだ、そのことが浸透できていない、今はそのことに共鳴できないものも、やがて、じわじわと、地球の波動レベルで、みながそう感じ始めることができるようになるのだろうか。。

一番胸をえぐられたのは、吉野、天河の奥宮、彌山の映像だった。
たくさんの木が、枯れて倒れていて、目を疑った。
これは、ただならぬことだ、アイスランドの噴火同様、私たちは、暢気すぎる、今日と同じ物質にあふれた世界が、このままあしたもあさっても続いていくと、勝手に考え過ぎている。
もちろん、私たちに示されているのは希望だ。
私たち一人ひとりの意識で、新しい共存の、素晴らしい世界が作り出されていくのだろう、
それでも、あの、倒れた木々の姿に手を合わせ、頭をたれずにはおれなかった。

伊勢での上映会の翌日、そのつもりはなかったのに、足も無意識も、近鉄の下市口をめざし、気がつけば、懐かしい天河に向かっていた。
1号車の11番の座席から降り立った下市口からは弁財天までのバスがなく、川合村から40分の道を天川の流に沿って歩いて行った。

言葉にならない予感から訪れた弁財天で心身を清め、思いがけない宮司のお姿と、いただきなおしたありがたいおみくじとを胸に、彌山の木々の甦り、そして、地球じゅうの植物、生きとし生けるものに、自分なりの役割をきっとちゃんとさせていただきたいと願った。

抜けるような空も、飛行機雲も、風も、天河は変わらない。
彌山の様子は、弁財天からではわからなかった。
これからのことは、私たちひとりひとりの心の中の奥宮が決めていくのだろう。