酔月庵 A Side

設計屋系システム屋から見た世界

予言の自己実現

2007-11-23 01:47:02 | 仕事
「予言の自己実現」というものがあります。
 予言した言葉が結果に影響を与えてしまって、予言をしたという事によって予言通りの事が起きてしまう事を言います。
(オイルショックの時に「トイレットペーパーが足りなくなる」と報道した結果、その報道によって人々がトイレットペーパーを買いだめに走り、本当にトイレットペーパーが不足してしまった出来事などが、予言の自己実現の典型的な例として挙げられます)


 さて、予言の自己実現は、人の評価においても当てはまるのではないかと最近よく思うのです。

 「あいつは出来る奴だ。きっといい活躍するだろう」と立場ある人が言ったとします。すると人々はその人に一目置く事になり、頼ったり、相談を持ちかけたり、人よりも多くの情報と多くの活躍するチャンスを得る事になり、本当に活躍する可能性は増えます。場合によっては、立場ある人はその人を評価した手前、その人が成功するように支援するかも知れません。
 「いい仕事をするだろう」という評価を立場ある人が口にする事によって、その人が本当に活躍する可能性は大きく増える事になります。

 逆に、「あいつは出来ない奴だ。活躍できない。」と立場ある人が言ったとする。すると、人々はその人の能力を危ぶみ、相談を持ちかける事も無く、重要な仕事を任せたりもせず、誰でも出来るような仕事しか与えないかも知れません。結果として、活躍するチャンスは減り、ちゃんとした成果を出したとしても「誰でも出来る事を当たり前のようにやっただけ」と思われて、「並」の評価しか得られません。

 スポーツなどにおいて、試合に出られるから活躍するのであって、ベンチを暖めるだけではどんなに能力がある選手であっても活躍は出来ないのと同じですね。(能力ある選手が監督との確執やチームの方針との違いによって、試合に出られず結果を残せないなんてのは、よくある事です)


 組織において、活躍する人とそうでない人の能力の差と言うものは(一部のスタープレイヤーはを除いては)実はそれほど大きくは無いのではないかと思います。

 それでも、能力の差異によって厳密に評価されなかったとしても、能力がある人(少なくとも大きく劣っていない人)が評価されているうちは良いのでしょう。しかし、「評価される」という事に主眼を置いた本筋とは関係無い能力しか持たない人が評価されるようになってしまうと、組織としては大変な事になってしまいます。


 人の評価に関する言霊の力は侮ってはいけません。