バイクは125CCが一番

維持費も安くて取り回しもよく、パワーもそこそこある。バイクは125CCが一番!

アドレスV125G冬支度1

2010年11月14日 | アドレスV125G

11月に入ってだいぶ寒くなってきました。ここ長野では寒い日は車のフロントガラスに霜が降りるほど冷え込んでいます。ということで,そろそろバイクも冬支度を始めることにしました。

さて,アドレスですが,2年前に購入した旭風防のウインドシールドを取り付けました。ミラーを外してそのネジ穴に旭風防付属の金具を差し込んで風防を固定し,その金具の横に空いている穴にミラーを差し込んで固定し完成です。1年ごとに取り付け作業をしている上説明書を紛失してしまい,最初は少々戸惑いますが作業は至って簡単。

いや~すっかりオヤジバイクと化してしまいました(笑)でもいいんです。自分もうオヤジですから,むしろこの方が落ち着きますね。

ところで,冬支度のもう一つのアイテム,ハンドルカバーなんですが,自分毎年紛失してしまってます。去年?だか買ったカバーが引越の荷造りの過程でゴミに出してしまったようで,探しても見つかりません。まあホームセンターで千円少々で買ったものなのでいいのですが,これで2回紛失したことになります。毎年買うのもアホらしいので,今年はもう少し高価な物を買って紛失しないようもったいない意識を高めたいと思います。

さて,せっかく風防を付けたので近場を試乗してみたくなりました。ついでに以前からやってみたいことがあったのでそれも兼ねて行くことに。それは・・・アドレスで灯油を購入することです(笑)

ネットの世界ではアドレスと灯油は切っても切り離せない関係みたいです。自分灯油はいつも車で買いに行くのでアドレスで買いに行くのは今日が初めて。おもむろに18リットルポリタンクを足元に乗せるとなんとジャストフィット!インナーポケットとシートの間隔とポリタンクの幅がちょうどよく噛み合って走行中にグラつくこともなく,さらに足をフロアに置けるスペースもある!これはもう灯油を買うために設計されたようなものです。

近くのスタンドまで走らせてきましたが,風防効果も絶大で顔に風が直撃するようなこともなく,また,ポリタンクも灯油が入ったさらに安定感が増して走行しやすい。灯油&風防程度ではアドレスの加速に影響を与えるものではありません。これから本格的な寒さに突入していきますが,アドレスには毎日の通勤の足として大活躍を期待します。


PCXの車載工具

2010年10月24日 | PCX


PCXには標準で車載工具が搭載されています。ENを購入した時も車載工具が搭載されていましたが,レッツⅡスタンダードやアドレスV125Gには車載工具は搭載されていなかったのでバイク初心者の私にはちょっと驚きました。バイクなんて普通に乗ってガソリンを入れるだけのものと思っていたので,こんな工具を使って作業しなければならないことも起きうるのかと思いましたが,実際にバイクを乗ればその必要性はヒシヒシと感じます。まぁ自分がどこまでバイクにこだわりを持つかにもよりますがね。メンテナンスは全てバイク屋に任せてもいい訳ですし,自分はオイル&フィルター交換は自分でしますがそれ以外の作業はバイク屋任せにしています。

さて,そうは言っても旅先のしかもバイク屋が近くにない場所でバイクに異常が起こればこの工具が必要になってきます。幸い私はそのような場面に遭遇したことがありませんので,ENの工具も一度も使わなかったのですが,最低限車載工具は何に使うのか,知っておいた方がいいですね。

上の写真を見ると,プラグレンチとプラスマイナス併用のドライバーがあることは分かりますが,ワイヤーは何に使うのでしょうか?ちなみにオイル交換用のメガネレンチはありません。PCXのドレンボルトのサイズは12ミリですが,オイル交換は緊急性がないということでしょうか?それにしてもPCXのようなスクーターにも工具を常時搭載しなければならないなんて意外でした。ちなみにこの車載工具,本当に作りが簡単な安物で,緊急以外普段この工具を使用することはまずないでしょう。装飾品と言ってもいいくらいです。

ところで,今月に入ってからPCXのエンジンの掛かりが悪くなってきました。今まではエンジンをONにしてメーター周りが点灯して「ジー」という小さな機械音がしてメーター周りが消灯後,ブレーキレバーを握ったままセルボタンを押せば一発でエンジンが掛かったのですが,つい2週間ほど前から一発では掛からなくなって,セルを押しても弱弱しい掛かり音がしてすぐ止まってしまい,しばらくセルを押し続けるかセルを押したままアクセルを回すかしないと掛からなくなる症状が出てきました。平日の通勤はアドレスに乗っているため,PCXに乗るのは週末くらいですが,一週間放っておくとこんなにも掛かりが悪くなってしまいます。こんなことはアドレスでは一度もなく,アドレスは購入後2年を経過しましたが,買ってから今日に至るまでエンジンが一発で掛からなかったことはなく,2,3週間放ったらかしにしてもセルを押せば一発で掛かります(多少苦しい掛かり音がしますが)。

私は先週所用でPCXに乗らなかったので18日の月曜日にPCXで出勤しようと朝エンジンを掛けたらこのような症状が出ました。ですから今週は通勤にもPCXを使い,週末も100㎞程度走ってきたらエンジンの掛かりも良くなって安心。今後も同じような症状が続くのなら一度バイク屋に見てもらうと思いますが,PCXは未来のバイクと高をくくっていたが,アドレスの方が丈夫に出来ているなんて驚きです。

また,PCXは収納スペースが狭く,平らなところもないためちょっとした大き目の物を持ち運びながら走行するのが非常に難しいです。仕事で書類ケースを持ってPCXで用務先へ出掛けたのですが,書類ケースが大きくて,シート下の収納スペースにも入らなければリアボックスにも入りません。コンビニフックもないので掛けることもできません。アドレスだったらコンビニフックもあればフラットフロアですから置き場はどのようにでも確保できます。私はこの用務先へは書類ケースをPCXのシート裏のコブのところに載せて走行しましたが交差点の真ん中で落としてしまい,私が拾うまで交通の妨げをしでかしてしまいました。

こんなところにもアドレスの性能の良さ,使い勝手の良さが発揮されていて,アドレスにはますます愛着が湧いてきます。

もちろんPCXも遠乗りには最適のバイクでアドレスでは遠く及ばない快適性を発揮してくれますので,この2台は今後も可愛がって行きたいと思います。

PCXで伊那谷南下

2010年10月12日 | PCX

三連休の最終日,朝から青天昨日の佐久ツーリングで疲労が蓄積していましたがこんないい天気にバイクを走らせないなんてもったいな過ぎ。早速PCXの泥はねを洗車してツーリングへ出掛けました。で,どこ行こうか迷いましたが,いつもの南下コースに決める。伊那谷コースは毎度毎度くどいほど説明してますが,今回は少々コースを変更。有賀峠から上伊那郡辰野町へ出てそこからずっと竜東線(天竜川東岸道路)を走る。伊那市と駒ヶ根市の境にある火山峠を越えてさらに竜東線を走って天竜川を渡り上伊那郡飯島町へ入って写真撮影。



冠雪前の中央アルプスを激写しました。自分鉄道にはあまり興味ありませんが,この写真を取った辺りはJR飯田線の田切駅があって,田切カーブというところで中央アルプスを背景に鉄道写真を撮ったりする人が多いです。

ここでR153に入りしばらく走ってからR153を左折し坂戸峡橋を渡って上伊那郡中川村へ入る。しばらく竜東線を走って再び天竜川を渡り下伊那郡松川町へ入ってからまたすぐ橋を渡って竜東線に入る。どうしてこんな回り道をするかというと伊那谷は全体的に地形が段丘で上伊那と下伊那の竜東側の境界は天竜川岸の段丘の壁が高いので道路が竜西側に迂回しているのです(どうでもいい話ですね。すみません)

さて,しばらく走ってついに地元飯田まで来ました。長野市にいたころは1年に1,2回しか来ませんでしたが原付バイクで来れる距離まで近づいてホントうれしい。自分が飯田を離れてから地元の環境も大きく変わりました。その最たるものがこれ。



三遠南信自動車道天竜峡インターがようやく開通しました。三遠南信道は中央道飯田山本インターから静岡県浜松市付近の東名高速までの約100㎞間を結ぶ道路ですが,現在飯田山本インターから天竜峡インターまでの約5㎞しか開通していません。この三遠南信道という奴,自分が子供のころから造る造ると叫ばれてからかれこれ20年以上経つのに未だにこの有様です。当時から不要不急の公共事業と陰口を叩かれていましたが,地元民から見れば悲願の道路。それが最近は何やらリニア新幹線の方に関心が高まってしまい,地元民の三遠南信道の熱意が以前ほどではなくなったような気がします。

飯田人には過去に苦い失敗があります。それは国鉄飯田線飯田駅と同中央本線中津川駅間を結ぶ国鉄中津川線建設計画が発表され,実際にトンネル・軌道工事まで始まったもののトンネル掘削機の故障で工事が中断したままついに再開されることなく未成線として廃線の憂き目にあったのです。その原因は財政上の問題もありますが,当時,中央自動車道建設が始まると飯田市民の関心はそちらに移り,地元の熱意の後押しがなかったことが工事再開に至らなかった最大の原因と言われています。もし中津川線が開通していたら飯田名古屋間が特急で約1時間10分~20分で結ばれる予定でした。現在飯田名古屋間の事実上唯一の公共交通機関である高速バスが約2時間で結んでいることを見ると,現在よりもかなり利便性が向上していたはずです。二リアも確かに夢の高速鉄道ですが,今のところJR東海が計画発表をしたのみで,国の認可もされていなければ用地買収も工事も始まっていません。海のものとも山のものともつかないリニアに関心を奪われることなく,現在着工中の三遠南信道早期開通を一丸となって求めていくべきです。

さて,話は長くなってしましました。地元のことになるとつい熱くなってしまいます。県境までははしょって久々の愛知県境での撮影



県境にあった看板。いいですね~



さて,愛知県に入ってしばらく進んで相当腹が減ってきたので久々のラーメン屋に入る。



愛知県北設楽郡東栄町にある「サッポロラーメンふきのとう」塩ラーメンと餃子大(12枚)を注文。





ここの塩ラーメンは美味しいです。もちろんサッポロラーメンですから味噌もありますが,愛知県のラーメン屋さんだけに味噌はどす黒い八丁味噌。八丁味噌は嫌いではありませんが甘たるさと味噌の色が信州人の私にはどうしてもラーメンには合わなさそうで注文したことがありません。

さて,腹も膨れたし,これ以上南下しても帰りが大変なので元来た道を引き返しました。ここは完全に私の日記と化して皆さんには本当につまんないことばかり書き続けてきましたが,PCXの話題もひとつ。この連休中峠道や登坂車線を走りこんで,タイトルクカムの快適さを実感しました。前に比べても上り坂もぐんぐん登っていきます。ただ,やはり125CCの限界を感じますね。PCXは平地では気持ちよく加速し,80㎞以上もスムーズに出て申し分ない走りをしてくれますが,いざ坂道となると少々苦しい。勾配のきつい登坂車線では車の流れについていくことがやっと,場所によってはもたついてしまいます。それに原二は高速道路が乗れず,ツーリングも同じ場所ばかりで少々食傷気味です。小型二輪の限定解除もしたことだし,アドレスが白い煙を吐いてぶっ壊れたら今度は軽二輪でも買おうかと思います(走行距離306㎞)


PCXで佐久・龍岡城・田口峠2

2010年10月11日 | PCX
さて,昨日に続き田口峠の旅は続きます。龍岡城を後にして峠道をひたすら登っていきます。そうすると道はだんだん険しく,本当に寂しい山深い酷道となってきました。しばらく進むとJR小海線臼田駅前の看板にもあった「日本で海から一番遠い地点」の看板が現われてきて,あと3㎞を表示されている。これはせっかくだから行ってみようと思い,そのまま進むとついに右折しろの看板が。右折してすぐに現われたのがこの案内板



何やら怖い文章が書かれています。海から一番遠い地点に進もうとすると倒木と土砂崩落により危険な個所があるので注意しろとのこと。しかも矢印の方向を見ると登山道というか林道みたいな入り口があるのですが,ゲートで塞がれており行くことができません。仮に行くことができてもとても周囲は木々で覆われ薄暗い山中で,到底生きて帰ってこれそうもない大変薄気味悪い光景が広がっています。ちょっと前に大分の秘湯を一人旅していた女性が他殺体で発見されたのを思い出しました。日本で海から一番遠い地点がこの臼田の地であることは前から知っていましたし,今日はこれを見に来るために来たわけではないので早々に引き返そうと思い隣の木を見ると



・・・もっと怖いことが書かれているじゃぁないですか!こんなところにいたらいつ命を落とすかもしれません。とてもPCXでは身を守ることはできません。エンジンを掛けて早々に峠道に引き返り,ひたすら田口峠を向かうとついに峠に到達。



いや~峠ってホントいいものですね。実は以前にもこの田口峠や先程の龍岡城は訪れたことがあるのです。かれこれ十数年前に佐久に住んでいたこともあって,当時車でプラプラとこの界隈に来たことがありました。それ以来の訪問でしかも今回はバイクで訪問。感無量です。で,早速峠道を下ると早々に群馬県らしい光景が見えてきました。



上州の名峰妙義山です。そう言えば群馬県に来たのは久々です。長野市に住んでいたころは近かったのでちょくちょく訪れていましたが,諏訪に引っ越してからめっきり遠くなってしまいました。が,しかし,この峠が県境ではなかったのです。実はこの県境を群馬県側に下って麓の集落までが長野県だというじゃぁないですか!(ずっと前から知ってましたが)ということで,PCXで県境まで行ってみることにしました。

さて,群馬県側に来ると道路状況は一層悪くなります。長野県側はいちおうなだらかな登坂路でしたが群馬県側は急峻な岩肌を縫うように蛇行します。しかも舗装が壊れていて至る所に砂利が堆積していたり法面から水が湧き出して泥水となって道路を覆っています。そう言えば昨日は雨が降っていました。地盤は非常に弱くなっているはずです。先週大鹿村で見た土砂崩れになりはしないかと恐る恐る下っていきます。しかし下れど下れど集落は現われません。こんな険しい山を挟んでどうして反対側の長野県に居続けるのでしょうか?平成の大合併で岐阜県と越県合併した旧木曽郡山口村は地形的にも濃尾平野から続く丘陵地帯の東端に位置し,むしろ長野県に属していたことじたいが不思議でしたが,この田口峠の群馬県側の集落も地形的には山口村と同じ,いやむしろこちらの方が長野県と隔絶しています。そんなこんなを考えながら進むこと十数キロ,ついに集落が現われました。



佐久市広川原という集落です。平成の大合併前は旧南佐久郡臼田町に属していました。田口峠を挟んで臼田の中心地まで20㎞以上離れています。今でさえ田口峠の道は細く険しく,舗装道路がぶっ壊れて凸凹でいつ法面が崩落してもおかしくない悪路なのに,昔はどうやって交流を保っていたのでしょうか?ちなみに写真の道路は峠道から折れて集落へ向かう道路ですが,この道は割と整備せされていて綺麗でした。数軒の民家が建ち並んでいましたが本当にひっそりとしていました。

さて,時間は既に16時を回りだいぶ薄暗くなってきました。いつまでもこの集落探検をしている訳にもいきません。とりあえず県境を目指してさらに峠道を下ること数分,ついに現われました。



久々にやってきました群馬県。確か今年の2月ぶりでしょうか?写真中央に落石の恐れありと電光板で表示されています。長野県よりもさらに薄暗い気味の悪い道路が目の前に現われていてこれ以上行く気になれません。ここらが引き際と思い元来た道を戻ることにしました。なお,自宅に戻ってこの地域のことを調べたら,先程の広川原地区よりさらに群馬県方面に長野県の集落があったのです。その地区名が「間坂」。あの薄気味悪い道路を進んだ先にあった模様。まさか・・・

帰りは真っ暗な道をひたすら諏訪に向かって走る。早速知ったばかりの白樺湖から霧ヶ峰へ向かう道に入り,真っ暗な夜の霧ヶ峰をひたすら走る。すれ違う車はほとんどなし。眼下に諏訪の街並みが見える。寒くて死にそうでしたが何とか生きて帰ってきました。田口峠の泥道を走ったおかげでバイクは泥まみれ。早速洗車したいところですが夜でそんな時間ではないし疲労困憊で翌日にすることにしました(走行距離195㎞)

PCXで佐久・龍岡城・田口峠1

2010年10月10日 | PCX

三連休いかがお過ごしですか?昨日は大雨で寒い一日でしたが今日は朝から快晴でも午前中は爆睡ようやく起き出したらいい天気だったのでどこかへ出掛けよう。本当はこの連休は高速道路1000円車中泊の旅も計画していたのですが,初日から悪天候だったので挫折。やはりバイクで出掛けるしかない。PCXにまたがり,R20から県道40号に入る。諏訪二葉高校前を通り過ぎて霧ヶ峰方面へ進む。20分ほど走ると霧ヶ峰高原へ到着



近くにはスキー場もあって一大観光地化されています。実は霧ヶ峰を訪れるのは今回が初めてで,どこにあるのかさえもはっきりわかりませんでした(笑)しばらく進むと大草原が広がるとても素晴らしい景色が見えてきました。まるで去年走ったビーナスラインのような光景。その中をなだらかな道が山際を縫うように走ります。しばらく走って駐車場にバイクを止めて記念撮影。



眼下に茅野方面の下界が広がってます。画像では見えにくいですが写真中央部の左方側に富士山が見えました。雲で隠れてはっきり見えないのと画像を縮小したら余計見えなくなりました。しかし自分の住んでいる近くにこんな良い場所があったなんて大発見です。

さて,今回のツーリングの目的地は霧ヶ峰ではありません。久々に行きつけの中華料理屋に行きたいというのが最大の目的。霧ヶ峰の道を佐久方面へ進むといつもの白樺湖へ到着しました。この白樺湖畔の道路は免許を取った20年ほど前から良く通っている道です。まさかこんな馴染み深い場所につながっているとは思いも寄りませんでした。白樺湖から佐久方面へひたすら走り佐久平に降りてきてから長野新幹線佐久平駅前にある美楽飯店で遅めの昼食。肉ヤキソバ大盛りを注文。

さて,腹も膨れたところでどこへ行こうか思案。もう時間も時間だし元来た道で帰ろうかとも思ったけど,せっかく佐久まで来たので清里方面から諏訪に帰ろうと一路南下。でも途中で群馬方面にも行ってみたくなって佐久市臼田まで来たら左折。



JR小海線臼田駅前の信号を左折。看板には何やら面白い案内が。とりあえず看板通り左折して田口峠方面へ向かう。その途中,看板にもあった龍岡城五稜郭へ立ち寄ってみた。



ありました史跡龍岡城址。今は城内に佐久市立田口小学校があります。龍岡城とは徳川家康の故地三河国岡崎大給の地を代々治めていた譜代大名奥殿藩八代目松平乗謨が,幕末になって藩の飛び地だった信州佐久郡田野口に近代西洋城郭を建造し,藩ごとこの飛び地へ引っ越そうと計画したもので,その新居となる予定だったのが龍岡城でした。その近代城郭とはかの函館五稜郭と同様五芒星型の城郭で,このタイプの城郭は全国に函館とこの佐久の2か所しかありません。



その掘の一部がこの写真です。函館五稜郭も見たことありますが,それに比べると何とも狭いものです。こんなは幅の狭い,しかも水深も浅い堀では簡単に敵の侵入を許してしまうのではないでしょうか?しかも龍岡城のあるこの地域は本当に何もない静かな山奥の場所で,中山道からも外れた上州へ向かう狭く寂しい峠道の途中にあります。こんなところで本当に大戦争が起きるのでしょうか?



能書きが書いてあったので写真撮影しました。いろいろ書いてありますが私に言わせれば

岡崎という東海道沿いの交通の要所にいると侵略してきた外国勢力や国内の討幕勢力に狙われ易いので怖くなって山奥に引っ込もうとした。五稜郭という洋式城郭を建造したと言っても実質城としての防衛機能を果たしておらず,単なる殿様の虚栄心で造ったんではないのかい?

と言いたくなります。さて,もう時間も押し迫ってきたのでいつまでも龍岡城にいる訳にはいきません。一路峠道を群馬県方面へと向かいます。この続きは次回にします。