前半部分も含めてフルでUPされてた映像がありましたのでUPします。
それも字幕付きで...
韓国は年末年始のお正月休みは長くないから、次の日が出勤なのに明け方まで頑張って作ってくれたようですょ。
コチラ
上手く訳せなかったところは雰囲気で読んで下さいね^ ^
来たる1年、またこれからの2016年...
また、近づいて来る時間の中で
ぼくにとって本当に大きなエネルギーになると思います。
それは全部皆さんたちが作って下さったもので、心から感謝しています。
名残り惜しいですが...
最後の曲をお聞かせしなければなりません。
ぼくが好きな曲です。
ぼくが作ったんです
お聞かせします。
この歌のタイトルは『懐かしくて懐かしい』です。ご存知ですか❓
「は~い」
とてもとても感謝もしていて、ぼくがこの舞台に立っている時や、時が過ぎて舞台に立っていない時であっても、どんな時でも、いつも、懐かしくて懐かしいと思っている方々が、いまココに来ていらっしゃるんです。
ありがとうございます。
う~ん。いつのまにか...
う~ん。
15年という時が流れ、このように舞台の上に立っているぼく
そして、Happy Together という公演が始まってから、もうこのようにこの旅の終わりがまた来ていますね。
全てみんな、、、
お分かりになるでしょ❓
皆さんたちが作って下さったんですよ。
ここで、少しぼくの話をしましょうか。
本当に小さな時、ぼくは平凡な子どもでした。今よりもはるかにカッコよくなくて、かわいいだけの、幼いのに幼く見える、、、そんな子どもでした。
そんなふうで、特別上手く出来ることもなかったんです。けれど、歌を歌うことはとても好きだったんです。
ただ、子どもの時から、そんな風に歌を歌ってきて、どれほど好きだったのかというと...
大人たちが一緒にいる場でも歌を歌わせてくれなかったら大騒ぎでした。
幼い時、席にじっとしていられない子どもが、楽しくて、練習しながらやってきた記憶もあるし、、、
ただ、そうやって、ひたすら、、、
カラオケが好きで、少しづつ伸びてきました。
ある日、小さな機会があったんです。そうしていながら、夢を膨らませていたんです。それが、すぐにその夢がまたダメになったりして、また願って、またダメになりました。
中学校の時からそのような感じでした。
最後の機会が来た時は、全てを諦めてしまっていた時でした。
だけど、ぼくを説得し続けてくれた方が、こんな事を言ったんです。
とても心苦しい話なんですが、、、
「お前、お前はわからないかもしれないけど、お前が望むんじゃなくて、たくさんの人たちのために絶対に歌を歌う人になるべきだ。」と言いました。
絶対にしなきゃダメだと。
「お前が望んでも望まなくても、お前は歌を歌うべき人だから、こんな風に諦めたらダメだ。」
どんな言葉にも揺れたりしませんでした。ただ、その言葉には確実に揺れたんです。
え、ぼくをこんなにぼくを見て下さる、今はたった1人がぼくを望んでくれているけれど、本当にたくさんの人たちがぼくが歌う歌をとても好きでいてくれて、幸せになってくれて、そうやって生きていけることは本当に素晴らしいな。
畳んでいた夢をだからまた伸ばそうと思いました。だから、大変なことも全部少しづつ背負ってきました。
だから、皆さんの前にいられています。
それが15年前の事です。
うん、考えてみたら、15年という時間は、容易くはありませんでした。
ぼくは、夢を叶えたから、本当にいい気分でいられるんだろうな~。
そんな風に思ってたんです。
ところが、とてもとても大変なこともたくさんあったんです。
それが、皆さんと同じなんだという考えに次第になりました。
ただ、ぼくはやっぱりすっごく弱いんです。このように皆さんの前だったり、このように本当に「手をあげて~」とかぼくが「みんな一緒に~」こんな言葉を叫んでるけど、ぼくはこの舞台が無かったら、ぼくはとても弱いんです。
だから、投げ出しそうになる時、ためらいたくない時、そんな瞬間が、とてもたくさんやって来て、とても辛かったんです。
だけど、その度に今いる皆さんたちが、ぼくに本当に大きな勇気を下さって、そして、何にもくじけない力を下さったんです。だから、そう思いながら、今ここまでやってきました。
ある日、親しい作曲家の....
つづき
2年間のブランクがあって、コンサートをした初日、ヒョシンくんはパワフルに歌ってるのに花道の半分までくらいしか来なかったんですよ
あれれ、花道もっと長いですよ~って思いましてん
それが、今年は舞台を降りちゃって客席の近くまで行っちゃうんですもんね。
お話ししながら、あちこちみんなの方を向いて話してるしね...。
強くなったなぁ~って印象
歌の才能があったから、小さい頃からイロイロ良からぬ人たちも周りにやってきたりしたでしょうしね~
15年よく頑張ってきたね~^ ^
それも字幕付きで...
韓国は年末年始のお正月休みは長くないから、次の日が出勤なのに明け方まで頑張って作ってくれたようですょ。
コチラ
上手く訳せなかったところは雰囲気で読んで下さいね^ ^
来たる1年、またこれからの2016年...
また、近づいて来る時間の中で
ぼくにとって本当に大きなエネルギーになると思います。
それは全部皆さんたちが作って下さったもので、心から感謝しています。
名残り惜しいですが...
最後の曲をお聞かせしなければなりません。
ぼくが好きな曲です。
ぼくが作ったんです
お聞かせします。
この歌のタイトルは『懐かしくて懐かしい』です。ご存知ですか❓
「は~い」
とてもとても感謝もしていて、ぼくがこの舞台に立っている時や、時が過ぎて舞台に立っていない時であっても、どんな時でも、いつも、懐かしくて懐かしいと思っている方々が、いまココに来ていらっしゃるんです。
ありがとうございます。
う~ん。いつのまにか...
う~ん。
15年という時が流れ、このように舞台の上に立っているぼく
そして、Happy Together という公演が始まってから、もうこのようにこの旅の終わりがまた来ていますね。
全てみんな、、、
お分かりになるでしょ❓
皆さんたちが作って下さったんですよ。
ここで、少しぼくの話をしましょうか。
本当に小さな時、ぼくは平凡な子どもでした。今よりもはるかにカッコよくなくて、かわいいだけの、幼いのに幼く見える、、、そんな子どもでした。
そんなふうで、特別上手く出来ることもなかったんです。けれど、歌を歌うことはとても好きだったんです。
ただ、子どもの時から、そんな風に歌を歌ってきて、どれほど好きだったのかというと...
大人たちが一緒にいる場でも歌を歌わせてくれなかったら大騒ぎでした。
幼い時、席にじっとしていられない子どもが、楽しくて、練習しながらやってきた記憶もあるし、、、
ただ、そうやって、ひたすら、、、
カラオケが好きで、少しづつ伸びてきました。
ある日、小さな機会があったんです。そうしていながら、夢を膨らませていたんです。それが、すぐにその夢がまたダメになったりして、また願って、またダメになりました。
中学校の時からそのような感じでした。
最後の機会が来た時は、全てを諦めてしまっていた時でした。
だけど、ぼくを説得し続けてくれた方が、こんな事を言ったんです。
とても心苦しい話なんですが、、、
「お前、お前はわからないかもしれないけど、お前が望むんじゃなくて、たくさんの人たちのために絶対に歌を歌う人になるべきだ。」と言いました。
絶対にしなきゃダメだと。
「お前が望んでも望まなくても、お前は歌を歌うべき人だから、こんな風に諦めたらダメだ。」
どんな言葉にも揺れたりしませんでした。ただ、その言葉には確実に揺れたんです。
え、ぼくをこんなにぼくを見て下さる、今はたった1人がぼくを望んでくれているけれど、本当にたくさんの人たちがぼくが歌う歌をとても好きでいてくれて、幸せになってくれて、そうやって生きていけることは本当に素晴らしいな。
畳んでいた夢をだからまた伸ばそうと思いました。だから、大変なことも全部少しづつ背負ってきました。
だから、皆さんの前にいられています。
それが15年前の事です。
うん、考えてみたら、15年という時間は、容易くはありませんでした。
ぼくは、夢を叶えたから、本当にいい気分でいられるんだろうな~。
そんな風に思ってたんです。
ところが、とてもとても大変なこともたくさんあったんです。
それが、皆さんと同じなんだという考えに次第になりました。
ただ、ぼくはやっぱりすっごく弱いんです。このように皆さんの前だったり、このように本当に「手をあげて~」とかぼくが「みんな一緒に~」こんな言葉を叫んでるけど、ぼくはこの舞台が無かったら、ぼくはとても弱いんです。
だから、投げ出しそうになる時、ためらいたくない時、そんな瞬間が、とてもたくさんやって来て、とても辛かったんです。
だけど、その度に今いる皆さんたちが、ぼくに本当に大きな勇気を下さって、そして、何にもくじけない力を下さったんです。だから、そう思いながら、今ここまでやってきました。
ある日、親しい作曲家の....
つづき
2年間のブランクがあって、コンサートをした初日、ヒョシンくんはパワフルに歌ってるのに花道の半分までくらいしか来なかったんですよ
あれれ、花道もっと長いですよ~って思いましてん
それが、今年は舞台を降りちゃって客席の近くまで行っちゃうんですもんね。
お話ししながら、あちこちみんなの方を向いて話してるしね...。
強くなったなぁ~って印象
歌の才能があったから、小さい頃からイロイロ良からぬ人たちも周りにやってきたりしたでしょうしね~
15年よく頑張ってきたね~^ ^