終章 神経症言説における結論とさらなる問い
ようやく我々は終章に辿り着いた。これまで辿ってきた長い長い道のりを振り返ってみよう。この最終章では、これまで考察した神経症構造の総括を行う。神経症とは、いかなる存在なのか。彼の存在は何を意味し、どういった問題を我々に提起するのか。神経症構造を研究するということは、「誰」にとっての「どんな」意味があるのか。本研究の可能性と限界について論じてゆく。
第1節 総括
我々はこれまで、神経症者の情愛希求における疎外と無力感の在り方をおってきた。その始まりはいつだって「愛されない」という経験であった。彼が想起する追憶の中で、情愛に満ちた対象関係を構築することに失敗した惻隠たる経験が確かに存在する。彼の生存を左右するであろうこうした晦冥は、彼に情愛と名づけられた光を求めさせる。そうして彼は、避けることができなかった外傷を、誤って愛と呼ぶ。
「愛されない」経験は、主体に憎悪を抱かせる。しかし、情愛と憎しみの拮抗の中で、神経症者は情愛の方を選択する。その結果、彼は自己消去というある種精神的な自殺にも見える葛藤解決策を採用してしまう。彼は降伏により幸福を得ようとする。
そして「愛してほしい」という規範的かつ強迫的な情愛希求は、「嫌わないでください」という形態をとって、他者に表現される。しかしそれは、現実の自己を疎外しなければ可能にはならない。現実の自己は、彼によって「愛されない」人物であるとのラベルをはられ、地下深くに幽閉されている。「私は愛される人間である」という命題は既に引き裂かれている。その現実の自己の代替として、彼は他者に愛されるであろうと彼が推測する、理想化された自己像をつくりだす。そうして彼は、自分自身の役を演じるようになる。他者が見ることができる彼は、彼ではなく別の誰かなのである。自分自身という見知らぬ誰かなのである。彼は自分に間隙を感じている。
そうした神経症構造の中で、彼は「力」を持つ「主体」を「無」くす。それは致命的な喪失である。「力」とは、信頼の力であり、愛する力であり、存在する力なのだから。
こうして彼の中で無力感が生まれる。初め、主体はそれを飼いならし、あるいは共存しているかのようにみえる。しかし、その主従関係はいずれ逆転の時を迎える。自分自身と一体になれず、あらゆる仮面をかぶり続けねばならぬことに、彼は違和感を覚える。無力は「私」の中で溶解、凝固し、「私自身」を代わりに生きるようになる。無力が「私」を生きるのである。神経症者にとって、「私は無力である」という命題は、翻訳不能なトートロジーである。それでは言葉が重複している。「私」とは、すでに「無力」であるのだから。だから彼にとって、無力へ肉薄することはほとんど命がけである。なぜなら悪しき無力は対象ではなく、生の目的、そして主体そのものであるからだ。無力においてしか存在を経験できない人間は、脱却の意志と可能性を持つことはないかのように見える。無力の解剖は、解剖の無力を誘発するかのようにみえる。
しかしそれは、許しがたい忘恩と罪ある無関心である。筆者がここで提出したこれらのといは、常に緊急のものなのである。愛情が重要であるのは、それが今日失われているあらだ。諦観を、許すことはできない。
神経症者を見ていると、確かに彼は易傷性が高いと思えるかもしれない。彼は虐げられることを欣喜し、雀躍する。虐げられることによってできたなら、彼はその傷も愛おしく思う。それは、他者からの外傷的ではあるが、確かに自分にかえってきた反応なのであり、その傷が、彼の次なる求愛手段となりうるのだから。それは確かに彼に苦痛に満ちた葛藤を与えるだろう。我々は、神経症が彼に課す様々な内的矛盾をこれまでにみてきた。撞着の狭間で彼が持つのは、服従という快楽と、苦痛がまぶされた安逸と、懐疑に満ちた信頼と、愛によく似た憎悪である。
しかも悲劇は縷々として続いてゆく。その他者を尊重する性質から、彼の服従や自己消去や降伏に対して、「やさしさ」などという美しい名を与えることはできない。それは、他者を疎外するという意味で、やさしい暴力なのであるから。他者から疎外されることは、自己疎外を生み、自己を疎外することは、また別の他者を疎外することに帰結する。神経症は自己再生産する。
こういった、彼らが防衛として作り出した神経症的パーソナリティは、その複雑さゆえに、冗長的でもどかしく、それゆえに曖昧で無意味であるかのように見えるかもしれない。しかしそこには、無意味さゆえに持つことができる意味があるのだ。彼は傷病兵である。しかし、傷痍してはいるが、確かに彼は彼の戦いを闘う兵士なのだ。傷がもたらす痛みは、彼が彼自身を埋葬することを拒否した確かな証なのだ。彼の「真の自己」は抑圧され、確かに機能不全の状態におかれているかもしれない。しかし彼の「真の自己」が逓減し、消滅したわけではない。抑圧は消去ではないのだから。彼の現実の自己は、少しばかりながら彼に彼を生きることを許してくれたのだ。彼の痛みが、その証である。神経症とは、彼が彼の血で買った鎧なのである。彼は自分を守ろうとしているのである。生き(残)ることを選択したのである。――神経症。それは、形容矛盾ではあるが、正常な病理なのである。
彼を取り巻く神経症的世界は、確かに外傷的であるかもしれない。しかし同時に、治癒の力がそこには宿っている。すべて他者が、彼を愛さないわけではない。希望は残存している。神経症の発動回避に成功した人間が確かにいるのだから。
畏懼と虚偽に満ちた彷徨の果てに、彼は一体何に帰るのか。それが、友愛なのである。神経症の不在は疎外を疎外することに成功し、別個に存在する一人称と二人称は世界に帰属し、やがて「われわれ」になるだろう。主体の中に根をはって膠着している理想化された自己像、「私は愛される人間である」という自己像の地位罷免は、愛されているという確信の形態を取る安心感によってなされるのである。
第2節 結論と意義
我々はこれまで、一貫して神経症論の考察を行ってきた。その考察を踏まえて、本論文で筆者の下す結論は以下の通りである。すなわち、「愛されない」経験が、神経症発症の十分条件にはならないということ、そして、神経症構造における自己疎外は他者疎外も生産してしまうということ、そして何よりも、神経症における最大の苦痛、この無力感こそが神経症に完全に巣食われてはいない証なのだということ、この三点である。
当然のことながらこれらの異義が目指すところは、ホーナイの誤謬を批判するということではなく、その理論を補完し、発展させ、現代の神経症構造の快癒を目指すことにつきる。それは、ホーナイの生涯の研究を貫いている、「人は変わることができる」という信念を継承するものでもあるのだ。
そして本論におけるこうした研究は、すなわち社会学的視点からの神経症へのアプローチという代替を用意することができる。つまり、神経症と神経症の温床を用意する社会的な条件とはいかなるものなのか、というアプローチの仕方を、である。神経症概念を分析・研究するにあたっては、それが心因性の「病理」現象である以上心理学と社会学の双方の視点が必要となる。加えて、神経症概念は、それ自身に関する言説および対抗言説の可能性をすべて汲みつくしてしまったわけではない。本研究の位置づけは、こうした双方の視点、特に後者の視点を、神経症概念ひいては社会科学に提供し貢献することである。これは今後の筆者の課題でもある。もちろんそれは、社会的条件のみに着目するということを意味してはいない。これまでみてきたように、神経症という主観的現象は、主観的現象であるという事実にとどまることなく、その現象が起こる社会構造の本質的特徴を反映する。こうした社会構造の、神経症概念という視座を通じての社会学的解明が、本研究の担うひとつの意義である。
半世紀前の米国における研究ではあるが、しかしながら、ホーナイのそれは現代日本に応用できるだけの基盤と質を備えていると筆者は信じている。そして上に掲げた意義は、本研究における最大の課題であるとの自負がある。
第3節 さらなる問い
1)愛情とは何か――対称物を受け入れるということ
これまで追ってきた、神経症の構造解明。我々は、そこからあぶりだされる別の問いを見つけることができる。
神経症は、換言すれば愛の問題であった。「愛されない」経験が、主体に愛を求めさせ、その希求が神経症となり、結果として自他ともに愛することができなくなる。それでは、この「愛」とはいったい何なのか。
愛とはなにか、などというこの老いた古いに応えることは困難を極めるかもしれない。しかしそれは、神経症者たちの悲しい言葉たちからその鍵を見つけてくることができると筆者は考える。
神経症者たちは、他者を愛するために、他者から愛するために、「愛とは異質」であると彼が判断するものをすべて殺害してきた。それは敵意であったり、憎悪であたり、悲しみであったり、嫌悪であったりした。しかしながら、そうしたものを排除したところに愛は存在しない。愛情とは、愛情とは、敵意や憎悪、悲しみや嫌悪を一切含まない感情ではない。それらを包み込んでもなお、受け入れたうえで、誰かを愛するということなのである。
神経症は愛の問題である。この命題の帰結として、その次なる問いとして、筆者が提示したいもの。それは、どのようにしたら愛とは対称的な感情たちを、愛は受け入れることができるのだろうか、という問いなのである。
さらに論を進めよう。筆者は、愛情が愛情loveたる条件として、平等性と任意性という二つの条件を提示した。「平等性とは、自己主張と他者尊重のバランスがとれた、水平的で静やかな対称性、それはヒラエルキーや権威の問題が意味をなさないような結びつきであり、また任意性とはその対人関係にどこまでコミットするかを、その対人関係にかかわる個人が、自身で自由に選択できるという意味である」と記した。問題は、この自己主張と他者尊重のバランスをとることなのだ。つまり、筆者がここで指摘したいことは、他者を尊重する際に、自己の側に発生する可能性のある、あるいは反対に自己を主張する際に、他者の側に発生する可能性のある、敵意や悲しみを、その二人がどのようにして愛の中に受け入れるのか、という問題なのである。
神経症の考察の結果、我々に見えてくることは、こうしたバランスをとることは、いかにして可能なのだろうか、という問いなのである。
神経症の側から見える愛情とは、確かに一見平穏であるかのように見えるかもしれない。しかし、平穏であるということは、戦闘がない、ということではない。つまり、affectionではない愛情であったところで、そこには自己主張も他者尊重もあるのだから、敵意や憎悪との戦闘がないわけがないのである。平穏とは、ただ単に戦闘がないことではないと筆者は考える。戦闘はあった上で、それに勝利することが、ここでは重要なのである。それも、愛とは対称の感情たちを、殺害することなく受け入れる、という形で勝利しなければならないのである。勝利は愛の完結を意味し、自己主張と他者尊重のバランスに彼は成功するであろう。もしかしたらバランスを取るということが生きるということなのかもしれない。
問題は、その勝利は、バランスをとることは、愛の中に対称物を受け入れることは、いかにして可能なのだろうか、ということである。こうした問いに答えることができれば、神経症構造の中に見られる常住坐臥の謙遜と絶対的な服従などといった、愛とは反対のものを排除しようとする神経症的態度は排除されうるだろうし、疎外を引き起こすことのない健康な愛情の培養可能性も担保できるであろう。
2)人生そのものが持つ希望と可能性
もちろん、こうしたことは、何もカウンセリングルームの中に自閉して問題にされるものではない。ホーナイもそれには同意してくれるであろう。彼女は、――これは分析療法に関しての言葉であるが――人生そのものが治療者なのだ、という意味のことを述べている。
「幸いなことに、分析療法だけが内的葛藤を解消する唯一の手段なのではない。人生それ自体が、きわめて有効な治療者なのである。さまざまな種類の体験の一つが、人格の変化をもたらすのに十分役立つことがある。それは、真に偉大な人物に接して鼓舞されることであったり、共通の悲劇に出会って他人と親しくなり、自己中心的な孤立から抜け出せることであったり、気の合った仲間ができて、他人を操ったり避けたりする必要が減ることであったりする」(Horney 1945=1981:249-250)
こうした幸運があればこそ、神経症者はその構造の中から抜け出せずとも、しかし相対化することが可能になるであろう。彼女の研究の全体を貫いているこうした希望は、彼女が修正したフロイトの理論やほかの論者にはあまり見ることができない、ホーナイ独特の希望なのであろう。こうした希望は、必要であると思う。もちろんそれは、ある種の非生産的なオプティミストとして映ってしまうかもしれないし、彼女自身の研究の中にも、ともすれば事実そうなってしまう危険性がある考察も、ところどころに観察できる。しかしながら、彼女は神経症が持つ思い思い悲劇性を忘れてしまったわけではない。
アルベルト・シュヴァイツァーは、かつて、楽観性を「世界と人生の肯定」、悲観性を「世界と人生の否定」と定義した(Horney 1950¬=1998:510より重引)。ホーナイは彼の言葉を用いて、彼女の記した生涯最後の論文を締めくくっている。
「私たちの哲学は、神経症の中の悲劇的な要素を認識してはいても、楽観的な哲学なのである」(Horney 1950¬=1998: 510)。
第4節 おわりに
我々はこれまで、神経症者の壮絶なまでの闘争をみてきた。「愛されなかった」という決定的な経験が、彼を「愛されたい」という激情の中に取り込む。情愛に満ちた関係が、結果ではなく神経症的に目的となることに、その疾患は端を発する。結果、求愛の手段として、神経症者は自己疎外という方法を採用する。犠牲、それは彼にとって情愛の別の名なのだ。「わたし」という主語を徹底的に除去し、そして代わりに、彼は無力感を獲得する。神経症的無力感は壮絶な痛みを伴い、それから逃れようと彼は様々な解決策を講ずるのだった。
同時に、こうした自己疎外という悲劇は拡大する必然性を有していることを我々はみてきた。疎外された自己でもって他者とかかわることは、その他者をも疎外することに帰結する。彼は終末であると同時に起源である。円環は絶命することを常に回避する。
こうした背景を背負い、神経症者は彼の無力感を抱えながらその苦痛を継続させる。彼は他者を愛したり虐げたり、虐げることを愛したりしているのである。それは無力感を彼に再生産させる。
しかし、こうした無力感は悲劇であり救いでもあるのだ。生を諦観しきった主体はそれを感じる必要もない。無力感とは、生の逆説的な形象なのだ。神経症的な内的自己破壊からの生き残った証そのものなのだ。彼は、死と生の中間に存在している。
我々がみてきた、愛が不在する構造と、それを疾患にまで発展させる社会構造はいまだ存在している。神経症という社会現象は、依然として切迫の劇場の中にある。
神経症、それは疎外される「わたし」の問題であり、疎外を生み出す「構造」の問題であり、そしてその構造の一部である「われわれ」の問題なのである。
ようやく我々は終章に辿り着いた。これまで辿ってきた長い長い道のりを振り返ってみよう。この最終章では、これまで考察した神経症構造の総括を行う。神経症とは、いかなる存在なのか。彼の存在は何を意味し、どういった問題を我々に提起するのか。神経症構造を研究するということは、「誰」にとっての「どんな」意味があるのか。本研究の可能性と限界について論じてゆく。
第1節 総括
我々はこれまで、神経症者の情愛希求における疎外と無力感の在り方をおってきた。その始まりはいつだって「愛されない」という経験であった。彼が想起する追憶の中で、情愛に満ちた対象関係を構築することに失敗した惻隠たる経験が確かに存在する。彼の生存を左右するであろうこうした晦冥は、彼に情愛と名づけられた光を求めさせる。そうして彼は、避けることができなかった外傷を、誤って愛と呼ぶ。
「愛されない」経験は、主体に憎悪を抱かせる。しかし、情愛と憎しみの拮抗の中で、神経症者は情愛の方を選択する。その結果、彼は自己消去というある種精神的な自殺にも見える葛藤解決策を採用してしまう。彼は降伏により幸福を得ようとする。
そして「愛してほしい」という規範的かつ強迫的な情愛希求は、「嫌わないでください」という形態をとって、他者に表現される。しかしそれは、現実の自己を疎外しなければ可能にはならない。現実の自己は、彼によって「愛されない」人物であるとのラベルをはられ、地下深くに幽閉されている。「私は愛される人間である」という命題は既に引き裂かれている。その現実の自己の代替として、彼は他者に愛されるであろうと彼が推測する、理想化された自己像をつくりだす。そうして彼は、自分自身の役を演じるようになる。他者が見ることができる彼は、彼ではなく別の誰かなのである。自分自身という見知らぬ誰かなのである。彼は自分に間隙を感じている。
そうした神経症構造の中で、彼は「力」を持つ「主体」を「無」くす。それは致命的な喪失である。「力」とは、信頼の力であり、愛する力であり、存在する力なのだから。
こうして彼の中で無力感が生まれる。初め、主体はそれを飼いならし、あるいは共存しているかのようにみえる。しかし、その主従関係はいずれ逆転の時を迎える。自分自身と一体になれず、あらゆる仮面をかぶり続けねばならぬことに、彼は違和感を覚える。無力は「私」の中で溶解、凝固し、「私自身」を代わりに生きるようになる。無力が「私」を生きるのである。神経症者にとって、「私は無力である」という命題は、翻訳不能なトートロジーである。それでは言葉が重複している。「私」とは、すでに「無力」であるのだから。だから彼にとって、無力へ肉薄することはほとんど命がけである。なぜなら悪しき無力は対象ではなく、生の目的、そして主体そのものであるからだ。無力においてしか存在を経験できない人間は、脱却の意志と可能性を持つことはないかのように見える。無力の解剖は、解剖の無力を誘発するかのようにみえる。
しかしそれは、許しがたい忘恩と罪ある無関心である。筆者がここで提出したこれらのといは、常に緊急のものなのである。愛情が重要であるのは、それが今日失われているあらだ。諦観を、許すことはできない。
神経症者を見ていると、確かに彼は易傷性が高いと思えるかもしれない。彼は虐げられることを欣喜し、雀躍する。虐げられることによってできたなら、彼はその傷も愛おしく思う。それは、他者からの外傷的ではあるが、確かに自分にかえってきた反応なのであり、その傷が、彼の次なる求愛手段となりうるのだから。それは確かに彼に苦痛に満ちた葛藤を与えるだろう。我々は、神経症が彼に課す様々な内的矛盾をこれまでにみてきた。撞着の狭間で彼が持つのは、服従という快楽と、苦痛がまぶされた安逸と、懐疑に満ちた信頼と、愛によく似た憎悪である。
しかも悲劇は縷々として続いてゆく。その他者を尊重する性質から、彼の服従や自己消去や降伏に対して、「やさしさ」などという美しい名を与えることはできない。それは、他者を疎外するという意味で、やさしい暴力なのであるから。他者から疎外されることは、自己疎外を生み、自己を疎外することは、また別の他者を疎外することに帰結する。神経症は自己再生産する。
こういった、彼らが防衛として作り出した神経症的パーソナリティは、その複雑さゆえに、冗長的でもどかしく、それゆえに曖昧で無意味であるかのように見えるかもしれない。しかしそこには、無意味さゆえに持つことができる意味があるのだ。彼は傷病兵である。しかし、傷痍してはいるが、確かに彼は彼の戦いを闘う兵士なのだ。傷がもたらす痛みは、彼が彼自身を埋葬することを拒否した確かな証なのだ。彼の「真の自己」は抑圧され、確かに機能不全の状態におかれているかもしれない。しかし彼の「真の自己」が逓減し、消滅したわけではない。抑圧は消去ではないのだから。彼の現実の自己は、少しばかりながら彼に彼を生きることを許してくれたのだ。彼の痛みが、その証である。神経症とは、彼が彼の血で買った鎧なのである。彼は自分を守ろうとしているのである。生き(残)ることを選択したのである。――神経症。それは、形容矛盾ではあるが、正常な病理なのである。
彼を取り巻く神経症的世界は、確かに外傷的であるかもしれない。しかし同時に、治癒の力がそこには宿っている。すべて他者が、彼を愛さないわけではない。希望は残存している。神経症の発動回避に成功した人間が確かにいるのだから。
畏懼と虚偽に満ちた彷徨の果てに、彼は一体何に帰るのか。それが、友愛なのである。神経症の不在は疎外を疎外することに成功し、別個に存在する一人称と二人称は世界に帰属し、やがて「われわれ」になるだろう。主体の中に根をはって膠着している理想化された自己像、「私は愛される人間である」という自己像の地位罷免は、愛されているという確信の形態を取る安心感によってなされるのである。
第2節 結論と意義
我々はこれまで、一貫して神経症論の考察を行ってきた。その考察を踏まえて、本論文で筆者の下す結論は以下の通りである。すなわち、「愛されない」経験が、神経症発症の十分条件にはならないということ、そして、神経症構造における自己疎外は他者疎外も生産してしまうということ、そして何よりも、神経症における最大の苦痛、この無力感こそが神経症に完全に巣食われてはいない証なのだということ、この三点である。
当然のことながらこれらの異義が目指すところは、ホーナイの誤謬を批判するということではなく、その理論を補完し、発展させ、現代の神経症構造の快癒を目指すことにつきる。それは、ホーナイの生涯の研究を貫いている、「人は変わることができる」という信念を継承するものでもあるのだ。
そして本論におけるこうした研究は、すなわち社会学的視点からの神経症へのアプローチという代替を用意することができる。つまり、神経症と神経症の温床を用意する社会的な条件とはいかなるものなのか、というアプローチの仕方を、である。神経症概念を分析・研究するにあたっては、それが心因性の「病理」現象である以上心理学と社会学の双方の視点が必要となる。加えて、神経症概念は、それ自身に関する言説および対抗言説の可能性をすべて汲みつくしてしまったわけではない。本研究の位置づけは、こうした双方の視点、特に後者の視点を、神経症概念ひいては社会科学に提供し貢献することである。これは今後の筆者の課題でもある。もちろんそれは、社会的条件のみに着目するということを意味してはいない。これまでみてきたように、神経症という主観的現象は、主観的現象であるという事実にとどまることなく、その現象が起こる社会構造の本質的特徴を反映する。こうした社会構造の、神経症概念という視座を通じての社会学的解明が、本研究の担うひとつの意義である。
半世紀前の米国における研究ではあるが、しかしながら、ホーナイのそれは現代日本に応用できるだけの基盤と質を備えていると筆者は信じている。そして上に掲げた意義は、本研究における最大の課題であるとの自負がある。
第3節 さらなる問い
1)愛情とは何か――対称物を受け入れるということ
これまで追ってきた、神経症の構造解明。我々は、そこからあぶりだされる別の問いを見つけることができる。
神経症は、換言すれば愛の問題であった。「愛されない」経験が、主体に愛を求めさせ、その希求が神経症となり、結果として自他ともに愛することができなくなる。それでは、この「愛」とはいったい何なのか。
愛とはなにか、などというこの老いた古いに応えることは困難を極めるかもしれない。しかしそれは、神経症者たちの悲しい言葉たちからその鍵を見つけてくることができると筆者は考える。
神経症者たちは、他者を愛するために、他者から愛するために、「愛とは異質」であると彼が判断するものをすべて殺害してきた。それは敵意であったり、憎悪であたり、悲しみであったり、嫌悪であったりした。しかしながら、そうしたものを排除したところに愛は存在しない。愛情とは、愛情とは、敵意や憎悪、悲しみや嫌悪を一切含まない感情ではない。それらを包み込んでもなお、受け入れたうえで、誰かを愛するということなのである。
神経症は愛の問題である。この命題の帰結として、その次なる問いとして、筆者が提示したいもの。それは、どのようにしたら愛とは対称的な感情たちを、愛は受け入れることができるのだろうか、という問いなのである。
さらに論を進めよう。筆者は、愛情が愛情loveたる条件として、平等性と任意性という二つの条件を提示した。「平等性とは、自己主張と他者尊重のバランスがとれた、水平的で静やかな対称性、それはヒラエルキーや権威の問題が意味をなさないような結びつきであり、また任意性とはその対人関係にどこまでコミットするかを、その対人関係にかかわる個人が、自身で自由に選択できるという意味である」と記した。問題は、この自己主張と他者尊重のバランスをとることなのだ。つまり、筆者がここで指摘したいことは、他者を尊重する際に、自己の側に発生する可能性のある、あるいは反対に自己を主張する際に、他者の側に発生する可能性のある、敵意や悲しみを、その二人がどのようにして愛の中に受け入れるのか、という問題なのである。
神経症の考察の結果、我々に見えてくることは、こうしたバランスをとることは、いかにして可能なのだろうか、という問いなのである。
神経症の側から見える愛情とは、確かに一見平穏であるかのように見えるかもしれない。しかし、平穏であるということは、戦闘がない、ということではない。つまり、affectionではない愛情であったところで、そこには自己主張も他者尊重もあるのだから、敵意や憎悪との戦闘がないわけがないのである。平穏とは、ただ単に戦闘がないことではないと筆者は考える。戦闘はあった上で、それに勝利することが、ここでは重要なのである。それも、愛とは対称の感情たちを、殺害することなく受け入れる、という形で勝利しなければならないのである。勝利は愛の完結を意味し、自己主張と他者尊重のバランスに彼は成功するであろう。もしかしたらバランスを取るということが生きるということなのかもしれない。
問題は、その勝利は、バランスをとることは、愛の中に対称物を受け入れることは、いかにして可能なのだろうか、ということである。こうした問いに答えることができれば、神経症構造の中に見られる常住坐臥の謙遜と絶対的な服従などといった、愛とは反対のものを排除しようとする神経症的態度は排除されうるだろうし、疎外を引き起こすことのない健康な愛情の培養可能性も担保できるであろう。
2)人生そのものが持つ希望と可能性
もちろん、こうしたことは、何もカウンセリングルームの中に自閉して問題にされるものではない。ホーナイもそれには同意してくれるであろう。彼女は、――これは分析療法に関しての言葉であるが――人生そのものが治療者なのだ、という意味のことを述べている。
「幸いなことに、分析療法だけが内的葛藤を解消する唯一の手段なのではない。人生それ自体が、きわめて有効な治療者なのである。さまざまな種類の体験の一つが、人格の変化をもたらすのに十分役立つことがある。それは、真に偉大な人物に接して鼓舞されることであったり、共通の悲劇に出会って他人と親しくなり、自己中心的な孤立から抜け出せることであったり、気の合った仲間ができて、他人を操ったり避けたりする必要が減ることであったりする」(Horney 1945=1981:249-250)
こうした幸運があればこそ、神経症者はその構造の中から抜け出せずとも、しかし相対化することが可能になるであろう。彼女の研究の全体を貫いているこうした希望は、彼女が修正したフロイトの理論やほかの論者にはあまり見ることができない、ホーナイ独特の希望なのであろう。こうした希望は、必要であると思う。もちろんそれは、ある種の非生産的なオプティミストとして映ってしまうかもしれないし、彼女自身の研究の中にも、ともすれば事実そうなってしまう危険性がある考察も、ところどころに観察できる。しかしながら、彼女は神経症が持つ思い思い悲劇性を忘れてしまったわけではない。
アルベルト・シュヴァイツァーは、かつて、楽観性を「世界と人生の肯定」、悲観性を「世界と人生の否定」と定義した(Horney 1950¬=1998:510より重引)。ホーナイは彼の言葉を用いて、彼女の記した生涯最後の論文を締めくくっている。
「私たちの哲学は、神経症の中の悲劇的な要素を認識してはいても、楽観的な哲学なのである」(Horney 1950¬=1998: 510)。
第4節 おわりに
我々はこれまで、神経症者の壮絶なまでの闘争をみてきた。「愛されなかった」という決定的な経験が、彼を「愛されたい」という激情の中に取り込む。情愛に満ちた関係が、結果ではなく神経症的に目的となることに、その疾患は端を発する。結果、求愛の手段として、神経症者は自己疎外という方法を採用する。犠牲、それは彼にとって情愛の別の名なのだ。「わたし」という主語を徹底的に除去し、そして代わりに、彼は無力感を獲得する。神経症的無力感は壮絶な痛みを伴い、それから逃れようと彼は様々な解決策を講ずるのだった。
同時に、こうした自己疎外という悲劇は拡大する必然性を有していることを我々はみてきた。疎外された自己でもって他者とかかわることは、その他者をも疎外することに帰結する。彼は終末であると同時に起源である。円環は絶命することを常に回避する。
こうした背景を背負い、神経症者は彼の無力感を抱えながらその苦痛を継続させる。彼は他者を愛したり虐げたり、虐げることを愛したりしているのである。それは無力感を彼に再生産させる。
しかし、こうした無力感は悲劇であり救いでもあるのだ。生を諦観しきった主体はそれを感じる必要もない。無力感とは、生の逆説的な形象なのだ。神経症的な内的自己破壊からの生き残った証そのものなのだ。彼は、死と生の中間に存在している。
我々がみてきた、愛が不在する構造と、それを疾患にまで発展させる社会構造はいまだ存在している。神経症という社会現象は、依然として切迫の劇場の中にある。
神経症、それは疎外される「わたし」の問題であり、疎外を生み出す「構造」の問題であり、そしてその構造の一部である「われわれ」の問題なのである。