Hang In There !!!

ようやくジュニアスタッフとして働き始めました。

〜1月末

2010-02-01 | instructor
大変遅くなりましたが、新年を迎えてから初の更新となります。(少数の)読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

先月までは「この先どうなることか、、、」と不安でいっぱいでしたが、何とかやっています。今月からは指導医として一人立ちをして、まずは手術室3週間、CTICU 1週間という月間スケジュールで働き始めました。久々の手術室勤務のため麻酔業務をこなせるのか不安でしたが、すぐに慣れることができました。

さて、これから一か月分の記録を綴ってみます。

12月25日(金)ロックフェラーセンターに行き、クリスマスツリーの見学。観光客で会場はごった返していたので、身動きすることすら大変だった。日系のスーパーで予約してあったクリスマスケーキを購入し、おいしくいただいた。

12月28日(月)〜31日(木)6Cにて集中治療医(intensivist)として初めて一人立ちして勤務。

ある患者の妻が非常に気難しい人で、やたらと細かいことに関してナースや医師たちに質問や注文を投げかけてくる。いわゆるconstant complainerだ(日本で言うところのClaimerというのは和製英語で間違い)。当然、私にも質問をしてきた。自分なりに一生懸命に説明しているつもりでも、拙い英語のせいで、私が何を言っているのかよく分からないと言ってきた。挙句の果てには「お前の英語は理解不能だ!上司を呼べ!」とICUで怒鳴りだした。この後も色々あって、本当に嫌な思いをした。日米問わず、嫌な人間はどこにでも居るものだ。ハー、、、。

12月31日(木)年越しそばを食べた後、Times Squareでの Count Downをテレビ観賞して2009年が終わった。

1月1日(金)祝日。Pond外周をWalkingにて4周。今度は両方の膝が痛み出した。お雑煮を食べて新年の御挨拶。今年も息子にはUSドルでお年玉を渡した。

1月2日(土)−3/−8度。Pond外周をWalkingにて4周。この日も両膝痛にて足を引き摺りつつ帰宅した。

1月3日(日)息子の冬休みの宿題を作成。課題はShoe boxを利用してurban, suburban or rural sceneを作成せよとのこと。つまりは都会や田舎を表現するための簡単なジオラマを作れとのことらしい。

我が家の作品はこちら。折り紙を使って動物を作り、糸で上から吊るして作った。



実際には家内と二人で殆どを作り上げたので、息子はあまりタッチしていない(笑)。誰のための工作なんだか、、、(笑)。

1月4日(月)−3/−6度。この日から手術室にて勤務。General ORにて働くことになった。しかし、私がこの日から手術室勤務だとは関係者に知らされていなかったため、翌日からの勤務となった。

1月5日(火)実に1年半ぶりの麻酔業務。婦人科手術を自分一人で2件担当した。

1月6日(水)二人のレジデントと一緒に働いた。各々が一部屋ずつに配置されているので、二部屋を行ったり来たりとそれなりに忙しかった。手術室入室前には患者の情報把握、麻酔プランを話し、麻酔導入後にはレジデントにcoffee breakを与える。昼食時にはlunch breakを与えて、、、と二部屋同時に処理せねばならない。計3件担当。

1月7日(木)〜8日(金)5CにてIntensivistとして勤務。術直後の患者か、比較的状態の落ち着いた患者ばかりだったので、特に何事も起きなかった。

NY half Marathon(3月21日、21 Km)にacceptされたとのメールを確認した。NYの中心部(Times Square含む)を走り抜けるコースらしい。ワクワクしてきた。
http://www.nyrr.org/races/2010/nychalf/index.asp

1月9日(土)〜10日(日)初の週末(一人立ち)勤務。5C、6CおよびCCUの一部をPAとともに回診し、患者管理。内心不安な感情を抑えつつ、気丈なフリをしてどうにか乗り切った。

1月11日(月)土日と週末勤務だったので、2日間の休み。知り合いのコネでNY Sports Club(いわゆるスポーツジム)に格安の年会費で加入した。ハーフマラソンに備えてこれから可能な限り、トレッドミルでランニングすることにした。まずは腸頚靭帯炎を克服せねば、、、。

1月12日(火)ジムでジョギングとWalkingを1時間弱行った。この時期から右膝痛は消失し、左膝痛が出現。走る前後だけでなく就寝前にも入念にストレッチをし始めた。

1月13日(水)なんと手術1件だけで業務終了。帰宅後にジムでジョギング。息子を始めてジムに連れて行き、ボクシングの真似事などをして遊んだ。

1月14日(木)手術3件担当。16時半にOn callが来て、麻酔を引き継いでもらい、帰宅した。帰宅後、ジムへ。

1月15日(金)手術4件担当。17時過ぎにOn call teamにより帰宅を許された。ジムへ。

1月16日(土)ジムでジョギング+Walking。

1月17日(日)息子と、ジムのプールで泳ぎの練習。まだLife jacketなしでは泳げない。もっと練習させなくては、、、。

1月18日(月)祝日。買出しのために外出。ジムでジョギング。左膝の痛みにより40分で切り上げた。

1月22日(金)5CにてIntensivistとして勤務。一日だけの勤務だったが、問題なく乗り切れた。

1月23日(土)同じ勤務先の日本人医師たちと夕食を共にした。異国で医師として働く同志として話がたいぶ盛り上がった。

1月25日(月)手術室での勤務後、ジムへ。膝痛ほとんどなし。

1月29日(金)−4/−9度。一人で婦人科手術4件、および産科手術1件担当。部屋の準備、術前問診、麻酔導入、手術、麻酔覚醒、PACUへ患者を連れて行き、また次の症例の準備をして、、、と怒涛のような一日だった。
最後の症例は、体重110kgの妊娠女性に対する子宮頚部縫縮術。力士並みの体脂肪により、どこに針を刺入していいのかすら最初は分からなかったので、脊椎麻酔をするのが結構大変だった。この国では、本当に「肥満料金」を請求したい!と心底願った。

帰宅後にジムへ。1時間のジョギング。膝痛全くなし。

1月30日(土)ジムで1時間のジョギング。軽度の左膝痛が出現。


総じて一般麻酔業務に関しては日本で行っていたことと基本的に一緒のため、特別に書くことは無いような気がしています。ある日は自分一人で一部屋を任され、そこで麻酔を行い3−5件をこなしたり、翌日は二部屋にいる各々のレジデントと麻酔管理したり、またある日はCRNA(麻酔看護師)と仕事をしたり、、、という毎日です。特に自分一人で何件も業務をこなす日は、食事を摂る時間を確保することすら大変です。ただ夕方5時ごろ(遅くても6時過ぎ)までには帰宅を許されるので、日本で仕事をしていた頃と比較して格段に自分の時間、家族との時間が確保できています。収入に関してもバイトをせずに同等以上を確保できています。言葉の問題さえ無視すれば、生活の質(QOL)はこちらの方が総じて高いと実感しています。

しかしながら私の場合、麻酔科Chairmanの意向で麻酔業務はGeneral ORでのみ行うことになったので、cardiac anesthesiaと比較するとやりがいはあまり感じません。婦人科や一般外科手術などの担当ばかりのため、せっかく身に着けた食道エコー(TEE)を使う機会にも恵まれません。CTICUは月に1週間だけのため、今のところさほど負担に感じていません。

折角Fellowshipをした心臓麻酔部門で働けないという仕事内容に少し不満はありますが、General ORとCTICUで働けることは約束されています。例えて言うならば、「2本の刀を磨いておいたのに、一本は使わずにしまっておけ」ということです。もちろん使わなければ錆び付いていくのは目に見えています。将来的に日本に帰るにあたって自分の武器は一つでも多いほうが良いと思っているのですが、少し贅沢な悩みでしょうか?

実はPhiladelphiaの大学病院で、「心臓麻酔とCTICUを出来る人間を探している」という情報が知り合いの心臓外科医を通して入りました。「履歴書を送って、いつでも面接に来て欲しい」と言われていますが、総合的に考えて今のところあまり乗り気になれません。まずは自分の足場をしっかり固めようと思います。

今年の抱負としては、、、
1) レジデントや他科の医師にナメられないように、集中治療および麻酔部門の知識を増やす(Web course受講。4月にBoard review受講予定)
2) NY half marathonでの完走(頻回に行うストレッチおよび日々の練習により腸頚靭帯炎を克服できそうな気がしてきた。右側は完治したので、今後は左側を克服せねばならない。近いうちに「腸頚靭帯炎」に関してブログ上でレポートをまとめようと思う。NY City Marathonのクジに当たるかは?のまま)
3)英語論文を最低でも一つ掲載(現在、Case reportのネタは一つある)
4)英会話の先生と週に一度の会話練習(ボランティアのESLの先生と、会話練習をすることになった)
5)Skypeを通してAccent reductionのコースを受講(予定)。

とまあ、こんな感じです。

私は「うさぎとかめ」で言えば、「カメ」の方なので少しずつ地道にやっていければと思っています。
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〜12月末

2009-12-25 | instructor
皆様、ご無沙汰しております。

最近は10月までの悶々とした日々から一転して、切羽詰った忙しい毎日を過ごしています。そもそもこれが期待した仕事だったのですが、いざ始めてみると今の自分には荷が重過ぎるなーというのが本音です。

では、これから駄文にお付き合いください。

10月30日(金)息子の学校でHalloween Paradeがあったので見学に行った。

夕方よりHalloween eventがCentral parkで開催されていたので、家内と息子は友達らと出掛けていった。米国版お化け屋敷の外で、息子たちはlocal CNNという番組スタッフにお化け屋敷の感想を求めてインタビューされた。そこでの会話の様子がネットで動画で見れるようになっており、非常に良い記念になった。一応、息子はそれなりに受け応えしていたので立派なものだ。

10月31日(土)Halloween day。「Trick or Treat」と唱えながら、沢山の子供たちが楽しそうに闊歩していた。息子も同じように袋に沢山のお菓子をもらっていた。

11月1日(日)未明より冬時間がスタート。
NY City MarathonをTVで少し鑑賞。TVに感動したのを受けて、5マイル以上の長距離を走ったことすらないくせに、来年のNY City Marathonに後日応募してしまった。かなりの人気らしく、抽選に当たることも難しいのであまり期待はしていない(笑)。

11月4日(水)World Series Game 第6戦。Yankees vs Philies。Yankeesが7−3で勝利し、4勝2敗で優勝を決めた。松井はなんと6打点、DHながらMVPを受賞。TVを見ながら感動した。後日、トレードされるとは思っても見なかったが、、、。

それにしても、米国でのプロ野球のトップを決めるだけなのに、World Series Gameとは納得がいかない。やはりアメリカ人は「アメリカが世界一の国」としか思っていないのだろう。WBCへの関心の薄さとは大違いだ。

この日から、手術室で麻酔科医としてのリハビリ(=認可が下りないので見学のみ)を開始した。これまで半ば自宅で引きこもっていたので、ちょっと辛かった。

11月5日(木)同じ日本人として、MVP松井のことを何人にも称えられた。本当に誇らしく思う。この日のlocal newspaperの見出しには、「top of the world」とYankeesのことを賞賛する記事がずらりと並んでいた。やはり「世界一」というのは奢りすぎとしか思えない。

10月30日に病院に提出した書類の審査があっという間に終了し、本日付けでtemporary privilege approvedとなった。提出した際には「1月までかかるわねー」なんて言われていたのに、「明日から働く準備は出来てる?」というメールが突然、秘書から届いた。これまで半ば引きこもっていたのに、いきなり働けるわけがない。1週間のリハビリ期間をもらえるよう交渉し、11月16日(月)より仕事開始としてもらった。

11月7日(土)long islandにある某大学/研究所の日本人親睦会に参加。縁あってこれまで毎年参加させて頂いている。家族ぐるみでの楽しい会だった。

11月8日(日)Pond外周を2周走った。2周目の後半にひどい右膝痛に見舞われたために走るのを中断し、Walkingへ変更した。帰宅してからネットで色々と検索した結果、「ランナー膝(腸頚靭帯炎)」と自己診断した。どうやら下肢の筋力不足にも関わらず距離を伸ばして走ったのが主な原因らしい。この日から、大腿四頭筋の筋トレ(スクワット)を日々の日課とし、痛みが引くまでしばらく走るのをやめることにした。

11月9日(月) 手術室の見学(=リハビリ)。TEEを数件ずつ触らせてもらった。

11月10日(火)同じく手術室の見学。夕方からは、息子の学校でParent teacher conferenceに参加。彼の成績は、一部を除いて概ね学年平均といったところのようだ。

11月11日(水)CTICU(cardiothoracic ICU)でのリハビリ開始。この日を境に、生活は一変した。

朝7時までに出勤し、ICUにてnight teamからの申し送りを受ける。院内のスターバックス前でcoffee breakを経て、8時から回診開始。10時頃には回診を終了し、ライン交換やカルテ記入を含めた雑務に追われる。午後には手術患者(〜5,6件/日)を受け入れ始め、夜6時からのnight teamへの申し送りを終えて帰宅できる。

正式には11月16日から勤務開始となるはずだったが、ICU directorの計らいでこの日から勤務開始となり給与をもらえることになった。彼の話では、これまでのAttendings(指導医たち)は2週間ほど彼の元で働いた後は一人立ちして働き始めたらしい。「私は本当に不安で自信がないから、、、」ということを訴え、1ヶ月ほど彼の監視下に置かれることになった。

まずはDirectorの仕事振りを見ながら、補助的仕事をした。今週はcardiothoracic progressivecare unit(6 Center;通称6C:慢性期ICU)を担当することになった。初日はフロア全員のPatient note(電子カルテ)を書くことがノルマだった。

11月16日(月)この日からtemporaryではなくpermanent privilegeが病院より発行された。

今週はCardiothoracic ICU (CTICU; 5 Center: 通称5C:急性期ICU)を担当することになった。朝の回診はdirectorが行い、以後は基本的に全て自分とphysician assistant(PA)とで管理することを任された。つまりICU fellowshipの延長のようなものである。自分がattendingとしてpatient noteにサインし、術後患者に関する麻酔科医などからのsign-outを聞き、ナースからの質問・要望などに応え、night call teamにsign-outする。

言葉にしてしまえば簡単に聞こえるが、いざ全て責任者のように振舞いながら行うとなると非常に難しい。CTICUゆえに患者の半分はIABPやLVAD、BiBAD、心移植後といった重症患者。昇圧薬ひとつをとってみても、norepinephrine, epinephrine, vasopressin, mirlinone, dobutamineと多種多様である。他のICUとは重症度が一味違う。

当然、困ったときにはDirectorに確認に行き、指示を仰いだ。
一日を終えて帰宅するころには、心身ともにノックアウト寸前のヘロヘロ状態。この週は特に余裕がないために座る間も無く、自宅に辿り着くだけでも精一杯だった。

ちなみにこの日は、息子の7歳の誕生日。ケーキの前で写真を撮ったりしてお祝いした。月日が流れるのは本当に早い、、、。


11月18日(水)夜の申し送り直後、ある患者にVTが発生し、皆で心肺蘇生開始。さらに立て続けに2件も血圧低下、不整脈のため心肺蘇生開始された。

ICUで同時に3件もCPRなんて見たことも聞いたこともない。1件は30分の蘇生にもかかわらず亡くなり、2件目はIABP挿入され何とか無事に、3件目はその場で再開胸され直接心臓マッサージをしつつIABP挿入。その後、手術室にてLVAD挿入となった。
帰宅途中で、「とんでもない所でこれから仕事をするんだなー」と恐怖に慄いた。

11月19日(木)深夜、息子が嘔吐・下痢を頻回に繰り返した。

11月20日(金)息子はその後に発熱したため、学校を休んだ。この日、息子の誕生日パーティーをクラスで開いてもらう予定だったが、急遽キャンセルとなった。近所の菓子店で予約しておいたCup cake 25個を無駄にしてはいけないので、世話になっている人に配布した。残りは何個も自分たちで頬張った。
夕方にTylenolを飲んでから急に元気になったので、だいぶ安心した。恐らくウイルス性の感冒だったのだろう。

11月21日(土)三谷幸喜による「Talk like singing」という舞台をNYU skirball centerまで皆で見に行った。主役はSMAPの香取慎吾。観客の9割以上が日本人という異色な雰囲気だったが、なかなか楽しめた。


外ではstreet performerによる砂絵の周りに人だかりが出来ていた。



11月22日(日)「Race to deliver」at Central Parkに参加。4マイル(=6.4km)を走った。前回よりもだいぶ良いタイムが出た。起床してから鎮痛薬を飲んでいったので、帰宅直前まで膝痛は感じなかった。

11月24日(火)今週も5C(急性期ICU)をDirectorとともに担当。この日より、ICUの半分(6床)をPAと共に自分でMorning roundすることを新たに始めた。少しずつ仕事の暴露量を増やすことで徐々に慣れさせる彼の作戦には感服した。私にとっての減感作療法ともいえるだろう。

11月26日(木)Thanks giving dayにて休日。この日から4連休。

11月27日(金)Pond外周をJoggingおよびWalking。これからは2周だけではなく1時間続けることにした。

Junior attendingとしての初任給が口座に振り込まれた。苦労した甲斐があって非常に嬉しかった。しかし額面を見ると、予想していた金額よりもずっと少ないことが分かった。どうやら4割以上もFederal tax、およびNY city taxにて差し引かれている。年収に換算してみると、日本で得ていたバイト込みの給料とさほど変わらないではないか。契約書に記載されていた額面とは大きくかけ離れているので、期待外れといわざるを得ない。

PS;attendingとしての高給を夢見て日本から渡米する(?)医師の方々へ。
手取の金額は、契約書に提示される金額の6割ほどにしかなりません。お金目当てにUSMLEの勉強をするのなら止めておいた方が身のためです。もっとも、そういう人がどの位いるのかは知りませんが、、、。

11月28日(土)Montalk @ Long islandへドライブ。休憩を挟んで3時間弱で到着。気温は低かったものの、天候に恵まれ、非常に美しい光景を眺めることが出来た。

途中でHamptonsという高級リゾート地を横目に見ながら、Mantalkへ。

Long Island東端に立つNY州最古の灯台「モントーク岬灯台」。137段の階段を上って展望台に行くと大西洋を一望できる。







帰りはNew JerseyにあるMitsuwaへ寄って、ラーメン、とんかつなどを食べた。沢山の日本食などを購入して帰宅した。

11月30日(月)今週は6C(慢性期ICU)の担当。この日から、PAと二人で全員を回診することを始めた。約11人ほどの患者をX線写真のチェックを含めて、2時間以内に終了せよ!というのがDirectorからの指示だった。当然、初めてなので2時間以内に終わる訳がなかったが、、、。

自分たちでの回診後、Directorと一緒に再び回診。私の出した指示の確認・訂正をしてもらった。いわば「赤ペン先生」のようなものだろうか。漏れがあったり、全く反対の指示に訂正されることもあるので、ひどく落ち込むこともあるのだが、自分の糧になると信じて耐えた。
次いで、午後4時までにPatient noteを終了せよ!という指示があり、これらを目標に1週間が始まった。

この日、Directorから「ESLを受講すること、およびICU領域の知識を増やすこと」を勧められた。自分で痛いほど分かっているのだが、英会話に苦労する場面が最近多い。指導医として下手な発音・会話力では他科とのコミュニケーションはおろか、患者/家族への説明もままならないと判断されたようだ。今更ながらESLを勧められるとは、心底凹んだ気分になった。

12月1日(火)今週は少しずつ回診のスピードアップ。

12月4日(金)ようやく学校で息子のBirthday partyをこじんまりと開いてもらった(cupcakes, juice, small presentを持参)。

12月5日(土)Pond外周を4周、一時間走った。終了後、やはり右膝の疼痛が出現したため、鎮痛薬、湿布で対応した。
昼過ぎより僅かながら初雪が降り始めた。

12月7日(月)今週は5C(急性期ICU)。12床全てをPA、レジデントと共に回診し始めた。Patient noteをレジデントが記入してくれるのでその点は助かるのだが、いかんせん重症患者が多いので、一つ一つに時間が掛かる。おまけにレジデントが所々で質問してくるので、どうしても回診に2時間半以上かかってしまう。
かなり辛い一週間だったが、それなりに収穫も多かった。一応、Direcorのback upがあるとはいえ、形の上では自分がICUを管理しているのだから、、、。

12月14日(月)ようやく病院からの携帯を支給された。Black berryという米国では人気の機種だ。病院での電話のやり取りだけでなく、日常の会話もこの電話を通して行ってよいらしい。E-mailも自動的に送信されるので、携帯画面でメールを送受信することもできる。新しいおもちゃをもらった子供のように嬉しくなった。

これで、ポケベル、Black berry、自分の携帯と3つも同時に所持せねばならないことになった。近いうちに自分の携帯からのデータを移行して、仕事中は自分の携帯を所持せずにすむようにしたい。自分に相応の自信があれば自分の携帯を解約してもよいのだが、来年度の契約更新がなかった場合(=解雇)にはBlack berryを返却せねばならないので、そこまで踏み切ることができないでいる、、、。

12月15日(火)今週は6C。だいぶリズムが掴めて来たので仕事が楽になってきた。2時間以内に回診も無事に終了し、一緒に働くPAからも褒められるようになった。

Directorから来月の予定を聞かれた。その後、1月のICU当番表に自分の名前が入ったことを確認した。遅まきながら、いよいよ今月末から一人立ちすることになった。不安と期待が交錯している。

12月18日(金)気温0/−2度。いよいよ本格的な冬がやってきた。

12月19日(土)かなりの降雪があり、少なくとも10cm以上は雪が積もった。

初のICU週末担当をDirectorとともに行った。週末は5C、6C全てをPAと二人で回診するだけでなく、5CのPatient noteを記入せねばならない。今回はDirectorと折半して回診したが、次回からは自分で全て行うので気が重い。

12月20日(日)まだまだ雪は残っている。
この日もDirectorと回診を折半したが、2時半に外科のFellowにSign-outするまでにPatient noteの記入を全く終了できなかったので残業した。週末の業務は大変だ。

12月21日(月)気温1/−6度。最近は暗いうちに出勤し、暗くなってから帰宅する日々が続いている。

12月23日(水)怒涛の10日間連続出勤を終えて、一安心。

12月24日(木)4連休のはじまり。これまでの経過をブログに掲載する。Word文書にして5ページ以上の大作になってしまったが、これで現在に追い着いたことになる。フーッ、一安心。

これからもっと努力をしなければDirectorや同僚からの評価が悪くなり、さらには契約更新すら出来ないことになってしまうだろう。
でも出発地点が非常に低いので、これからの「伸びしろ」を評価してもらえるようになりたいと思う。

では皆様、Happy Holidays !!! そして良いお年を!!!
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〜10月末

2009-10-30 | Philadelphia
皆さん、お元気でしょうか?
私は表向きは変わりませんが、内心穏やかではありません。

各種書類の処理に予想以上に時間がかかっていることが原因です。それだけなら良いのですが、「処理が全て終了するまでは職員として採用できない」というのです。

つまり、9月より無職、無給の状態が続いています。よって最近は、やる気が全くなくなり、職場にも顔を出していません。まさに停滞期の真っ只中です。

そのせいで特別書くこともなく、更新が滞っていました。とは言っても溜まると後が辛いので、仕事には無関係な駄文ばかりを更新しておきます。

9月13日(日)Central parkのPond周囲を2周走った。翌日、家族が日本から帰ってくるので、洗濯、掃除、食料の買出しをした。

9月14日(月)家族のお迎え@JFK空港。

9月18日(金)本来なら9月8日より登校開始のはずだったが、息子はこの日から現地校へ登校開始。今月から彼は2 nd gradeに進級した(日本ではまだピカピカの一年生)。こちらには珍しい、教師らしい教師が担任になってくれて安心した。

9月19日(土)同じ病院に勤務する数人、およびその家族とともに親睦会@日本居酒屋。

9月20日(日)この日からPondのすぐ周り(内周)ではなく、外回り(外周)を走ることにした。実はPondを見ながら走る内周コースは、複数の観光客が歩いているために危なかった。さらに、雨が降った翌日には地面に小さな水溜りがいくつもできてしまうので、走りにくかった。
普通に走って内周13分に対して、外周15分だった。この日は、まず1周だけ走ることにした。

9月21日(月)残念ながら、今月から無職・無給と判明。8月末でICU fellowを終了したものの、その後のFacultyとしての採用は書類がそろわないので未だ不可能とのこと。出口の見えないトンネルに迷い込んだような暗い気分に包まれた、、、。

大学卒業以来、無職・無給なんて初めての経験だ。しばらく長期休暇を満喫(?)することになった。

9月26日(土)Pond外周を2周走った(約30分)。走っている間は余計なことを考えずに済むので、気持ちがいい。

昼からは、息子の小学校で行われたイベントに参加。


ボールを投げて中央の的に当たれば、左に座っている男性が水の中に落ちるという仕掛け。子供たちは彼が落ちるだびに大歓声をあげた。


息子はこんな壁にも挑戦した。

9月30日(水)18/11度。冷え込んできた。

10月4日(日)Pond外周を2週。約30分。

10月7日(水)ブログつながりの「姉さん」の壮行会。一度、日本に帰って資金を調達して戻ってくるらしい。頑張って欲しいものだ。とはいっても、人のことを心配している場合ではないが、、、。

10月8日(木)(小さな)日本人医師の交流会に参加。少しだけ人脈を広げた。

10月9日(金)日本人の医師、医学生との交流会に参加。日本の国立医学部を卒業し、現在米国で臨床をしている研修医たちとも話をした。彼らは研修を終えても、「日本に帰って、日本の医療に貢献する」気は全くないらしい。自分の考えとは相反するので、話をしていて違和感を覚えた。日本の頭脳流出/医療崩壊は、こういった所でも起きている。

10月10(土)Philadelphiaに一泊二日で小旅行に出かけてきた。Amtrakを利用すれば車は不要だが、荷物を持っての移動は嫌という結論になり、車で出かけることにした。
朝、レンタカーを借りて、いざ出発。食事休憩を挟んで3時間ほどで到着。


まずはIndependence National Historic ParkにあるLiberty Bell Centerへ。アメリカ独立宣言のときに高らかに鳴らされた自由の鐘が収められている。


Independence Hall


City Hall Tower


Rodin Museum(ロダン美術館)


その後、車で15分ほどのPhiladelphia airport付近のホテルに宿泊。室内プールで息子の泳ぎの練習に付き合った。


10月11日(日)朝食が宿泊費に含まれていたので、朝からリッチな気分を味わえた。



The Franklin Institute Science Museum


巨大な心臓のオブジェ。この中を血液の流れに沿って迷路のように探索できる。


本物の豚の心臓を用いた解剖のレクチャー。子供向けの説明はわかりやすく、見事だった。息子には難しかったようで途中で飽きてしまい、抜け出してしまったが、、、。


手術室の再現コーナー。彼女たちが覗いているのは、実際の開心術の映像。左には麻酔器、中央奥には気管挿管セット、右奥には電気メス、右側には人工心肺、手前には手術器具がずらりと並んでいた。そばには除細動器も。


閉館間際のPhiladelphia Museum of Art。向かって右側にはロッキーの銅像があり、ガッツポーズをとって写真撮影する人が後を絶たない。もちろん我が家も(恥ずかしくて掲載不可)。


眼前に広がるフィラデルフィアの高層ビルの街並み。


ロダンの考える人(The thinker)はロダン美術館からこちら(本館)へ移動されていた。


最後にフィラデルフィア名物とされているチーズステーキの人気店(Jim`s steak)へ。チーズステーキとは、炒めた薄切り肉と玉ねぎにチーズをかけてパンに挟んだだ食べ物のことを指す。店の前に行列ができるほどの代物ではないが、話のネタにと食べておいた。こんなものを頻繁に食べていたらさそかし、ブクブクに太るだろうなあ。

総じてフィラデルフィアは非常にこじんまりとした街であり、中心部を観光するだけなら地下鉄やバスが利用できるので車は不要ともいえる。大人だけでササーッと見て歩くなら、日帰りでも十分かもしれない。もっとも我が家の場合、息子がフランクリン科学博物館をとても気に入ったので2日間でも足りないくらいだった。

10月13日(火)17/7度。息子が風邪をひいた(軽い気管支炎)ので学校を休ませた。

10月14日(水)この日は右目の浸出液(目やに)が多く、軽い結膜炎を起こしたので学校を休ませた。

10月15日(木)NY state limited licenseがようやく自宅に郵送された。5月12日にNYSEDに郵送した書類は5ヶ月を経て返事が届いたことになる。これは一般的な平均日数のようなので仕方がないが、どうしてこんなに審査に時間がかかるのかは全く持って謎である。
これを受けて、On lineにてDEA(Drug Enforcement Administration)申請書類を提出した。

10月17日(土)Long IslandまでLIRRを乗り継ぎ、The Oyster Festivalに参加した。自分はこれで3回目、家族は2回目の参加となった。この日はあいにく曇り空が広がり、7/4度という気温以上にとても寒かった。去年はレモネードをおいしく味わえたのだが、今年はあまりに寒かったので冷えた飲み物には手を出せなかった。相変わらず、生牡蠣は美味だった。また来年も(NYに居たら)来よう、と妻と話したほどだ。

http://www.theoysterfestival.org/index.htm

10月21日 DEA証書が郵送されてきた。電話では4−6週間かかると言われていたのだが、蓋を開けてみればたったの一週間で書類が届いた。うれしい誤算だが、これもまたなぜ一ヶ月かかるといわれたのかは謎のままだ。

10月24日(土)最近、インターネットの調子が非常に悪かったので困っていたのだが、とうとうモデムが故障し、ネットに接続できなくなった。Time Warner Cableから支給されたモデムは、これまで4つのランプを点灯していたのだが、急に1つだけの点滅となってしまった。カスタマーサービスに電話すると、作業員が来るのは4日後以降になるとのことだった。相変わらずのお粗末な対応だが、仕方がないと受け入れるしかなかった。

Times Squareにある映画館で、Toy Story 1,2 3Dを家族で鑑賞した。公開終了間際だったせいか、客数はわずかだった。映画は非常に楽しく、家族で大笑いした。来夏にはToy Story 3が公開されるらしい。

10月25日(日)NYRR(New York Road Runners)主催のマラソン大会に参加した。Poland Spring Marathon Kickoff、5Mile(=8 Km)であり、Central Parkを時計回りに大きく一周するルートだった。今年のJapan Run(4Mile=6.4km)の時よりも距離は長かったが、ペースがずっと良かったので、練習の成果が現れていたようだ。次は11月中旬のレースに出ようと画策している。

10月28日(水)息子のFlu shot。特に禁忌がないということで、注射ではなく経鼻注入であっという間に終了した。おまけに保険のおかげで費用は無料だった。

予約していたTime Warner CableのTechnicianがやってきた。Cableのチェックを経て、モデムを交換し10分強で作業は終了。ようやく元通りになった。
それにしても12時から16時までの4時間のあいだにいつ来るか分からない、という安直なシステムをどうにかしてほしいものだ。せめて2時間単位で区切ってほしい。

10月30日(金)要求されていた全ての書類を、院内のMedical Staff Serviceに提出した。これから正式に院内で審査が始まるという。いったい、いつになったら正式に働けるのだろうか??

早くも暗礁に乗り上げている。
NYでの3年間をトレーニング期間と呼ぶなら、これからが本番と言えるだろう。
しかし、スタート地点で足踏みをさせられている、、、。

「人生楽ありゃ、苦もあるさー」!っと乗り越えられるだろうか???
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〜9月初旬

2009-09-12 | ICU fellow
忘れないうちに重い腰を上げて、先月のまとめを行なうこととします。

7月31日(金)O-1 visaの書類が移民局に届いてから約2週間後に、なんと追加書類の提出を要求された。Research summaryを提出すべしとの御達しであった。これには本当に参った。8月8日に帰国して11日に大使館での面接をする手筈だったので、この時点で審査が間に合わないことは容易に予想できた。

8月1日(土)Pond周囲を2周走った。夕方から「牛角」にて、NY近辺の循環器系医師の懇親会に混ぜてもらった。

8月3日(月)書類の再提出を受けて、International personnelの担当者と再びミーティング。新たに、履歴書にResearch projectsを書き足して膨らませることと、別途Research summaryを作成して提出することになった。これを受けて、大慌てで書類を作成した。

8月4日(火)半ば徹夜状態で書類を作成し、International personnelの担当者へ提出。

8月7日(金)担当者による校正などを経て、書類が移民局へ再提出された。

8月8日(土)早朝の便のため、タクシーでJFK空港へ向かう(家族は先月既に帰国している)。免税店でお土産を購入し、搭乗手続きへ。機内では3人掛けの席で通路側、しかも隣は空席!とココまでは良かった。

窓際の男(日本人)がマスクをしており、かなり頻繁に咳き込んでいるではないか!しかも横から察するに結構しんどいようだ。彼はインフルエンザに罹患している可能性が高いと判断し、添乗員に空席があるかを尋ねたが、あいにく真ん中の席しか空いてないとのこと。仕方なく、マスクを要求し我慢することになった。以後成田までの13時間、食事を取る時以外ずーーーーーっとマスクの装着を余儀なくされた。

途中、添乗員と彼の入国書類に関する会話で、彼はブラジルからNY経由で搭乗していることが判明。この時点で、彼への診断はswine fluと確定した(私の心の声によれば)。

すぐそばに感染者がいるのに、そこを離れられないという現実に、つくづく運が悪いなーと思った
(幸いマスクのお陰で?罹患せずに済んだが、、、。)。

8月11日(火)この日から実家へ移動。

8月13日(木)両親と共に、何年ぶり?かの墓参り。日本に居ないと、こういうことが本当に疎かになってしまう。

8月14日(金)Mind Map受講@飯田橋。思考整理、読後メモなどのために受講。仙台から新幹線で来ている方もいて、色々と勉強になった。カラフルなペンを用いて描いていくので、大人でも楽しい。

夕食は家族と合流して、○っ○寿司へ。注文をする際の液晶画面にタッチする時点で、軽くカルチャー・ショックを受けた。しかし、これだけではなかった。今時の回転寿司はスゴイ。


なんと「新幹線が寿司を運んでいる」のだ!!

これには、息子も驚いた様子。でも、もっとキャーッと大興奮するかと思えば、「運ばれてきた寿司を取ったり、新幹線を返すボタンを押したりで、忙しいよー!」と意外な反応だった(笑)。個人的には、非常に楽しかったのだが、、、。


8月15、16日(土日)Photoreading受講@渋谷。高い受講費を支払っただけのことはある講座だった。これにより、読書への考え方が180度近く変わったように思う。巷に溢れているマニュアル本であれば、一時間ほどで全貌が把握できるようになった。
ただ英文や専門書では、まだまだ試行錯誤が必要であることは否めない。
この3日間の講座のことは、いずれ家族にも教えようと思う。

ところで、5月12日に申請したFCVSの審査が終了したとの連絡がようやくこの日に届いた(既に3ヶ月も経過している)。となると、State licenseの発行には一体何ヶ月を要するのだろうか??

8月17日(月)日本麻酔科学会@神戸に急遽、参加することになった。留学中といえども学会の参加点数を稼がなければ、指導医の更新に支障を来たすことになるからだ。本大会から、磁気カードを用いて参加登録ができるシステムが導入された。これまでは紙での運用だっただけに、少し驚いた。これまで世話になった方々を中心に、会うべき人には殆んど会うことが出来た。

夜は、以前所属した施設の方々の宴会に混ぜて頂いた。2次会はカラオケ、3次会はラーメン屋、と0時過ぎまで「断り厳禁!」の楽しい会は続いた。その施設を離れて早8年にもなるが、この人脈は本当に有難いものである。M先生だけでなく、N先生にも本当に感謝している(当ブログ読んでますよね?!)。

8月18日(火)最後にもう一人会うべき人と話をしてから、夕方の新幹線で岐路に着いた。

8月20日(木)数日前のO-1 visa認可の連絡を受けて、この日に書類(主にI-129)がUPSで実家に届いた。慌てて米国大使館(東京)での予約をした。幸いにも翌朝の予約が取れた。この後、ペイジーでの審査料金振り込みや、エクスパック封筒購入などを行なった。

8月21日(金)大使館での面接。前にも触れたが、あっさり許可された。今回はO1 visa申請だったので分厚い業績資料を持参したのだが、全く見せる必要すらなかった。

8月24日(月)O-1 visa書類作成の際に、推薦状へのサインを依頼した諸先生方へ菓子を郵送した。相手が米国在住者ばかりだったので、洋菓子よりも煎餅の方が良かったかもしれないと後になって少し後悔した(煎餅なら送料も安く済んだはず! 失敗!)。

8月25日(火)弟の手術。小手術とはいえ、無事に済んでよかった。この後の、術後経過も良好。

8月26日(水)眼科および歯科検診。両目の視力は1.2ずつで問題なし。眼圧も異常なし。歯科では、虫歯のチェックと歯石除去を依頼した。治療の必要なし。これで、無事に渡米できる。

8月27日(木)申請後6日目に、家族皆のパスポートが実家に届いた。これを受けて、I-129とO1 visaのコピーをNYSEDにEMSで郵送した。

8月28日から9月10日  帰国している間、息子に夏休み明けの日本の学校を初体験させた。自分は実家に帰省していたので、送り迎えは家内にお願いした。
短期間にも関わらず、良いクラス担任と多くの友達に恵まれたようだ。最後の日には、送別会までしてもらったとのことだった。息子は涙ひとつ見せなかったようだが、クラスの何人かは泣いてしまったらしい。貴重な経験に感謝したい。

8月30日(日)民主党の歴史的圧勝。残念ながら、私と家内には選挙権がなく、投票できず。

9月1、2日(火水)両親がかなり久々の国内旅行へ出掛けるので、実家でペットの世話をしつつ留守番をした。家内の勧めによって私がその気になり、企画・実現したこの旅行。これまで親孝行らしきことは全くしてこなかったが、今回初めて役に立つことが出来た。これに限らず、次回にも繋げていければよいと思う。

9月6日(日)成田からJFKへ出発(家族は翌週帰ってくる)。後から予約したので、3人掛けの席の中央の席だったが、両脇がカップルだったので出発前に席を替わることになり、通路側へ移動できた。
「今回はラッキー!」と心の中でつぶやいた。何しろ前回は、新型インフルエンザ感染の脅威に怯えながらの帰国だったのだから、、、。

そういえば、あの人はどうなったのだろうか?一見したところ、検査を受けずに普通に入国していたが、、、。
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御報告

2009-09-11 | instructor
数少ない読者の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

8月分のまとめをするまえに、一つ御報告があります。
色々と問題がありましたが、どうにか先月末にO-1 visaを取得しました。現在はNY state limited licenseの発行を心待ちにしているところです。それが済んだらDEAとやらの申請を行い、院内の身辺調査が済んだら晴れてjunior attendingとしてデビューすることになりそうです。一連の手続きが終了するまでは、Fellowとしての身分に変わりありません。

これまではFellowとして上司に指示を仰ぎながら仕事をしていましたが、これからは立場が逆になります。はっきり言って、私の小さな心臓(チキン・ハート;小心者)ではこの先、身が持たないかもしれません。

よって自らを鼓舞すべく、ブログのタイトルも変更してみました。
Hang in there ! 「頑張れ、しっかりしろ」というような意味で使われるようです。
ついでに色々と画面構成を替えてみました。ようやくこのgoo blogもuser friendlyになってきましたね。このブログを始めた当初(2005年)とは、大分使い勝手が違ってきています。

Hang in there.

持ちこたえる、あきらめないで頑張り通す、ふんばる、くじけない、へこたれない、ねばる、しっかりする、(その場に)踏みとどまる◆命令形(Hang in there!)で使われることが多い。◆【類】hang tough
・You hang in there. : へこたれちゃ駄目。/しっかりしろ。                (英辞朗より引用)



ところで先月、今年度の米国での病院ランキングが発表されました。Best 10くらいまでは例年通りといった感じでしょうか。しかし、今年から私の勤務先が初めて20位以内(=19位)にランクされました。NY州ではColumbia、NYUに続く3つ目の大学病院のようです。やはり病院としては慶事のようで、「よくやった。今後も、、、」というような趣旨の一斉メールが職員に届きました。

とはいっても、私の功績でも何でもないので自慢にも何にもなりません(苦笑)。


The 'Best Hospitals' for 2009

Hospitals are listed below by total points. Here are the 21 hospitals that made the magazine's honor roll (two are tied for 10th place):

1. Johns Hopkins Hospital, Baltimore
2. Mayo Clinic, Rochester, Minn.
3. Ronald Reagan UCLA Medical Center, Los Angeles
4. Cleveland Clinic
5. Massachusetts General, Boston
6. New York-Presbyterian University Hospital of Columbia and Cornell
7. University of California-San Francisco Medical Center
8. Hospital of the University of Pennsylvania, Philadelphia
9. Barnes-Jewish Hospital/Washington University, St. Louis
10. Brigham and Women's Hospital, Boston
11. Duke University Medical Center, Durham, N.C.
12. University of Washington Medical Center, Seattle
13. UPMC-University of Pittsburgh Medical Center
14. University of Michigan Hospitals and Health Centers, Ann Arbor
15. Stanford Hospital and Clinics, Stanford, Calif.
16. Vanderbilt University Medical Center, Nashville, Tenn.
17. New York University Medical Center
18. Yale-New Haven Hospital, New Haven, Conn.
19. Mount Sinai Medical Center, New York
20. Methodist Hospital, Houston
21. Ohio State University Hospital, Columbus

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