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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

上戸の長者竹端仁作(4)慶応病院神経内科 堤義明

2007年02月04日 15時03分07秒 | 堤義明
上戸の長者竹端仁作(4) 此れまで竹端仁作と私との関係について述べてきた。 竹端仁作はある日突然に私に対して、唯財産権の放棄 を迫った事を述べた。 唯具体的に誰の財産を放棄しろとは何一つ言わなかったのである。 彼は私が桜井兵五郎の子供である事は知っていたのであるが、彼が私の父桜井兵五郎の財産を預かって居る事は、一言も無かった。 私は当時は弁谷家の財産を放棄しろと私に迫ったものと理解したのである。 戸籍上の父である弁谷栄が健在であったから、何故この爺さんはシツコクこうも弁谷家の財産の放棄を迫るの理解に苦しんだのである。 特に私の父桜井兵五郎が亡くなった、昭和26年2月以降になってから、この爺さんが急に言い出したのである。 私が高校に入った頃からである。 父はその年の2月11日に亡くなっている。 私は度々竹端家に呼ばれ行ったのであるが、その時必ず玄館脇に黒塗りの車が止まっていた。 車の中に空っぽで、竹端家に来客かと思ったが家の中には来客の気配は感じられなかった。 モットも奥座敷の襖は閉じられたママであったので、そこに誰か居たとしても判らなかったであろう。 私が竹端家に度々訪れたがその度に、黒塗りの外車を竹端家の玄館先で発見したものであったが、竹端仁作と話している間に人の気配は感じなかった。 爺さんはシツコク財産の放棄と迫ったのであるが、私は唯黙っていたものである。 爺さん曰く裁判所で私は財産を放棄しますと陳述すだけでよいのだ、簡単な事だと盛んに私に言うのである。 黒塗りの外車が必ず竹端家の玄関においてあったので 誰か来客があったことは事実である。 私は何も返事をしないものだから、爺さんは戸籍上の両親を呼んでその対策を決めたのである。 私を性的の篭絡し、弁谷栄の得意な催眠術で私が寝ている最中に暗示をかけ、私の思考を支配し、操り人形としたのである。
この竹端家の前にあった外車は、言うまでもなく堤康次郎の車である。
父か桜井兵五郎の財産を私するために、堤康次郎が竹端家に訪れていたのである。
ここで三者つまり堤を中心にして竹端、弁谷家の合意がなされたのである。
堤義明が株式名義偽装事件で、一時雲隠れしたが彼は慶応病院に入院の形で身をしていたのである。
丁度その頃私は慶応病院の神経内科に通っており、上記の三者合意の上、私を鼻の手術を介しての脳を破壊したのであるが、私のMRIは隠されたことを以前の話した。
その後ろ盾が堤である。
慶応病院は堤の意向を受けて私のMRIを隠したのである。
その発端が昭和26年の春のこの三者の合意から発している。
堤義明が慶応に身を隠していた頃、私は慶応病院で神経内科に診察を受けていたのである。
丁度この頃弁谷貞造も慶応病院に入院しており、神経内科の辺りを入院服でいるのを見つけたが、彼は私の目を見ようとししなかったのである。
慶応病院は何故堤の言ううなりになるかは、金のなる木だからであろう。
私の父の資産を横領した金のなる木である。



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