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仏教:輪廻転生を信じる意義は何か。

2013年04月09日 | 仏教
何回か、輪廻転生について考察をしてきました。ところで、輪廻転生を信じる意義とは何なのでしょうか。この知識や認識があるとどのような利益があるのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

輪廻転生とは、変化する世界である六界に繰り返し繰り返し生まれ変わり、色々な生命になっていくということです。そして、六界を行き来する生命は、必ず執着を持っており、身口意において悪行をし続けているために、縁起の法則により、多くの苦しみを繰り返し繰り返し受けるという特徴があります。輪廻イコール苦しみと言って間違いないのです。

さて、信じる意義ですが、
①輪廻転生から逃れようとするようになることから、苦しみから脱出が方向づく。⇒輪廻転生とは、苦しみと同義であり、今の状態では輪廻から脱出することはできないことから、苦しむと言うことが決定的となっています。そのような必ず来るであろう苦しみを回避したいと思うので、苦しみからの脱出、つまり輪廻転生からの脱出のための努力をすることになります。輪廻転生から脱出することは非常に困難を伴いますが、徐々にではありますが、脱出することができるようになります。何回生まれ変わるかは分かりませんが。少なくとも、輪廻転生からの脱出に方向はつけることができます。そして、いつかは忌まわしい六界からの脱出をなすことができるのです。もう、この世には戻ることはない状態になることができるのです。それは、人間がイメージすることなどできない状態です。しかし、想像するに、静かでものごとが流転せず、絶対的な安心と幸福を永遠に受けることのできる世界でしょう。イスラム教などでは、多くの処女に囲まれて、食事なども十分にあり、というような表現になりますが、そのような欲という状態が全くない状態の世界、もう驚くほどの精神的に高度な世界でしょう。仏陀自身も、大いなる楽という表現をされています。まあ、欲多き人間は、その状態になると言うことは至難の技ということなのですが。でも、あきらめず、めげず執着心をなくし、生命を沢山救うというようなことをしていく中で、徐々にそのような高等な世界に生まれ出ることができるように努力していってください。仏陀ご自身においても、とてつもない昔から、何度も何度も生まれ変わり、その都度、多くの貴重な善行をし続けてきたために、今のとてつもない素晴らしい人格と輪廻転生からの脱出というとてもまれに見る状態になったのです。キリスト教では、人間は神には絶対になれませんが、仏教では人間は仏陀になることができるのです。人格が完成され、善行が無量ある方、この上なく幸せな存在、それが仏陀です。そして、今でも全ての生命に対し、深い深い憐れみを向けておられる存在です。まあ、皆さんは直ぐにこの状態になることはできないでしょうが、少しずつこのような状態を追っていくことで、いつかは輪廻転生、苦しみから逃れることができるようになります。是非、苦しみから逃れてください。

②自分の置かれている状態を理解することができる。⇒自分が今、苦しい状態に置かれており、運命を呪いたいというような気持ちになり、沈うつな気持ちになっている場合、自分は前世において、ひどいことをしてきたために、その報いとして今のような状態になっていると言うことで、少なくとも理解することができます。既にしてしまった前世の過ちは簡単には消し去ることはできないと思いますが、それに囚われず、今現在から良きことをし続けていくことで、来世以降に良い報いを受け、喜びにあふれるということになりえます。つまり、輪廻転生を理解することで、今の苦しみを理解し多少の苦しみの軽減と、来世における良い報いの種まきを今現在から行うことができるということができます。

どうでしょうか。輪廻転生を信じる人は、以上のような利益があると思います。輪廻転生を信じる人は沢山いると思いますが、それをただの知識として、持っているというだけに過ぎない人が多いと思います。この知識は、その信は、有用な方向に持っていくべきです。ところで、仏教の教えに触れることのできる機会は、とてもとても少ないと言われます。天上界という神々のいらっしゃる世界においても、仏教の教えに触れるという機会は、とても少ないと言われるのです。せっかく、この世に生まれ、仏教または私のブログに出会ったからには、仏教の求めるところを真に受け止め、自分の糧にしてもらいたいです。また、仏教と言っても真実とそうではないものがありますので、真実の仏教とはどのようなものなのかと言うことも継続して見極めるということも大事でしょう。私は、仏教における学者ではなく、民間の研究者です。しかし、仏教の求めるところ、仏教の教学の根本を理解するならば、私が仏教においてお伝えしていることは、間違いなく真実であると自信を持っています。もう、何度でも言いますが、身口意を清浄にし、ひたすら生命の為になることをし続けてください。たとえ、誰からも褒められたり、誰も気づいてくれなくとも、愚直にし続けてください。そして、そのようなことを思わなくても普通に善行ができるような高等な精神を備えるようにしてください。
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