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研究アイディア集録

経営現象の捉え直し2 -研究者による現象(意味づけ体系)認識-

2011-09-21 | 研究思考
(上図は経営現象の捉え直し①において示したものの修正版)

注:本稿の前段階で,スポーツ経営現象の<意味づけ体系>の全貌を説明すべきところだが,とりあえず,認識論的多元主義を保証する新しい原理であることを説明しておく.



 研究者が実践界の<意味づけ体系>を理解するためには,研究者としての自己性と実践者(生活者や経営主体)の他者性との間の深い溝をどのように乗り越えるかを考えなくてはならない.この問題について,フッサールに依拠して検討する.


 認識主体としての研究者の自己(現象を眼前に思惟する「私」)は,他者(生活者や経営主体)の身体を自己の身体と<対比>し,<自己移入>することによって他者を構成する.
 
 その結果,研究者は生活者や経営主体とともにスポーツ経営の実践界において<共現前化>しているという認識に到達する.

 つまり,スポーツ経営現象を認識することとは,研究者が生活者・経営主体との間で間身体的・間主観的な<意味づけ体系>を構成することに他ならないのである.


 仮説演繹-実証型アプローチに基づいた数量的分析においても,統計学的結果が意味するところを調査対象者に<自己移入>して<共現前化>することによって間身体的・間主観的に構成して考察を進めていくことになる.
 また,帰納-仮説発見型アプローチに基づいた調査対象者のヒストリーや発話などの分析においては,ヒストリーや発話の文脈に<自己移入>し,<共現前化>し,文脈を再構成して<意味づけ体系>を解釈していくことになる.
 
 ここでいう,研究者が生活者や経営主体に<共現前化>して解釈する,とは,研究者である「私」が,あたかも生活者や経営主体としてそこにいるかのようにデータと向き合うということである.
 この姿勢に立つ限り,どのような認識論的立場に立ち,どのような研究アプローチを採用しようとも,研究者が見出すのは,<意味づけ体系>というスポーツ経営現象を構成する構造である.ここに,認識論的多元主義の可能性が見出せるだろう.



 多元主義は相対主義とは異なる.
 相対主義は「何でもあり」である.しかし,多元主義とは,各研究アプローチによる<意味づけ体系>の解明は,認識論的立場に照らして最適な方法によって行われれば良く,認識論を異にする立場から導き出された<意味づけ体系>に対して認識論の違いを根拠に否定することはしない,という考え方である.

 ここに,「スポーツ経営学研究者は同じものをみている」という多元主義の根幹が必要になるのであり,それが提起したい<意味づけ体系>である.

 スポーツ経営現象の<意味づけ体系>をスポーツ経営学が解明すべき構造だとすれば,仮説演繹-実証型アプローチによって<意味づけ体系A>が見出され,帰納-仮説発見型アプローチによって<意味づけ体系B>が見出されたとき,その両者を比較し,関連付け,<意味づけ体系C>を再構成することができよう.
 そういう意味で,スポーツ経営現象を<意味づけ体系>と捉える考え方は,スポーツ経営学における認識論的多元主義を理論的に保証する<超認識論>とでもいうべき認識論に対するメタ性を備えていると言えるだろう.


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