そわかんぼちゃん日記

佛の子・そわかんぼの成長記録と佛道修行にいそしむ父(慈龍)・悪妻道邁進中の母(麦の花)の日々の覚え書きです。

お引っ越し

2008年01月21日 | 思いつくままに
別サイトにてブログ再開します。
てんぷる・らいふ
これからもよろしくお願いします


ありがとうございました

2007年09月18日 | 思いつくままに
本日を以て、このブログを終了することにしました。
寺と子供という二つの縛りの中で、生活を楽しんでいこうと気持ちを盛り上げるために始めたブログですが、生来、外へ関心が向かう性分です。
家政が苦手なことも相俟って、寺の仕事・子育て・主婦として果たすべき役割・自分の趣味がまぜこぜになり、どうにもこうにも行かなくなりました。
ここで一度、自分の生活をきちんと立て直し、自分がどう生きていきたいのか再度問うていこうと思います。
このまま、こんな生活が続いていくのにはもう耐えられない。あ~、オットとうまくいかないとかリコンとかいう話ではありませんのでご心配なく。
人生、あっという間です。大学を卒業したときは、30歳なんて遙か先のことのように思えたけれど、もうすぐ私、40に手が届きます。60、70と年を重ねていって、体や頭が思うように回らなくなるのは、そう遠い話ではありません。今の暮らしは、このままでもやっていけないことはないけれど、あまりにもスローペース過ぎて、私には却ってしんどい。
もっとリズミカルに暮らしていけるよう、仕事がし易いよう、環境を整えていく方に、暫くの間エネルギーを注いでいこうと思います。
部屋と事務と自分の気持ちに整理がついたら、またブログを始めるかもしれません。でも他の方のブログにコメントはさせていただきますね。あっ、オフ会のお誘いもOKですよ♪
日々のあれこれを書き連ねただけの拙い文章でございましたが、読んでくださってありがとうございました。
それでは、どうかお元気で。

麦の花

よーい、ぴょん!

2007年09月13日 | 成長
運動会シーズンが近付いてます。
そわかんぼが通う保育園でもまもなく運動会。一時保育でたまに行くそわかんぼも、練習に励んでいるようです。
で、本日先生から伺ったお話をばひとつ

「そわかくん、かけっこのときはこのスタートラインを踏むといけないからね。踏まないで、よーいどん!だよ。」
先生の教えにこっくりうなずいたそわかんぼ。走る順番が回ってきました。
スタートラインの前に立って、お友達と一緒に構えます。
「よーい」
ぴょん!
なんとそわかんぼったら、スタートラインを飛び越えて走り出したのでありました。
た、確かに「踏むといけない」からね

命の声を聴く自己尊重トレーニング“SEPA”

2007年09月09日 | SEPA
ただいま自己尊重プラクティス協会の中級リーダー(インストラクター)資格を取るべく、頑張っています。
先日、べにこさんのブログで、ワークの様子をご紹介いただきました。べにこさん、ありがと♪
さて、このSEPAとはなんじゃらほいと思われる方も多かろうと思いますので、ご説明申し上げますと手塚千砂子先生が考案された「自分の命(からだと心)を味わい、命の声を聴き、その心地よい感覚や自分が本来持っている良さ、深く豊かな意識になどに気づいていくためのトレーニング」(初級リーダー用テキストより抜粋)です。
ワークの基本的な内容は
1 からだと心の声を聴くトレーニング
2 自分の良さを探し、褒めるトレーニング
3 周りの人の良さに目を向け、それを表現するトレーニング
  併せて、自分も人から褒められそれを素直に受け止めるトレーニング
の3点です。
1を「フィーリングトレーニング」2,3を「ラブライフトレーニング」と呼びます。かかる時間は1時間半~2時間くらいでしょうか。このプログラムを繰り返し体験すること、日常生活で「褒め日記」をつけることによって自己尊重感を高め、自分に優しくできるようになり、ひいては他者への尊重感・思いやりの心も養われる、という簡単でありながら、身も心もほんわりリラックスさせてくれるワークなのでございます。
NPO法人として運営しておりますので、特定の政治団体・経済活動・宗教とは関係ありません。お寺の奥さんの私がいうのだから間違いありません(笑)

実は私、“SEPA”に対して初めは偏見がありました。
まず「ワークショップ」なるものが胡散臭く感じられたこと、そしてヒネクレモノの私が嫌いな「自分を愛する」「自分探し」的な要素を勝手に読みとっていたことが理由です。(“SEPA”のホームページをじっくり読んでみると、手塚先生自身はその手の言葉は使っておられません。)
でも、「いいお産の日」のご縁で一度“SEPA”を体験してから、考えが変わりました。
これはイイ!
なにが良いかって、・・・う~ん(^^;) 実は、私の言葉でうまく説明できない・・・理屈を越えた気持ちよさがあるのです。別に、インストラクターが魔法を使えるとか超能力があるというわけじゃないんです。私でもリードできるわけですから。
いうなれば、自分の体と心のリズムに合わせた時間の中に身を委ねることで、自分の中の「いのち」を実感でき、生きていることへの感動が湧き上がる、と申しましょうか・・・ああ~、私が書くと理屈っぽくなっちゃうな~ “SEPA”の心地よさに関しては、べにこさんのブログで素敵に書いてくださってますので、詳しくはそちらをご覧下さい(そう逃げるか、ヲイ)。
そして今まで僧侶として悩んでいた「命の尊さ」を言葉で伝える難しさ・・・勿論、言葉で伝えていくことも大事なんだけれど、自分自身がそれを感じること、自分の体験に裏付けられた言葉は直接に「命の尊さ」を語らずとも、それを伝られるものになるはずだと。ついでにお寺に来る子供たちやご門徒さん達にもこの感覚を味わってもらえればいいなあ・・・と、そんな思いが湧いてきたところに、タイミング良く初級リーダー・中級リーダーの講座を受けることが出来、今に至っています。

初めてこのワークを受けたあと、インストラクターの二之宮さんに「自分を褒めると言うことは“いい気になる”ことにつながりませんか?」と生意気な質問をしました。人間は自分が一番可愛いものだし、それを意識して特化させると却って精神に歪みを生じさせることになるのではなかろうかと考えていたのです。
二之宮さんは「いい気になっても良いと思いますよ」と明るく返してくださいました。
今は、自分を褒めることが「いい気になる」ことばかりだとは思いません。
むしろ、本気で自分を褒めようと思ったら自分を見つめる冷静な目と客観性が必要で、繰り返し自分を褒めることでそれらが養われていくのだと、実感しています。今は、インストラクターとして自分の成長を促すべく「褒め日記」を折々に書いています。
褒め日記をつけるということは、自分の中に私設応援団を育てるようなものかもしれません。
それでも、私は未だに「自分を愛する」という言葉に抵抗があるので、私がリーダーとしてワークを行うときは「疲れた自分を慈しむ」「頑張っている自分の体をねぎらう」などの言葉を使っています。
愛は・・・語るもんじゃなくて感じるものだよな~、行動だよな~、と思っているので。
わはは、まだまだ偏見いっぱいです
いつか、そういう言葉尻に捕らわれることのない大らかな自分になれたらいいな、と思います。そういうのにこだわる自分も好きですが

このブログを読んで“SEPA”に興味を持たれた方、ぜひ一度体験してみてください
イベントなどは、またブログでお知らせします。

小さい秋見つけた

2007年09月08日 | 思いつくままに
まだまだ日中は暑いものの、秋は確実にやってくると感じさせてくれた、一本の曼珠沙華。

8月も終わりになって急にあれこれすることになり、慌ただしくしておりました。
ちょっとしたことで、これからの社会の先行きを考えて不安になって落ち込んだり・・・でも、どんな時代であっても私たちのご先祖は生き抜いてきたわけで。
誰の言葉だったかは忘れましたが「はっきり言おう、時代はいつも“最悪”だった」というのがあります。
私は自分個人のことではそんなに落ち込まないけれど、自分一人では太刀打ちできない社会の流れや変化を目の当たりにすると、急に気分が暗く・・・いや、暗澹たる絶望感に捕らわれることしばしばです。まあ、それが3,4日続くとさすがにそんなうだうだを抱えている状況が鬱陶しくなってきて、そこでふっと先ほどの言葉を思い出して立ち直ったりするわけです。立ち直りのスピードがもう少し早くなるといいなと思うのですが、今の段階ではそのうだうだも必要な過程なのでしょう。
体は大人になったけど、私の心、まだまだ成長中です。