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ええええー、もう参加された皆さんがブログアップしてるので心苦しいのですが、
音病む画像がちょっぴりしかなかったので、あっちこっちから掻き集めてアップしますです。。。
去る8月13日、仙台市立岡田小学校にて行なわれた夏祭りにチェンソーアートで参加させていただきました。
津波の被害をひどく受けた蒲生地区の皆さんや、ボランティアスタッフさん、そしてこのイベントの準備後片付けに汗水流してくださった皆様、本当にお疲れ様でした。
そして、今回このような機会に私達を仲間として受け入れてくださった事に深く感謝しております。
そして、遠く関東関西から駆けつけてくださったカーバーの皆さん、身内のご不幸がありながらもお忙しいところ駆けつけてくださったカーバーさん、本当にありがとうございました。
この活動を微力ながらもさせていただいている私ですが、
本当に元気を貰っているのは私本人なのかもしれません。
実は私、震災前から鬱に悩まされていました。
詳しいことはちょっとネットでは書き辛いことなのですが、ひどい時は体調が崩れることもありました。
でも、まさか自分が鬱に悩むようになるとは思ってもみませんでした。
そして、まさか自分があんなことまで考えてしまうようになるとは思ってもみませんでした。
しかし、こうして今でも元気でいられるのには理由があります。
やはり、心の拠り所に家族とチェンソーカービングがあるからです。
チェンソーカービングと言っても、それは単純に丸太とチェンソーと戯れる時間があれば良いというわけではありません。
やはり、この仲間が居て、なにもかも忘れられる一時があるからです。
3月11日のあの大震災が私だけでなく、数多くの東日本の皆さんの運命を変えてしまいました。
悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、沢山ありました。
それはとても大きなものでした。
でも、そればかりではありませんでした。
今まで無かったもの。気がつかなかったもの。
沢山生まれたし、発見もできたし、そして確認できました。
それは仲間の絆です。そして人々の暖かい気持ちです。
日本人というのは誇り高き民族から、いつの間にか欧米化の波にのまれ、
物質的な豊かさに翻弄され、バブルだの勝ち組負け組みだの、受験戦争だのに翻弄され続け、
残酷な事件やなんかが日常化して、なんか見失うものが多すぎたと思います。
しかし、あの地震がきて、物が一気に無くなり、お金なんか遣うところも失い、
蛇口をひねっても一向に水は出ず、スイッチを押しても灯りも無く、
米は段々底をついてきて、、、でも、中には家さえも家族さえも失くした人さえ居たんですよね。
そんな時、頼れるのはお金でもない、役所でもない、紛れも無い「人」でした。「仲間」でした。
そして、この気持ちは津波被災地の方々が一番痛感していることでもあると思います。
私がよく耳にすることは、、、
同じ宮城、仙台に暮らしていても、津波に遭った地域と遭わなかった地域との差があり過ぎて、
遭わなかった地域がもうすでに普段どおり仕事をし、暮らしていることに愕然とし、
そして取り残された気持ちになってしまうという話を聞きます。
正直、ここ宮城でも、もうあの地震のことなんて過去のことだったかのようにしか感じていない人も居ることは確かです。
むしろ、そんな方の方が多いのかもしれません。。。
しかし、私はそんな方の何気ない振る舞いが津波被災した地域の方の心を傷つけてしまっているところがあると思っています。
もちろん、本人にその自覚もなければ、悪気もありません。ですから当然、責められるべきことではありません。
しかし、現実には傷ついている人が居るという事実はあると思います。
私はその狭間であれからを毎日過ごしているような気がします。
言いたいことも言えずに過ごしているような気がします。
私の鬱もきっと今後も続くと思います。
でも、私は大丈夫です。仲間と絆とチェンソーカービング、そして家族があるから。
そして、新たに津波被災地域の方々との絆も今後大事にしていこうと思っています。
これは私自信の為でもあります。
初めてボランティアらしきことに頭を突っ込んでみた私ですが、
感じたことを一言書かせてもらいます。
真のボランティアとはやってあげる側とやってもらう側との間にある活動ではないという事。
一緒になって成し遂げていって、絆を深めるという事だと感じました。
それからいくと私はまだまだ参加させてもらっている程度だと思っています。
ですからとてもとてもボランティアと呼ぶほどのことはできていません。
しかし、被災地域の仲間から絆というものを受け取った気がします。
今はとても有り難い気持ちで一杯です。
ありがとう「絆」
ありがとう「仲間」
なんだかタイトルとは違う記事になってしまいました。
ごめんなさい。