ドラフトでの評価は低かったが、レイカーズではルーキーイヤーからローテーション入りを果たし、2年目には19.9得点4.4アシストまで成績を伸ばした。この年にはオールスターにも初選出され、NBAファイナルの舞台も経験している。
1968-69シーズンにはウィルト-チェンバレン獲得のためのトレードに組み込まれ、フィラデルフィア-76ers モンスターディディビーツエックス ACE 15+ プライム移籍。移籍3年目となる1970-71シーズンに選手キャリアの全盛期を迎え、21.3得点5.4アシストを記録し、オールNBA2ndチームに初選出される。さらに翌1971-72シーズンには29.0得点7.0アシストと個人としては目覚しい活躍を見せるが、チェンバレン放出後成績が下降線の一途を辿る76ersは、チーム改革を進めるために好調のクラークをシーズン中にボルティモア-ブレッツにトレードに出した。このシーズンのクラークはキャリアハイとなる25.2得点8.0アシストだった。
その後のクラークはさらにシアトル-スーパーソニックス、デトロイト-ピストンズを渡り歩き、1976年に現役から引退した。NBA通算成績は10シーズン725試合の出場で、11,819得点3,498アシスト、16.3得点4.8アシストだった。