雪降る街に黄昏時の灯りが***

汚い嘘で壊されたものは二度と返らない。
広い世界にいるからこそ別のものを創れたが
憤りを忘れる必要はない。

41年度卒生他関係者へ36 顎上げ30度

2017-02-05 | 日記
2017/02
随分前、同窓会にまだ出席していた頃だが、失礼な男子がいて、
高校時代、私がガチャのあとにくっついてばかりいたくせに、
と馬鹿にされたことがあった。

身長の大小の差でそういう関係に見えたのだろうと反論したが、
何か私を貶めるキャラクター話を
ガチャからあれこれと言い聞かされての事かも、
とその時の男子の失敬なものの言い方を思い出しながら考えた。
もちろん同志社創設の理念を拒絶族、でもあっただろう。

ガチャとは同じクラスであった間は
成り行きで一緒に居ることになることが多かったが、
だからと言って「仲良し」だったり、
話が合うなどという関係であった筈も無い事を、
その男子は全くわかっていなかった。

あるいはガチャの常套手段である方法、
私がその男子をけなしたという嘘を
言い聞かせていたのか?

その人柄ゆえに友達ができなかったガチャの、
悪質な誹謗中傷でっち上げに破壊された人間関係を思うと、
憤り以外は残らない。

もちろんそんなものに簡単に乗せられた輩は、
無責任な他人としか位置づけられない。

家庭の経済事情での幼稚園時と同様に、
いじめられる都合のいい相手ができたと思っていたことを、
(もちろんガチャは他の子にも語っていたし、
その子たちも私と同じ良識のある子達だった。
ガチャはあとで情けない顔をして
「なんで(被害者に)言うたん」と文句を言いに来た。)

私たちがイケズ環境など相手にしない結果になったあたりから
このガチャという、尋常な道徳観を知らない子は、
元からの、人を貶めて言いふらす性癖を多用しながら、
私に対する歪んだ逆恨みの攻撃も重ねて行ったのだろう。

その後の何十年、有毒な精神のガチャがやり続けた事は、
他人の人生、ひいてはその他人のまわりの人生にまで、
その下品な手を出したものであった。
佳き人間関係を妬み、悪魔の囁きをふりかけ破壊した。

(ちなみに「下品」は
道徳的基準から見た性質・人格が卑劣である意味で使っている。)

自分が言いたい悪口を他人が言った形で囁いていても、
良心の呵責や罪の意識とは、
余人には理解しがたいほど無縁の人物だった。

みんな齢を重ね・・
でも青春時代や青年期、壮年期、
いろんな想い出があった通常の者にとって、
壊された大事なもの、或いは可能性を、
デロリアンに乗って元あったように作り直しに行くことも
できないのだ。