KENWOOD CUP 1990 断食の思い出
昔の写真が出てきました、1990年のケンウッドカップの時「NINJA」(ダビッドソン44)の艇上で撮ったものです。 一番前がリゲインです。外人は全員フレーザーセールの人間です。
リゲインの隣のサングラスにヒゲをはやしているがボブ・フレーザー(ヘルムス)フレーザセールの社長です。今はドイルフレイザーですが。。
後ろのでかいのがトビー・リチャードソン(メイン)
隣がケビン・バテン(バウマン)
座ってるのがカール・クラウフォード(タクティシャン)
この時はIORだったので艇ごとに重量が決まっていて皆減量に苦しみました。 皆ノルマを与えられて計算されていたのですが外人連中が全然体重を落とせていなかったのですでに9kg減量していたにも関わらずリゲインと他の日本人クルーはハワイに着いてから計量が始まるまでの3日間絶食状態、許されたのはミルクと野菜だけ。 その状態で炎天下のホノルル沖で練習をしていたのでクラクラでした。計量の日は朝からサウナに入り、プールで泳いでまたサウナに入るといったことを繰り返し、宿泊していたコンドミニアムから計測場所のハワイヨットクラブまで這うようにして行ったのを覚えています。 計測が終ったら今度は重量を増やすために食え食えと食わされるのですが胃袋が小さくなってしまっていて食べられなかった。。 外洋グランプリレーザーは健康に悪い。。。。
レース終了後は停泊しているワイキキヨットクラブでブラディマリーを飲むのが日課。2ドル50セントだったので一日に5杯は飲みました。レース中は食事制限はないのでチャートハウスで死ぬほど食べて、宿泊していたイリカイホテルで爆睡です。
写真を整理していたら色々出てきたので無くさないうちに記録しておきましょう
コックピットはこんな感じです、44フィートのわりにプライマリウィンチが小さいのが特徴です。典型的なIORのデッキレイアウトです。一度クルーワークをマスタすればどのレーサーにも乗れます。リゲインがビッグアップルでピットができるのはこの「ニンジャ」で鍛えられていたから。。
僕の仕事場はここ↓ピットです。このポジションを通称ピアノといいます。
外人が来て「よう、今日は誰がピアノ弾くんだい?」といったらここのことです。
レース艇のそばに言ったら「いいピアノだね」などとさらりと言うと尊敬の眼差しで見られるので覚えておきましょう。
マストはサザンスパー製、4スプレッダー+ジャンパーステーです。この高いマストを毎回マストステップの油圧ジャッキで上げてテンションを入れるのです。このジャッキが壊れるとエライことになります。
艇内はこんなです、どこの船もこんなですがこの艇は中を極端に軽くしたのでケンウッドの時に艇のバランスが悪いということであわててインゴットを艇内のキール横に積層して重量を増やした記憶があります。
この手の判断はAUSのフレーザのデザイナが来日してこと細かくチェックして指示を出してどんどん艇を改造して半年以上の整備期間を経てハワイに向けて船積みされたのです。我々よりもかなり前にハワイに艇が船で向かいましたが福岡の連中はハワイまで回航しました。ソビエトチームは回航でハワイに来たのですが全レースが終わったころに入港してきました。
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