SlowFarming

Slow系でゆっくりと畑仕事。週末農業で永田農法実践中。

be Taro!2

2006-09-07 23:34:02 | Weblog
8月の末に遅い夏休みを取って、あるところ主催のバスツアー
に参加した。
ツアーの内容は靴の博物館とタンナー巡りという、また非常に
マニアックな内容で、初日、徳山にある靴の博物館を見学に行った。
実際のところ、このような地方に何があるのかと、半分は疑って、
半分は期待して行ったのだけれど、思いがけず嬉しい発見をする事に。

さてこの博物館は、この地方が下駄の産地であった事に由来する。
明治の頃、下駄を量産する機械化を進めて一大産地になった。
その後、勿論産業的には廃れてしまったのだけれど、この下駄生産地の
中心的役割だった松永下駄産業が、創立100年を記念して作ったもの。
下駄から始まり、わらじ、草履、足袋、と来て近代西洋靴に至る展示が
されている。日本だけではなく、世界各国からも伝統的な、歴史的な
靴を集めて展示している。

この博物館の中庭に、足の形をした造作物が。
それは、岡本太郎の地上造形だった。
でこぼこと、まるでデイダラボッチが歩いた後のように、
足形にへこんだところにモザイクが施されている。
2つある足形の奥の方の中足骨辺りに2つの突起があり、(本人によると
女性の乳房を表したものらしい)そこから噴水が出て、水をたたえている。
こんなところでtaroに出会えるとは思いもせず、とっても嬉しかった。
その日、徳山に来るのに、京都を出て名神を走り、太陽の塔を右手に
見つつやって来たので、なんだか感慨もひとしお。

夜は尾道に泊り、少しだけ散策。向島の造船所のクレーンのライトアップが
きれいだった。


be Taro!

2006-09-02 21:41:23 | Weblog
8月末まで、汐留で公開されていた岡本太郎作「明日の神話」の壁画を、
見に行った。時間をやりくりしてなんとか最後に間に合った。
最後の最後で、観覧者もごった返していたのだけれど、それはそれでまた。
最後は田島貴男氏が自ら作った明日の神話をライブで歌い、幕が閉じた。
一般公開される場所も何も、決まっていないという事だったけれど、
昨日の話だと、大阪府が誘致立候補したらしい。

先週の土曜には仕事で大阪にいて、遠くから太陽の塔を見ていた。
「太陽の塔」が生の象徴であり、「明日の神話」は死の象徴とされる。
岡本太郎はこの二つを同時期に作成し、二つは対になっていた。

現代では死は身近とは言えない。
どちらかと言えば、特別な施設、寺院や病院に限って目にするものであり、
言葉で知っていても傍らにあって体感するものではない。
それは現代の都市が、脳が人工的に考えた空間であり、
其処は合理的に理性をセーブされた空間である(唯脳論)から、
現代は能面のようなペルソナを皆が纏い、死は不自然なものと
されている。
しかし、実際にはこの死こそを意識して生を横臥するという考えが
近代の宗教が出来る前よりずっとずっと古くから、人が持っていた
根本的なものだった。(カイエソバージュ)
岡本太郎のこの二つの作品は、生を死を、同等の距離で意識し、
より生命力を意識した人生を生み出す。
人工的な空間である都市に生きていても、人は自然であり、
便利な生活を横臥しつつも、どこかに矛盾を抱えている。

タローは、そんな道を突き進む時代の人へ向けてこの二つの作品を
生み出した。
原爆をモチーフにした「明日の神話」は、それを越えて強く生き続ける
人類を、これからも見つめていくことになる。



亜熱帯

2006-08-25 12:05:49 | Weblog
今日は朝から通り雨。
遠く西の方には黒い雲がたれ込め、所々に
明るい筋が横に走る。
こちらはというと雨が降っているのに明るい。
東の空には晴れ間も見える。
そんな通り雨はサァーッと辺りを濡らして過ぎていった。

自転車で隅田川にさしかかり、ヘッドフォンからの曲は
willie Kのmolocai womanになった。
晴れ間が覗いて低い高度の太陽が差し、
そこら中のあまつゆを光らせている。
遠く西は黒い雲。
そんな景色に見覚えがあり、音楽につられてか、
マウイの空を思い出した。
マウイ島にいると、明け方サーッと雨が通ったあと、
晴れた巷の緑がきらきらと輝いているような事は日常だった。

東の空が暗く雲が立ちこめて、西風が強く吹く。
そこから望む低い空は、遠く海の上だった。
島から遠くの空を眺めれば、それは全て海の上。
雨雲がやって来ても、すぐに島を過ぎ去っていく。
後には新鮮な空気と光る大地が残る。

東京も最近は亜熱帯になったような。
そんな気がする朝だった。
(写真はイタリアの虹です。)