わたしの年齢がいまよりずっと少なくて
こころとからだがぴんと張っていたときのこと
どこにも所属しない場所と年齢をもって
わたしはかろやかに生きるのだ、と
そうねがった
専業主婦という身分の ながい時を経て
目減りしてきた自分のすくない残りの時間をかぞえながら
中也のようにつぶやく
“おまえは いったい なにをしてきたのか” と
結婚した相手の家で嫁というジャンルにも入れず
「おばかだったわねぇ・・」って
いま わたしはわたしを嗤っている
― 母の日記 “ 私たちの日々 ”より ―
平和だった家に、穏やかだった家に、暖かだった家に禍がまぎれこむ。
我が家の禍は良識のある人たちが運んできたものだ。
自分たちのやっていることに何のためらいも疑いも持たず、
澄ました顔をして、まるでトゲアリのように人の生活の中に入り込み、人の生活を、平和を、壊していく。
私たち家族の<人間関係災害>のきっかけは、2001年5月9日、竹子伯母の1本の電話から始まった。