病室で寝ている祖母・松子さんを横目で見ながら竹子伯母が言う。
「おかあちゃんが私に見せる顔とあなたたちに見せはる顔と、多分ちごた(違った)んやと思う。
戦後の大変な時を苦労して生きて来はったさかい、海千山千なんね。私らみたいに単純ではない・・・」
なんと病院でさえ、こんな話だ。
しかし考えてみれば、長い間、私達の家の処遇を巡って松子さんと竹子伯母は頭を悩まし続けてきたのだ。
私達同様、松子さんもそして竹子伯母もまた、中身こそ違え ストレスに晒されていたのかもしれない。
松子さんの手が上がらない、ストレスだから。
松子さんの膝に水がたまっている、ストレスだから。
松子さんの身体に湿疹ができた、ストレスだから。
松子さんが転倒した、ストレスだから。
今度の硬膜下血腫、ストレスにちがいない!
これまで松子さんに起こった身体的なすべてのことが、我が家ゆえのストレス、とされてきたのではないか。
当たらずとも遠からず。
竹子伯母が一日診察を遅らしてでも、倖雄おじと二人で病院に行きたかったのは(参照記事:祖母・松子さんの異変(2))、
両親がそこに居ては聞けない様々なこと、つまり今回の病状とストレスとの因果関係を医師から詳しく
聞きたかったからなのではないかとあとから察した。
後にこれまでのことについて、竹子伯母が両親へ謝りの手紙を書いてよこした。
そこにはこう記されてあった。
“K大、心療内科での質問に対しては、もう少し ほかの言い方をするべきであったと思います”
これまでもそうだった。まったく、竹子伯母はいつもこの調子だ。
母が何もやらないとは言わない。しかし、親しくしている従姉たちとの会話の中で自分がどれだけ白鷺家にかかわり、
どれだけ松子さんをサポートしているかを竹子伯母特有の表現で話していたかは想像に難くない。
親戚の食事会の席などで松子さんより2歳年上の大伯母は、いかにも気の毒そうにこんなことを言う。
「松子はん、一人でご飯食べてさみしないか。わたしやったらかなんわ。おいしいことあらへんやろ」
松子さんは元々一人の気楽さを好んだ。彼女の言う<理想的同居>とは、お互い干渉しない、そういうことだった。
だから私たちとの同居の形は松子さんにとってまさに理想だったはずだ。
しかし古い既成の家族観を持つ親戚での認識は違った。
竹子伯母のふいと口を突いて出てくる言葉は止まるところがない。
ずっと後のことであるがこんなこともあった。
「私がね、おかあちゃんのところに来ていたのはユキさんがあまりにも冷たいからよ・・・」
母は激高した
「わたしが冷たいって、それっていつのことですか!!!」
「いやあー、いつって・・・、今じゃないのよ、もうずっとまえ、・・・」
そしてあとから竹子伯母は謝りの手紙を母に書いて寄こした。
“ 貴女に対し、大層酷い事を言ってしまい、深くお詫び申し上げます。
大層傷つかれ悲しまれていることと思っています。ナシの木町で貴女が母に対して優しく献身的に
接して下さっているのを見聞きしいつも感謝しております。 -中略-
母のことは大切にしてくださっているのですから本当に悪いことを言ったと思っています。
どうかお許しください。”
言っては謝り、謝ってはまた言う。伯母とはいったいどういった人間なのだろう?
ともあれ、これまで私達には梅子叔母、四郎叔父の不当なまでの強い憎悪と悪意の理由がいまひとつ理解できなかった。
松子さんの嘘から始まるこれまでの事情が 叔母や叔父たちに正しく理解さえすれば彼らの誤解が解けると思い
“我々が悪いわけではない、自分たちのやってきたことを、正直に梅子、四郎にきちんと説明してくれ”
と松子さんと竹子伯母に再三要求してきた父は、本当におバカであった!