マーサの昔話

デジカメでの景色や花、動物などの写真
海外体験談、今日の一品、糖分控えめ?なおやつ等‥‥‥

北京の休日

2009年07月05日 | China
 
 先週の続きです。

 結局、文句を言いながらも、国務院招待所には、陳さんの休暇が終わる日まで
1週間おりました。 招待所を出る頃には、警備の人達とも顔見知りになっていて
ニコッと笑って、挨拶してくれました。 その1週間の間に、万里の長城、十三陵
北京動物園、天壇公園、景山公園、北海公園、頤和園、圓明園、雍和宮、西什庫天主堂
白塔寺、孔廟、・・・この内、半分は前回、既に見学していたのですが、案内して
下さると言うのに、断割れなかったのです。

 

 デジカメがなかった時ですから、色が悪いよね。

 中国の事ですから、どこへ行っても広い。 よく、これだけ見れたと関心します。
 大体一日一ヶ所、殆ど歩き詰めでした。 9月といっても未だ暑くて、顔も腕も日焼けで
真っ赤、と思えば17日の朝、急に寒くなりまして、北京の厳しい気候に
付いていけません。 でも、私の帰国日は、9月27日(木)16:00発~19:15大阪着の
JAL しか取れなかったので、後10日間、北京に滞在する訳です。

 アジア大会もいよいよ22日の開会式が迫ってきました。ホテルを真新しい華北飯店に代え
昼間は、瑠璃廠文化街、胡同めぐり・北京大学・鼓楼・鐘楼、徳勝門箭楼、北京古観象台
北京城東南角楼、故宮は数回見学しました。 毎日、陳さんは仕事を終えてから
付き合ってくれました。 本当に、感謝の一言です。

 ある夜、“ ロミオとジュリエット ” のオペラを見に行った時、会場の表通りに
高級車が数台止まったので、有名人かなと思って、じっと見ていましたら、素敵な
衣装を着た上品な方々が下りて来られまして、陳さんに 「誰ですか?」 と聞くと
「愛新覚羅一族です。」 と言われたので、時代こそ違うけれど、圧倒されました。
 今は、一般市民なんですけど、全く、落ちぶれていないじゃないですか。
 やはり富豪なんですね。 思わず、ラスト・エンペラーを思い出しました。

 愛新覚羅溥儀さんの晩年は、財産を没収されて、とても質素な生活をしていたと
思っていたので、まさかその一族の方々が、こんな優雅な生活をしていらっしゃる
とは夢にも思いませんでした。
 陳さんに聞いてみたら、元周恩来首相の計らいで、溥儀が収容所に入っていた間の
愛新覚羅家の財産を政府で管理していた為なんですって、周恩来さんて義理人情に
熱い人かもしれませんね・・・

               

 ラスト・エンペラーの最後のシーンで、溥儀が周りをキョロキョロ見回して
玉座に座り、隠してあったこおろぎの入った籠を取り、子供に渡すシーンがあるのです。
 子供が、手渡された籠のこおろぎを見てから、玉座にいる筈の溥儀を見ると
もう玉座にはいなくて、思わずウルウルした事を思い出しました。

 鼓楼の華北飯店へ送ってもらった時、あの籠入りこおろぎが沢山売っていたのです。
 私が、映画を思い出して、じっと見つめていたら、陳さんが買ってくれたのです。
 ところが、ホテルに戻るやいなや、急に大きく鳴きだして、こおろぎが日本のこおろぎに
比べて異常に大きかった。 だから当然、鳴き声も半端じゃないのです。 
 これは他の客から、苦情が来るなと思って、仕方なくホテルの外へ行き、近くのの茂みに
逃がしました。 せっかく買って下さったのに、御免なさい !

 本当に彼はアクティブに私を飽きさせないで、尽くしてくれました。 何が便利かって
あの政府発行、通産省の身分証明書です。 何度も見せてもらったのですけど
青いビニール表紙の手帳。失礼なんですけど、日本では、私たちが子供の頃
見かけたような、おもちゃ屋さんで売っていた子供手帳の様なもの。 日本で落としても
誰も拾ってはくれず、放置したままの手帳 ? すみません言いたい放題で・・・
 それが、あまり言えないのですが、やはり止めとこう。 取り合えず、水戸黄門
じゃないけれど「この紋所が目に入らぬか?」っていう様な感じの代物。 大抵どこでも
スルーできてしまう。 アッ、言ってしまった。

 彼の名は陳さんと書いていますけど、あくまで仮名ですからね。 
 余計な事は、あまり書かない方がいいのでしょうね。 
 書きたい事はたくさんあるのですが、もう触れない事にしましょう。 
 陳さんにご迷惑がかかっては大変な事ですからね。
 “ 恩を婀娜で返す事になりますから ”


                     次回は、アジア大会についてです。
 

 


 


 



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