マーサの昔話

デジカメでの景色や花、動物などの写真
海外体験談、今日の一品、糖分控えめ?なおやつ等‥‥‥

上海の 恩人

2009年05月17日 | China
 国際飯店は南京東路から、徒歩ですぐ行けますので、非常に便利なんです。
 昨日の夜、南京東路行きのバスに乗ったのに、心ない服務員のせいで、あわや
迷い人になる所だった。 でも、いい人にめぐり合えて、本当にラッキーとしか
言いようが無い。果たして、世間でどれだけの人が、夜遅く、外人の為に荷物を
持って、ホテルを探してくれる人がいるでしょうか? 私は旅行先でいろんな方に
お世話になっているので、夜遅くであろうと、彼と同じ行動を取ると思いますが・・・

 朝、10時過ぎ、フロントから電話があり、昨日、ここまで連れて来て下さった
恩人の陳さんが来られた。 彼は、この部屋の広さに、かなりびっくりしていたよう
でした。 昨日、予約もなしに、いきなりホテルへ来たものだから最上階のスイート
ルームしか開きがなかったのです。 日本のガイドブックに書いてあったが、1934年
ハンガリー人の建築家によって建てられ、60年代半ばまではアジア随一の高さで
オールド上海の面影を色濃く残すクラシックホテルだったそうです。

 抜群のロケーションに、そびえる摩天楼は、交通便も非常に良かったものです。
 部屋は20畳近い部屋が3部屋ありました。 一つは、巨大ベッドが二つある
寝室、応接室これも、豪華な刺繍がしてあるソファーの応接セットがドーンと
置いてあり、その家具のせいで、広い部屋が、逆に小さく見えてました。
 もう一つは、客室のツインそれに又、広い洗面室に浴室・トイレ。 一人旅の私には
この上なく無駄な部屋でしたが仕方ありません。 でも、難を言えばやはりオールド。
 日本や香港のホテルに比べると広いだけで、洗練されてはいなかった。
 値段の方はペニンシュラホテルの四分の一にも満たなかったです。

 二人で、このホテルのレストランへ行く。 全て、陳さんにオーダーをして頂く。
 隣のテーブルに日本人のおじさんが二人いて、一緒に食事しないかと言われたけど
陳さん、嫌な顔していたので、やんわりお断りする。 でも、隣だから、おじさん達
私達の事、気になるのか、二人の英語での会話に聞き耳を立てていた様だ。
 余程、暇なのか? 食事の後も「その中国の方もご一緒に市内観光行きませんか?」と
 結局、ガイドがして欲しかった様だ。 言葉が解らないと食事も注文できないもの。
 道理で、レストランでラーメン食べていた訳だ。 断って悪い事しちゃったかな。

 食事を済ませた後、中国のお土産を買いに行くのにも付き合って頂き、夜は
街のおいしいラーメン店で、昼食のお返し? (そんな事したら意味無いのに)に
ごちそうして頂いた。 喫茶店に入って、話した事は、お決まりの戦争の話題。
 私は、「昔の日本人は、悪いことをしましたね。あなたの故郷である南京で
大虐殺をしました。 何万人か殺しました。同じ日本人としてとても残念に思います。」
「何万人じゃなくて、30万人以上です。」 と私の言っている事が間違っている
事を指摘されました。 「でも、それは、過ぎ去った事、私達は、過去は過去として
記憶にはあるが、今の日本人に対して、悪い感情は、全く持ってないですよ。」
と付け加えて下さった。

 別れる前、ご自分の名前の一字にある楠の木のお箸をプレゼントして頂きました。
 この方が、あのバス停に現れなければ、私はどうなっていたのか・・・
 考えただけでも、ぞっとします。 本当に英語の解る方が真っ暗闇の中で、よくぞ
現れて下さった。感慨無量でした。 きっと、私の普段の行ないが良かったのかな。

 明くる日、飛行場まで送って下さるとまで・・・どこまで、親切なの?
 でも、お仕事も一日お休みして下さっているので、丁重にお断りしました。
 今回、計画もなしに、無謀な旅でしたが、私にとっては、いろんな意味で
勉強になった旅でもありました。 やはり、自由な旅は若い時にするものです。
 中年以降は、短期間のパックツアーの方が、楽でいいと思いますけれど、、、

 最近、特に感じるのですが、この世の中で、情というものほど、大切なものは
ないと思うのですが、何かしら、希薄になり、忘れられている様な気がします。
 しかし、この時の事を思い出し、自分自身も見失っているものがある様な気が
しますので、困っている人には、優しくしなければと思うようにしています。

 初めての中国の旅は、これで終わりましたが、天安門事件の後、アジア大会を見に
2回目の中国へ、再び旅立つのですが、その旅行記は又、書いて行きたいと思います。

           又ブログで逢えるその日まで再見 !! 

 


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