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もう一人の女城主の町恵那市岩村町

 明知鉄道岩村駅から岩村城跡をつなぐ本町は商家、旧家、なまこ塀の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並が1.3Kmに渡って続く戦国時代からの面影を残して佇んでいました、この地は東は信濃、南は三河遠江に接する交通の要衝にあり信長領と武田領の狭間となっていました。
 信長は攻略の足掛かりに叔母の聡明で美しい「おつや」の方を岩村城主の遠山景任に嫁がせましたが子が出来ないため実子御坊丸を跡継ぎの養子に送り込みましたが景任が病死御坊丸幼少のため女城主おつやの方が誕生しました、
 岩村城を狙う武田の大将秋山虎繁攻められ籠城3か月の籠城は限界に近くなり一方武田は難攻不落の城を攻めあぐね密使を送りおつやの方を妻にするする条件で無血開城、しかし御坊丸が甲府へ送られたため怒った信長に攻められ調略により和睦したが兵は皆殺し、おつやと虎繁は逆磔と言う悲劇的な最後となった。
 なお遠山氏は後に明智光秀や遠山金四郎に繋がっていると言う事です、またこの町を通る国道257号線は浜松の女城主直虎に繋がっています。

                 

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大正村、松源寺

明治村ではありません先日の岩村町の帰りに大正村と現在の大河ドラマの直親が避難した高森町の松源寺を見学して来ました。
               


                



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