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倉敷と小豆島の旅

 大雨も去った11日、申し込んであったツアーが催行になり観光するのも
復興支援と言う人もいて倉敷美観地区散策と小豆島エンジェルロードの
旅に出かけました小豆島は50年くらい前に行ったのですが記憶に残って
入るものは無く二十四の瞳、オリーブ、そうめんに最近はエンジェル
ロードが売りだそうです
         

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旭山動物園と美瑛・富良野・夕張の旅

 旭山動物園が話題になって久しいですが今ごろになって出かけることになりました
空模様が怪しい肌寒い中でしたがかなりの入場者で賑わっていました、美瑛富良野
方面は花の盛りはもう少し先のようでした、夕張は廃鉱の町と言う感じがしましたが
若い市長さんが頑張っているそうです、広い北海道駆け足の3日間でしたが緑に
包まれたひろーい大地を感じて来ました
      

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青函フェリーと東北の旅

 梅雨の時期は北の旅が良いと聞いて津軽海峡の船旅を入れた
JR大人の休日パス旅で函館まで行き帰りは浅虫♨と女川漁港の
復興の姿をと思い女川♨を旅して来ました

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中国桂林・漓江下りの旅

 思いがけないシルバーの水墨画の仲間に誘われて桂林を旅して来ました
現地のガイドによりますと今は雨季ですが観光シーズンだそうで沢山の
観光客で賑わっていました、幸い短い私達の観光中は傘の必要もなく観
光ができてラッキーでした、桂林の町は街路樹など目につく木はほとんど
金木星、見える山はみな水墨画に描かれているようなニョキニョキと尖って
いました、漓江下りはハイライトの区間だけ往復1時間半、墨絵の様な眺め
を楽しむクルーズでした、平均年齢80歳以上の仲間4人無事に観光して
帰ってきました
       

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花を訪ねて、吉野山・造幣局通抜け

 吉野山千本桜を見たいとツアーに参加、しかし今年の陽気は無情
にも?美しい若葉の景色を見せていました
しかし長く名所旧跡の連なる参道は2時間半の散策時間では、約1300年
前、役行者創設で南朝、後醍醐天皇皇居、義経・静御前の潜居した吉水
神社と聖徳太子が建て後に竹林院となり、秀吉の花見の際に千利休
が改築したと言う庭園、群芳園の見学で集合時間。
 翌日は公開されたばかりの大阪造幣局の通り抜けで満開の八重桜
を堪能して来ました
     
     

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新府桃源郷へ

 今年の気まぐれな陽気に惑わされ早いかなと思いながら
出かけましたが運よく見頃を迎えた七里岩ラインの花の中
を約4.5Kmのウォーキング、途中武田氏最後の新府城跡に
登り歴史に触れたり桃源郷の展望を楽しみました
 

 

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三島伊豆の国の旅

 1月末寒い諏訪から少し暖かい伊豆長岡温泉へと出かけましたが道中八王子から横浜までもまだ雪が残り、横浜も伊豆の国も零下の寒さでした。
 期待の絶景ポイントの三島大橋からの富士山は雲がかかりほんの少し見られませんでした。
 長岡の旅館から近くの韮山の世界遺産反射炉
を訪ね、幕末欧米列強に対抗するために韮山代官の江川氏がこの反射炉で大砲を鋳造した様子をガイドさんから聞きました。
 その後清和源氏からの名家で重要文化財になっている江川邸を訪ね江川家36代目で大砲奉行を勤めた江川太郎左衛門英龍の文化人、開明思想家、革新的技術者としての業績を伺いました、日本最初のパンの製造、西洋砲術研究訓練、お台場の砲台、農兵制度、江川塾での教育では松代藩や上田藩の塾生も学び佐久間像山も学んだそうです、書画詩工芸品など数多の業績を残したそうです。
 その後韮山の田園のを歩き韮山駅から電車に乗って修善寺に行き温泉街を散策し源頼朝の話を聞いたりしながら少し寒いけれど楽しい旅をしたきました。

            

 

 

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福建土楼を訪ねる

今回の旅の主目的地福建土楼は厦門から橋を渡って内陸へ高速道路2時間そこから山道を40分ほど登った山中にあり、4世紀初頭北方騎馬民族に圧迫され、黄河中流域から逃れた漢民族の末裔の客家(はっか)が襲撃から財産を守るため築いた円楼が始まりと言われる(箱型の方形もある)集合住宅が土楼で、外部の侵入を防ぐため出入口は一箇所強固な土壁で守られ内部は井戸、下水が有り下水路は避難の地下道となる、住宅の壁裏は避難路が有る、円楼の住宅は広さや日照に不公平が無く客家の理念が読み取れる、土地は緑濃く川が流れ、お茶、ミカンパパイヤなどの果物、米と自給自足出来可能で、特にお茶は各家で作る地酒ならぬ地茶が売られていた 

          

           

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福建省厦門島・コロンス島の旅

中国の福建省、台湾と向き合う位置に有る亜熱帯の島厦門島その700m先の約1.8㎢の小島コロンス島を訪ねました、福建省は平安の頃から石材、茶、華僑など交易があり厦門は直行便が開かれ福建土楼へ行くのに好都合の場所です、厦門は明の時代築かれた砦が名前の由来だそうで、町には外国人租界が有った面影が残っている、コロンス島にも外国人租界が有った名残で日本領事館や西洋風の建物などが残っていました
          


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みちのく四湯めぐり

 みちのく四湯をめぐり、雪の五能線に乗り、白神山地散策、男鹿半島最北端入道崎まで行くと言う欲張りの旅に出かけました、日本海側はかなりの雪で白神山地は断念しましたが雪の中湯めぐりは出来ましたので満足のいく旅ができました
                               
 

 

 

 

 

 

 

 

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もう一人の女城主の町恵那市岩村町

 明知鉄道岩村駅から岩村城跡をつなぐ本町は商家、旧家、なまこ塀の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並が1.3Kmに渡って続く戦国時代からの面影を残して佇んでいました、この地は東は信濃、南は三河遠江に接する交通の要衝にあり信長領と武田領の狭間となっていました。
 信長は攻略の足掛かりに叔母の聡明で美しい「おつや」の方を岩村城主の遠山景任に嫁がせましたが子が出来ないため実子御坊丸を跡継ぎの養子に送り込みましたが景任が病死御坊丸幼少のため女城主おつやの方が誕生しました、
 岩村城を狙う武田の大将秋山虎繁攻められ籠城3か月の籠城は限界に近くなり一方武田は難攻不落の城を攻めあぐね密使を送りおつやの方を妻にするする条件で無血開城、しかし御坊丸が甲府へ送られたため怒った信長に攻められ調略により和睦したが兵は皆殺し、おつやと虎繁は逆磔と言う悲劇的な最後となった。
 なお遠山氏は後に明智光秀や遠山金四郎に繋がっていると言う事です、またこの町を通る国道257号線は浜松の女城主直虎に繋がっています。

                 

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大正村、松源寺

明治村ではありません先日の岩村町の帰りに大正村と現在の大河ドラマの直親が避難した高森町の松源寺を見学して来ました。
               


                



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飛騨古川街歩き

 以前テレビの連続ドラマで古河の町が舞台となり赤や白のローソクを上げてお参りするシーンを見ていつか機会が有ったら訪ねてみたいと思っていて今回その機会に恵まれました。
 ローソクを供える行事は毎年1月15日浄土真宗開祖の親鸞聖人の遺徳をしのび円光寺、真宗寺、本光寺を参拝する伝統行事でしたが明治・大正時代長野県の製糸工場へ働きに行っていた娘たちが12月末に帰省し着飾ってお参りしたので嫁の見立ての機会となり縁結びのお参りになりその際縁を願う時は「白」、叶ってお礼参りには「赤」のローソクを供えるのだそうです。
 ただ一軒の和ローソク屋は休みで見れませんでした、町はこじんまりしていて歩きやすく白壁土蔵街は堀に鯉が泳ぎ、街角に恋の水、縁結びのお参りとこの町は恋の町?と思ったりしました、古い町並みが残され、多くの民家の軒の肘木には飛騨の匠の雲が施されていました最後は美味しい蕎麦の店でお昼を頂いて帰って来ました
          

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本州西の名所を訪ねる

 諏訪では珍しい本州西端を巡るツアーに参加しました、山口宇部APから山口県の西の海上に掛る1780mの架橋で角島へ渡り、西端の灯台と左瀬戸内からの響灘と右から来る日本海の潮目を見ました、次に123基の鳥居が並ぶ元乃隅稲成大社(稲荷ではなく)を見て長門湯本温泉へここでは先日プーチン大統領の泊った大谷山荘も見られました、翌日関門橋、源平ゆかりの赤間神社、日清講和条約の記念館、唐戸市場、島根県の津和野、維新の地萩を見て萩温泉泊、3日目は広島の宮島厳島神社を参拝し山口県を横断して萩岩見APから帰って来ました
         
        


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古都奈良癒しの町並

  久しぶりに奈良南部方面へ行ってきました、観光場所の中からなかなか行けれない柳生の里、鑑真和上の唐招提寺、江戸時代にタイムスリップしたような江戸時代の町がそのまま残っている今井町だけアップしました、今井町は1500年代一向宗が称念寺を開いた寺内町で、環濠を巡らした城塞都市でしたが1575年信長に降伏、戦火を免れ商業都市として「海の堺陸の今井」と言われる繁栄誇った町で江戸時代の町並がそっくり残り、今回その古民家に宿泊して街歩きを楽しむことが出来ました、あとは機会が有ればアップしたいと思います
         

 

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