下の記事にあるように、四谷三丁目にある国際交流基金のホールに、タイの作家、ウティット・ヘーマムーンさんの講演会に行って来ました。
これから、福岡、大阪、函館とそれぞれ違うテーマで回られるのですが、東京会場のテーマは、
「私はどこから来たのか、私はどこへ行くのか?」
で、簡単に言えば、子供時代から大学時代、そして現在の作家になるまでの生い立ちを、通訳も入れるから実質約60分で語って、その後は参加者からの質疑応答という構成。
(概要)
中華系の父とラオス人の母親の間に生まれ、父親が全ての決定権を持っていて、窮屈に感じていたタイ中央部サラブリーの子供時代。家じゅうの家具を父親のカミソリで傷つけていた。(シラタの感想:これが最初の自己表現なのかも)
父親にエンジニアになることを期待されていたのに、芸術家なんていない田舎を飛び出して、タイの東京芸術大学とも言えるシラパコーン芸術大学に進学。その時も、自分の表現したい造形芸術と、学校側の古い体質の狭間で葛藤が。
在学中も卒業後もお金がないながら、先輩のMV制作の日雇いバイトやDJ、映画業界で働いたり、映画評論の連載をしたり....
そしてたどり着いた表現方法は、15歳の時から書いていた「言葉で伝える」ということ。
(概要終わり)
律儀なウティットさんは、19時~21時まで2時間きっちり講演するのかと勘違いしていて、日本の聴衆に伝えたいことをきっちり下書き原稿を作ってきていたそう。しかし、実質の講演時間が約60分と知り、今回のコーディネーターの宇戸先生(東京外国語大学)と、直前まで、減らしたり、練り直したそうです。
今回の講演自体の原稿は事前に訳されていて、宇戸先生がタイ語に合わせて読まれました。タイ語が分かる人には、すごく練られた(でも、短時間で訳されたに違いない!それにしても、すごい。)丁寧な日本語だったことが、分かりましたよね?うっとりです。(声もいいし)
この講演自体が1本の自伝的短編小説のようで、なぜ文学を表現方法に選んだのか、というオチの表現が素晴らしかったです。大切なものは、実は自分の手にあった、ということに気付いたそう。
質疑応答で人柄もいろいろ分かりました。
日本でも活躍するタム君ことウイシット・ポンニミットさんとほぼ同期(タム君はデコラティブ・アート専攻、ウティットさんは絵画専攻)で、タム君がマンガ家になる前の無名時代から友人だったとのことで、ここでシラタは一気に親近感が湧きました。
ノーベル(文学賞)についての、ちょい軽い皮肉の入ったユニークな見解。
初めての海外、初めての日本での、“ちょっとビックリ日本人”な発見などなど。
************************************
会場のさくらホールはほぼ満席でした。よく見ると、前の方に桜の枝と一緒に、タイ式カービングをほどこしたフルーツ、その横に、ウティットさんのタイ語の著書がさりげなく置いてあり、芸術的なデコレーションがありました。
また休憩中は、お茶とタイの甘ーーーいお菓子(きれいなゼリー菓子、卵の黄身で作ったお菓子などなど)があるなど、さりげなくタイっぽい気づかいが。(チェックいれまくりです!)
聴衆の中には、タイ人&タイ語の分かる日本人も多く、通訳の前にクスクスとさざなみのように笑いが広がるシーンも。
作家を知ってから本を読むか、本を読んでから作家を知るか。今回の講演では前者のパターンが多いと思います。
おみやげに宇戸先生翻訳の短編集が参加者全員に配られました。
最後の質疑応答で、DJ時代の話を詳しく....とあったのですが、その話は大阪でする予定だそう。
お近くの会場の方、レポートお待ちしています!
(余談)追記 3月20日
会場で何人もブログのお友達、マイミクさんに会いました。世界で一番早いレポートを書くチョムプーさんより今回は私が先に書きましたが、私よりも詳しいレポートを掲載されています。会場のデコレーションの写真も添えられています。
ココナツ・カフェ
これから、福岡、大阪、函館とそれぞれ違うテーマで回られるのですが、東京会場のテーマは、
「私はどこから来たのか、私はどこへ行くのか?」
で、簡単に言えば、子供時代から大学時代、そして現在の作家になるまでの生い立ちを、通訳も入れるから実質約60分で語って、その後は参加者からの質疑応答という構成。
(概要)
中華系の父とラオス人の母親の間に生まれ、父親が全ての決定権を持っていて、窮屈に感じていたタイ中央部サラブリーの子供時代。家じゅうの家具を父親のカミソリで傷つけていた。(シラタの感想:これが最初の自己表現なのかも)
父親にエンジニアになることを期待されていたのに、芸術家なんていない田舎を飛び出して、タイの東京芸術大学とも言えるシラパコーン芸術大学に進学。その時も、自分の表現したい造形芸術と、学校側の古い体質の狭間で葛藤が。
在学中も卒業後もお金がないながら、先輩のMV制作の日雇いバイトやDJ、映画業界で働いたり、映画評論の連載をしたり....
そしてたどり着いた表現方法は、15歳の時から書いていた「言葉で伝える」ということ。
(概要終わり)
律儀なウティットさんは、19時~21時まで2時間きっちり講演するのかと勘違いしていて、日本の聴衆に伝えたいことをきっちり下書き原稿を作ってきていたそう。しかし、実質の講演時間が約60分と知り、今回のコーディネーターの宇戸先生(東京外国語大学)と、直前まで、減らしたり、練り直したそうです。
今回の講演自体の原稿は事前に訳されていて、宇戸先生がタイ語に合わせて読まれました。タイ語が分かる人には、すごく練られた(でも、短時間で訳されたに違いない!それにしても、すごい。)丁寧な日本語だったことが、分かりましたよね?うっとりです。(声もいいし)
この講演自体が1本の自伝的短編小説のようで、なぜ文学を表現方法に選んだのか、というオチの表現が素晴らしかったです。大切なものは、実は自分の手にあった、ということに気付いたそう。
質疑応答で人柄もいろいろ分かりました。
日本でも活躍するタム君ことウイシット・ポンニミットさんとほぼ同期(タム君はデコラティブ・アート専攻、ウティットさんは絵画専攻)で、タム君がマンガ家になる前の無名時代から友人だったとのことで、ここでシラタは一気に親近感が湧きました。
ノーベル(文学賞)についての、ちょい軽い皮肉の入ったユニークな見解。
初めての海外、初めての日本での、“ちょっとビックリ日本人”な発見などなど。
************************************
会場のさくらホールはほぼ満席でした。よく見ると、前の方に桜の枝と一緒に、タイ式カービングをほどこしたフルーツ、その横に、ウティットさんのタイ語の著書がさりげなく置いてあり、芸術的なデコレーションがありました。
また休憩中は、お茶とタイの甘ーーーいお菓子(きれいなゼリー菓子、卵の黄身で作ったお菓子などなど)があるなど、さりげなくタイっぽい気づかいが。(チェックいれまくりです!)
聴衆の中には、タイ人&タイ語の分かる日本人も多く、通訳の前にクスクスとさざなみのように笑いが広がるシーンも。
作家を知ってから本を読むか、本を読んでから作家を知るか。今回の講演では前者のパターンが多いと思います。
おみやげに宇戸先生翻訳の短編集が参加者全員に配られました。
最後の質疑応答で、DJ時代の話を詳しく....とあったのですが、その話は大阪でする予定だそう。
お近くの会場の方、レポートお待ちしています!
(余談)追記 3月20日
会場で何人もブログのお友達、マイミクさんに会いました。世界で一番早いレポートを書くチョムプーさんより今回は私が先に書きましたが、私よりも詳しいレポートを掲載されています。会場のデコレーションの写真も添えられています。
ココナツ・カフェ
宇戸先生がコーディネイトされると聞き。。
濃密な時間でした。
たぎる情熱・激情を昇華・結晶させる表現者を間近で目にして、何かが伝わってきました。
バンコクの喧騒やモワッとする熱気や埃が感じられるようでした。
ウティットさんの著書は読んだことが無かったのですが、是非読んでみようと思いました。
通りがかりに失礼しました。
じゃあ私はもういいか~(笑)。
今日、娘の卒業式なんです!
だからレポは遅くなると思います~~。
でも、ステキな方でしたね。
みなさん、読んでくださいね。
あと、他の会場のお話も教えてくださいね~。
コメントをありがとうございます。
チョムプーさんのブログの方が詳しいので、読み応えがあります。私のレポートは、イントロみたいな感じで。
さて、他の会場の様子も知りたいのですが、他の方のブログも良かったら、教えてください。>みなさま