身障者の一人暮らし(ミルキィー日和) まーくんのブログ sweetmemories.since1995

両親を失い、身体障害者になって
ただ1人の妹にも疎まれて
マンションで一人暮らしを始めました。
明日が見えません…

今日は、母の日でしたね…

2016年05月09日 01時19分21秒 | 母への思い…
こんにちは!

今日、イトーヨーカドーの
ネットスーパーに 文明堂の
カステラが出ていたので
買ったら「お母さんありがとう」の
熨斗がついていました。



さすがに先に食べるわけには
いかなくて、仏壇にお供えしました。

母が亡くなる前は、母の日が近づくと
何をあげようかなぁと いつも考えて
それが楽しかったものです。

母は、甘いものや 洋服を
買ってあげると喜んだので
ふだん街を歩いていても いつも
「ああ、こんなの喜ぶだろうなぁ」と
思いながら見て歩くのが
習慣になっていました。
もう、何を見ても
母に買ってあげられないと思うと
本当に悔しいです。

どんなに美味しいものを食べても
ひとりで食べるのは、虚しいです。
美味しそうに食べる母の笑顔が
もう一度見たいです…

母は丸顔で、目がくりっとしていて
ミルキィーちゃんに似ているので
ミルキィーちゃんを見ていると
なんか、母が生まれ変わって
来てくれたような気がします。


レジ袋でくつろぐミルキィーちゃん



香箱座りのミルキィーちゃん





いい寝顔です。




今日は、母の命日です…

2016年01月12日 18時00分01秒 | 母への思い…
こんにちは!

今日は母の命日です。

あれから2年…
ただ、悲しみに明け暮れて
毎日、母の座っていた座椅子と
向かい合いながら、そこにいるはずの
母の微笑みを思い浮かべては、
悲しみ、虚しい日々を過ごしています。

このブログは、料理やグルメの
ブログではありません。
もともとは、僕の入院日記のブログで、
母が亡くなり、悲しんでいたところ
当時の読者様の励ましによって、
なんとか続けたブログで、
書くことがないので、ごはんブログに
なっているだけなのです。

一見、好きなものを食べて
楽しそうなブログに見えますが
ほんとは、そうではないのです。

あの日のことは、昨年の今日の
ブログで、詳しく書きましたが
やっぱり、命日が来ると
つらく悲しく苦しい思いが
きのうのことのように甦ります。

母の予期せぬ死に 悔しくて悔しくて
気が狂いそうで、今でも電気を
消すことができずに寝ています。

人は死んだらどうなるのでしょうか…
本当に天国から、見守って
くれているのでしょうか…
自分も死んだら故人に
また会えるのでしょうか…
ただ土に帰り、無になるだけなのでは
ないのでしょうか…

そもそも生命って何なのでしょうか。
この広い宇宙の何億年もの年月の中で
ほんの一瞬だけの、何のために
生まれてきて、何のための
人生なのでしょうか…

そんなことを考える毎日です。


今夜のつまみは、「プリングルズ」
パーティーチキン味です





フライドチキン味だそうですが
コンソメ味みたいな味です。
しかし「プリングルズ」というのは
最近、味が新しくなりましたが
いつ食べても美味しくないですね。

ビールは、限定醸造ドライプレミアム
「香りの琥珀」です!





昨年飲んで、めっちゃ不味かった
ビールですが、今年はなかなかです。
カラメルのクセがなくて
飲みやすいビールになりました。


今日は、体調が良くないので、
さっぱりと「さけ茶漬け」です。





食欲なしです。


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母の三回忌法要…

2015年12月19日 18時00分11秒 | 母への思い…
こんにちは!

一昨日、母の三回忌法要を行いました。
親戚は呼ばずに、お坊さんを呼んで
僕と妹と3人で行いました。

もう、あれから2年が経つのですね…
早いもので、まるで、
きのうのことのようです。

僕にも せめて家庭や仕事があれば、
忙しさにかまけて、悲しむ暇も
少なくなると思いますが
毎日、一人で何もしないでいると、
いつまでも悲しみを
忘れることができません。

いつの日も やさしく微笑んで
見守ってくれた母…
僕が、いろいろなことに頑張れたことも
今思うと、後ろで母が
見ていてくれたからだと
つくづく思います。

父が亡くなり、気落ちした母には
精一杯、親孝行をしてあげようと
一生懸命だった、亡くなるまでの日々も
思い出されてなりません。

母が座っていた座椅子を見ると
幻でもいいから、にこにこ笑っている
母の姿が、もう一度見たいです。
もう一度、話がしたいです…

両親がまだ健在で、僕は好き勝手に
生きていた頃、たまたまカラオケで
誰かが「無縁坂」という唄を歌った時に
たぜか、涙がポロポロ出て来て
困ったことがあります。
心のどこかに親孝行がしたいという
気持ちがあったのかも知れませんね…


さだまさし「無縁坂」

母がまだ若い頃、僕の手をひいて
この坂を登るたび、いつもため息をついた
ため息つけば、それで済む
うしろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は、とてもやわらかだった
運がいいとか悪いとか、人はそれぞれ
口にするけど、そういうことって
確かにあるとあなたを見てて、そう思う
忍ぶ忍ばず無縁坂 かみしめるような
ささやかな僕の母の人生…

いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬ間に白い手は、とても小さくなった
母はすべてを暦に刻んで、
流して来たんだろう…
悲しさや苦しさは、きっとあったはずなのに
運がいいとか悪いとか、人はそれぞれ
口にするけど、めぐる暦は季節の中で
漂いなから過ぎてゆく
忍ぶ忍ばず無縁坂 かみしめるような
ささやかな僕の母の人生…


父や母は、幸せだったのだろうか…
人は何故、生まれてきて
何のために生きて
人生をまっとうしたあと、
何処へ行くのでしょうか…

自分のことも含めて、そんなことを
考える今日この頃です。



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母の記録…

2015年10月20日 18時02分00秒 | 母への思い…
こんにちは!

母のカルテが戻って来ました…
実は昨年1月、母が亡くなった時に
病院の姿勢に疑問を抱いて
カルテの開示を請求したところ
半年経っても音沙汰がないので

死に至る経緯など、弁護士さんに
相談してみたところ、半年経っても
カルテの開示がないというのは
おかしいというので、裁判所を通じて
強制開示をしてもらったのです。

その後、医療弁護士グループが
1年かけて、カルテを調べた結果
「総合病院であれば、もっと早く
検査をして、原因を確定し
相応の対処をすれば、死の結果は
防げた可能性はあるが

リハビリ病院には、その義務はなく、
法的には、提訴することはできない」
ということでした。
それで、カルテが戻って来たのです。



改ざんされるといけないので
弁護士さんが、相手方病院に乗り込んで
これを全部コピーして来ました。
さぞ、大変だったことでしょう。

やっと手にした母のカルテ…
でも、このカルテを読むのが怖いです…
看護記録などもあるので、
そこには、ありし日の母の姿があります。
たぶん僕が知らない、母に聞いてみたい、
話がしたいと思うページも
あることでしょう…
でも、もう母と話をすることは
永遠にできません…

ずさんな病院の管理によって
亡くなってしまった母…

この、分厚いカルテを手に取り
この中に入院中の母がいると思うと
母がそこにいるような感じがします…

こんな形で帰って来たのかと思うと
やりきれない気持ちでいっぱいです…
悲しいです…


今夜のごはんは、西友の唐揚げを
買いました!



最近、唐揚げを自分で揚げていますが
唐揚げは、冷たくても美味しいし、
買った方が楽かもです。
料理するのに いささか疲れました。

ビールは、「サッポロクラシック」と
「キリン一番搾り」を比べてみます!
どちらも麦芽100%です。



「一番搾り」は、コクがありますが
爽やかさがなくて、しつこいです。
「サッポロクラシック」の方が
爽やかです。

唐揚げは、ビールにも
ごはんにも合いますね!










母よ、永遠に…

2015年01月12日 07時09分44秒 | 母への思い…
こんにちは!

今日は、母の命日です…
今、手を合わせて、黙祷したところです。

思い出すのも悲しい、昨年の今日…
朝の6時半頃、母の病院から、
電話がかかって来ました。
「心肺停止なので、至急来てください
今、心臓マッサージをしています!」
とのことでした。

12月27日に最後にお見舞いに
行った時に「また正月に来るね!」
と言って、別れましたが、
なんと、暮れの30日の夜に、
僕の脚の装具が、壊れてしまって
歩けなくなってしまったのです。

正月が入るので、装具屋さんも、
お休みで、修理に来てくれたのが、
正月明けの 8日のことでした。

その間、9日間も、僕は、家の中を
這って歩くしか、ありませんでした。

そして、やっと8日に、装具が直って、
張り切っていたら、9日は雨…
僕は、雨の日は、危険なので、
外出できません。
10日は、トイレが詰まって、
業者を呼んで、てんやわんやでした。
11日は、医者への通院日…

母へは、病院に電話をして、
12日に行くと伝えてもらいました。

そんな矢先に、電話があったのは、
昨年の今日、12日の朝のことでした…

病院への電車の中で、
僕は、「そんなバカな… 亡くなるほど
病状が悪いなんて、聞いてないぞ!
嘘だ、嘘だろう!夢でも見てるんだ!」
と思い続けました。

病院までは、1時間半…
白い布に覆われた母の姿を見るのが、
本当に怖かったです…
怖くて、怖くて、どうしようもなかった…

そして、朝8時前に病院に着き、
恐る恐る、母の病室に入ると
そこには、まだ心臓マッサージを
受けている母の姿が…!

僕は、一瞬、ホッとして
「間に合った!まだ生きている!
生きているぞ!」と思いました。
しかし… 無情にもモニターの数値は、
すでに、すべてゼロを示していたのです。

目を閉じて、口を開けたまま、
懸命の心臓マッサージに揺れていた
母の顔は、一生忘れることは、できません…

午前8時47分、貧血による
心不全という、死亡診断でした…

僕は、あまりの出来事に
声も出ませんでした。
なぜ、こんなことに…

親戚の叔母さんと、
出勤途中だった妹も駆けつけました。

安置室で僕は、さめざめと泣きました。
「今日会いに行くはずだったのに…
なぜ、待っていてくれなかったんだ…
退院したら、大好きなケーキや 、お寿司を
たくさん食べさせてあげたかったのに…」

なぜ、こんなことになったのか、
わけがわかりませんでした。
信じることができませんでした。
「夢なら、覚めてくれ!」
頭の中が、ぐちゃぐちゃになりました。

昨夜、お見舞いに行って、
別れたばかりの 妹も
呆然と立ち尽くしていました。

そして、亡骸となった母を
葬儀屋さんのクルマに乗せて
あんなに帰りたがった家に
連れて帰りました。

父の時と同じく、無言の帰宅でした…
無言の帰宅なんて、
こんなに、むごいものは、ありません。

その夜、僕は、妹と母と3人で
幼い時のように、枕を並べて寝ました。
悲しく、切ない 最後の夜…
「やっとうちに帰れたね…」
僕は、夜中に何度も何度も
安らかに眠る母の顔を見ました…


貧血がひどいのに、治療も中途半端に
リハビリ病院に送った、前の病院…

それを知っていながら、
まともに検査もせずに、放置して、
リハビリをさせてさえ、いればいいんだ
という態度のリハビリ病院…

あれほど、お願いしたのに
差し入れを認めてくれなかった主治医…

真摯に治療をしてくれていれば、
こんなことには、絶対に
ならなかったはずなのに…

許せない…

今まで、精一杯の愛情で、
僕たち兄妹を育ててくれた母…
どんな時でも、やさしく
いつも、笑顔で見守ってくれた母…
何もしてあげられなくて
ごめんね…


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最後の 母…

2014年12月27日 07時39分12秒 | 母への思い…
こんにちは!

昨年の今日は、母の病院へお見舞いに
行った、最後の日になってしまいました。

12月9日に、僕が 肺炎で入院した病院を
退院して、13日に しばらくぶりに
母のお見舞いに行ったきり、
脚が痛いのと、医者に行ったり、
歯医者に行ったり、装具屋さんに
行ったり、役所に行ったりで、
忙しくて、なかなかお見舞いに、
行けませんでした。

この日は、主治医との面談日でしたが、
少し、遅れてしまったので、
母に会う前に、面談を先に済ませました。

僕が、3週間も入院してしまったため、
久しぶり、2度目の面談でした。

僕は、まず、母の健康状態を 尋ねると、
「病気が、よくなって、このリハビリ病院に
来たのだから、検査はしてないから、
わからないよ」という主治医の言葉でした。

そして、話すことといえば、「立ち眩みがあって、
リハビリが、思うように出来ない。本人にも
やる気がみられない」などと、
健康状態よりも、リハビリの ことばかり…

いくら、リハビリ病院だからと言って、
緊急輸血までして、見切り発車で、
この病院に転院したのに
その後の検査もしないとは、何ということか…
僕は、不信感がつのりました。

母は少し、糖尿の気があって、
(といっても、予備軍程度ですが)
家にいる時から、飲み薬は処方されて
いましたが、前の総合病院では、
食事制限などは、ありませんでした。
いつも、ジュースとプリンや、アイスなどを
差し入れして、病院からも
何も言われませんでした。

病院食もあまり食べないと言うので、
そこで、主治医に、差し入れを認めて
もらって、好きなものを食べさせれば、
元気もでるでしょうからと、
直談判しましたが、「私の方針だから」と
認めてもらえませんでした。

僕は、「明らかな糖尿病であるなら、ともかく
今は、元気を取り戻すために、この病院に
来たのだから、この程度の血糖値なんだから、
(正常値です!)多少の差し入れは、認めてくれ!
目先の小さなことよりも、今は、元気に
歩けるようになることの方が、大事でしょう」と
かなり激しく口論になりました。

結局、物別れになって、僕は憤慨して、
母のベッドに会いに行くと、
そこには、あんなに顔色が良かった母が
信じられないほど、やつれていたのです。

僕は、唖然として、もう、この病院には、
とても母を、あずけるわけには、
行かないと思いました。

母は、話をする気力もない様子で、
あまり、話もできずに
「また、お正月に来るね。」と言って
別れたのが、母との最後でした…
笑顔を見ることは、できませんでした…

でも、この時はまだ、まさか
亡くなることになるとは、
夢にも思ってませんでした。

急ぎ帰った僕は、リハビリができる
老人保健施設を探しました。
また、母の介助のための、家の改修も
申し込みしました。

そんな矢先に母は、急に亡くなって
しまったのです…

今は、悔しくて、悔しくて、
夜は、電気を消して寝られません。
やさしい母の笑顔と、悔しさが、
こみ上げてくるのです。

クリスマス 特選ローストチキン!

2014年12月24日 23時59分40秒 | 母への思い…
こんにちは!

クリスマス用の 特選ローストチキンを
鶏肉専門店から、お取り寄せしました!



実は、一昨年のクリスマスに、
僕が入院していた病院から、母に贈った
ローストチキンの 味が知りたくて、
またお取り寄せしたのです。

母が、生きている時には、
なんとも思わなかったものでも
亡くなってしまうと
どんな思いで食べたのかなぁと
気になってしまいます。

母は、僕が子供の頃、
よく、クリスマスにローストチキンを
スーパーで買って来てくれて、
喜ばせてくれました。
そのお返しに初めて、母に
ローストチキンを贈ったのです。

母は、電話で、美味しかったと
喜んでくれました…

母と同じく、レンジは、使わずに
湯せんする。



できたぁ~



昔ながらの蒸し釜で、秘伝のタレで
じっくりと焼き上げているらしい。



柔らか~!
肉汁たっぷり! 旨い!
こんな、ローストチキン初めてだぁ~!
添付のタレがまた、僕好み!
でも、母も食べにくかっただろうなぁ。

今夜は、先日、早々と届いた
スパークリングワインをいただきます!



ドイツは、モーゼルを代表する
「ツェラー・シュワルツ・カッツ」
ツェル村の黒猫という意味のワインです。



昔、ツェル村のワイナリーの
樽の上に黒猫が、座っていて、
その樽のワインだけ、出来が素晴らしく
よかったため、黒猫のワイン
「ツェラー・シュワルツ・カッツ」が
誕生したのです。

ツェラーのスパークリングワインは、
初めてですので、楽しみです!



爽やかで、美味しい!
ドイツが誇るリースリング種の
フレッシュ感そのままだ!
ローストチキンにぴったりです


イトーヨーカドーのネットスーパーに
予約しておいたクリスマスケーキが
届きました!

オリジナルケーキ!





次は、アニバーサリー本橋シェフの
こだわりケーキ







今日は、本橋シェフの
こだわりのケーキをいただきます!
南青山アニバーサリーの本橋シェフは、
ウェディングケーキ界の
第一人者だそうです!



生クリームは、美味しいし、
スポンジも、ふわふわしっとりで、美味しい!
でも少し、スポンジが多すぎかな?

これだけのご馳走も、ひとりでは、
虚しいだけでした…

クリスマス・イヴは、父の命日…

2014年12月24日 15時58分29秒 | 母への思い…
こんにちは!

クリスマス・イヴは、父の命日です。

それは、あの日の朝、入院中の僕の病院に
妹が、父の緊急手術を知らせに来ました。
師長さんに事情を話すと
「危ないから、早く行きなさい!」と
言ってくれたので、外出許可を取って、
急いでタクシーで、駆けつけました。

病院に着くと、結局、手術は
できる状態ではなくて、
延命処置をする以外にありませんでした。

父は薬で、眠らされていました。
医師には、あと3日は、持つだろうと
言われました。
僕は、奇跡を信じて待っていました。

しかし、その日の夜、8時6分に
父は、みんなに見守られながら、
静かに息を引き取ったのです。
父とは、話もできないお別れでした…

鳴り響く、モニターがゼロになる警告音は、
今でも、耳に焼きついています。
一生、忘れられない、悲しい音です…

親不孝ばかりしていたので、
一緒に退院して、精一杯、親孝行を
してあげたいと思っていたのに…

ちまたでは、クリスマス・イヴで
盛り上がっている時間…
街に流れるクリスマスソングは、
僕にとって、悲しく、悔しく、
虚しい思い出です。

母の一周忌法要…

2014年12月19日 02時14分07秒 | 母への思い…
こんにちは!

今日は、母の一周忌法要を行いました。
ちょうど、父の17回忌でしたので、
父の命日の12月24日の前にと思って、
今日、一緒に行いました。

お坊さんを呼んで、
親戚数人で、故人を偲んで
ささやかに行いました…

父が、亡くなった時、僕も別の病院に
入院していて、励ましてあげることが
できなかったので、
いろいろ話しを聞いて、悲しかったです…


今夜は、お寿司
法要に、お寿司を取ったので、
余分に頼みました。

全部、僕の分です!







やっぱり、お寿司は、美味しいな。


ウォーカーズ・ショートブレッド
ピュアバター





バターが効いていて、美味しい!

忘れられない母の笑顔…

2014年12月14日 01時14分30秒 | 母への思い…
こんにちは!

去年の今日は、肺炎で入院した病院を
退院して、久しぶりに母の病院に
お見舞いに行った日…

入院中は、妹が仕事帰りに、毎日
母の病院に通っていましたが、
僕は、母の顔を見ていなかったので、
どんな様子なのか、心配で心配で、
いてもたっても、いられませんでした。

当日は、横浜の病院まで、電車とバスを
乗り継いで、久しぶりに会いに行くと、
母は、まるで美白でも、したかのように
随分と顔色が白くて、肌もなめらかだったので、
僕は思わず「顔色が、いいな!」って
言ったほどです。

母は、うれしそうに、いい笑顔で
微笑んでいました。

あまりに、いい表情でしたので、
僕は思わず、写真を撮りましたが、
いまひとつ、よく写ってなかったので、
削除してしまいました。
前の総合病院の時も、何度か
写真を撮りましたが、なんか
しっくりこなくて、削除していました。

まさか、その1ヶ月後に亡くなるとは
夢にも思わなかったので、
今思うと、削除しなければ良かったと
つくづく思います。

この日の笑顔は、今までにないような
最高に素晴らしい笑顔でした。
とりあえず「安心したよ!」と言って
帰りましたが、まさか、会えるのが、
あと1回だけになろうとは、
この時は、思いもしませんでした…

母は、「脚が痛いのなら、毎日来なくていいよ」
と言ってくれました。
僕も横浜は、さすがに遠いので、
妹に任せて、ゆっくりしてしまったのです。

今思うと、あの顔色の白さは、貧血が
進んでいたからなのかも知れません…

去年の今頃の僕のブログには、
去年の記事が載っていますが、
母が亡くなってからは、つらくて、
とても読み返すことができませんでした。

今、恐る恐る、読んでいます。
そこには、母の死など、これっぽっちも
考えていない、僕がいます。

あの頃の僕は、まだ元気でしたので、
医者や歯医者へ行った帰りに、
いろいろなお店で、飲み食いしていました。
母の死が迫っているというのに
何も知らずに…

こんなことになるなら、
もっと、もっと、会いに行ってあげれば
よかったと、つくづく後悔しています…


今夜は、またまたエビフライです
先日食べた味が、忘れられなくて
また買ってしまいました!





あぁ~ 揚げたては、美味しい
ご飯とビールがうまい!

今日は、愛犬タローの命日です。

2014年12月12日 00時02分57秒 | 母への思い…
こんにちは!

今日は、16年も飼っていた
柴犬のタローの命日でした。

病気にかかって、あまりにも苦しむので、
とても見ていられなくて、
家族で話し合って、安楽死させて
あげようということに決まったのです。

当日は、獣医さんを呼んで、
注射をしてもらうのですが、
僕は、その瞬間を、とても
見ていられなくて、家を出てしまいました…

翌日、ペットの葬儀屋さんに
引き取ってもらったあとに
帰るつもりで、家を出ましたが、

やっぱり、どうしても、もう一度だけ
タローに会いたくなって、戻りました。
もう、間に合わないとは、思いましたが、
このままタローが、消えてしまうのは、
淋しくて、もう一度、姿を見たかったのです。

タローは、いつも家の中で飼っていて、
居間の片隅に、寝床がありました。
家族は、もう寝ているので、
そっと、部屋を覗いてみると
そこには、いつものように
気持ちよく寝ているタローの
姿がありました。

その時、僕は、「あれ、まだ生きている!
タローが、死ぬわけないじゃないか!」と
思いました。
これは、夢でも見ているんだと
思いました。

そして、ぞっとタローに近づいて
「タロー!」と言って、触ったその瞬間、
ピクリとも動かぬタローに
「あぁ、やっぱり、もう死んでいるんだ…」と
愕然となりました。

あとで、父に聞くと、
父が押さえていて、獣医さんが、
注射をうつと、眠るように逝ったそうです。

その晩は、一晩中タローを
抱いてあげました。
生後、数ヶ月で、もらってきてからの
今までの16年間の思い出を
噛みしめながら…

翌日、葬儀屋さんが引き取りに
来て、亡骸を段ボールに入れて、
お花と、好きだったチーズを
入れてあげました。

その頃は、まだ父と母も、生きていて、
初めて、家族を亡くしたような感じで
みんなで悲しみました。

今は、そんな、父も母もいません。
やさしい父母でした…


今夜は、小岩井農場のハンバーグを
いただきます!



ギフト限定で、16個もお取り寄せしたので、
食べるのがたいへんです
でも、肉汁たっぷりで、ビールに合うので、
なくなるのが、こわいです。

母の病室…

2014年11月20日 03時57分48秒 | 母への思い…
こんにちは!

昨年の今日は、僕が肺炎で入院した日…
トイレに入ったら、呼吸ができなくなって、
自分で救急車を呼びました。

担ぎ込まれた病院が、なんと
母が最初に入院した総合病院!
3週間の入院でしたが、リハビリ病院に
転院した母のことが、気がかりで、
いてもたっても、いられませんでした。
こんな大事な時に、僕が入院することになるとは…

僕は、3階に入院して、
母がいた病室は、5階でしたので、
お見舞いに行った日々が懐かしくて
入院中、何度も挨拶がてらに
5階へ行ってみようかと思いましたが、
まさか、1ヶ月半後に亡くなるとは、
夢にも思わなかったので、
結局、行けずに終わりました。
このあと、僕が母に会えたのは、
たったの2回でした…

そして、母が亡くなったあと、
母がいた5階の病棟に、挨拶に行きました。
みんな、驚いていました。

廊下から、母の病室を見た時、
まだ、そこには、母がいるようで、
ニコニコと、うれしそうに笑っている
母に会えるような気がして、
無性に病室に入って行きたくなりました。
でも、他の患者さんが、入っていることですし、
女性部屋ですので、入りませんでしたが、
できれば僕も、母と同じベッドに入院して、
母が、どんな気持ちで過ごしていたのか、
思い出に、ひたってみたかったです。

今僕が、ご飯を食べている居間には、
いつも、微笑む母がいて、ご飯を炊いたり、
肉を焼いたりしてくれました。
何かをお取り寄せしても
一緒に食べる母がいないと
張り合いもないし、美味しくもないです…
仏壇にあげても、母は何も言わない…

母のことを思うと、毎日悲しくて
つらくて、やりきれないです…


今日は、西友のネットスーパーで、
鶏の唐揚げと、いかの唐揚げを買いました



生姜が効いていて、美味しい!



いかの唐揚げも、ビールにぴったりだ。

ご飯とビールが、すすむ!すすむ!

母のぬくもり…

2014年11月09日 01時31分46秒 | 母への思い…
こんにちは!

布団が、ボロになったので、
新しいものを、買おうと思いましたが、
母の布団があったので、
今は、母の布団で、寝ています。

母がずっと使っていた布団だと思うと
悲しく、むなしく、申し分けないような、
複雑な思いです。

母の匂いがします…
母は、この布団の中で、
何を考えていたのだろうか…
何かに悩んだこともあるでしょう…
うれしいことも、あったでしょう…
そう考えると、なかなか寝付けません。


昨年の今日は、母が転院した日…
最初は肺炎で倒れて、
救急車で総合病院に運ばれました。
そして、肺炎が無事に治癒したので、
リハビリ病院に転院となったのです。

転院2週間前に、貧血が悪くなり
緊急輸血をしました。
まだ、良くなったわけではありませんでしたが、
転院日が、すでに決まっていたので
見切り発進したことになります。

僕は、この状態で転院?かとは思いましたが、
母が運び込まれた総合病院が、
あまり親切な病院ではなかったので、
転院先のリハビリ病院に期待をしました。

しかし、リハビリ病院で、2ヶ月後に
亡くなることになろうとは、
この時、夢にも思いませんでした。

当日は、朝早く、車椅子で
介護タクシーに乗って、病院を出ました。
久しぶりに外の空気を吸って
母は、とても楽しそうにしていました。
そんな、あの日の母の笑顔は、忘れられません。

リハビリ病院は、僕がいた山梨 の病院と
同じような雰囲気で、リハビリをがんばって、
早く歩けるようになって、家に帰れるようにと、
リハの先生にも、お願いをしました。

明るい入院生活と、元気に退院できる日を夢みて…


今夜は、お寿司!
僕の好きなイトーヨーカドーのお寿司。





まぐろの握りかたが絶妙…
丸く、シャリとまぐろがなじんでいる。
いい色だ



醤油が薄口で、お寿司の味を引き立てている。
いつ食べても、美味しい

退院したら、お寿司が食べたいと言っていた、
母の仏壇にも、供えてあげよう…



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母の微笑み…

2014年11月03日 01時27分29秒 | 母への思い…
こんにちは!

昨年の今日は、母のリハビリのための
転院先が、決まって、
最初に入院した総合病院での、
母と妹と僕の3人で過ごした、思い出の日…

妹は、仕事の帰りが遅いので、
僕が毎日、病院で母の夕食の介助をしてあげていて、
僕が帰ってから、病院に来る。
この日は、珍しく早く病院に来たので、
初めて2人で、夕食の介助をしてあげました。
これが、最後の家族3人の日になろうとは…
その時は、夢にも思いませんでした。

母は、2人に囲まれて、うれしそうに、
しあわせそうな微笑みを浮かべていました…


今日のつまみは、グリコ「クラッツ」ホタテ味





これ、めっちゃ旨い!
ホタテの旨味とバター醤油が
マッチしていて、ビールにぴったり!


昨日の喜多方ラーメンの味噌あじを茹でました



麺は、よく茹でたら、なかなかいい感じです。
味噌スープの方が、美味しかったけど、
やっぱり喜多方ラーメンは、
醤油のイメージですね!


赤城のアイス「濃」旨ミルク!





これは、濃厚で美味しい!
バニラより、ミルクの好きな、僕好みだ!


最近、ハマっている「ウェルチ100%ジュース」!



CMを見て、美味しそうでしたので
買ってみたら、やめられなくなりました。
炭酸飲料ばかり、飲んでいたので、
たまには、果汁100%もいいですね!

病院の母に、よくアイスやジュースを
持っていった、あの日々が、思い出されてなりません…

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最後の親孝行…

2014年10月07日 00時54分48秒 | 母への思い…
こんにちは!

博多久松の500円の「おためしおせち」を
お取り寄せしました。



昨年のお正月に、僕が入院していた病院から、
今は亡き、母に贈った、1万5千円のおせちが、
どんな味だったのかを知りたくて、
味見のために、お取り寄せしたのです。



母に贈ったおせちの写真です。



母は、貧乏育ちで、父と結婚してから、
中流家庭を築いて、僕が産まれました。
1万5千円のおせちなど、産まれてから、
一度も食べたことがなかったので、
いつも入院ばかりして、母に何もしてあげられないので、
一度でいいから、食べさせてあげたいと思って
贈ったのです。
これが、最後の親孝行になるとは、
この時は、夢にも思わなかったです。

母は、電話で、まずいなんて言っていましたが、
「おためし」を食べてみたら、
けっこう、美味しかったです。
黒豆や金団なんて、全然違います。

このブログを書いていると、涙が止まりません。
生きていてほしかったです。