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トワンテ山の赤隊・イギリス軍第一次横浜駐留部隊の軍装

2011-03-07 10:52:15 | 幕末


日沈まぬ国の兵士たち、日出づる国に来る。
ワーグマンのスケッチに描かれた姿を、当時の服制をもとに再現してみました。でもやっぱり一筋縄にはいかなかった…リエナクターの装備やコレクターのHPも参考にしました。
生麦事件などの一連の外国人襲撃を受け、イギリスは治安維持のため横浜へ陸軍部隊を駐留させました。そのあと主力部隊が入れ替わりながら、明治初期まで駐留は続きました。
幕末期の駐留軍主力歩兵部隊は以下の通り
元治元年:第20連隊(イーストデヴォンシャー)第2大隊※1881年ランカシャー・フュージリアと改称
慶応二年:第9連隊(イーストノーフォーク)第2大隊
慶応四年:第10連隊(ノースリンカーン)第1大隊※同大隊の楽隊長が日本近代音楽の礎を築いたフェントンでした。
その他、馬関戦争などで日本に従軍した部隊などはRA(王立砲兵)、RE(王立工兵)、RMLI(王立海兵軽歩兵)、歩兵第67連隊(サウスハンプシャー)の一部など、色々な名前が見られます。

1つめのイラストは元治元年一月二四日、横浜でオールコック卿を迎える第20連隊第2大隊分遣隊の兵卒と中尉。連隊フェーシングカラーのパールイエローで飾られた1856年型シングルブレストチュニック。P1861”クィルテッド”シャコー帽(戦列兵のポンポンは上白下赤)。
雷管ポーチ&胴乱、右腰にP59ボールバッグ。儀礼時の為かレギンスはなし。銃はエンフィールドP1853ライフルマスケット銃。
中尉は同将校用チュニックに深紅のサッシュ(下士官は右肩から)、P1822/45ソードを装備。一見兵用とほとんど同じように見えますがエポレット(紐上で左肩だけ)のデザインやベルトバックルも違います。



2つめは同年十一月三十日、鎌倉事件の下手人、清水清次の処刑に同行した同隊の将兵。雑嚢や水筒などの余分なものを付けてません。
帽子は”キルマーノック”フォレージキャップ(略帽)。正面に金色で連隊番号。頭頂部のポンポンは青。(擲弾=白で連隊番号上に金の擲弾章・軽=緑で同上にラッパ章)。

この一週間近くの労力ががほぼすべてこの絵の為に費やされました…。ああ、なんか達成感。
背景はさんざん迷った挙句、元ネタのスケッチから模写しました。

第9連隊なんかはなんか黒っぽいジャケット(P59ファティーグジャケットか?)を着ている絵なんかもあったり、まだまだ研究の余地ありですね。

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