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幸せになろう!

村上浩美のコラム

結婚したい、結婚したい、結婚したい。

2008年07月03日 | Weblog
結婚は「 人間磨きの旅の始まり 」であり、結婚生活は人を大きく成長させる舞台だと思います。

結婚すると、好きな相手とはいえ「 他人 」と生活をすることになり、一緒に生活をすればお互いに我慢しなければならないことがたくさん出てきます。
この我慢=譲る心があなたの人間の器を広げていきます。

例えば、どんな恋愛を経たカップルでも、「 寝て起きて食べて 」を繰り返すうちに、
相手に対しての「 好き 」という思いは次第に薄れて、譲れていたことが譲れなくなる。
こうして起こるのが、夫婦間のなわばり争いです。

これは結婚して約3ヶ月ほどすると、大抵の夫婦に起こる現象です。
それを越せば6ヶ月目に、今度はそれぞれの固体に対しての「 慣れ 」がくる。
これを超えて1年・3年後と、慣れに対する「 飽き 」がくる。
それを過ぎて、10年目あたりに「 惰性 」がくる。

そして、その惰性に対して「 このままで、私の人生は終わってしまうのか 」という「 焦燥感 」と
「 でも、今更どうしようもない 」と「 諦め 」が来る。
どんな夫婦でも、大体はこのサイクルで「 嫌周期 」が来ます。

とはいっても、あなたの周りに、仲睦まじい老夫婦を見かけることはありませんか?

そんな「 良い夫婦だなぁ 」と感じるカップルの共通項は、互いをいたわり合う意識が
周りの空気からにじみ出ています。
そんな「 真の愛 」とは、先ほど挙げた「 嫌周期 」を何度も超えていく過程で、
相手に「 求める 」のではなく「 与える心 」が大切だということに無意識的に気づき、
最も成熟した愛の形「 慈しみの関係 」に昇華したあかつきに得るものなのです。

と、書くと「 結婚って面倒で大変そう 」と思うかもしれませんが
私は問われたら、ぜひ一度は結婚しましょうと言いますし、
できれば子供を産んで育てて下さいとお話しています。

では、具体的に結婚したいという方に、少し現実的なお話を。

結婚の条件は、男女とも歳を取るごとに、確実に「 ワル 」くなっいきます。
それは、確率の問題です。歳が経つごとに、結婚対象となる相手がどんどん少なくなる上、
多くの男性を見ることにより、異性を見る目が肥える。
その結果「 もうちょっと待つともっと良い人が・・・ 」と、例外はありますが、
一般的にチャンスを逃してしまいがちです。

愛情、お金、将来性、相性の良い舅や姑。そんな何もかもそろった結婚はありませんし、
相手が同じ価値観を持っている というのも幻想です。

「 結婚 」は、他の固体とひとつ屋根の下で暮らし、お互いに許し合い分け合い成長し合ってこそ
「真の愛情」に行き着くもの。あたなにとって都合のよい人生の「 保険 」ではありません。
相手の条件を見比べて迷っていると、婚期を逸してしまいます。

ただし、結婚する前に見極めないといけない、重要なポイントがあるのも確かです。
いわゆる、ひとめ惚れで「 ビビッ 」と来た刺激のある相手はダメ。
こうして一瞬で引き合う人は、あなたと同じ「 寂しさ 」を持っていることが、確率的にとても高いからです。

たとえば、親の愛情を感じられず育ったふたりが一緒になった場合
「 寂しい 」という気持ちは共有できますが、親から「 愛し方 」を学んでいないので、経験のないものは分からない。
また、互いに語らずとも直感(これをビビッとくるという)で惹かれ合う傾向があり、寂しさを分かり合える相手ならば きっと自分のこころも埋めてくれるだろうと期待する。
それを「 慰めあえる愛 」だと勘違いしてしまいます。
しかし、同じ場所に穴が空いているわけですから、根本的に心の穴は埋まらない。
実は「 寂しさって? 」とすぐには理解されないタイプのほうが 結果的に満たされる。お互いに足りない部分が違っているからこそ、凹凸の形をした愛となり、いつしかこころの空洞が自然に塞がっていくのです。

結婚相手を選ぶのであれば、一気に燃え上がるタイプではなく、少し退屈だと感じても、
見栄を張らずに長く一緒にいられる「 ほのぼのとするタイプ 」がベストです。

人は、自分が持っているエネルギー以上の人と知り合うことはできません。
周りの男性が役不足だと思うのであれば、あなた自身がまだそのレベルでしかないということ。

「 平凡 」は少し、退屈で地味に見えますが、実はかけがえのない幸せなのです。
あなたから見るとその平凡な相手こそ、あなたを「 平和 」に生きさせてくれるパートナーなのです。

華とあれ女の意地

2008年01月21日 | Weblog
大河ドラマ
その時歴史は動いた
吉本新喜劇

忙しくてもこの3つはよく観ている。

今日のNHK「その時歴史は動いた」はちょっと面白かった。

【 女の意地の張り方の 美学 】を教えてもらった。

どんな番組かおさらいしてみよう。

時は今からちょうど140年と3か月前
1868年慶応4年4月11日。
江戸城の無血開城の裏に一人の薩摩女あり。

それが今日の主人公 天璋院篤姫。

篤姫は18歳で薩摩藩島津家より徳川に嫁ぎ、13代将軍家定の御台所となる。
ところが早々に夫が病死し、天璋院となり徳川家を支えるが、
朝廷より嫁いできた14代将軍の御台所和宮と
公家の嫁対武家の姑としてウマが合わない。
しかしそこは天璋院、持前の「人心に巧みなる性質」を活かし
やがて和宮と心通じ合う。
共に政略結婚、夫の早世が同じ境遇にある和宮と力を合わせ
徳川家を盛り立てるが、尊王攘夷の気運高まる時代の流れには逆らえず
遂には、こともあろう、天璋院の出郷である薩摩藩と和宮の流れである朝廷が
手を組み京都から大軍を率いて江戸城へ進軍してくるという・・・
何とも皮肉な運命にさらされる。

そんな時、天璋院は、同郷の薩摩藩大将である西郷隆盛に
血を流しての倒幕より無血の開城を「この一命をかけて」と
文(ふみ)をしたためる。

・・・番組の中で 実存するその文が公開されるが・・・
   なんとまあ 男らしい字ですこと!惚れ惚れする!

その甲斐あって江戸城を無血開城し、静かに城を去る天璋院であるが
城を明け渡す前に「これぞ徳川三百年の栄華なり」と云わんばかりに
城内を徳川家の調度品で飾り、自らは身ひとつで城を出たという。

・・・「こ これも持ってかなきゃ・・」
   「こっ これも 大事だしぃ~」    なんて ことはないわけで。

あっさり「くれてやりましょ」なのか
フン  「物ではないわ」の心境なのか
ホラ  「見や。我らの誇りを」なのか  中々・・・やってくれるわけで。

城を出ても実家薩摩の援助はキッパリ断り
着物も自らが繕うような困窮の中でも
共に城を出た女中達の再就職、縁談に奔走したという。
そんな天璋院が、最初で最後に旅をした際に選んだ先は
共に徳川のために最後まで闘った同志、和宮の終焉の地 箱根だったそう。
まるで女武士・・・。

実家が嫁ぎ先を攻めるなど 戦国時代からよくあること・・・
とはいうものの その時代にそこに生きた女にとっては一度の人生
歴史なんて関係ない。
さぞや驚き
「な 何で!何で攻めるの~!
 わ・・わたしは まだここで生きてるのよおぉぉーーーっ!」と
実家と嫁家の狭間に立たされ
憎む対象が定まらない 何という虚しさ悔しさか・・・
さぞ複雑な想いがあっただろう。

でもきっぱり
「いいえ。私は 帰りません。」
「いいえ。私は 要りません。」
「いいえ。私は この家の人間です。」と言うかぁ・・・

「やっぱり 帰ろうかなぁ」とか
「やっぱり ちょっと 小銭いただこうかなぁ」とか
「やっぱ 独りじゃヤレないわ」とか ナシだもんなぁ・・・

      ・・私は ちょっと いや かなりこの口かも  ・・・

そんな天璋院・・島津 篤子
明治16年に亡くなった時の所持金は3円!!
なんと現在の6万円しかなかったという。

ここまで筋の通った意地が張れると 最早これは【 女の美学】。

昨年のベストセラーのトップを飾った昭和女子大の学長が書いた『女性の品格』
「女とはこうあれ」という女磨き系の啓蒙書であるが

「国家の品格」が出た後間もなくのこの手の出版に
本屋で見かけたとき 上手いことしましたねェ~新潮さん
という感じがして どれどれ読んでみましょ と速攻買ってみたが
松山発東京行の飛行機の中で完読 再び速攻古本屋行の
ちょっと・・・薄い内容でした。
(スミマセン。あくまでわたしごときの戯言です。)

どうせなら これくらい(=天璋院)根性の入った女になれ
と「女の覚悟」や「女の責任の取り方」など骨のある内容で
書いて欲しかったなぁ・・・なんて思う。

と・・かくいう私も お嬢さん方にするセミナーにおいては
「 笑顔が一番!!! 」なんて言っているが

本当は意味ない笑顔ほど疑うべきものはない・・・
とも思っている最近の私。

43年 色々な女性に会ってきたが・・・
笑顔になるこころの裏打ちがあっての「本笑顔」が
ちゃんと笑顔になるべきところで「本笑顔」が出せる
無駄なき笑顔の持ち主のほうが
信用があるような・・・(日本語になっていませんが空気を読んでね!)
まさに 天璋院の写真をみるとそんな感じの女性に見えた。

黙々と淡々とやるべきことはやる
決めたら一筋。

そう言えば 最近 男らしい・・
いやいや【女前】な女性にとんと会ってないような気がする。

余談だが まっ 天璋院のような腹を括った女ばかりになると
私のやっている相談室なんて廃業だろうなぁ・・・とも思うし。

番組のエンドロールを見ていると
「 そのあなたの意地の動機・・
  意地汚い 意地の張り方・・・してませんか?」

そんな言葉が見えたような・・・

わたし?
痛い イタイ!!


 【 本日のサクラサク言 】  女の意地は凛と美しく張れ 


そうそう それから
意地も 張り通すのは 難し
されど 途中で挫けるも 醜し


PS. 本日の番組のサブタイトルが中々良かった。 
   「~大奥 華にも意地あり~」
   きっと 男前の女性スタッフが考えたんだろうなぁ。

あなたは本気で人を愛したことがありますか?

2007年01月07日 | Weblog
出来れば若い時期に 誰かを精一杯愛して欲しいと思います。

なぜならば 人を愛するという行為ほど人を成長させるものはないからです。
自分・・つまり我(ガ)を抑えて 相手に「譲る」という行為を 人生において
これほど「喜んで学べる」チャンスは他にないと思うのです。

人は 小さい頃から 親や教師から「人に優しくしましょう」とか「人に○○を譲りましょう」
などと言われて育ちますが その「譲る」は 人生において出来るだけ摩擦を避けて生きる
日本人特有の知恵のひとつだったり 道徳教育の紋切り型の決まりごとだったりします。
おなかの底から納得して 喜んで「差し出す」こころの裏づけにはなんとも弱いものです。
それになんといっても 自分より大事な存在ができるのだからこれは凄いことです。

現在 本気で誰かを愛している人に尋ねてみましょう。
「今 もしあなたの大切なパートナーが命の危機にさらされていたとして
 神があなたに『お前の命を差し出すならば 愛する人を救おう』と言われたなら
あなたはどうしますか?」と。

すると きっと誰もが 考える時間の差こそあれ
最後は自分の命を「差し出します」と答えるでしょう。

断っておきますがこれは「本気」で人を愛している場合に限定されます。
「ええーっ??私は とても差し出せない・・・」という人は
是非「差し出せる相手」に早めに巡り合って欲しいものです。

健全な精神の持ち主である人間の究極の大切なもの・・・手放したら二度と帰ってこない
自分の「命」を 血のつながりなど全くないあかの「他人」に「喜んで」差し出せる相手に
巡り合ったことがあるかどうか・・・
これが 本物の「愛」を経験したことがあるかどうかの「ふるい」になります。

ただし「差し出しすこころ」の持続時間はあまり問題にはなりません。
ひとりのパートナーとの間で 最初に感じた同じ温度で愛し続けるなどという神業は
誰にもできませんから。
大切なのは そんな「あなたに命さえも譲ります」のこころを
人生においてひとときでも抱けるくらい人を愛した経験があるかどうかです。