朱色会

ブリッツェンほか朱色グルマを乗り倒す人のためのサイト

降臨

2006年11月23日 | ひとりごと
「どこに、しようか?」

厚く垂れ込めた・・・といってもそれは彼らの足元にある
雲の切れ目から、2人の男女が下を覗いていた。

「うーん。どこにしようかなァ」

「そうよね。」

よくみると男女といってもそれは幼児いや乳児のような
いでたちである。彼らは、あそこにしようか
いやあそこがいい・・・と口々に話している。

「なんか・・希望ってキミあるの?」

「えへへへへ、実はらくだに乗りたいんだよね~。
 だから、多分アラブがいいなぁ・・なんて…キミは?」

「うーん…きれいでゆっくりとしたところかな。」

「ふぅん・・・」

「あのね、最近は乗らないみたいよ。そのかわり鉄の馬なんだって」

「えッ!そうなの?それは・・つまらない。。」

どうやら、下の世のどこに「降りるか」品定めをしているようだ

「ね。そんなばしょなんてそんなかわんないよ」

「ま、そうだよな。歳をとっとら、自分の足でどこにでも
 いけるんだからな」

「それより、だれの2人の間にするか?これ、重要でしょう?」

「それは、こだわりたいね。」

「あたしね、あそこに見える男女にしようかな」

「え、あれ?多分にふつーじゃないですか?」

「でも、2人ともニコニコしていてよさそうじゃない?」

「あまいな」

「エッ?」

「あのふたり。リコンするんだよ。」

「え”」

「たくもう、みてくれで決めるなんて、天子にあるまじきだな」

「なによ。えらそうに。あんたはどうするのよ」

「オレは・・、アレにする。」

「え、ふたりとも元気なさそうだし、ぱっとしないわよ」

「だから、オレがいって彼らを暖める。かれらに明るさをあげたい。」

「・・・やるわねぇ」

「それじゃ、オレ、そろそろいくわ」

「あ、そう。決めるのはや。」

・・・というやいなや男の方はすぅ~~と消えていった。

「ふぅ。もういっちゃった。きがはやいやつ。」

『何をぐずぐずしとるのじゃ!』

「あ”、神様。」

『はやくオマエも決めなさい。』

「彼、あっちでの滞在4周期でいっちゃいましたよ。」

『うむ。わかっとる』

「っていうことは4周期でもどってしまうから、逆に哀しみを
 あたえて還ってくるんじゃないでしょうかね?」

『ばかもんッ、だからおぬしはだめなのち”ゃ』

「え”」

『あいつは4周期専用なのじゃ、一生分の幸福を4周期に凝縮して
 人間に渡しては還ってくるのじゃよ』

「へぇ~あいつそんなことやってるんだ・・・」

『おまえも、見習ったらどうじゃ』

「ちょっと感動しちゃったね。じゃわたしもそろそろ」

『うむ。がんばってきなさい!』

女のほうもすぅ~~と消えていき、神さまだけとなる

『がんばって、こいよ。ふたりとも』

しばらく、神さまは雲の切れ目の下を
・・・ずっと優しい目で眺めていた…

4周期が人間時間でいかほどになるのかは、
 実は神さまもわからない。

(おしまい)



いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへ-Part.5

2006年11月08日 | ひとりごと
みなさん。いまは児童(じどう)か、学生(がくせい)さんですね。

卒業(そつぎょう)のあとは、学生でしょうか
それとも、社会人(しゃかいじん)でしょうか
とても、楽(たの)しみにしていらっしゃることでしょう。

学校生活(がっこうせいかつ)と卒業してからのことをすこし
学校を卒業したものとして、みなさんにおはなしておきたいことが
あります。

がっこうをでると、社会(しゃかい)の一員となるのですが
「社会の厳(きび)しさ」は、
がっこうとは比べ物(くらべもの)になりません。

比べ物にならないくらい、パラダイスということではなく、
むしろその反対(はんたい)なのです。

『えっ!たのしみにしているのに!』

・・・と驚(おどろ)かれるかもしれません。
もちろん。たのしみもたくさんありますよ。それはよくよく
たのしんでいただきたいとおもいます
しかし、たのしみだけでは、ないのですよ。

がっこうを卒業すると
「いじめ」も卒業できると
お考えのかたが、多いのではないのでしょうか?

・・・むしろその逆(ぎゃく)です。

学校は、実(じつ)はたくさんの大人たちに守られている
恵(めぐ)まれた園(その)なんです。
せんせいたち
せんぱい
ともだち
ふけいのかた

卒業をすると、それらすべての方の、あなたについての役目(やくめ)は終わり
あなたは、社会のなかでたったひとりになります。

あなたは、ひとりで、じぶんじしんを、しゃかいのなかで
まもっていくひつようがあるのです。

がっこうのなかのいじめなど、しゃかいにでたわたくしどもからすれば
かわいいものです。むじゃきなものです。
どうか・・・

「つよくなってください」

『いじめ』があなたのまえにあらわれたならば
とにかく逃げないで欲しい。そして、いじめというものの【正体(しょうたい)】を
じぶんなりに見極(みきわ)めてほしいとおもいます。

正体を見極めることができたならば、あなたは
しゃかいにでてから、いじめがまた現れたといしても
的確(てきかく)に自分だけで『対応(たいおう)』ができるのです。

そのために、いくつかのいじめは、
あなたの目の前に現れることになっています。
つまり、あなたの人生(じんせい)のため、用意(ようい)されています

あなたをつよくするために。

いじめは、しゃかいにでるためのかみさまからの
『宿題(しゅくだい)』のようなもの。

宿題をしあげて、しゃかいにでてきてほしいですね。
宿題ができずに、社会があなたをうけいれるかどうかは
あなたじしんがためしてみてください。
その【答(こたえ)】は・・・すぐにわかることです(笑

いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへ-Part.4

2006年11月02日 | ひとりごと
学校が温室を通り越して無菌室化しているような社会の動きがありますので、これについて

みなさんと考えてみましょう。皆さんとは、いま、学校にいっている子供の

皆さんです。

皆さんは、学校でいろいろなことを「学んで」いるんですが、

学校を【卒業】した朱色会から言わせれば

さんすうとか

こくごとか

かんじとか

けいさんとか

そんなものよりもとっても大切なものを「がっこう」で学んでいることを

伝えておきましょう。

それに比べれば、上にあげたものは、ケーキにたとえると上にのっている

イチゴ程度のものなのですよ。

たとえば、

放課後、遊びをするとき、どんな遊びをするか決める。

決めた遊びで仲良く過ごす。

けんかがあったとしても、こどもたちだけで、おさめる。

仲間はずれをしない。

あそびどうぐを貸し借りする。

遊びどうぐをもっていないともだちに遊び道具を貸す、または借りる。

そのときにありがとうという。かえすときにもありがとうという。

・・・そんなことのほうが、はるかに、はるかに学校をでてから、

役にたつのです。

「えッ!!そんな!!、受験があるよ!」

・・・受験というのは、「決まりきったことを思い出すだけの作業」でしかありません。

ガキ大将をどのようにやりすごすか、スネ夫とどう仲良くやっていくか

シズカちゃんとおはなしをするためにどういう作戦をたてるのか

そんなことのほうが、受験よりはるかに難しいことです。

決まりきった答えが

ないからなのです。

もし、あなたの周りに、ジャイアンや、スネ夫や、シズカちゃんがいないとしたら

あなたは大人になってから、それらの人といきなりお付き合いをしなければなりません。

大人になってからの対応は、子供のときにいろいろ体験しておかないと

ちゃんとつきあえないのです。

おどかすわけではありませんが・・・がっこうをでるとですね。ジャイアンや、スネ夫や、シズカちゃんが、うじゃうじゃあなたの前に現れます。それをとめることは、できません。それが「おとなの社会」なのです。

この話はながくなるので、今日はこのへんで。。おやすみなさい。

「いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへ-Part.3

2006年10月18日 | ひとりごと
前回の記事のつづきです

2.むかし、わたしはいじめをどのように克服したのか(事実報告)

おとなたちに頼れないとおもった私は、自分の力で問題を克服しました。

転校当初のこどもの立場というものは弱いものです。
味方がまったくいませんし、誰がワルかもわからない。
それで、明るく・社交的なこどもを演じることとなります。

転校生は常に注目のまとです。つねに周りに誰かがいたような気がします。
たいへん気を張っていました。
帰宅部でしたが、帰宅するとぐったりして、それから、夕食まで
ようやく自分を取り戻すといった毎日だったと記憶しています。

◆私の受けた「いじめ」

・・・は、休み時間中ずっと
誰かの「車」になることでした。「車」とは誰かをおぶって
いわれるまま、そのしょっている人の通りに運ぶというものでした。

「トイレ」にいけといったならばトイレまでおぶります。
「中庭」にいけといったならば中庭までおぶります

私はといえば、転校先に受け入れてもらうために必死でした。
『孤立』だけは避けたかったので、「彼らのいいなり」でした。。

・・・・傍目からみたら、仲良く遊んでいるように見えるでしょう。
もしかしたら、車を命じたこどもも、遊んでやっているという
感覚しかなかったのかもしれません。

私にとっては、休み時間は「地獄」そのものでした・・・・
はやくこの10分が過ぎないものかとそれだけを思っていました。

◆きっかけ

転校初日でしたか

沢山の同級生男子がわたしのまわりに集まり、腕相撲しようとなりました。
腕相撲で勝つことはとくにわたしにとってこだわりはありませんでしたので
その場にいた全員とやってわざと負けたのです。

そのあと、学級でいちばん背の小さく、力の弱いもの(不良グループに属して
いましたが)その子が最初に私に「車」を命じたのです。。。

今考えると、その子はとても自分の腕力や体にコンプレックスをもって
いたのだと思います。私が負けたことで、じぶんよりも弱いものが
学級に生まれたと思ったのでしょう。そしてそのことを、
学級全体に知らしめたいとかんがえたのだと思います。


◆経過

そのうち、複数の子から「車」を命じられるようになりました。
そのころから、女子から「やめなよ。かわいそうだろ」とか
他の男子から、「かわるがわるこうたいでやったら」などと擁護の発言
がでるようになりましたが、それがまた、よくなかった。
やめろといわれると、さらにやりたくなるのがこどもです。

だんだんとエスカレートしていきました。。

おぶったまま走ることを強要されたり、階段を上り下りさせられるようになった
のです。

・・・・それが2週間ほど続きました。

私にとっては永遠の地獄におもえましたが。。。。

◇あっけない幕切れ

このままではいけない、彼らは仲良しで遊んでいるわけではないと
思ったわたしは、意を決したのです。そして、その休み時間が始まりました。

子:よう、トイレにつれていけ

私:つれていかない。

子:エッ、オブってけよう。

私:もう、君をおぶらない。ごめんだ。やらない。

子:…

すぐに喧嘩になるかなと、ちらっと思いましたけど
その子はすぐに引き下がり、それ以来普通の児童と同じ
関係となったのです。つまり、その瞬間に「いじめ」はなくなりました。

◇まとめ

これは私の人生のなかでも、鮮烈に覚えている記憶のひとつです。

『NO。』とはっきりと毅然といっただけで、
私へのいじめは霧が晴れるように終わったのでした。

それからは、まぁ普通の学校生活を送ることができるようになりました。

いやなことは、はっきりといやであることを、いじめをしている人に
まっすぐにいう。続けようとしても毅然とそれに従わない。

わたしの体のなかというか変化があったことは確かなことです。

ノーをいえないジブンから、ノーといえる自分へ変化したのです。。。

変化を果たした人間に対して、いじめをする人は
ちょっかいをださなくなります。

これが、私の経験した唯一の「いじめられ」体験です。

「いじめ」体験は、もうしばらくしてからお話しましょう。

いま、「いじめ」で苦しんでいる君。朱色会のまねをしてください。

私のような奇跡的な変化があるとは限りませんが、
なんらかの変化はあるはずです。

あなたのまわりに・・・・そして、

あなたのからだの中に! です。

「いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへ-Part.2

2006年10月17日 | ひとりごと
メインブログサイトが長期メンテに入ってしまったので、
投稿記事をこちらに転載します。サイトが復旧したら、記事を戻します。
(マルチ運営をしていると、このようなとき、便利ですね。)

まずは、前回投稿分サマリを掲載します、詳しくはココログ版
「いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへをご覧ください。

「いじめ&自殺」列島に生まれた子供たちへ

今を去ることやく30年前、私が児童だったとき、今となっては昔になりますが

私自身もいじめをうけ、そしていじめをやったことがある人間です。

私は、父の仕事の関係で、転校を繰り返していました。

転校するたびに、「よそ者がうける水」を浴びました。

そして、いじめられるのがいやで、その矛先を他のものに向けさせたこともあります。

・・・・いじめをどう定義するかにもよりますが

「いやな(嫌悪感)を覚えることは」すべていじめです。

じぶんがいやだな、とおもうことは、他人にもしてはいけません。

私が「こころの傷」としていまも抱えていることは、じつは「いじめられたこと」ではありません。自分より弱いものを「いじめたこと」です。この傷は、わたしが死ぬまで、消えることはないのです。

(つづく:ここから、17日分)

両親は、現在も朱色会が少年時代に「いじめ」を受けていたことを知りません。
どういうわけか、頑なに秘密にしていました。

今となってはそれが正しい選択だったと思うことがあります。

それで、私の当時の記憶というか当時の心情をまずは反芻することにします。

1.なぜ、わたしはいじめを受けていたことを親に報告しなかったのか

小学生をやっていたものならば、すぐに理解できることですが
学校には、2つの世界があり、その見えないしきりは完全に大人たちからは
遮蔽されていたと記憶しております。
すなわち
教師・オヤたち:大人の世界だけをもつ
児童たち:大人の世界ともうひとつこどもたちだけの世界

こどもたちの世界のことを、大人の世界にもちこもうというこどもは
こどもの世界から、こどもたちにより「追放」されるのです。

こどもたちのことは、こどもたちだけでなんとかしなければなりません。
それが、こどもしゃかいの掟・戒律だったと、記憶しております。

これは、多分いまも存在する概念だと思います。

こどもは、こども世界で起こることをおとなたちには披露しません。

学校は1つになっているなんていうことばは
こども世界を認知できない連中が作為的につくった概念です。

あの場所には2つの社会が明確に、(そして明確なことは大人たちに知れず
依然として存在しているのです。

さて、そんなわけで、わたしもこどもの領分でおきたできごとは
大人の手を借りるわけにはいかず。もんもんといじめを我慢していました。

いじめが露呈したとき、なぜ、いじめを認知できなかったのか
という問いが後になってよく出てきますが、これはカンタンなことです。

いじめはコドモ界だけ起きているため、大人の領域では
事前に察知、または予兆を検知することは、ムリなことでした。

あれから、数十年がたちましたが、多分この状況は
変化がないことでしょう。

教師の方たちは、自分が児童だったことがあるはず、であるならば
コドモの戒律は知っているはずだとおもうのですが・・・・忘れてしまいましたか?

コドモの世界で起きたことは、コドモの世界でケリをつけることです。

・・・・という観念が、いまあるのかどうか
それは、わかりません。しかし、似たような概念はおそらく残っているのでは
ないでしょうか?

それともうひとつ、おとなたちには見えない「状況」を報告したとします。

オヤに報告したとして、それがなんなんのでしょうか?
現実問題としては、学校は隔離施設であるため、オヤが出向いてなんらかの
実力行使をすることはできません。
学校のエリアに自由に行き来できるのは教師と児童のみ。アウトサイダーが
できるのは、せいぜいかなきり声を発するくらいでしょう。

センセエに報告したとして、それが好転の起点になるとは限りません。
そのセンセエの指導力により、結果はピンからきりまで。
正当な対応として考えられのは
「こらッ。お前ら、xxxxをいじめるのはヤめろ」
「はぁ~~~い。。。わかりましたぁ」
となってやめるやつはいません。やめるくらいならば、最初からやらないのです。

本ブログでは、最終的には他力本願にセンセイの不出来を攻めたり、
学校組織の限界を論じることはしません。私はいま、語りかけている人は
がっこうにいる。こどもの皆さんです。

それを踏まえて、話をつづけていくこととしましょう。今日はこのへんで。

(Part.2おわり)



良心と悪意

2006年08月31日 | ひとりごと
ことばのなりたちと思惑にココロを配ると、いろいろなものが見えてくることがある。

…とても陰惨な事件が頻発する。
人間の本質は、悪なのか?それとも....

朱色会はやはり善だと思いたい。今日はその講釈をカルくやっておく

世界に冠たる表現力をもつ日本語だが
『悪意』ということばはあるが【悪心】ということばがないのと同じように
『良心』ということばはあるが【良意】ということばは存在しない。

・・・・これはどういうことなのか?
ちょっと考える。

人間を外側からラッキョウのように剥いていくと、最後は【心】だけとなる。
これは、朱色会の読者ならば、「そうそう」と同意してくれることだろう。

んで、意とはそのココロの周りにまとわりついているものだ。

心が中心で、そのまわりに、とくに、『そと』からの環境に影響を及ぼす
意がまとわり、そのまわりに、肉や血や皮膚がへばりついている。
それが人間だ。

ことばというものは、なんとはなしに生み出されているものではなく
永年その土地の賢人たちが経験のなかから紡いでいるものだ。
したがってひとつの単語であってもいろいろなことがわかる。

この世に「悪心」とか「良意」ということばがうまれなかった意味

それは人間の中心にあるもの、本質的なものは「善(良)」であるということ

では、悪はなぜ生まれるのか、それはその人の生まれたあとの環境や経験が

心のころもである『意』に色をつけるのだ。

そう断言する。

・・・・繰り返しておこうかな。
そぅ…断言…したいなぁ。(←いろんな巷のニュースで
 ぐらぐらきてます。きてます。

人間の中心にあるもの。それは全ての人間が「良」であることを信じたい。

そう信じていなければ、…「人間」など、やってられない。

今日で8月は終わり。千葉では、もうがんがん秋風が吹いています。

【WEDGE】さん。もっと朱色会の記事を、どんどんぱくっておくれ。
どんどん。(2回目、笑

今日は定期健康診断があり、下剤でバリウムを腹から流したので
へろへろです。
…おやすみなさい。

「超神ネイガー」に捧ぐ…

2006年07月19日 | ひとりごと
3連休にて、なんとはなしにNHKのニュースを夕方みていたら

「超神ネイガー」の特集をやっていた。
…それ以来、どっぷりとハマっている。

ネイガーを知らないヒトは多いと思う。えッ!遅いって?

ネイガーは、秋田が生んだ、秋田発信の特撮ヒーローだ。
オフィシャルはたぶんコチラ

まずは、ご一読いただきたい。

ニュースの特集では、ネイガーを支えるスタッフにスポットを当てていた
まだ、あのニュース特集は、ココロに残っている。
だれか、You Tubeなどにあの良品をアップしてもらえないかな。
もう一度みたい。DVDレコればよかったな(最高画質で)。

その番組(特集)では、夢破れた男が里帰りして
もういちど夢のかけらをネイガーを興すことでとりもどすという内容で
リターンをしたおじさんたちの夢の続きを克明に捉えていた
…不覚にも、ノスタルジックとシンパシーを感じて
 朱色会も素直に落涙した。

ヒーロー。

朱色会は、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」世代だ。

あのころの少年達は、口には出していなかったけれど
「ヒーロー」すなわち正義の味方になることを誰もが、真剣に夢見ていたのだ。

読者のなかには「なまはげ」をご存知の方は多いだろう。

「わるいごはいねがぁ!わるいごははいねがー!!」

と、恐ろしい形相で(そして酒臭く)子供がいる家を練り歩き、
子供にからむ。多くの子供は、空想と現実の区別がつかないので
恐れおののく。(トラウマになるくらい)

両親が、酒を振舞ってなだめると、なまはげたちは家からでていく。

あの風習はとてもすばらしいと思う。
恐ろしい鬼たちを、子供たちは恐れ、躾けられる。

「そったわるいごどしてれば、なまはげくるや」
訳)そんな悪いことをしていると、なまはげがやってくるよ

ーー

子供をきっちりと(叱れなくなった)「おとな」は増えた。

しかし、悪いことは悪いことと、そのときに叱らないと
善悪の区別がつかなくなり、「わるいご」となってしまう。

いずれ、「わるいご」は
いろんなことをする、いろんなこととは、
毎日新聞やニュースになるから、いろんなことの内容は割愛します。

ほんとの『大人』というものは
子供の未来のため、たとえ疎まれたとしても
そのとき憎まれたとしても
間違いはきちんと真剣に叱って正していけるものたちだ。

いまは、なかよし親子がトレンドらしいな。大きな間違いだと
はっきりといっておこう。何かが継承されない。

ーー
ニュース特集で、出演したいたネイガーを支えていた
大人たち(ほとんどがおじさんだった)は、瞳が輝いていた

・こどもたちのために。
・郷土のために。
・そして自分自身の誇りをとりもどすために。

…ネイガーを興行する。とても熱心であこがれるし、
 誰もが輝いている。

いずれ(朱色会もそうだったけれども)
子供たちは大人になるにつれ、ネイガーがぬいぐるみであることに
気づく。だが落胆はしない。『もうひとつのこと』にほとんどの者が
気づくからだ。

そうして、おじさんたちが託そうとした想いは、
次の世代に引き継がれるのだ。なぜならば、
おじさんたちもそれをリレーされたからなのだ(泣。

「もと少年」から「少年」へ。永遠と伝承されていくのだ。

ーーー
わるいごはいねがぁ。わるいごは、いねがー。

あ・・・そぅそう。超神ネイガーのネイガーとは、なまはげが叫ぶ
いねがーのねがーをもじったものであることを、
敢えて解説して、この節を綴じよう。

読者にQ。貴方の家には、「なまはげ」はいますか?

『わるいごは、いねがぁ!!!!!』

「豪石」せよ!

「先に入社したおじさん、おばさん」にならない方法

2006年06月14日 | ひとりごと
私のリンクにはってあるリーダー論の重鎮。

佐藤直曉さんは朱色会がとても敬愛する人物だ。
毎日なんらかのリーダー論を説くという離れ技を実行中。

ブログは、あるテーマに絞ったほうが読者がつきやすいとはいうが
朱色会は映画がすきとは言え、毎日講釈を垂れろといわれるとつらい。

それをなんと、数年にわたりされているのだから
頭がさがる。見習いたい。
見習いたいが、朱色会は好き勝手なことをしゃべり続けるつもり(笑

さて、本節はリーダーに関することだ。

ヒトをリードすることはとても大切なことだ。企業人としての人間
関係の一形態だし、会社は何らかの徒弟制・師弟機能がなりたつことで
成長していく組織体だからである。

先人が踏んでくれた地雷(会社としての失敗)
先人が蓄えてくれた資産(定款を初めとした存在意義と経験則)

が後輩に伝わることで、よりうまくパフォーマンスが果たせる。
その輪廻により、さらに次の後輩に

・地雷のありか
・有効なる資産

が伝承されていくのだ。その企業は、永続的に成長を続けることができる。

先輩の先輩たらしめるところは実のところこれを他人に供すことが
できるかできないかだと思う。

もし、貴方が後輩(年齢として年下なのではなく、
その会社での勤続年数が自分よりも少ない)に対して、
地雷のありかや伝えるべき技なり
コツなりを示せないならば、単なる

「この会社に先にはいったおじさん(おばさん)」

となる。それは、決して口にだして呼ばれることはないが
ココロのなかではそう思われることになる。

『いや、おれ(あたし)は大丈夫。【プロ中のプロ】だから』

…なんて自画自賛しているヒトが一番危ない。
逆に、いつも

『自分は先輩としての機能を果たしているだろうか?』

と自問自答してかつ自分の言動なり行動を自己チェックしているひと
は(おそらくは)大丈夫だろう。

手前味噌になるが私が最初に入社した会社には

ほとんど【おじさん】と【おばさん】はいなかった。

だれもが先輩でありつづけたいとう使命感というか危機感というか
そういうものをもって私に接してくれた。とても【当たり】の会社
だったのだ。そういう意味ではね。

…今の会社のことはあまり『悪く言いたくない』ので
コメントを差し控えたと思います。(笑

もしも貴方の会社にこのような関係がたとえば
・成果主義とか個人主義の曲解運用によりその関係が希薄
あるいは途絶している場合は

貴方の会社は、「賽の河原」と同じである。

先人が積んだ、石の塔「ケルン」は、貴方がくることで
全て崩され、貴方はイチからまた石を積むことになる。
貴方もまた、次の人間が来た姿を遠くに捉えたとき、
やおら自分が積んだ塔をめちゃめちゃに崩してそこを去る…
そんな会社が、勝てるわけがない。

このような会社ができてしまうひとつの一要素としては
起業した人間がひとりぽっちで立ち上げに成功してしまった場合
それを是としたルールができてしまうことがある。

『成り上がりたければ、自分ひとりで這い上がってこい』

川原の石を途中から積んだことがない(と、思い込んでいる)ものにとって
他人が自分が積んだ石の上に石を置くことなど
想定外でありえないことと思ってしまうのだ。

…実は、そのような会社は、増え続けている。

もしも、会社の中が全員【おじさん】で占められている場合ならば
あなた自身がまずおじさんを辞めてみることを奨める。
価値の創造と伝承は、なんと貴方から始まる。

さて、ここまで読みすすすめてくれた貴方に感謝の意を込めて
つぎの質問をプレゼントして、この拙文を閉じたいと思います。

『貴方は、【おじさん】じゃないですよね?』

おんなたちの「本採用」

2006年05月30日 | ひとりごと
今日は、小噺です。

おんなと男ってこんなに考え方が違うのか
とおもう会話で記憶していることを書きます。

ゼンブが全部こぅではないだろうと思うのですが…
わりと朱色会も「納得」させられました…。

昨今は景気が上向いてきているため、就職活動にも明るい兆

しがでているそうで、いいことだと思う。

有形無形の不良債権を償却し終わった企業から、人を雇うと

いう本来の会社のあり方に軸足を向け始めている。当然のこと

だ。企業は金とモノのほかに、人を飲み込み、そして吐き出

す。(おぇっ)

…これはいまをさかのぼること数年前の
企業の雇用能力がどん底になるちょっと前の話だ。

ある飲み会で本採用された男女(同期ではない)と飲む機会

があった。そのときの話。両者とも就職ではやや苦労した。

私)いやぁ~~おめでとうおめでとう。

男女)ありがとうございます。

私)今まででいちばんうまいビールなんじゃないか?

男)そうですね。親もほっとしていると思いますよ

私)…そうだろね。まぁのめ。どんどんのめ。

女)いただきまんもす。(←当時のことば。)

男)ゴールテープ切ったって感じですよ。

私)おぃおぃゴールテープなんてまだこれからだろ。気が早

いんじゃないか?

男)…まぁそうなんですけど

私)キモチは解る。

…しばらく飲んでさわぐ。
就職は人生のくぎりかどうかで、話がもりあがる

私と男は くぎりでしょう
そして女は、 ぜんぜんくぎりじゃない

と意見がわかれる。かなり酔っ払ってから

私)じゃ、ナニがくぎりなんだ

女)やっぱし、結婚ですね。

私&男)おぉぅ(←バカ)

おんな)会社に入るのって女からしたら 結婚にいたる予備

試験みたいなもんですよ。

私)うぉーそうか!

おんな)競争率もさらに過酷だし、志望する『人間』は少な

いし、「採用枠」もたったひとりですしね。苛烈さからいっ

たら就職活動の比じゃないんです…

おとこたち)……(無言)し~~~ん。

…彼女はしっかりと、そして人生を悟ったかのように話した。
男はぐったりとしてしまった。
そういうもんなのかも知れないなと納得したのであった。
とくに、「志望する人間は少ないし…」というあたりから、
男(若者)のテンションがものすごく下がり、
眼の輝きがすこし翳ったことをよく覚えてる。

……酔っ払ってしまったのだろうか?(笑

2つの運動会

2006年05月21日 | ひとりごと
まだ、声が鼻声なので外に出歩かずにブログのトラッキングして
時間をつぶしていたら、腹が減ってきた。
コンビニで腹のたしを買おうとしてドアを開けたら、
珍しく千葉でもいい風がふいている。
それとともに、子供たちの歓声が風にのって流れてきた。

「おっ、運動会か…この時期にやるんだ。」

近くの小学校だ。既に佳境。トリのリレーが行われている。
鳴り物は音楽を含めて禁止のようだね。
住民への配慮だろうか。歓声が耳に心地いい。

ーー
運動会というと思い出すのが組合の運動会だ。

既に後輩Tに書記長をまかせ、OBとして隠居であった私に
スタッフとして参加してほしいという。当然のごとく承諾。

なぜ、運動会なんだとう私の問いに、
組合というよりは社員に閉塞感があり、
運動会をおこなうことで連帯感を強化したり、
閉塞感を払拭したいという。なかなかやるじゃないか。後輩。

ところでほとんどの方は運動会への参加というと
朝の開会式から競技スタート⇒お昼のべんとう⇒
午後メインの棒倒し⇒閉会式で散会という人がほとんどだろう。

しかし、本当はスタッフの並々ならぬ準備があり、
大会がおわっても、大会設備の撤去や業者への引き取り、
あるいはスタッフにより慰労会の開催やそれも含めた
会計処理などの残務がある。

このことは、あまり知られていない。

運動会に大人が投資する人的パワー全体を10とすると
準備や残務に7の力がつかわれている。

大会当日は大変おおくのプレイヤーが運動を楽しむ。それは
上で述べた影の支えがあってこそのものなのだ。

ほとんどの人は、閉会式もそこそこに広げていた
レジャーシートを畳み、泥だらけになったわが子と思い出を
共有しながら帰途につく。

大会スタッフは、それを横目でみながら、大会でつかった施設の
解体や掃除を黙々とやるのだ。

このブログを読んでいる人で
小学生で、そのような仕事に呼ばれてしまい
なんでオレだけやらされるんだとくさってしまった君。

くさる必要はない。おめでとう、君は「大人」の仲間入りだ。

運動会の美味しいところは、リレーの選手に選ばれ、かわい子ちゃん
から黄色い声援をうけることだが、もちろんそれは 子供の世界 の
中でのことだ。

運動会を開催し、サポートする大人の仲間入りができた。
そのこと自体を経験できたことを素直によろこぶべきだ。

運動会においては
閉会式で帰る⇒子供とおなじあつかい
閉会式で帰らない⇒大人とおなじあつかい
となる。

組合で運動会をおこなったのは、それが最期だった。
なぜならば、運動会をおこなう運動場そのものが売りにだされ、
なくなってしまったのだ。
いまは、北欧を代表する総合家具専門店が建っている…。

あのときの社員のこどもたちや親の笑いにかこかれた運動会
はりきりすぎて怪我をしてしまう社員がいるほどだった。
初夏の暑い日だった。太陽がまぶしく輝いていた。
そして、運動会を楽しむすべての人間の顔と体が輝いていた。

大会の準備スタッフも2層構造となる。
つまり、企画⇒準備⇒実施⇒撤収⇒総括 と全てにかかわる
コアスタッフと、大会前日からお疲れ会まで参加する
人手として機能するサブスタッフである。

サブスタッフの慰労をかねた大会が完了したあとのお疲れ会
その準備や会の進行、また、後片付けこれもコアスタッフが行う

サブスタッフが去り、コアスタッフのほとんどが帰途につき
残るは私と後輩とお目付けやくのご隠居役だけとなった。
「お疲れさま」感慨深くハグをかわし、最期の解散をした。

ーー
コンビ二で遅い昼飯を物色していると、
まだ興奮冷めやらぬ児童と、
応援につかれぎみの親子が満足げにどやどやはいってきた。
「運動会は、楽しめましたか?『お子様方』。」それだけいうと
私はそそくさと店をでて、かすかに見えるグランドに目を凝らした。

あははは。やっぱりいる。不満そうに竹ぼうきでもたもた履いている君。
いつかは、君も気がつくだろう。その「ほうき」の意味をね。

…静かな優しい風が、また額を駆け抜けていった。