八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

天正9年 八浜合戦

2014-06-30 01:28:59 | イケン!

 

天正9年3月。

 

直島高田浦の浜辺に、

船大工たちが叩くツバノミの音が、

賑やかに共鳴して響き渡る。

 

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                           直島本村

 

沖合にひしめく直島の小早船は、

胴が太くぼってりとして、

船合戦よりも荷役に適した船形をしている。

 

その小早船に囲まれて浮かぶ

輪抜きの船印を掲げた安宅船の矢倉にて、

小西弥九郎が、無駄のない手つきで濃茶を立てる。

 

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                           輪抜き船印

  

小西弥九郎とは、後の小西行長のこと。

商人の身ながら宇喜多と羽柴秀吉との

連絡役を務めている。

 

小西弥九郎を直島に呼んだのは、

直島当主の高原次利である。

 

次利は、海賊の大将らしく、

髪は茶色く縮れ、浅黒く潮焼けした顔に

鋭い目だけがぎょろっと光る。

 

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                           高原城

  

茶の湯の作法など習う気もなく、

椀を鷲掴みしたまま矢倉の障子窓に腰かけ、

東の海を見渡しながら濃い茶を一気に飲み干し、

次利は、小声で弥九郎に訊ねる。

 

「直家殿は・・・・?」

 

弥九郎は、次利には包み隠さず正直に答える。

 

「はい。おそらく・・・」

 

宇喜多直家は尻はすの病にて

この年の2月に死去した。

死の事実を知るものは近親者のみで

外部には一切伏せられていた。

 

利次は、顔色ひとつ変えず、

続けて話しかける。

 

「ここの海も、村上の軍船がうじゃうじゃしとる。

 兒島の胸上も番田も毛利に押さえられてはのう。

 こげんな中、宇喜多から加勢の催促、

 来る日も来る日も、うるそうてかなわん。

 陸の大名どもは都合のよい時だけ

 海賊を利用する魂胆が丸見えじゃ」

 

堺の商人らしく、

落ち着き払った口調で弥九郎は答える。

 

「宇喜多方にしてみれば、

 こたびの毛利方との戦は避けられぬゆえ

 必死でございましょう。

 目と鼻の先の兒島で、

 常山、麦飯山、八浜両児山が戦場となれば、

 毛利方は村上の水軍を大挙差し向けるは必至。

 宇喜多方の水軍では心もとないゆえ、

 直島の高原水軍の加勢が

 どうしても必要なのでございましょう。

 しかしながら、こたびの戦、

 何か腑に落ちないものがございます」

 

そこへ、

備前八浜の豪商、山下祐徳が遅れて現れる。

高原次利とも、小西弥九郎とも

深い仲の祐徳は宇喜多きっての御用商人。

もともとは武士であり、南朝方楠家の末裔である。

 

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                            備前八浜

 

祐徳は宇喜多からの要請で、

鉄砲、樟脳、兵糧の買い付けに忙しく、

ひっきりなしに九州へ船を出している。

 

「これはこれは祐徳殿、

 お忙しい折、お呼び立てして相すまん。

 先ほどから、弥九郎殿の立てる苦い茶を

 飲まされておるところじゃ」

 

祐徳は、潮気を含んだ羽織を脱ぎながら、

湯気の向こうで茶を立てる弥九郎を見て

会釈を交わし、次利に言う。

 

「次利殿は、毛利の腹が知りたいのでありますな」

 

次利は板の間に腰を下ろし、祐徳に言う。

 

「そうじゃそうじゃ。知りたいのは毛利の腹じゃ」

 

弥九郎が、祐徳に茶を差し出しながら言う。

 

「毛利に腹はなし、と私は読んでいますが・・・」

 

祐徳は作法どおり茶碗を愛でながら答える。

 

「さすが弥九郎殿。そのとおり。

 毛利がこだわるは面子のみと私も読んでおる」

 

「どういうことじゃ?」 と次利は理由を聞く。

 

祐徳は答える。

 

「私どもの船が西国へ下る折は、

 決まって毛利方に積み荷を調べられまする。

 当然、上方へ上る戦道具の鉄砲や樟脳は、

 没収されると思いきや、何の咎めもなく、

 村上殿に帆別銭さへ払えば、 

 船は自由に往来できるので

 拍子抜けをしているところでございまする」

 

柱にもたれかけ、脚を投げ出し、

懐手に首を掻きむしりながら次利が言う。

 

「ということは、毛利は織田勢と

 面と向かって戦う意志は無いということか。

 なるほど、因縁つくらずじゃな。

 さすれば毛利がこだわる面子とは、

 織田と優位に和睦するための条件ということか。

 面子やら、和睦の条件やら、

 ほんに、陸の大名は面倒くさいのう。

 で、宇喜多はどうじゃ?」

 

祐徳が答える。

 

「宇喜多方がほしいのは信用。

 織田方からの信用と毛利方からの信用でござる。

 つまり、

 宇喜多方がすべきことは、

 織田方に忠誠を誓う儀式と、

 毛利方に詫びを入れる儀式でござる」

 

少し考えて、次利は言う。

 

「忠誠を誓う、詫びを入れる儀式とは・・・・

 要するに、それ相応の首級(しるし)を

 毛利に差し出すということか?

 しかし、宇喜多の誰の首を差し出すんじゃ?

 まさか、嫡男八郎(秀家)殿の首じゃあるまい」

 

弥九郎が答える。

 

「おそらく、与太郎基家殿の首級。

 これから始まる八浜の芝居じみた合戦で

 与太郎基家殿の首が毛利に取られれば、

 毛利殿と宇喜多殿の双方の面子も立ち、

 これまでの遺恨も帳消しとなりましょう」

 

次利は怒ったように言う。

 

「与太郎基家殿の首級と引き換えに、

 毛利が兒島から兵を引くことになれば、

 とりあえず、備前は丸く収まる。

 とは言え、おぞましい話じゃ。

 何も知らない基家殿が気の毒でならん。

 しかし、毛利から織田方に差し出すものも必要であろう」

 

弥九郎が答える。

 

「それは備中高松城、清水宗治殿の首級と

 備中・備後・美作・伯耆・出雲の領地でござる

 清水宗治殿が討たれたとなれば、

 他の毛利方の武将、誰ひとり和睦に異は唱えません」

 

次利はふんと笑い、呆れたように言う。

 

「しかしのう、面子とか忠誠心で駆り立てられて

 間に入って命を落とす武将が哀れじゃ。

 おそらく直家殿の筋書きじゃろう。

 梟雄、死してなお恐るべし。

 陸の怪物のすることは、狂気の沙汰じゃ」

 

弥九郎は、宇喜多直家を弁護するように言う。

 

「然るに、宇喜多直家殿の

 どちらつかずの振舞いがあったからこそ、

 毛利殿も羽柴殿も救われたのかもしれません」

 

次利は妙に納得して言う。

 

「そうじゃのう。直家殿は底知れぬ男じゃ。

 流した血も大きいが、直家殿が居なければ、

 何倍もの血が中国で流れたことよのう」

 

弥九郎も祐徳も口をそろえて言う。

 

「たしかに」

 

毛利と宇喜多の腹が見えて安心したのか、

次利は雄弁に語りだす。

 

「わしとおぬしらとは旧知の仲じゃ

 互いに海の自由を知り、陸の不自由を知るものとして

 海賊の本心を言おう」

 

弥九郎と祐徳が身を乗り出す。

 

「実はのう、

 笠岡の村上景広殿から使いがやってきて、

 兒島の海でおしぐらんご(押しくらべ)を

 やろうと言ってきおった」

 

弥九郎が聞き返す。

 

「おしぐらんご?」

 

次利が説明する。

 

「そうよ、合戦では無く、おしぐらんごじゃ。

 つまりじゃ、互いに船を派手に走らせて

 船合戦ごっこをしようという申し出よ」

 

                            おしぐらんご 

 

祐徳が合点して言う。

「戦をするふりということでござるか」

 

空の茶碗を板間にどんと置き、

次利は、にやにやしながら言う。

 

「そうよ、海の人間がよ、

 なんで陸の人間のために命を捨てにゃならん。

 村上景広殿が毛利に加勢するふりをすれば、

 わしは宇喜多に加勢するふりをするまでよ。

 互いに派手に小早船の10艘でも焼き沈めれば、

 宇喜多も毛利も納得するであろう。

 それよりも、八浜合戦の次は備中高松城じゃ。

 足守川を遡る軍船が必要じゃろう。

 ここは、羽柴殿に味方をすれば商売になる。

 ほら、直島本村はツバノミの音でうるさかろうて。

 祐徳殿の金でぎょうさん船を仕立てとるところじゃ」

 

弥九郎は感心して言う。

 

「なるほど、それは妙案。次利殿らしい海賊の所業。

 人をくった面白き話」

 

祐徳もにやりと笑みを浮かべ、

 

「船もたくさん要りますが、

 これからは石の値が上がりましょう。

 早速、飽浦や阿津の備前石工を手配しておりまする」

 

次利はしみじみと言う。

 

「ほんに、わしは海に生まれてよかった。

 陸の不自由はまっぴらごめんじゃ。

 面子とか、儀式とか、なんぼ命があっても足らんわ。

 しかしなぜ、

 陸の人間は血で血を洗うことをくり返すのかのう。

 殺生の業が深すぎて、誰も極楽浄土へ行けはしまい」

 

弥九郎は言う。

 

「殺生の業から救われるために、

 武将は茶の湯を好みまする。

 刀掛けに刀を預けて、丸腰で茶人と向かい合い、

 身体を禊ぎ、心を洗い、穢れを落とすために

 無常の境地で、いっぷくの茶を飲み干しまする」

 

次利は、さっぱりわからないと顔で答えて、

ひとりつぶやく。

 

「キリシタンの弥九郎殿が、

 無常の境地を語るのも面白い。

 わざわざ穢れて、わざわざ穢れを落とす?

 茶の湯とは窮屈で面倒くさい儀式よのう」

 

それから数か月後、

高原次利、小西弥九郎、山下祐徳の予測通り、

八浜合戦にて宇喜多八郎基家は毛利に討ち取られる。

(一説に味方の鉄砲の玉に当たり討死したという)

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                          八浜与太郎様

 

翌 天正10年、

備中高松城は壮大な水攻めの末、陥落し、

城主清水宗治は船の上で舞を踊った後、

「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」

という辞世の句を詠み自害した。

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                           備中高松城水攻め

 

備中高松城水攻めでは、

直島高原水軍と八浜の豪商山下祐徳が、

足守川の荷役を一手に請け負い、

 

秀吉が明智を討つために行軍した

奇跡の中国大返しにおいても、

上方へ上る海上荷役で功を成したという。

  

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                           高原氏墓標群

 

『八浜合戦』『備中高松城水攻め』は、

織田と毛利が和睦するに相応しい、

手の込んだ大芝居だったかもしれない。

 

 

 


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