まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句ゼロ】没自我の反定型言語としてのサブカル俳句/新俳句入門(21)

2017-10-31 09:53:35 | 新俳句入門

10月は総選挙と2度の台風襲来、そして私的ながらカラオケバトル(年間チャンピオン決定戦)・・と続いた。同時期に所属結社と同人誌の大会が行われたが、とてもそれどころではなかった。俳句というものがいかに重要度が低いかの証明である。俳句とは、もはや生きてゆくために必要なもの(1970~80年代の坪内稔典の主張)ではあり得ない。と言うより、俳句・俳諧とは元々そいう存在ではなかったのか?現代に於いて、結社・俳壇と称する文芸利権団体の有力者が、世間並みに文化勲章を受けてシャーシャーとほくそ笑む姿を見ると、近代俳句の本質がありありと浮かび上がって来る。すべてが欺瞞であり、偽装に過ぎないことがあまりにも明白だ。さらに、俳句はJ-POPやカラオケ文化などの先端的かつ日常的な表現形態に比べると、何の普遍性も客観性もない。わずかに可能性があるのは、30歳代以下の【団塊ジュニア】や【さとり世代】の〈おたく文化〉の一ジャンルとしてのハイクであろう。そこでは、戦後の自我がいったん完全消滅し、ゼロから何事かが【俳句定型】とシンクロしているからだ。ニホン語の定型性(暗黙の言語規範)は、俳句形式のどこにも存在せず、没自我・没主体の所謂サブカルチャーとしてのハイクの表層に、21世紀の俳句・俳諧の痕跡が見つかるかもしれない。反世界(みちのく)への旅に出て、おのれを更新しようにも、元々の《おのれ》からしてどこにも存在しない。・・・《続く》

芭蕉の不在歩けばわかる花の昼   まほろば  旧作

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