まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

ポスト新人類に《俳句》は可能か/新俳句入門(17)

2017-09-01 23:52:32 | 新俳句入門

*来生たかおLIVE付

涅槃絵の端の吼えをる鬼が俺     竹岡一郎  句集『ふるさとのはつこい』(ふらんす堂)より *彼は1963年生まれの元祖新人類

今日から9月に入った。新しく参加した同人誌への出句は済ませたが、結社の方の評論がまだである。これは【俳句のサバイバリズム】と題して、俳句形式の現在置かれている状況を多角的に考察するもので、1回目は総合誌「俳句界」の新人賞【北斗賞】をベースに、若者俳句の困難について考えてみた。若者俳句と言った場合、若者とは親子ほど年代の違う自分との比較が当然必須となる。私の20歳代の大半を過ごした1970年代と、北斗賞に象徴される現在20~40歳前後の若手俳人の青春期と重なる時代に何が生まれ、何が終ったのかについて知ることから始めなければならない。今年の同賞を受賞した西村麒麟(33)は2004年に20歳になっている。一方、今回取り上げる関悦史(47)は、1990年に20歳を迎えている。ちょうど1990年代という、20世紀最後の10年と20歳代が重なる。この90年代から00年代という時期はどいう時代だったのだろうか?私の知人に今年56歳になる者がいるが、彼は【元祖新人類】と呼ばれた。この世代を起点に考えると、9歳下の関は【新新人類】と言えるだろう。また、一挙に14歳も離れる西村は【ポスト新人類】を飛び越えてしまう。まず、新人類とは何者だったのか、そしてその後継世代の【ポスト新人類】にはどのような新しさが加わったのだろうか、もしかしてこの両者には決定的な断絶があるのか。そうだとすれば、元祖新人類・新新人類の《新しさ》の深化は何物も生み出さなかったのだろうか?それぞれの世代との接触の経験を辿りながら、追及してみたい。そこから、日本語の定型性や【俳句形式】の存続の可能性について、何か見えて来るかもしれない。・・・《続く》

「竹岡一郎 俳句」の画像検索結果

 来生たかお  LIVE IN NAGANO 1990 

https://youtu.be/-THwKwkMtAQ?list=PLUFBTgTTViwosndBHzLdOzHwdQIv-2RJm&t=9


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