日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

北一輝とムッソリーニ~皇道派とファシスト

2018年04月01日 11時38分47秒 | 愛国社会主義/ファシズム(結束主義)






「男女普通選挙」「一日八時間労働」「累進課税」などの現代では当たり前のことを主張した北一輝ら皇道派とムッソリーニのファシスト

まずは、盟友ブログ「大和民族の団結」様と拙ブログの記事を改めて紹介させて頂きます。


二・二六事件の日 今日の日本の状況は、当時に似てきていないか


今日、二月二十六日は昭和史の中でも衝撃的な事件として扱われる二・二六事件の起こった日である。相沢事件を発端に、陸軍皇道派の青年将校が隆起して高橋是清財務大臣ら政府要職を次々と襲撃し、殺害していったこの事件の、勃発の背景や当時の世間の情勢などを顧みれば、今日の日本の政治状況が似てきているように思われる。

(続く)

学校の歴史教科書などにおいては、二・二六事件は単に「軍部の暴走」などとだけ扱われることが多いが、二・二六事件の背景には、当時の日本の状況があった。二・二六事件は、陸軍全体が反乱を起こしたかのようによく思われるのだが、実際にはそうではない。この事件は陸軍の中でも皇道派と統制派という二つの派閥があって、事件の根本にはその二つの派閥の対立というものがあるのである。そして、この皇道派が二・二六事件を起こし、結果これが失敗して壊滅し、その後東條英機など統制派の台頭につながっていった。
では、この皇道派とはどういったもので、何を目指した人々なのか。皇道派が目指したのは「昭和維新」である。この昭和維新の論理的指導者となったのが、二・二六事件の収束後に処刑された、国家社会主義者の思想家である北一輝である。北一輝が著した「日本改造法案大綱」の内容が、昭和維新の思想を形成していった。
皇道派が何を目指したのか、そしてなぜ実際に行動に移されるに至ったのかを見ると、当時の日本の状況と、今日の日本の状況が似通った状況にあることが自ずと分かるだろう。


まず、皇道派の目指した昭和維新の論理的支柱となった日本改造法案大綱には何が記されているのか、大きく大別して北の八つの主張が記されている。一巻には、「国民の天皇」を主張し、天皇の意義を説いた。北は天皇の意義の変遷を三段階に分類し、「すべての土地と人民とを私有財産として所有し生殺与奪の権を有した」古代の天皇から、「各々の範囲において土地と人氏とを私有した小君主の盟主たる幕府に、光栄を加冠するローマ法王として、国民信仰の伝統的中心としての意義を持つ」中世の時代、そして明治維新に始まる第三期の天皇の意義は、まず明治の時代を「武士と人氏との人格的覚醒により、おのおのその君主たる将軍または諸侯の私有より解放されんとしたる維新革命に始まれる民主国時代と定義した上で、天皇の意義を「純然たる政治的中心の意義を有し、この国民運動の指揮者たりし以来現代民主国の総代表として国家を代表する者」と定義した。つまり、北は明治維新の本質を民主主義の闘争にあると定義し、明治維新以降の国家体制を「天皇を中心とする近代民主主義国家」と定義したということである。

その上で、北は「皇族財産の国庫支出化」「華族制度の廃止」「男女普通選挙の実現」「治安警察法や新聞紙条例など国民の自由を拘束する法律の廃止」といったことをこの一巻で訴えたのである。それは、まさに天皇を象徴としていただき、その上で臣民平等の世を実現せんとする主張に他ならない。

そしてさらに北は二巻でさらに平等ということに踏み込む具体的内容を示している。まず、「私有財産の制限である。北は現状の富の偏りを、「経済的組織から見ると、統一国家ではなく経済的戦国時代であり経済的封建時代である」と経済格差による国家の分散を指摘し、その上で一世帯の保有する資産を一百万円(当時のレートで一億円ほどか)までと規定した。そして、「貨幣の悪制度のために、富が彼ら少数者に停滞し蓄積している」として、限度を超えた私有財産は、無償で国家に納付されるべきだと説いた。同時に、国家への納付者はその功労を明らかに表彰するべきであるともしている。
これとともに、第三巻では「私有地の制限」(大地主解体)を訴えている。「資本的経済組織のために、大多数国民がその生活基礎たる土地を奪取せられつつあるを見るとき、国家は当然に土地兼併者の自由を制限すべし」として、「所定の時価を超える土地の所有を制限」するということを盛り込んだ。さらに、超過者から徴収した土地は、分割して土地を持たざる農業者に給付することをも、北は主張したのである。
同じように、第四巻では、私人生産業の制限、すなわち財閥の解体を主張し、生産業の資本の限度を一千万円(当時のレートで百億円程度)程度とした上で、これを超過する場合は国家がその資本を徴集して、国家の統一的経営となすべきだと訴えた。そして、銀行、航海、鉱業、農業、工業、商業、鉄道を国営化して国家の統一的生産組織とするべきであると主張した。

北が主張したのは、こういったことだけでなく、国民の権利に関する主張も含まれる。まず、第五巻において北は、「労働者の権利」を主張した。労働者の賃金については「現今においては資本制度の圧迫によりて労働者は自由契約の名の下に全然自由を拘束せられたる賃銀契約をなしつつあり」とした上で、「等しく労働者というも各人の能率に差等あり。特に将来日本領土内に居住しまたは国民権を取得する者多き時、国家が一々の異民族につきその能率と賃銀とに干渉し得べきにあらず」ともしており、ここに共産主義との明確な違いがあることが分かる。
その上で、北は、労働者の保護について労働時間を「一日八時間とし、日曜祭日は休日となして賃金を支払う」と労働時間を明確に法律で定めるべきだと主張した上で、さらに企業は利益の二分の一を労働者に配当しなければならないとした。労働者を守るため、労働分配率の制限まで盛り込んでいるのである。今の日本の労働分配率は、安倍政権発足以降連続で低下し、四十三パーセント程度になっているが、北がこれを見たらどう思うだろうか。さらに北は、満十六歳未満の幼年労働を禁止するという、今の労働法制とほぼ同じ主張をし、児童を強制労働から守るべきだとした。さらに、「 婦人の労働は男子と共に自由にして平等なり」とし、婦人の労働を男子と差別してはならないという、男女雇用機会均等法や男女共同参画に通じる現代的な主張をしているのである。

また、第六巻においては、北は国民の権利について主張した。まず、「満十五歳未満の父母または父なき児童は、国家の児童たる権利において、一律に国家の養育および教育を受くべし」と、なんと教育を受ける権利及び教育を受けさせる義務について規定。さらに、「貧困にして実男子また養男子なき六十歳以上の男女、および父または男子なくして貧困かつ労働に堪えざる不具廃疾は国家これが扶養の義務を負う」として、現代の児童手当もしくは生活保護制度に通じる社会保障制度を主張している。さらに、「 国民教育の期間を、満六歳より満十六歳までの十ヵ年間とし、男女を同一に教育す。」と、教育の男女平等化を主張した上で、「この国民教育は国民の権利として受くるものなるをもって無月謝、教科書給付中食の学校支弁を方針とす」として、教育の無償化及び給食制度の開始をも主張しているのである。
さらに、「その夫またはその子が自己の労働を重視して婦人の分科的労働を侮蔑する言動はこれを婦人人権の蹂躙と認む。婦人はこれを告訴してその権利を保護せらるる法律を得べし。」と女性の人権保護について明確にするとともに、「日本国民は平等自由の国民たる人権を保障せらる」と、当時憲法には明示されていなかった、包括的な人権保障を主張している。そして、「 末決監にある刑事被告の人権を損傷せざる制度を定むべし。また被告は弁護士のほかに自己を証明し弁護し得べき知己友人その他を弁護人たらしむべき完全の人権を有すべし」として、刑事事件における被疑者の人権保障をも主張している。


さて、ここまで皇道派の目指した昭和維新の論理的指導者となった北一輝の思想について、見てきたが、とても細かくなってしまったものの、「皇族財産の国庫支出化」「華族制度の廃止」「男女普通選挙の実現」「治安警察法や新聞紙条例など国民の自由を拘束する法律の廃止」「私有財産制限」「私有地制限」「財閥解体」「主要産業の国有化」「労働時間の制限」「児童労働の禁止」「労働分配率の制限」「男女の労働差別禁止」「国家の教育の義務化」「児童手当及び生活保護制度」「教育無償化」「給食制度開始」「女性の人権保障」「包括的な人権保障」「弁護権」といったことで、一言でいえば財閥など強者をくじき、労働者や子ども、女性など国民一人ひとりの権利を保障して平等を実現する、いくつか現代にも通じる制度を含む極めて近代的な主張内容なのであると分かる。
驚くべきことに、皇道派はその過激な言動とは裏腹に、実際にやろうとしていたことは極めて近代的でありなおかつ弱者の権利を保障する社会重視の政策だったのである。これらを踏まえると、その時の状況が今の日本に少し似ていることに気がつく。もちろん、現状では自衛隊が政権に反旗をひるがえすということはあり得ないが、その背景が似てきているということである。

そもそも、今示したような政策は、今でこそいくつか実現されているものの、財閥主導の経済で、大地主と小作農という構図が当然であった当時の日本の経済状況から見れば、あまりにも突飛なものだったのである。しかし、どうしてこれらを実現するために、皇道派が決起に至ったのか。そこには国民の熱烈な支持があったのだ。
当時の日本は、世界恐慌から脱した後とはいえ、財閥の支配する経済によって格差が広がっていた。特に農家は生活が疲弊し、身売りなどが相次いでいた。軍部の青年将校には農家や地方出身者も多く、彼らにとってはそれは極めて大変なことであった。そういった中で、財閥と絡み合った政府や、政党はそういった現状に対して何ら対策を打とうとしなかった。そういった中で、国民は政党政治に対する失望感を抱き、相対的に軍部に対する期待を抱くようになっていったということである。
その中で、当時の軍部内での、荒木貞夫や林銑十郎、永田鉄山、真崎甚三郎、小畑敏四郎らが絡む軍閥争いがこういったことに結びつき、最終的には二・二六事件が発生するに至ってしまった。この当時の世間では、今の社会は酷い社会であると考えられるとともに、この事件の主犯となった磯部浅一が「日露戦争や大逆事件以前の日本を社会の閉塞感・国家と国民との隔たりを感じさせない理想国家」として捉えていたことなど、「かつての日本が良かった」と捉えられる風潮にあったという。

今の日本は、二十年間に及ぶ労働法制の緩和により、多くの中間層が没落し格差が広がったその結果、一人ひとりの消費も落ち、経済が悪化し、それによって国民全体が貧困化して所得の中央値が下がり、結果的に相対的貧困率が回復するという酷すぎる経済格差の状況にある。その上、多くの労働者はデフレ化による低賃金での過剰労働に苦しみ、余暇も十分ではない。
これに対して歴代の政権は必要な対策を打つどころか、大企業と結託してさらなる新自由主義政策に出続け、いよいよ国民の生活は破綻寸前に陥っている。こういった中で、安倍政権もとうとう残業代ゼロ法であるとか裁量労働制であるとか、さらなる労働規制の緩和に踏み切っていこうとしている。
野党はこれに十分対抗できず、ほぼ自民党の思い通りになっている。自民党の国会議員も安倍政権の姿勢をほぼ追認するのみで、議論がほとんど存在しない。もはや、安倍政権の権勢の前では、政党政治も三権分立もほとんど形骸化しているとしか言いようがないのである。


政治に失望した国民が自衛隊に期待し、実際に自衛隊が反乱を起こすなどということはほとんど考えられないが、それでも、二・二六事件の背景と、今日の日本の状況は僅かであるが似つつある。このような国民の苦しみを放置することは、なにかの思わぬ暴発を招くことになるのである。安倍政権は、このことを甘く見るべきではない。

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(引用終わり)

続いて、拙ブログの「日本ファシズム(結束主義)の可能性~ファシズム史と日本」から抜粋

そして「イタリア戦闘者連帯」の政治綱領として発表されたものが「ファシスト・マニフェスト」(ファシスト宣言)である。

主な内容は以下の通りである。

政治的な要求
・地域を基盤とした普通選挙
・地域を基盤とした比例代表制選挙
・選挙権および被選挙権の女性参政権(当時は他の大半のヨーロッパ諸国では反対されていた)
・経済部門で新設する国民会議(National Council)を政府レベルの組織とする
・イタリアの上院の廃止(当時は富裕層により選挙される過程を経たが、実際には王により直接指名され、1種の王権議会とされていた。)
・労働者、産業、交通、公衆衛生、通信などの専門家による国民会議の形成。法的権限を持った専門家または職人により選ばれ、直接選挙によって内閣の権限を持つ一般委員会に選出される。(この概念はコーポラティズムのイデオロギーによるもので、部分的にはカトリックの社会宣言からも派生した。)

労働および社会的な要求
・全労働者への労働時間の1労働日8時間の規制の、国家の法としての即座の施行
・最低賃金
・産業委員会の職務への労働者代表の参加
・産業の実行者または公共の奉仕者として、労働組合への信頼を示す(技術的および士気の価値の向上のため)
・鉄道および交通部門の再編成
・無効な保険に関する法案の見直し
・退職年齢を65歳から55歳に引き下げ


軍事的な要求

・特別な防衛責任を持つ短期雇用の国家的な民兵の創設
・軍需会社の国営化
・平和的だが競争的な外交政策

財政的な要求
・資本に対する強力な累進課税(集約された富の「部分没収」を予想していた)
・多数の貧しい人への特権や国家への負担によって構築された、宗教的な信徒団の資産の没収と、全ての主教職の廃止
・全ての軍事的な供給の契約の見直し
・全ての軍事的な契約中の利益の85パーセントの没収

このように現代でも通用し、また現代ですら達成されていない先進的な綱領を「ファシスト」は掲げたのである。

彼ら「ファシスト」の思想・主張が「ファシズム」(結束主義・団結主義・連帯主義)となったのである。

その特徴は極めて民主的で、労働・福祉政策は左翼的、軍事・外交政策は右翼的という原則を示している。

(中略)

ムッソリーニはファシズムについて以下のように説明している。

「私はファシズムを捏造したのではない。イタリア人の深層から引き出しただけである。」

ファシズムには決まった形は存在せず、ドイツのナチスとイタリアのファシストの違いを見れば明らかなように国家・民族によって異なる。
また、ファシズムを「引き出した」人物によっても変わってくる。

例えば、同じナチスドイツでもアーリア人至上主義のヒトラーと対立し反西欧帝国主義に基づいてアジア・アフリカの植民地解放を主張したオットー・シュトラッサーら「ナチス左派」と呼ばれる人たちがいた。

ファシズムには様々な可能性があるのだ。

そして、日本のファシズムは未だ引き出されていない。

戦前の日本にも中野正剛先生らの「東方会」、下位春吉先生らの「皇国青年党」、北一輝先生が思想的指導者となり青年将校が中心となった「皇道派」、皇道派に対して永田鉄山や東條英機大将が中心の「統制派」が存在したが、少数存在したファシズム政党は政権を獲得できず、軍部の運動も明確にファシズムと呼べるものではなかった。


そもそも、ファシズムとは「下から」の国民運動であり、「上から」の体制運動ではないからだ。


そういう意味で、自民党・安倍政権ごときが「ファシスト」呼ばわりされることは勘違い甚だしいと憤りを覚えるものだ。

日本のファシズムは未だ引き出されていないからこそ、無限の可能性が存在している。

私たちは、日本のファシズムを引き出していきたい。

日本のファシズムであれば、天皇陛下を中心とした「和」の精神、「八紘一宇」の精神は重要なものであると思う。

「和」こそ団結であり、ファッシである!

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(引用終わり)


皇道派やイタリア・ファシストは戦後価値観では「軍国主義」「暴力の権化」「民主主義の敵」であるかのように思われている。

実際に、血盟団事件や五・一五事件、二・二六事件などで知られるように皇道派は暗殺やクーデターという暴力を行使し、ファシスト党はローマ進軍という革命行為によって政権を獲得した過激な面がある。

だが、「男女普通選挙」「貴族(華族)特権廃止」「一日八時間労働」「富裕層への増税・貧困層への還元による格差是正」など極めて先進的で、現代でも徹底できていない民主的な主張を日本・皇道派とイタリア・ファシストは展開したのである。

むしろ、「財閥支配」が当たり前の当時の(現代でも殆ど変わっていない)イギリスやアメリカの方が民主的とは言えないだろう。

そして、陸海軍の下級士官が中心の皇道派と退役軍人が中心のファシストも「下からの運動」である点も共通している。

現代日本では、中曾根康弘以降の歴代自民党政権が行ってきた新自由主義政策によって格差が拡大し、国民の貧困化が進んでいる。
戦前日本では「財閥」が君臨したが、現代ではブラック企業が幅を利かせ、長時間労働が当たり前になってしまっている。

「大和民族の団結」様も指摘しているように、まさに青年将校たち皇道派が決起した社会状況と似てきているのである。

しかし、自衛隊が政府に対して叛旗を翻すという事態は考えられない。
そうなれば、体制変革の選択肢として残るのは政党運動しかない。

皇道派とファシストの思想・精神を受け継ぎ、現代的にアレンジした皇道派ファシスト政党の台頭を目指さなければならない。

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青年日本の歌(昭和維新の歌)【全番歌唱】


一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く

二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし

三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花

五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや

六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ

七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐

八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや

九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう

十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな


Anthem of the P.N.F (Japanese Version) "ファシストの歌" ("Fashisuta no uta") Subtítulos en Español


ああ英雄の国民 あ不滅の祖国
甦る同胞 理想の血湧きて
武士の勲し 先駆者の功績
ダンテのあの夢 心に光る
若人 若人 美し青春
人生の荒波越えて 翔ける汝が歌

イタリアの地に 新しき民生き
仰ぐムッソリーニ 明日の戦士よ
勤労の賛歌 平和と栄光
祖国に仇なす 敵に見せしめ
若人 若人 美し青春
人生の荒波越えて 翔ける汝が歌

詩人も工匠も 貴人も農夫も
誓いは固し 我等がムッソリーニ
到らぬ隈無く 戦士を送りて
ひらめくよ高く ファシズムの救世旗
若人 若人 美し青春
人生の荒波越えて 翔ける汝が歌


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1 コメント

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Unknown (政治ブログ「大和民族の団結」・管理人)
2018-04-03 00:52:20
ご引用ありがとうございます。まさにファシズムとは、国家の権力強化であり、福祉政策や格差是正政策と極めて親和性が高いということが分かります。

>>皇道派とファシストの思想・精神を受け継ぎ、現代的にアレンジした皇道派ファシスト政党の台頭を目指さなければならない。

まさにこの部分が最も重要な過程であると思います。今の社会にこそ必要なファシズムの思想を、どう日本の伝統的精神に適合させていき、そしてどう現代社会にふさわしいものに適合させるかで、ファシズム政党の台頭を期していくことができると思います。
私も、この部分を探求していきたいです。

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