今こそ、日本人と世界は大東亜戦争について知る必要がある。
このシリーズの最初に、英国のSF作家H・G・ウェルズの言葉を紹介しよう。
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
(名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
世界の全ての国において、民族共同体(国民共同体)が構築され、共同体どうしが集まって世界連邦になれば。 というのが我々の理想である。
その為には、帝国主義・グローバリズム・金融資本主義を打倒しなくてはならない。
日露戦争や大東亜戦争とは彼らに対する挑戦であり、アメリカに敗れた日本は一旦は支配下に置かれたが、今こそ独立して彼らの世界支配を終わらせて八紘一宇の王道世界を実現する人類的使命があるのだ。
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第一回「花郎道と太極旗」
即ち、朝鮮(大韓)である。
今、朝鮮という国はアメリカとソ連によって「つくられた」傀儡国、北韓(北朝鮮)と大韓民国に分裂してしまっている。
特に北韓とは躊躇なく同胞をも殺める非人道国家であり、金氏一族は朝鮮史上最悪の暴君であると言えよう。
そして、韓国もまた、反日暴君李承晩によって建国されたスタート地点があるために、「反日」の呪縛から逃れることができずにいる。
しかしながら、戦前の朝鮮は日本と共に東亜解放のために闘った戦友であり同胞であった。
李氏朝鮮王朝末期、朝鮮国は清帝国による属国支配に加え、ロシアの南下に脅かされていた。
その中、日本の明治維新にならって近代化と独立を成し遂げようとした「開化派」という集団がいた。
その開化派の中心人物が金玉均(キム・オッキュン/김옥균)であった。
彼は日本・朝鮮・中国(支那)の三国が同盟して欧米列強に立ち向かう「三和主義」を説いた。
これは当に大東亜共栄圏を先取りする発想であった。
これに日本の志士・民族派である福沢諭吉や宮崎滔天も投合し、開化党の朝鮮維新を支援した。
しかし、金玉均の甲申改革(1884年)は清帝国の介入によって失敗し、金は閔氏政府によって暗殺された。
財政を私物化し、清やロシアに事大して国民を苦しめる閔氏は、まるで現在の北韓の金氏のようだったと言える。
その後、半植民地にされた朝鮮は日清戦争によって独立を果たし、日露戦争によってそれを強固なものにした。
この日露戦争において、日本軍と共に戦った朝鮮の政党が「一進会」であった。
一進会は武器弾薬を北方へ輸送するための京義鉄道敷設工事に15万人参加し、満州へ軍需品を運搬する兵站に11万5000人が参加したとされている。
日本とロシア帝国の間で蝙蝠のように右往左往する大韓帝国政府に対し、朝鮮の民衆は日韓団結してロシア帝国に立ち向かう意志を示していたのだ。
日露戦争後、一進会は「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を純宗皇帝陛下と曾禰荒助(そね・あらすけ)韓国統監に提出した。
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、我々も一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」
日韓併合には様々な賛否両論があるが、当時としては国家と国家が合併することは珍しくはなかった。
古くは英国の正式名称が「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」であるように、イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドの四カ国で一つの国をなしていたし、一人の皇帝を戴きながら、別々の政府が存在した「オーストリア・ハンガリー二重帝国」があった。
日本と朝鮮が一つの国になって欧米列強に立ち向かうことが、朝鮮の民族派である一進会と日本の民族派である黒龍会や玄洋社の理想であった。
しかし、日韓両国の対等な合併を目指した一進会や黒龍会の理想に反し、当時の大韓帝国の巨額の債務や土地インフラに膨大な予算が必要になることから日本国民の理解を得ることは難しいとの政治判断のために対等合併は困難とされた。
この時、裏切られたと感じた一進会員の中には反日独立派になった者もいた。
日本側でも、民族派たちは日本政府のやり方を批判した。
もし、この時対等合併が成功していれば今の日韓関係も違ったものになっていたかもしれない。
とはいえ、日韓併合によって朝鮮は日本の外地となり、李氏皇族は王公族とされた。
総督府の統治によって朝鮮は飛躍的に近代化したが、少なからず朝鮮人に対する弾圧もあった。
だが、韓国大統領の朴正煕が言ったように「セカンドベスト」というのが妥当な評価なのかもしれない。
「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セカンド・ベストとして私は評価もしている」
そして日韓併合から30年、大日本帝国は支那事変・大東亜戦争に突入していった。
この時、台湾の高砂義勇隊や満州国軍、南京政府(汪兆銘政権)軍、アジア各国の義勇軍と共に多くの韓国人が大東亜戦争に参加した。
満州国軍の「間島特設隊(かんとうとくせつたい/간도특설대)」は反共の精鋭部隊として知られた。
彼らは1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)まで、日本の野副討伐隊の討伐作戦に参加し、その働きぶりは日本軍からも「常勝の朝鮮人部隊」と高く評価され、昭和19年には戦局が悪化した華北戦線に投入され、日本軍の一翼として八路軍系の中国軍と戦った。
間島特設隊の出身者は後の韓国軍の幹部として朝鮮戦争を指導することになる。
金白一(本名金燦圭、中央陸軍訓練処5期生、間島特設隊中隊長、韓国陸軍行政参謀副長、作戦参謀副長、第1軍団長。朝鮮戦争で移動中に航空事故死)
申鉉俊(中央陸軍訓練処5期生、間島特設隊機迫中隊所属、韓国海兵隊司令官)
金錫範(中央陸軍訓練処5期生、日本陸士55期相当、間島特設隊情報班責任者、韓国海兵隊司令官)
崔楠根(中央陸軍訓練処7期生、「麗水・順天事件」後の第4旅団参謀長。)
白善燁(中央陸軍訓練処9期生、日本名白川義則、間島特設隊情報班主任、韓国陸軍参謀総長)
任忠植(志願兵、韓国合同参謀議長)
朴蒼岩(志願兵、陸軍准将)
朴正煕(満州国陸軍軍官学校2期生(首席卒業)
白善燁将軍
朴正煕大統領
支那事変から南方戦線では洪思翊将軍が活躍した。
洪思翊閣下は1941年(昭和16年)には陸軍少将に進級、華北の河北省に駐屯する歩兵第108旅団長となり、華北の八路軍を相手に戦った。
1944年(昭和19年)3月に比島俘虜収容所長としてフィリピンに赴任、同年10月陸軍中将に進級した。
李垠陸軍中将殿下は王公族として皇族と同等の優遇を受けていたので、叩き上げで最も高い階級に昇った朝鮮軍人であった。
民族の誇りと洪思翊中将 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1632.htmlより
また、士官や兵士、軍属に至るまで24万人にも上る勇敢な朝鮮軍人が沢山いた。
そのうち、約2万1千柱が靖国神社に祀られている。
卓庚鉉烈士や金尚弼烈士のように沖縄の海に散った特攻兵もいらっしゃった。
また、大東亜戦争後もインドネシアに残って闘った梁七星烈士は他の日本人たちと同じようにインドネシアの土になったのである。
大東亜戦争における日本の闘いは終わった。
しかし、朝鮮の闘いはこれから始まったのである。
実に朝鮮戦争では日本に投下された(16万トン)以上の爆薬が使用された。(52万トン)
朝鮮を分割支配した米ソは、それぞれ李承晩と金日成という暴君を傀儡君主に据えた。
(李承晩)
(金日成)
そして、米ソの代理戦争である朝鮮戦争が勃発した。
元日本軍・満州軍の朝鮮軍人たちは韓国を守るために北韓共産主義に立ち向かったのである。
(金錫源日本陸軍大佐・韓国陸軍中将)
金錫源将軍は支那事変に歩兵大隊長(少佐)として従軍、山西省東苑で2個中隊をもって中央軍第86師を撃退し、この功績から、朝鮮人としては初の功三級金鵄勲章を授与された。
中国軍では「金錫源部隊と戦うより逃げろ」と恐れられたという。
1939年3月に戦地から帰還し、全国巡回講演をした。また、1941年に大東亜戦争が勃発した際には、朝鮮人の青年達に学徒動員に参加する様に呼びかける講演活動等、銃後の支援も積極的に行った。
戦後、大韓民国軍に大佐として参画するも剛直で曲がった事が許せない性格だった為、李承晩大統領にも直接意見を言い、怒りを買って予備役に編入されてしまう。
その間も、北朝鮮の不穏な情勢を察して「目標38度線」を唱え、大田(テジョン)で義勇軍を組織して訓練を続けた。
朝鮮戦争勃発後は元日本・満州の韓国兵を集めた師団を率いて朝鮮人民軍に闘いを挑んだ。
金将軍は、国連軍司令官マッカーサーを指して、
「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。よろしい。日本軍が味方に回ればどれほどたのもしいか、存分に見せつけてやりましょう。」と言った。
金将軍は常に日本刀の軍刀を振るって突撃した。
朝鮮戦争の中に、皇軍は生きていたのである。
そして、釜山まで追い詰められていた韓国軍・国連軍は朝鮮人民軍を押し戻したのである。
その闘いぶりは友軍であるアメリカ軍にも、かつての敵「帝国陸軍」を思わせる程であった。
また、先述した白善燁将軍は
「ここが破れれば我々には死が待っている。それに見ろ。アメリカ人も我々を信じて戦いに来ている。かれらを見捨てることができるか。
ただいまより、あの四八八高地を奪回する!
我に続け!
もし俺が臆病風に吹かれたら後ろから撃て!」
という有名な言葉を発し、釜山包囲戦を勝利に導いたのである。
彼ら大韓の皇軍は見事共産主義から韓国を守り抜いたのである。
戦後も、白将軍は国策会社に従事して化学プラント建築事業発展に尽くした。
金将軍は高等学校の理事長や国会議員を務めて韓国に尽くした。
朴正煕は大統領として「漢江の奇跡」を成し遂げ、経済的にも北韓より優位に立った。
今の親北左翼に犯された韓国の姿を彼らはどう見ているだろうか?
タイトルの「花郎道」(ファランド)とは、日本で言えば「武士道」のようなものだ。
新羅の時代に、「花郎」という武人集団がいた。
朝鮮では永年、文人が重視され武人は軽視されていたため忘れられていたが、日本統治時代に研究され、戦後韓国のナショナリズムと結び付いて「花郎道」精神が生まれた。
この韓国戦争における出征兵の寄せ書きにも「花郎道」と書いてある。
今も花郎道精神は健在であると信じたい。
このシリーズの最初に、英国のSF作家H・G・ウェルズの言葉を紹介しよう。
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
(名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
世界の全ての国において、民族共同体(国民共同体)が構築され、共同体どうしが集まって世界連邦になれば。 というのが我々の理想である。
その為には、帝国主義・グローバリズム・金融資本主義を打倒しなくてはならない。
日露戦争や大東亜戦争とは彼らに対する挑戦であり、アメリカに敗れた日本は一旦は支配下に置かれたが、今こそ独立して彼らの世界支配を終わらせて八紘一宇の王道世界を実現する人類的使命があるのだ。
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第一回「花郎道と太極旗」
即ち、朝鮮(大韓)である。
今、朝鮮という国はアメリカとソ連によって「つくられた」傀儡国、北韓(北朝鮮)と大韓民国に分裂してしまっている。
特に北韓とは躊躇なく同胞をも殺める非人道国家であり、金氏一族は朝鮮史上最悪の暴君であると言えよう。
そして、韓国もまた、反日暴君李承晩によって建国されたスタート地点があるために、「反日」の呪縛から逃れることができずにいる。
しかしながら、戦前の朝鮮は日本と共に東亜解放のために闘った戦友であり同胞であった。
李氏朝鮮王朝末期、朝鮮国は清帝国による属国支配に加え、ロシアの南下に脅かされていた。
その中、日本の明治維新にならって近代化と独立を成し遂げようとした「開化派」という集団がいた。
その開化派の中心人物が金玉均(キム・オッキュン/김옥균)であった。
彼は日本・朝鮮・中国(支那)の三国が同盟して欧米列強に立ち向かう「三和主義」を説いた。
これは当に大東亜共栄圏を先取りする発想であった。
これに日本の志士・民族派である福沢諭吉や宮崎滔天も投合し、開化党の朝鮮維新を支援した。
しかし、金玉均の甲申改革(1884年)は清帝国の介入によって失敗し、金は閔氏政府によって暗殺された。
財政を私物化し、清やロシアに事大して国民を苦しめる閔氏は、まるで現在の北韓の金氏のようだったと言える。
その後、半植民地にされた朝鮮は日清戦争によって独立を果たし、日露戦争によってそれを強固なものにした。
この日露戦争において、日本軍と共に戦った朝鮮の政党が「一進会」であった。
一進会は武器弾薬を北方へ輸送するための京義鉄道敷設工事に15万人参加し、満州へ軍需品を運搬する兵站に11万5000人が参加したとされている。
日本とロシア帝国の間で蝙蝠のように右往左往する大韓帝国政府に対し、朝鮮の民衆は日韓団結してロシア帝国に立ち向かう意志を示していたのだ。
日露戦争後、一進会は「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を純宗皇帝陛下と曾禰荒助(そね・あらすけ)韓国統監に提出した。
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、我々も一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」
日韓併合には様々な賛否両論があるが、当時としては国家と国家が合併することは珍しくはなかった。
古くは英国の正式名称が「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」であるように、イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランドの四カ国で一つの国をなしていたし、一人の皇帝を戴きながら、別々の政府が存在した「オーストリア・ハンガリー二重帝国」があった。
日本と朝鮮が一つの国になって欧米列強に立ち向かうことが、朝鮮の民族派である一進会と日本の民族派である黒龍会や玄洋社の理想であった。
しかし、日韓両国の対等な合併を目指した一進会や黒龍会の理想に反し、当時の大韓帝国の巨額の債務や土地インフラに膨大な予算が必要になることから日本国民の理解を得ることは難しいとの政治判断のために対等合併は困難とされた。
この時、裏切られたと感じた一進会員の中には反日独立派になった者もいた。
日本側でも、民族派たちは日本政府のやり方を批判した。
もし、この時対等合併が成功していれば今の日韓関係も違ったものになっていたかもしれない。
とはいえ、日韓併合によって朝鮮は日本の外地となり、李氏皇族は王公族とされた。
総督府の統治によって朝鮮は飛躍的に近代化したが、少なからず朝鮮人に対する弾圧もあった。
だが、韓国大統領の朴正煕が言ったように「セカンドベスト」というのが妥当な評価なのかもしれない。
「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セカンド・ベストとして私は評価もしている」
そして日韓併合から30年、大日本帝国は支那事変・大東亜戦争に突入していった。
この時、台湾の高砂義勇隊や満州国軍、南京政府(汪兆銘政権)軍、アジア各国の義勇軍と共に多くの韓国人が大東亜戦争に参加した。
満州国軍の「間島特設隊(かんとうとくせつたい/간도특설대)」は反共の精鋭部隊として知られた。
彼らは1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)まで、日本の野副討伐隊の討伐作戦に参加し、その働きぶりは日本軍からも「常勝の朝鮮人部隊」と高く評価され、昭和19年には戦局が悪化した華北戦線に投入され、日本軍の一翼として八路軍系の中国軍と戦った。
間島特設隊の出身者は後の韓国軍の幹部として朝鮮戦争を指導することになる。
金白一(本名金燦圭、中央陸軍訓練処5期生、間島特設隊中隊長、韓国陸軍行政参謀副長、作戦参謀副長、第1軍団長。朝鮮戦争で移動中に航空事故死)
申鉉俊(中央陸軍訓練処5期生、間島特設隊機迫中隊所属、韓国海兵隊司令官)
金錫範(中央陸軍訓練処5期生、日本陸士55期相当、間島特設隊情報班責任者、韓国海兵隊司令官)
崔楠根(中央陸軍訓練処7期生、「麗水・順天事件」後の第4旅団参謀長。)
白善燁(中央陸軍訓練処9期生、日本名白川義則、間島特設隊情報班主任、韓国陸軍参謀総長)
任忠植(志願兵、韓国合同参謀議長)
朴蒼岩(志願兵、陸軍准将)
朴正煕(満州国陸軍軍官学校2期生(首席卒業)
白善燁将軍
朴正煕大統領
支那事変から南方戦線では洪思翊将軍が活躍した。
洪思翊閣下は1941年(昭和16年)には陸軍少将に進級、華北の河北省に駐屯する歩兵第108旅団長となり、華北の八路軍を相手に戦った。
1944年(昭和19年)3月に比島俘虜収容所長としてフィリピンに赴任、同年10月陸軍中将に進級した。
李垠陸軍中将殿下は王公族として皇族と同等の優遇を受けていたので、叩き上げで最も高い階級に昇った朝鮮軍人であった。
民族の誇りと洪思翊中将 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1632.htmlより
また、士官や兵士、軍属に至るまで24万人にも上る勇敢な朝鮮軍人が沢山いた。
そのうち、約2万1千柱が靖国神社に祀られている。
卓庚鉉烈士や金尚弼烈士のように沖縄の海に散った特攻兵もいらっしゃった。
また、大東亜戦争後もインドネシアに残って闘った梁七星烈士は他の日本人たちと同じようにインドネシアの土になったのである。
大東亜戦争における日本の闘いは終わった。
しかし、朝鮮の闘いはこれから始まったのである。
実に朝鮮戦争では日本に投下された(16万トン)以上の爆薬が使用された。(52万トン)
朝鮮を分割支配した米ソは、それぞれ李承晩と金日成という暴君を傀儡君主に据えた。
(李承晩)
(金日成)
そして、米ソの代理戦争である朝鮮戦争が勃発した。
元日本軍・満州軍の朝鮮軍人たちは韓国を守るために北韓共産主義に立ち向かったのである。
(金錫源日本陸軍大佐・韓国陸軍中将)
金錫源将軍は支那事変に歩兵大隊長(少佐)として従軍、山西省東苑で2個中隊をもって中央軍第86師を撃退し、この功績から、朝鮮人としては初の功三級金鵄勲章を授与された。
中国軍では「金錫源部隊と戦うより逃げろ」と恐れられたという。
1939年3月に戦地から帰還し、全国巡回講演をした。また、1941年に大東亜戦争が勃発した際には、朝鮮人の青年達に学徒動員に参加する様に呼びかける講演活動等、銃後の支援も積極的に行った。
戦後、大韓民国軍に大佐として参画するも剛直で曲がった事が許せない性格だった為、李承晩大統領にも直接意見を言い、怒りを買って予備役に編入されてしまう。
その間も、北朝鮮の不穏な情勢を察して「目標38度線」を唱え、大田(テジョン)で義勇軍を組織して訓練を続けた。
朝鮮戦争勃発後は元日本・満州の韓国兵を集めた師団を率いて朝鮮人民軍に闘いを挑んだ。
金将軍は、国連軍司令官マッカーサーを指して、
「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。よろしい。日本軍が味方に回ればどれほどたのもしいか、存分に見せつけてやりましょう。」と言った。
金将軍は常に日本刀の軍刀を振るって突撃した。
朝鮮戦争の中に、皇軍は生きていたのである。
そして、釜山まで追い詰められていた韓国軍・国連軍は朝鮮人民軍を押し戻したのである。
その闘いぶりは友軍であるアメリカ軍にも、かつての敵「帝国陸軍」を思わせる程であった。
また、先述した白善燁将軍は
「ここが破れれば我々には死が待っている。それに見ろ。アメリカ人も我々を信じて戦いに来ている。かれらを見捨てることができるか。
ただいまより、あの四八八高地を奪回する!
我に続け!
もし俺が臆病風に吹かれたら後ろから撃て!」
という有名な言葉を発し、釜山包囲戦を勝利に導いたのである。
彼ら大韓の皇軍は見事共産主義から韓国を守り抜いたのである。
戦後も、白将軍は国策会社に従事して化学プラント建築事業発展に尽くした。
金将軍は高等学校の理事長や国会議員を務めて韓国に尽くした。
朴正煕は大統領として「漢江の奇跡」を成し遂げ、経済的にも北韓より優位に立った。
今の親北左翼に犯された韓国の姿を彼らはどう見ているだろうか?
タイトルの「花郎道」(ファランド)とは、日本で言えば「武士道」のようなものだ。
新羅の時代に、「花郎」という武人集団がいた。
朝鮮では永年、文人が重視され武人は軽視されていたため忘れられていたが、日本統治時代に研究され、戦後韓国のナショナリズムと結び付いて「花郎道」精神が生まれた。
この韓国戦争における出征兵の寄せ書きにも「花郎道」と書いてある。
今も花郎道精神は健在であると信じたい。
僕は右左関係なく、「日本の政治家は「世界益」「人類益」のために行動しろ!」という主張には基本的に反対です。「他人を助けるために自分の子供を飢えさせる」なんてことがあってはいけないように、「世界益のために自国民を不幸にする」なんてことがあってはいけません。基本的に大きすぎる理想は自国民を不幸にします。それは現在のEUの現状を見れば明らかです。
欧州は1500年代~1900年代初めまで、400年にわたって覇権国家を輩出してきました。この地域のエリートたちは、「欧州こそ世界の中心だ!」と自負していました。しかし第2次大戦後、その誇りは欧州の西がアメリカの支配下に、東がソ連の支配下に入ってしまったことによってズタズタにされてしまいました。
欧州のエリートたちはそれまで、アメリカやロシアを「野蛮な田舎者」として小馬鹿にしていました。それが全く頭があがらない状態になってしまった。誇り高き欧州のエリートたちは、とてつもない屈辱を感じたに違いありません。
しかし、現実的に欧州は軍事超大国のアメリカやソ連にはかないません。それで、やむをえず40年以上にわたって耐え忍んでいました。
そんな欧州のエリートたちは、「ソ連崩壊」のニュースを大喜びで歓迎しました。それは世界から欧州の脅威が消滅したことを意味していました。つまり、もはやアメリカに守ってもらう必要も従う必要もない。そして、欧州の指導者たちは大きな野望に取り憑かれました。
「田舎者のヤンキー共から、もう一度欧州に覇権を取り戻そう!」
とはいえ、欧州の一国が単独で覇権国家になるのはあまりにも現実離れしています。では、どうすれば覇権を取り戻せるのでしょうか?フランス大統領顧問だったジャック・アタリはいいました。
「通貨統合・政治の統一・東欧やトルコへのEC(=現在のEU)拡大。これらが実現できれば、欧州は21世紀アメリカをしのぐ大国になれるだろう。」
つまり、「欧州を一つの国にして、アメリカを凌駕する国をつくろう!」と。欧州諸国が移民を大量に受け入れているのは、「覇権を取り戻すために労働力を維持したいからだ」ということです。僕は移民難民の受け入れのせいで欧州キリスト教文明が滅びるのではないかと思っています。日本が真剣に米英打倒をするためには欧州と同じような無理が必要なのではないでしょうか?
ちなみに、僕は一応日本の自立を目指してはいますが、中国の脅威にはアメリカの協力が絶対に必要だとも考えているので、安倍政権の安保法案には賛成でした。しかし、それは今の中国が凶暴化しているからであって、もし第一安倍政権が安定政権になって憲法改正や安保法制制定を行おうとしたら、僕はこう言ったことでしょう。
「アメリカがイランなどの中東反米国家と戦争する可能性があるうちは憲法改正すべきではない。日本がアメリカと一緒にイランを侵略すれば日本の評判が下がって、世界中のイスラム教徒から敵視されることになる。そうすれば、日本でテロがおきたり、外国で日本人が殺されたりなどといった被害が出るだろう。だから、イラク戦争の時のように憲法9条を口実に参戦を拒否して戦争を口の上では支持し、復興支援だけすればいい。アメリカは日本を『Show the flag!』『Boots on the ground!』などと馬鹿にするかもしれないが、大した被害はないのだから言わせておけばいい。」
これが僕の意見なのですが、管理人様はどう思われますか?