以前より「サワラちゃん加計呂麻島日記」にて掲載されていました、<能面&面打ち>を単独に独立させまして、独立したブログにしました。敬愛する故・白洲正子著「能面」を底本として、この著書に掲載された能面を中心にして、現在の能楽界、博物館、美術館で所蔵されている「能面」をご紹介したいと思います。
筆者は32歳の時に能面師について、能面の面打ちの手解きを受けました。以後諸事情で長いこと面打ちの世界からは離れて居りましたが、その間は美術館、博物館、能楽資料館に所蔵の能面を観てまいりました。最近になって漸く面打ちの時間が取れるようになり、<能面の研究と面打ち>の両輪をこなせる環境に入ることが出来るようになりました。
能面 ・ 題字 梅原 龍三郎
ご存知の通り、「能面」の著者・白洲正子様は、幼少の頃から梅若流宗家の手解きを受けて、能楽に勤しんで来られた方ですが、後年結婚された白州次郎氏は、兵庫県三田市にある、旧三田藩の家老の家柄であり、彼の地は梅若流の故地でも在りました。 生まれながらに梅若流とは深い縁が在ったという事になります。
白洲様が「能面」を書かれたのは可也後年になってからですが、専門書の世界ではベストセラーになっており、この古書の値段は定価より下がることがないので有名です。 筆者も4~5年前に岡山の古書店から購入できたのです。最近の書物と違って、グラビア以外はすべてモノクロームの写真で構成されております。
どこかの喫茶店・・HPより拝借しました。
現代能面師の不思議
現在どの位の能面師と呼ばれている方が居られるのかは知らないが、現在69歳になる著者と同年齢の著名な能面師が、思った以上に多いのには驚かされる。因みに数人上げてみると・・・
1- 北沢 一念 氏 (北沢 如意 長男 福井県越前町。 次男・ 北沢 三次郎氏 福井県にて面打ち)
2- 岩崎 久人 氏 (狂言面の分野で著名・著書あり)
3- 桑田 能忍 氏 (福井県池田町)
4- 松本 冬水 氏 (北海道 名寄町)
上記の 北沢 一念氏とは実際に京都での能面展示会(京都文化博物館)でお会いして、お話をしたことがある。謙虚な方で芸術家ぶった所のない感じの良い方であった。作品は文句なしの優品を打たれる方でもある。父上は現代能面師の最高峰・故北沢 如意師である。そのころは越前で焼き物も同時に作品を造られておられた。羨ましく思ったしだいである。著者はそのころ福井県の隣の滋賀県大津に在住していた。弟の三次郎氏はベストセラー「能面入門」の共著者でもある。
北沢 一念 作
岩崎 久人 氏は著書「狂言面・鑑賞と打ち方」で既に有名な方である。
岩崎 久人 作
桑田 能忍氏にはお会いしたことがないが、池田町の能面文化は今も素晴らしい。今後とも期待大の町である。
松本 冬水 氏は以前このブログでご紹介済みの方である。作品は文句なしの優品である。独力で学ばれたことは驚異的である。著者と同じ道産子である。一度お会いしたいと思っている。
松本 冬水 作
上記の北沢、岩崎のご両人は、能面に関わる玄人、素人の中で、群を抜いておられる方です。何故筆者の同世代に集中したのか少し不思議に思っている次第。 偶然にしては少し多いか?
愚痴を言うわけでないが、それに付けても筆者の体たらくには呆れるのみ。所詮、実力と努力がないだけなのであるが
「能面を打つ」とは、心を造形すること
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2011年11月に逝去された「高津 紘一」師について、あるHPの中で「能を支える人」というコラムを読む機会がありました。能面関係の写真家・森田 拾史郎氏の撮影した写真が挿入されておりました。筆者は高津 紘一師とは面識がありませんが、少なからず縁の有る方のように思っております。今回はそのHPに掲載された文章を読んでみて、何回かに渡って感想文を書いて見たいと思います。
* 「The 能 com」・・・http//www.the-noh.com/jpから掲載しました。
能面に出会って人生が変わった
高津 紘一師は筆者より4歳年上の方で、神奈川県小田原付近の生まれでした。高校時代に京都に旅行した時、偶然に能面の本面をとあるところで見たことから、人生が大きく転回したようです。 筆者は高校2年の時に修学旅行で、偶然どういう訳か土産に「小面」のお面を買ってきたことが、そもそもの縁です。その際、実際に本面を見たのであれば、筆者も高津師のように、京都に家出をしてしまったかもしれません。その時から心の中できっと能面を彫るぞと思い定めたようです。これは前世の縁でしかないと思います。理由はまったく思い当たりませんが
筆者が北海道・札幌に在住していたので、交通手段が不便なので実行できなかったかもしれません。関東でしたらきっと同じ行動を取ったかもしれません。 ちょっと、運が悪かったのかも。
後日談となりますが、高津師が丹波篠山能楽資料館の研究員をされていたことは後になって知ったことです。筆者も何回かこの資料館を訪れ、かつここのオーナーが発行された能面集を、2冊苦労をして蒐集した思い出があります。古い城下町にある日本でも有名な能楽資料館で、今でも懐かしく感じております。出来うればここに移住したい位。今でもチャンスを狙っております。シツコイデスネ~ 。高津師も故郷の近くの小田原が城下町であったので、そのような縁を得たのかもしれません。
「能面」の著者・白州正子様の夫、白州次郎氏のご先祖は篠山の近くの三田でした。ここも古い城下町であり、この一帯から「梅若流」の能楽(猿楽)が発生した縁もあるのです。高津師の前世もおそらくこの梅若流の縁かもしれません。という事は筆者も前世で篠山辺りで能楽に関係があったかも・・・夢物語ですが。
次回は「能面は内なる心の像」であるについて書いてみましょう。