「白洲正子能面学」と「面打ち」

白洲正子著「能面」を定本として、現在各能楽宗家、美術館、博物館、神社等に所蔵されている能面を面打ちも含めて研究してみる

「白洲正子能面学」と「面打ち」-002

2014-04-11 18:09:16 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
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 001-01~08までは既に再公開しました
 
 
 
 
 
 「能面」 グラビア
 

 

以前より「サワラちゃん加計呂麻島日記」にて掲載されていました、<能面&面打ち>を単独に独立させまして、独立したブログにしました。敬愛する故・白洲正子著「能面」を底本として、この著書に掲載された能面を中心にして、現在の能楽界、博物館、美術館で所蔵されている「能面」をご紹介したいと思います。

筆者は32歳の時に能面師について、能面の面打ちの手解きを受けました。以後諸事情で長いこと面打ちの世界からは離れて居りましたが、その間は美術館、博物館、能楽資料館に所蔵の能面を観てまいりました。最近になって漸く面打ちの時間が取れるようになり、<能面の研究と面打ち>の両輪をこなせる環境に入ることが出来るようになりました。

 

能面 ・ 題字 梅原 龍三郎

 

ご存知の通り、「能面」の著者・白洲正子様は、幼少の頃から梅若流宗家の手解きを受けて、能楽に勤しんで来られた方ですが、後年結婚された白州次郎氏は、兵庫県三田市にある、旧三田藩の家老の家柄であり、彼の地は梅若流の故地でも在りました。 生まれながらに梅若流とは深い縁が在ったという事になります。

白洲様が「能面」を書かれたのは可也後年になってからですが、専門書の世界ではベストセラーになっており、この古書の値段は定価より下がることがないので有名です。 筆者も4~5年前に岡山の古書店から購入できたのです。最近の書物と違って、グラビア以外はすべてモノクロームの写真で構成されております。

 

   喫茶店でちょっと一服  

  

どこかの喫茶店・・HPより拝借しました。

 

 

現代能面師の不思議

 

現在どの位の能面師と呼ばれている方が居られるのかは知らないが、現在69歳になる著者と同年齢の著名な能面師が、思った以上に多いのには驚かされる。因みに数人上げてみると・・・

1- 北沢 一念 氏 (北沢 如意 長男 福井県越前町。 次男・ 北沢 三次郎氏 福井県にて面打ち) 

2- 岩崎 久人 氏 (狂言面の分野で著名・著書あり)

3- 桑田 能忍 氏 (福井県池田町)

4- 松本 冬水 氏 (北海道 名寄町)

 上記の 北沢 一念氏とは実際に京都での能面展示会(京都文化博物館)でお会いして、お話をしたことがある。謙虚な方で芸術家ぶった所のない感じの良い方であった。作品は文句なしの優品を打たれる方でもある。父上は現代能面師の最高峰・故北沢 如意師である。そのころは越前で焼き物も同時に作品を造られておられた。羨ましく思ったしだいである。著者はそのころ福井県の隣の滋賀県大津に在住していた。弟の三次郎氏はベストセラー「能面入門」の共著者でもある。

北沢 一念 作

 

岩崎 久人 氏は著書「狂言面・鑑賞と打ち方」で既に有名な方である。

岩崎 久人 作

 

桑田 能忍氏にはお会いしたことがないが、池田町の能面文化は今も素晴らしい。今後とも期待大の町である。

松本 冬水 氏は以前このブログでご紹介済みの方である。作品は文句なしの優品である。独力で学ばれたことは驚異的である。著者と同じ道産子である。一度お会いしたいと思っている。 

 松本 冬水 作 

 

上記の北沢、岩崎のご両人は、能面に関わる玄人、素人の中で、群を抜いておられる方です。何故筆者の同世代に集中したのか少し不思議に思っている次第。 偶然にしては少し多いか?  

愚痴を言うわけでないが、それに付けても筆者の体たらくには呆れるのみ。所詮、実力と努力がないだけなのであるが

  

 

能面を打つとは、心を造形すること

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2011年11月に逝去された「高津 紘一」師について、あるHPの中で「能を支える人」というコラムを読む機会がありました。能面関係の写真家・森田 拾史郎氏の撮影した写真が挿入されておりました。筆者は高津 紘一師とは面識がありませんが、少なからず縁の有る方のように思っております。今回はそのHPに掲載された文章を読んでみて、何回かに渡って感想文を書いて見たいと思います。

* The 能 com」・・・http//www.the-noh.com/jpから掲載しました。

 能面に出会って人生が変わった

 高津 紘一師は筆者より4歳年上の方で、神奈川県小田原付近の生まれでした。高校時代に京都に旅行した時、偶然に能面の本面をとあるところで見たことから、人生が大きく転回したようです。 筆者は高校2年の時に修学旅行で、偶然どういう訳か土産に「小面」のお面を買ってきたことが、そもそもの縁です。その際、実際に本面を見たのであれば、筆者も高津師のように、京都に家出をしてしまったかもしれません。その時から心の中できっと能面を彫るぞと思い定めたようです。これは前世の縁でしかないと思います。理由はまったく思い当たりませんが 

 

 

筆者が北海道・札幌に在住していたので、交通手段が不便なので実行できなかったかもしれません。関東でしたらきっと同じ行動を取ったかもしれません。 ちょっと、運が悪かったのかも。

後日談となりますが、高津師が丹波篠山能楽資料館の研究員をされていたことは後になって知ったことです。筆者も何回かこの資料館を訪れ、かつここのオーナーが発行された能面集を、2冊苦労をして蒐集した思い出があります。古い城下町にある日本でも有名な能楽資料館で、今でも懐かしく感じております。出来うればここに移住したい位。今でもチャンスを狙っております。シツコイデスネ~ 。高津師も故郷の近くの小田原が城下町であったので、そのような縁を得たのかもしれません。

 

 

能面」の著者・白州正子様の夫、白州次郎氏のご先祖は篠山の近くの三田でした。ここも古い城下町であり、この一帯から「梅若流」の能楽(猿楽)が発生した縁もあるのです。高津師の前世もおそらくこの梅若流の縁かもしれません。という事は筆者も前世で篠山辺りで能楽に関係があったかも・・・夢物語ですが。

 

次回は「能面は内なる心の像」であるについて書いてみましょう。

 

 

 


「白洲正子能面学」と「面打ち」-001-08

2014-04-11 17:26:24 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
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   喫茶店でちょっと一服  

  

どこかの喫茶店・・HPより拝借しました。

 

 

 

 

小面・ 松本 冬水 作

 

先回、32歳の東京都下に在住の若き能面師・新井 達矢氏を紹介しましたが、爺と同じ道産子の同年代の能面師の作品を、偶然でHP発見しました。能面師に付かないで独力で面を打たれて来られたとのこと。彩色面の品格、何れも素晴らしい。現在は打たれた面は能舞台で掛けられているとのこと。

世の中には凄い方が居らるものですね。北海道 名寄に在住とか。若い頃友人の結婚式で稚内まで向かう時途中を通りました。宗谷本線の中間ほどにあります。

 

 

爺は、腕は悪いですが、本物の能面を数々観て参りましたので、能書きだけは一人前です。もう少し大きなサイズの写真を見て批評したいのですが・・・・これしか有りません。でも、大丈夫。プロ並みの能面師、プロの能面師でもこれ程の作品は、そう有るものではありません。

この能面を観て・・「癖が有りません」・・・「品格が有ります

一度、東京で個展を開かれて、長沢 氏春師に褒められたとか。当然でしょう!

 

 

能面は「女面」を観ただけで、特に「小面」を観ただけで、その方の技量が分かります。これだけは騙せないんですね。過去の名人は皆そうです。以前ご紹介しました「赤鶴」の小面を見た時、この能面師の凄さに感服しました。名人は何を打っても一流です。

 

赤鶴一刀斎  小面 ・ 丹波篠山能楽資料館

 

ところが ? ビックリ!

 

ある時HPを検索していたら、偶然「赤鶴」作の能面に出会う。能書きには江戸時代 17世紀 伝 赤鶴 作とある。爺はビックリした。赤鶴といえば13世紀ころの能面師。恐らく、赤鶴の小面を江戸時代に写したものであろうか?

それにしても何方が写したかは判らぬが・・・<上手いね!>、口の切り方が上品です。

出目家筋の能面師であろうか。並の能面師ではないことは一目瞭然。彩色の研ぎ出しも硬く、「是閑」を思わせる。この写真をどこからHPに掲載させたものやら・・・・でも、良いものを発見しました。能面に付いた傷や、色合いからかなりの古作で、江戸時代の物ではないと思います。あるいは赤鶴の真作の小面なのかも。

一目見て赤鶴かどうかは見極められないが面の裏を見たいのだが)、かなりの名品です。赤鶴の本面であればよろしいのですが?? でも、今何所に在るものやら?? 興味津々!

 

赤鶴作 小面 ?

 

 爺の怪しい記憶では・・・この面は以前ドイツの美術館か博物館かで、発見された所以のある逸品ではないかと思うのですが? 

 

能面  面打ち

 

孫次郎

 

 孫次郎 ・ 孫次郎/金剛左京久次 作 銘・ヲモカゲ

 

先回、ブログ内容を急遽変更しました。それで今回改めてご紹介。 

この面の写真は三井財団が現在所有の女面で、至極有名な面でもある。16世紀の半ばころ金剛家の太夫・金剛久次(後に孫次郎に改名)が早世した妻をいとおしんで打った面とされている。27~28歳ころの作であるとされている。そうであれば亡き妻は可也若かったに相違ない。伝承は検証しようもないことであるが・・・・

いずれにしても名面である。面を直視してみると判るが、面の左右はかなり非対称に造作されている。

 

 

特に口の切り方の歪みは可也なものである。にもかかわらず全体を少しも損なわないのは、まさに神業である。孫次郎本人には大変失礼な話であるが、本当に27歳頃の作であろうかと思うのも無理からぬところであろう。本来の女面から少し真正な人間に近い造作になっていると言われる。

石川龍衛門の「雪の小面」は大変な名作であるが、この「孫次郎」はそれに匹敵する名作であろう。古来多くの能面師がこの面を写してきたが、能面集で爺が見る限りは、これに及ぶ面は存在しないであろう。

現代の最高の能面師が揃って言う言葉・・・「この面を写すのは至難である」・・・それ程に能面師泣かせの面なのであろう。ここで、「橋岡 一路」、「堀 安右衛門」両氏の<孫次郎・ヲモカゲ>をご紹介しよう。

             

                                                                                   橋岡一路 作 ・ 写し (橋岡 一路能面集より)             

 

 

      堀 安右衛門 作 ・ 写し(堀 安右衛門 能面集より                               

本面と比較  右が本面

 

いかがであろうか。評価は各人にお任せします。爺ごときが批評するのは失礼である。

いずれの方も本面を横において打たれた面である。橋岡師は写しを取る目的で、堀師は本面の修理を依頼された時に、写された面であろう。

橋岡 一路能面集」の巻頭に掲載された能面はこの「ヲモカゲ」の写しである。また、爺の敬愛する白洲正子様が巻頭の言葉を書かれている。両氏がどのようなご関係かは詳しくは知らないが、最高の巻頭文を飾るに相応しい方であるかが判ろうと思う。 現存する最高の能面師の一人でもある。余談であるが能面集の裏に書かれた自筆のサインがあるが、これまた大変な達筆である。流石というべきか。

 

橋岡氏が三井宗家の方にこの「ヲモカゲ」を写す許可を願ってから、最後は文化庁の許可を受け、実際に写し始めるまで数十年の月日を要したとされている。三井家の内規にこの面の写しは厳禁になっていたそうである。これがその主な理由であろうか。

 

 

能面集の最後の橋岡氏の文章を読むと、身に詰まされる思いになる。爺も辛い経験がある。

30歳のとき縁あって東京・麻布のある方が、喜多流の宗家・喜多六平太所蔵の「小面」を見せて貰える様に紹介してくれるチャンスがあった。また、60歳ころ神戸の会社社長が爺に「堀 安右衛門」師に紹介をしてあげようと仰って下さったことがある。馬鹿なことに爺は身の程を考えて断ってしまった。

今思えば生涯の大失策である。現在、奄美の孤島で呻吟していることを思えば、愚かなことをしてしまったものである。チャンスは僅かの時間しか与えてくれない。必ず掴まなくてはならない。それに付けても橋岡氏の数十年に渡る我慢と執念には頭が下がる思いである。

思わず愚痴ってしまったが、この面の美しさには大変感動させられる。27歳頃の方が打たれたとは正に大天才であろう。技術だけでは及ばない物がこの面には有るのであろう。

 

孫次郎

 

「孫次郎」の女面には上記のような型の面が多数存在する。確かな理由は判らないが、本面・孫次郎とは表情が明らかに違う。鼻が幾分大きめに造作されているのが共通事項でもある。次回はこの別系統の孫次郎をご紹介してみたい。

 

以上で 001-01~08までの既に公開しましたブログを掲載しました。

 

 
 
 

「白洲正子能面学」と「面打ち」-001-06

2014-04-11 17:24:56 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
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能面・面打ち 

 

 

雪の小面」について-004

 

 

都合3回ほど石川龍右衛門重政作の「雪の小面」について書いてきました。実際に15世紀頃に京都に在住した能面師として、本人が存在したことは確かなようですが、各宗家や能面資料館、博物館等に存在する<伝・石川龍右衛門重政>作の全ての面が、本人の作かどうかは疑問が残ります。学者の研究もさることながら、可也の厚さを持つ各宗家や博物館等の能面集を観てみましたが、爺の眼でも疑問が出る面は何面か有りました。特定はいろいろ問題が出ますので、指摘はしませんが・・・

 

 

駄作が余りないと言われる能面師ですが、中にはちょっと首を傾げたくなるような面も存在します。確定的な証拠が面にないので、伝承とか極め書に頼ることから、そのような問題が出て来るのでしょう。いろいろ政治的な問題も絡んで、止むを得ずということからそのような結果になるのでしょう。

 

・花・ について 

 

小面には3種類の小面があります。揃いの小面でしょうか。この他にも「深井」などの女面にも、同じような呼び名の面が存在します。何処がその区別のキーポイントになるのでしょうか。それは堀 安右衛門師が度々書物に書かれているごとく、面の「鼻の振り方」に有るのです。

 

左右不対象が当たり前の能面

         

        

 

 

小面3面を良くご覧ください。左右の眼の位置が微妙にずれているのが分かると思います。何れも名人級の能面師の作です。

能面は用途の必要性から初めから、左右非対称にして打たれているのです。

人間の顔は正面に向かって右が神佛の顔。左が人間の顔と言われております。この考え方が能面に取られております。正面右が「悟りの世界」、左が「迷いの世界」ということになります。つまり、2つの世界に存在する人間を、一面で表した事になります。

鼻の先端が面の中心線から見て、右側に振られている面を「」、中央にあるのを「」、左に振られているのが「」です。男面では殆ど「月」だそうですが、女面やその他にもこのような分け方をされた面が存在します。写真の歪みではありません。

本面・孫次郎

 

上下の孫次郎(拡大)を比較してみましょう。これだけ直線を引いて見ますと、顔の構成部分が故意に歪められている事が分かると思います。勿論、故有っての事です。にもかかわらず全体的に破綻はして居らず、非常に魅力ある面立ちとなっております。

 

下記の写真は歪んだ孫次郎ではありません。本面そのままです。

孫次郎 

 

 

多くの「孫次郎」以後の名人がこの女面を写しております。現代にも2名ほど居られますが、何れもこの面の写しの困難さを語って居られます。女面の中でも最高のレベルの面です。詳細については次回以降に書いて見ましょう。

能面は特に女面は左右非対称が原則なのです。爺も含めて面打ちを始めて行う段階では、左右対称を疑わないで造作し始めますが、写真や本面、本面の写しの古作品を鑑賞するうちに、この原則が嘘であることが理解出来るようになります。名作の中にも左右対称に近いものも可也有りますが、この事を今回は理解していただきたいと思います。

堀 安右衛門師の記述によりますと・・・・観世宗家の増阿彌作本面「増女」も、越智作本面深井も、某家蔵の曲見、小面、節木増、痩女(やせおんな) も右、左振りの二面があります。ただし、右振りの面の数はごくわずか・・・とあります。

さて、次回は非対称製作の根拠と「孫次郎」について詳しく書いてみましょう。

 

 

「白洲正子能面学」と「面打ち」-001-05

2014-04-11 17:23:43 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
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能面・面打ち 

 

 

雪の小面」について-003

 

 先回までは「小面」について、特に有名な龍右衛門作の「雪の小面」について書いてみました。この面は現在は金剛流の宗家が所蔵しております。15世紀に京都に居住したとされる龍右衛門重政。何を打っても水準を超えた技量を持ち、作品に打ち手の癖がないのもその特徴。

雪の小面

 

 

上記の写真のように打ち手独特の癖が見えません。それは名人と言う証拠。現代の名人・長沢氏春師の面もそれが言えます。15世紀の同時代の増阿彌久次の面も同じですね。そして特に女面に素晴らしいものが多い。抜群の技量を持っていると思います。

赤鶴吉成や夜叉、氷見宗忠など個性の強い面を打った名人や、赤鶴、是閑のような男性的な気魂を感じさせる打ち手、鈴木慶雲、堀 安右衛門師のように、心根の優しさが面に現れている能面も有ります。特にこの面の作者龍右衛門の面には、全般に渡って言えることは「上品な美意識」を感じさせます。「痩せ女、痩せ男」や「般若系の面」でさえもそれが感じます。

桃山・江戸時代初期に掛けて活躍した名工・河内 家重の作品も、龍右衛門を強く意識した関係からか同じような傾向があります。作品に癖がなく美しさを常に感じます。余り駄作がない作家でもあったようです。各種の宗家から発行された、あるいは美術館から発行された能面集を見てみますと、その事が感じられます。

 

花の小面

 

 

花の小面」も龍右衛門作の小面と伝承されております。この面については次回以降に詳細に書きますが、とは少し面立ちが違っております。細工の仕方が違うのがその理由です。現在は三井文庫に所蔵されております。唯、江戸時代・文化十年書上「金剛流重代本面譜」によると、「雪は火災に係り、月は行方不明、金剛家ののみ存す」と有るそうです。

江戸時代の資料が正しければ、現在金剛宗家に所蔵された「雪の小面」は誰の作????・・・巷の話の中にはこの面を巡るいろいろな話が有ります。穿った推量をすると、現在の面は龍右衛門の真作を写した面かもと言うような???ということにもなります。でも、大変な名作ですね。

河内か誰かが写した「雪の小面」が、現在真作の本面・雪の小面として存在しているのかも。そして「月の小面」は今もどこかに存在するのかもしれません。

歴史的史実は嘘で嘘を塗りつぶした事が多いので、トンでもハップンの事実が隠されているかもしれません。面の面裏の「鉋目」や「焼印」すら偽造した贋物が有るのですから。それにしてもこの「雪の小面」はどんな事情が裏に隠されようとも、名品には間違いありません。

事実、学者の研究では龍右衛門作の面の中には、相当数の別人が紛れ込んでいる可能性が有るとの事。余りにも素晴らしい打ち手であったが故に、名前を無断で権力を嵩にして借用したようです。その一大原因は「江戸の大名に対する式楽制度」にあります。

ミステリーですね。

 

  

 

喫茶店でちょっと一服-02    

どこかの喫茶店・・HPより拝借しました。

 

爺の迷作

 

箱の中を探していたら、大変な迷作が飛び出てきました。「黒式尉」らしい。途中で彫るのを止めた小造り段階らしい。眼の周りに<粉くそ>を塗ってあります。彫りすぎたのでしょうね。師匠から木型を借りて彫っていたものらしい。今から見るとさ程悪くはないんですが・・・

後は<引き回し鋸>で顎を切り落とし、皺を掘り、肝心の眼を完成し、裏を彫り上げればOKのはずだが??? 今となっては数十年前のこととて記憶になし??

まだまだ修正可能なのだが・・何が気に食わなかったかね~?

裏も途中半端・・・まだまだ堀りが足りな~い

仕様がないので、今回修正して完成させる積り。とんだものをご紹介いたしました。 

堀 安右衛門師のビデオを観ておりましたら、「木というものは300年位の成長したものを使っているので、ほかしたらイケマセン」と有りました。正にその通り。それで思い起こして完成させることになりました。小造り、仕上げ、下地塗り、古色、彩色・・・・まだまだ道中はなが~い道のりです。

 

海岸で日向ぼっこの親子ヤギ左は母親、右が息子)

 

 


「白洲正子能面学」と「面打ち」-001-04

2014-04-11 17:21:21 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
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能面・面打ち 

 

 

雪の小面」について-002

 

石川龍右衛門重政作・雪の小面

 

 

先回は石川龍右衛門重政作の「雪の小面」について書いてみました。小面と言ったら龍右衛門というくらい有名な代表的な面です。15~16歳位の処女娘の顔を表しており、見た目にも京言葉の「はんなり」をそのまま表しております。品格もあり結構な面です。

石川龍右衛門重政は15世紀頃に京都に在住していた能面師ですが、実はそれほど詳しいことは分かっていないのが現実です。能面師の場合、僧侶や武士、能楽関係者が多いのですが、彼がどのような出自の者かは詳らかではありません。

大体において女面や男面などに名作が多いのですが、それ以外の面もなかなかの出来です。打ちあがった面の表情はどれも美しいものが多いのが特徴でしょうか。そのような意味では、桃山から江戸時代初期にかけて活躍した河内家重も似た様な作家に思えます。

唯、各宗家の所蔵の能面集を具に鑑賞してみて分かった事ですが、宗家所蔵の龍右衛門作の面が全て真作であるかどうかは、なかなか断定は難しいように思えます。龍右衛門作の中にも出来不出来が有るようで、別な方の作を「龍右衛門」と称しているのではないかと思われる面も存在します。

また、逆に作者不明の中にも相当の秀作があり、意外と龍右衛門作と見まごうような面もあります。今回はその代表的な小面をご紹介しましょう。

 

江戸時代初期 作者不明 小面

 

 

先ずは真作の本面上記の面の表情を比較してみてください。若干、写真(口の部分・・筆者の撮影ミス)が歪んでいる部分もありますが、写したとしても良く本面の表情を正確に捕らえております。

 

本面・小面の裏

 

作者不明の小面 裏

 

真作と作者不明の面裏を比較してみてください。鼻の窪みの淵の部分の周囲に、龍右衛門独特の鉋目(隠し鉋)が有ります。さらに、顎の部分に縦長の鑿跡、さらに中央横に3本の微かに斜めに彫った跡が残っております。龍右衛門の焼印は有りませんが、極め書がなくとも、この作者不明の小面は本面(真作)を横において、打ったに相違ないか、あるいは室町時代の作で龍右衛門その人の作ではないでしょうか。

 

龍右衛門の小面の写しは、可也の面打ち師が写しておりますが、この作者不明の小面を超える面は、資料の中では見たことが有りません。堀 安右衛門師のビデオを丹念に見ておりまして、この事に気が付いた次第です。面の鑑定の際この鉋目は大事なポイントだそうで、このことからこの作者不明の面は大変興味のある面です。

 

 

いろいろ能面集を見ておりまして、河内の小面は見当たらないので、案外彼が龍右衛門を尊敬してやまなかった為に、敢えて作者不明のままにて、上記の小面が宗家に伝承されているのではないでしょうか・・・・・・・・

と思っておりましたら・・・・有りました。有りました・・・・・以前、鈴木 慶雲師の著書に・・・・「河内の小面は見たことなし」と書いてあったのを読んでおりましたので・・・・

つい無いと思っておりましたが。

梅若流宗家」で河内の小面を所蔵しておりました。これをご紹介しましょう。

 

河内家重 作・小面 (梅若流所蔵

 

面裏

 

裏に間違いなく河内の「焼印」が押されておりました。

 

 

 

赤鶴作 ・ 小面 ・ 室町時代初期

 

同 面裏

 

上記の面は丹波篠山にある「篠山能楽資料館」に所蔵されている。赤鶴一刀斎吉成の作とされている小面です。赤鶴は切れ味の鋭い鬼畜系の面で有名な作家ですが、小面を打ってもご覧の通り。金春家に伝わった逸品です。四国の幕末の外様大名・山内 容堂が所持していた面という経緯が有ると言う伝承があります。

中央に「竹田七郎」の刻名があります。これは大変な秀作です。裏は厚く漆を塗りこんであり美しいです。左右の極め書きは後代のものですから確証にはなりません。

次回は別な作家の「小面」をいろいろご紹介しましょう。