家族の事柄なので、詳細は書かない。
書けない。
でも、胸の奥の不安とそれをふんわりと包む喜びが首から下の身体を覆って落ち着かない。
だから、自分に言い聞かせるつもりで書く。
首から上の頭は、お盆という行事と多忙な日常生活と自分の宿題で支配されていて、不安も喜びも忘れられる。
頭で何にも考えない時、肋骨の中がマーブリングしたようにモヤモヤになるのだ。
喜びなんだから、素直に喜べばいい。
しかし、素直に喜んだあと、間髪入れずに不安になる。
それが親心だと、私にもわかる。
心配する要因が後から後から湧いてくるのは、我が子が悲しい思いをするのがイヤだから。
親である私が、イヤだから。
そう当の本人の気持ちなど、どうなのか知らない、
ましてや相談さえない。
私が勝手に不安になっているのだ。
そういう時はどうすればいいか。
黙って静かに見守るしかない。
今までのように。
いつか、必ず、不安は解消され、喜びに胸がいっぱいになる日を待つ。
遠い日なのか近い将来なのか、わからない。
信じて待つ。
それしかない。
書けない。
でも、胸の奥の不安とそれをふんわりと包む喜びが首から下の身体を覆って落ち着かない。
だから、自分に言い聞かせるつもりで書く。
首から上の頭は、お盆という行事と多忙な日常生活と自分の宿題で支配されていて、不安も喜びも忘れられる。
頭で何にも考えない時、肋骨の中がマーブリングしたようにモヤモヤになるのだ。
喜びなんだから、素直に喜べばいい。
しかし、素直に喜んだあと、間髪入れずに不安になる。
それが親心だと、私にもわかる。
心配する要因が後から後から湧いてくるのは、我が子が悲しい思いをするのがイヤだから。
親である私が、イヤだから。
そう当の本人の気持ちなど、どうなのか知らない、
ましてや相談さえない。
私が勝手に不安になっているのだ。
そういう時はどうすればいいか。
黙って静かに見守るしかない。
今までのように。
いつか、必ず、不安は解消され、喜びに胸がいっぱいになる日を待つ。
遠い日なのか近い将来なのか、わからない。
信じて待つ。
それしかない。