お話

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怪談 松に佇む(前編)

2021年05月29日 | 怪談
 村はずれに一本の松の樹が立っている。丈も高く、幹も太い。幹には注連縄が巻かれていた。この村の鎮守として祀っているのだ。
 村に六太郎と言う若者があった。名の通り太吉の所の六男坊だったが、上の五人の兄姉は皆、病で亡くなってしまっていた。その後、六太郎に弟妹は出来なかった。
 今では父親の太吉も母親のくめも歳を取り、六太郎が働き頭だった。
 六太郎の家は決して裕福ではなかった。村はずれにわずかな田と畑を持っているばかりだった。それでも六太郎は朝早くから夕暮れまで働いた。
「そろそろ、六太郎も嫁さんをもらわにゃあなぁ……」
「さいですなぁ……」
 近頃の両親の言葉は決まってこれだった。六太郎自身は、嫁はまだまだ早いと思っていた。まだ十九になったばかりだ。だが、親は結構な歳になっている。それを考えると、無碍にも出来ない。この話になると、六太郎は苦笑するだけで返事はしなかった。
 春もそろそろ夏に移ろうと言う頃、六太郎はいつものように朝早くから出掛けた。朝飯を抜く事にはもう慣れてしまっていた。まだ鼾をかいている両親を起こさぬようにと、そっと家を出る。こんな雑魚寝の様な家では嫁は無理じゃと六太郎は思う。
 いつものように、村はずれの自分の田畑へと向かう。鎮守の松に差し掛かる。
「おや……?」
 六太郎は呟く。松の前に若い娘が立っていたからだ。色の白い、ほっそりとした、綺麗な娘だった。六太郎の見知る村の娘ではなかった。娘は後ろ手をして松の幹の寄りかかり、じっと地面を見つめていた。六太郎が前を通っても顔を上げようともしない。六太郎は娘の前を通り過ぎると、幾度も振り返り娘を見た。だが、娘は相変わらず地面を見つめていた。
「やれ、変わった娘じゃ……」
 六太郎は振り返るのを止めて呟いた。強くなった日差しを眩しそうな顔で見上げる。それから、今一度振り返ってみた。娘はいなかった。
 昼時、六太郎は昼飯を食べに家へと帰る。六太郎より遅くに起き出した両親が摂った朝飯の残りを、いつものように母親が温め直してくれて待っている。松の前を通りかかると娘はいなかった。その代りに、薄汚れた形をした坊様が根方に座り込んでいた。
 しわくちゃで薄汚れた墨染めの衣に薄汚れた手甲脚絆、茶色く変色し所々に穴の開いた網代笠を目深に被り、首に幾つか珠の無くなった大きな数珠を掛けた大柄な坊様だった。松の幹には鐶が幾つか無くなっている古ぼけた錫杖を立てかけている。六太郎の気配を察したのか、坊様は笠の前を右手で押し上げて、ぶすっとした髭面を向ける。
「これ……」
 坊様が声を掛けて来た。坊様の風体に圧倒された六太郎の足が止まる。
「……へぇ、何でございましょう……?」
 六太郎の腰が引ける。坊様はゆらりと立ち上がった。六太郎よりも背が高い。
「お前さん、何かいつもと違うものを見なかったかい?」坊様は六太郎を見下ろしながら唐突に言う。「どうだい?」
「へぇ……」六太郎の喉が思わず鳴る。「そう言えば……」
「そう言えば、何だ?」
 坊様はからだを折り曲げて、詰問するように六太郎に顔を寄せる。また六太郎の腰が引ける。
「はっはっは! 怖がらんでも良い」坊様は笑った。屈託のない笑顔に六太郎は少し安心する。「何かを見たのだね?」
「へぇ…… 今お坊様の立ってらっしゃるところに、朝方、見た事のねぇ娘がおりやした」
「ほう……」
「ずっと地面を見ておりやしてね、あっしが前を通っても顔を上げもしねぇ。変な娘だなぁとは思いやしたが……」
「そりゃ、お前さんが男前じゃないからだよ」
「ひでぇ事をおっしゃる…… まあ、違っちゃいやせんがね」
「はっはっは、冗談じゃよ。お前さんは中々の色男だ」坊様が豪快に笑う。六太郎もそれにつられて笑った。「……それで、その後、どうなったね?」
「通り過ぎてから幾度か振り返ったんでやすが、相変わらず地面を見ていて…… そして、最後にもう一度見た時には、居なくなっておりやした」
「そうかい……」
「何か? あっしは、その娘は家にでも帰ったのかと思いやしたが?」
「ふむ…… 良い女だったかい?」
「はぁ?」坊様の言葉とは思えなかったが、にやにやしている坊様に安心したのか、六太郎はうなずいてみせた。「へい、それはそれは、綺麗な娘でございやしたよ」
「そうかい……」
 坊様はふと真顔になった。じろりと六太郎を見る。娘の姿を思い出して呆けていた六太郎だったが、坊様の様子に、こちらも真顔になった。
「お前さん、気を付けた方が良いな……」坊様はそう言うと、左の袂に右手を突っ込んで、一枚の折りたたまれた紙を取り出した。「これは護符だよ。ぼろぼろになっても良いから、肌身から離さずに持っていなさい」
「へぇ……」六太郎は差し出された紙を受け取った。開いて見ると、文字のような人型の絵のようなものが書かれてあった。「……これが、護符とやらで?」
「そうだ。それを持っていなさい。ひょっとすると、明日はじっとお前さんを見つめてくるかもしれない。そうと気が付いたら目を閉じなさい。それとな、話しかけられても、決して答えてはいけない」
「あの、見たり話したりしたら?」
「そうさなぁ、その時は……」坊様は低い声で付け足した。「お前さん、死ぬよ」
 坊様は言うと、松に立てかけてあった錫杖を取り、村とは反対の方へと行ってしまった。


つづく

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