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声だそう多数派のみなさん

犯罪被害者支援

2017-05-11 21:10:21 | 声だそう多数派のみなさん
 本日の夕刊に昨年度の「犯罪被害給付制度に基づく給付金支給状況」についての記事が掲載されています。詳細は、記事をご覧いただきたいと思いますが、一言でいえば犯罪被害者の救済は未だ「不十分極まりない」ということに尽きます。
 被害者側に犯罪誘発などの問題がある場合はともかく、その多くは善良で責任のない人たちが被害者となっています。泥棒などの財産犯罪も許せないが、何より突然命を奪われるような被害は、言葉では言い表せぬ悲劇です。まして、それが何の抵抗もできない幼いこどもや一家の大黒柱が被害に遭ったとすれば、その憤りは・・怒りはどこへ・・。他人事であってもやりきれない思いです。
 反面、犯罪を実行した者はどうでしょう?自らの意思で犯行に及んだにもかかわらず、逮捕後は様々な国の保障が与えられています。衣食住はもちろん裁判上の処遇もです。犯罪者は、審議を経て刑事罰を受けますが、同時に民事上の罰である被害者への賠償責任も負わなければなりません。被害者には請求権もあります。しかし、現実は多くが犯罪者に資力がないということで賠償されません。これが殺人などの凶悪犯罪を犯した時も同様です。被害者は悲惨な現状に呆然としつつも現実の世界に引き戻され、過酷な人生を送らざるを得ません。奪われた命をお金で換算すること自体が不謹慎ではありますが、本来なら相応の保証額を請求できるものの得るものは「請求権という権利だけ」という空しい現実です。
 犯罪者の人権ばかりが声高に叫ばれ、被害者の人権には与しない。いつになったらこのような不合理が解消されるのでしょうか。犯罪被害者には「支援」を、犯罪者には「厳罰を」。
 もっと声を上げるべきです。そう思いませんか?
 昨年、刑事裁判の判決が「総じて軽すぎないのか?」と思うことがあり、静岡新聞の「ひろば」に投稿しました。幸い、掲載されましたのでここに紹介します。


犯罪者には厳罰を

毎日、凄惨な犯罪が発生し新聞紙面を賑わかせている。犯行の残虐性やその後の切断・遺棄など異常な犯罪も、今は珍しくはない。様々な犯罪があるが、これら犯罪者のほとんどは、自らの意思によって犯したものである。その結果、被害者などが受ける損害や悲劇を承知した上で。昨今の検察の処分や求刑、裁判所の判決を見るにつけ、総じて処分の軽いことに深い憤りを感じる。被害者やその家族などの思いをどこまで意識しているのだろうか。理不尽な犯行で突然心の支柱を奪われ、残された家族などは、ただでさえ絶望の中、自らは「生きる」という現実の狭間の中で、一層もがみ苦しまなければならない、それも永い間。被害者への支援はまだまだ不十分で、犯罪者には様々な国家支援が与えられるこの理不尽さも納得いかない。日弁連は、死刑廃止を組織として表明した。しかし、一瞬にして命を奪われた被害者や遺族にとって、死刑をもってしてもそれは最低限の償いにすぎない。