今夜

2011年04月11日 | Weblog
▼大震災と原子力災害のさなかにあって、思うことのひとつは、私心を脱することが、おのれ自身への戒めとしても、どれほど大切であり、ご自分が私心に囚われていることに気づくことすらないひとが、どれほど無残なことを平然となすかということだ。


▼おととい4月9日の土曜、久しぶりに「TVタックル」のスタジオ収録のためにテレビ朝日へ出向いた。

 放送は、きょう4月11日月曜の夜7時から9時48分まで。
 つまり、いつもより2時間、早く始まる。「春の3時間スペシャル」と銘打ってある。
 ぼくはあまり地上波のテレビを見ないので知らなかったけれど、TVタックルも震災後に放送をしばらく休んでいて、震災発生からちょうど1か月に当たる今日の放送が、震災後としては初回だという。

 このように時間を延長した「スペシャル」というバージョンも、年に何回かやっているらしいけど、ぼくはいつも参加(出演)するわけでは全くないので、ふだんはどういう放送内容だったか、あまり知らない。
 こんなぼくの知る限りではあるけれど、今夜は、TVタックルという長寿番組始まって以来のことがある。

 それは放送の後半は、ナマ放送になる! ことだ。

(生放送が初めてではなかったら、ごめんなさい。前述のようにぼくは番組について無知だから、かつては生放送もあったのかもしれません)


▼番組の女性ディレクターが、独研(独立総合研究所)の総務部と日程調整をするときに「青山さんが、TVタックルはぼくの発言を95%カッとしたりする、と講演会で言ってるから、いっぺん生放送でやろうということになりました」と話したという。

 TVタックルが生放送ではなくて、事前に収録して、編集していることは、視聴者の多くがご存じのことだろうし、番組も別に無理に隠してはいないと思う。
 ぼくがこの番組に関わるときは、コメントだけを独研の社長室で収録する場合と、テレビ朝日に出向きスタジオで議論に加わって収録する場合がある。

 講演会のあとの懇親会などで「タックルはコメント(前者)だけでしょう」と言われることが良くあるけど、実際は後者(スタジオ参加)も、数としては結構ある。
 ぼくは、わりと最近まで、この番組に2年ほど全く顔を出さない時期があった。しかし、その時期には独研社長室でのコメント収録もなかったわけだ。

 そのコメント収録は、2時間以上にわたるのもふつうで、放送されるのは30秒から、長くて1分半か2分ぐらい。
 そのほかのぼくの話は、番組のディレクターたちがVTR全体の流れを決めたり、番組で何を取り上げるかを決めるのに活用している。
 そうやって番組作りにいくらか寄与していても、それは表には、もちろん一切あらわれない。
 しかし、それで完全にOK。
 この番組は、たいへんに人気があるそうで、つまりは沢山のかたがたが視る番組が正しい内容になっていくことに、ぼくのコメント収録がほんのすこしでも貢献できるなら、意味があるからだ。

 この番組が放送される月曜の夜9時というのは、共同通信の記者時代にテレビを視ていたことがない。だから記者を辞めるまで、TVタックルなんて、聞いたことも視たこともなかった。
 共同通信を辞めて、三菱総研に移り、いくらか自由な立場になって安全保障をめぐる対談本を出したら、TVタックルのベテラン男性ディレクターのSさんという誠実なひとから「話を聴きたい」という連絡があり、番組の存在を初めて知った。
 それが平成13年11月のことだから、考えてみればもう9年半になる。
 もっとも前述したように、2年ほどブランクがあるから実質7年強ぐらいだけど、わりあい長いお付きあいだ。


▼この番組で正直、すこし困るのは、スタジオ収録で発言したことを、ほとんど放送しないことがあることだ。
 独研でのコメント収録をわずかしか放送しないのは、前述したようにまったく構わない。
 ところがスタジオ収録のとき、ぼくが笑っている顔などを流すだけで、発言は実際、95%ほどをカットしてしまったこともある。
 視聴者から「なぜ発言しないのか」「なぜ、反論しないのか」というEメールや書き込みが溢れたときも一度や二度じゃない。

 もっとも、こうしたことは、生放送以外のテレビ番組では常に、つきものだ。TVタックルだけのことでは、全然ない。
 ただし、95%もカットされたのは、TVタックル以外にはない。
 ぼくだけが勝手に言っているのなら、思い違いの可能性もあるけれど、スタジオ収録に同行した独研の秘書さんが「社長は、あれほど話されていたのに、放送では、まったく消されていましたね。なぜですか」と憤慨したことが、これも一度や二度じゃなかった。

 もちろん、発言がかなり放送されたこともある。数少ないけど。ふひ。
 ぼくは番組の編集に干渉しない主義だけれど、放送される回によって違いがありすぎるから、ディレクターに「どんな基準ですか」とだけは聞いてみたことがある。
 すると「担当ディレクターによって、そういう奴もいるんですよ。(青山の話は)カットしたがる奴が」という、とても率直な答えだった。この、なかなかカッコいい率直さが、タックルのいい面のひとつでもある。

 ディレクター個人個人のことまで、まさか干渉しない。何があってもそこまで干渉しない。その「奴」が誰なのかも、一切聞かなかった。だから、もはやぼくは、このことに関心を失った。

 しかし、TVタックルの特徴のひとつは、このディレクター陣が、びっくりするぐらいよく勉強していることだ。
 テレビ番組は、それが報道番組であっても、思わず凍りつくぐらいディレクター陣が勉強していないことがある。多々、ある。
 しかし関西テレビの報道番組「アンカー」と、このTVタックルだけは、そういうことがない。
 TVタックルのディレクターたちは「この番組は、もともとエンターテインメントなんですけど…」と、ぼやきながらも、ほんとうに勉強している。
 さっきの「(青山の話は)カットしたがる奴」であっても、そうだろうと思う。タックルに勉強していない人は居ないから。

 だから2年のブランクを経て、ふたたび「来てくれませんか」とオファーがあったとき、発言のカットがどうであれ即、OKした。
 そして今回、「話をカットされると青山さんが言うから、いっぺん生放送でやってみます」という話が、独研の総務部に来たとき、ぼくは思わず、あははと笑った。
 震災後に、あははと笑ったのは、たぶん初めてだ。

 もちろん、現実には、ぼくの発言をカットするとかしないとかよりも、4月10日に統一地方選があるから、その結果を受けて11日に放送するには、生放送でないと間に合わない、それが生放送を取り入れる理由だろうとは思う。
 しかし、女性ディレクターのユーモアのセンスが、ちょっと楽しかった。


▼そういうわけで今夜の放送は、前半が、土曜日に収録した分、後半がナマ放送という、他のどの番組でも滅多にないユニークな構成になっている。

 その土曜のスタジオ収録は、3時間以上に及んだけど、今夜の放送の前半は実質的に1時間10分とか15分とかだから、いつものように編集でバッサリとカットされる。
 だから、ぼくの発言も多くはカットされるだろうけど、それは、これまでに申したように、もうどうでもいい。

 おとといのスタジオ収録で、ぼくが胸のうちで強いショックを受けたのは、参加(出演)者のなかで、まことにまことに申し訳ないけど、私心にひたすら突き動かされているとしか思えない言動のひとが、複数、複数です、いらっしゃったことだった。(レギュラーのかたがたではありませぬ)

 この大震災のさなかに、いやむしろ大震災だからこそ自分を売り込みたいとか、番組の中で目立つ存在でいたいとか、そういった類いの私心も、ときおり感じられてならなかった。


▼そのことは、もうこれ以上は申さない。
 ぼくは限りなく悲しかった。
 しかし、視聴者それぞれが判断なさることだ。
 それに、3時間を超えて収録されたテープが1時間10分か15分ぐらいに編集されるのだから、どのように放送されるのか分からない。


▼そのこととは、また別に、今回はわりと喜怒哀楽のあったスタジオ収録かもしれない。
 進行中の福島原子力災害において菅政権、なかでも首相官邸の問題のために、あるいは宰相である菅直人さんの私心に端を発して、排水循環システムの構築が人災として遅れに遅れ、その結果として、ほんらいは不要だった低レベル放射性物質を含む水の大量海洋投棄を行ってしまったことをめぐって、前総務大臣の原口さんと激しい口論になり、いつものようにスタジオ内に冷たい空気が漂った。
 これは、まさしくいつものことなので、まったく問題ない。
 嬉しかったのは、こころの友の宮崎哲弥さんが、隣の席から大噴火して、援護射撃してくれたことだった。
 宮崎さんは、友だちだから噴火したのじゃない。
 彼も、深奥に迫るために取材に取材を重ねて、同じ怒りを共有していたのだろう。

 原口さんは、スタジオに来れば批判をひとりで浴びることは承知で来ていた。それはエライと思う。
 震災の前から、民主党批判が強まるにつれ、TVタックルがいくら出演依頼をしても民主党議員はみな、逃げ出すというトンデモ現象が起きているそうだから、逃げ出さないのはエライ。
 それに、原口さんはふだん野心満々な政治家だけれど、この日は、そんな感じはしなかった。ぼくの怒りに真正面から立ち向かって、怒ってくれた。

 ただ、官邸の誰の何が、まともな作業進展を阻んでいて、それを与党の幹部議員としてどうするのか、はっきりと聞きたかった。
 宮崎さんが「それは無理だよ」と、あとで言っていたし、ぼくもそれは分かる。
 しかし、正直、やりきれない怒りが爆発した。今も、やりきれない。


▼スタジオ収録ではそのあと、実際に気仙沼で被災された漁業者と、風評被害に苦しみ抜く会津の女性旅館経営者が、参加された。
 ぼくは終始、そのお話を集中して聞き、そのあいだ、ひと言も発しなかった。
 独研のスタジオ同行者があとで、「社長、どうして発言しなかったんですか」とぼくを追及したけど、ごめん、とても発言する気になれなかった。

 都内も被害は出た。7人ものかたが、ひとつしかない命を落とした。独研も自宅も、いくらかの被害はあった。しかし東北の苦しみとは、あまりにも、あまりにも比べものにならない。
 安全な都内で、大震災を克服するための仕事とはいえ、仕事をしている立場では、じっとひたすら話をお聞きして、胸に叩き込むしかないと考えていた。ありのままの証言を胸に叩き込み、おのれの、ささやかな責務を果たしたいと考えていた。

 この現地からの証言者おふたりに、「政府を当てにするな。自分でしっかりやるのが第一」という趣旨で意見される番組参加(出演)者が何人もいらっしゃったのにも、驚いた。
 しかし、それは、ぼくも私心とは呼ばない。こころからの意見を、被災者たちに伝えただけなのだろう。
 しかし、ぼくにはできませぬ。永遠に、できませぬ。
 やはり、ぼくには日本のテレビは向いていないと思う。


▼政治家はもうひとり、小野寺五典さんが参加していた。
 小野寺さんは、自民党の若手代議士で、外務副大臣も務めた。
 実家は、気仙沼の旅館だ。選挙区も、もちろん、気仙沼。
 出身大学が、青山千春博士と同じ東京水産大学(現・東京海洋大学)、つまり青山千春博士の後輩ということもあって、親しくしている。

 この小野寺さんが私心なく、また自民も民主もなく、どれほど現地で奮闘しているかは聞き及んでいたから、スタジオに入る廊下で会ったとき、その顔色がすこし元気になっていたことが、こころから嬉しかった。
 収録が始まる前の立ち話で、震災前に、ぼくらがたまたま気仙沼の知友を訪ねて「ほや」をご馳走そうになった話をすると、小野寺さんはたちどころに、「あ、それは○○さんのおうちでしょう」と言い当てた。
 小野寺さんは、まさしく地元の人だ。
 その○○さんの実家である網元の古い大きなお宅も流され、小野寺さんの実家の旅館も壊滅した。

 この小野寺さんが、土曜日の収録中に、二度ほど涙ぐんだ。
 それを自分の言葉のおかげかと思った参加(出演)者もいるようだけど、それはたぶん違う。
 ごめんね、小野寺ちゃん、勝手に言ってしまうけど、ほんとうは逆だよね。
 何でこんな時に自分を売り込みたい人がいるのかと、それも悲しくて、万感こみあげたのじゃないだろうか。

 収録の後半に、ぼくの真向かいに座った小野寺議員と、何度か目線を合わせると、彼はほんとうに悲しげな眼で、ぼくにひそかに語りかけてくる気がした。「もっと、きちんと話したいのですけどね。そのために、あえて現場を抜け出して、ここに居るのですけどね」、そう、眼が語っているように思えた。


▼さて、この収録分がどのように放送されるのか、それはいつものようにまったく事前に分からない。
 しかし、たけしさんをはじめ、番組そのものには、しっかりと志が感じられた。ぼくは社交辞令は言わぬ。

 その志のひとつとして、原子力災害後の日本の希望のひとつとして、日本に良質なメタンハイドレートが存在していることを、ほんの少しながら、最後に取り上げてくれた。
 その話をするとき、もう収録予定時間が過ぎてしまっていたから、ぼくは、ありのままに申して、かなり急いで、はしょって話した。
 すると、ちゃんと聞いてくれた三宅久之さんが「だけどね、それを研究し開発している人はいるのかね」という趣旨でぼくに質問された。

 三宅さんは、ぼくが評論家ではなく実務家であること、独研(独立総合研究所)がぼくの個人事務所ではなく、提言をする財団法人や社団法人でもなく、あくまで実務に取り組む株式会社組織のシンクタンクであることを、おそらくまったくご存じないのだろう。
 だから、ぼくが資源とエネルギーの実務者として国際学会で発表したりすることも、まったく想像されないのだろう。
 それはそれで無理ないと思う。日本では発信者と実務家がバラバラのことが多いから。

 それをとっさに感じつつ、ぼくは、ほんらい言うべきことを言わなかった。言えなかったぼくの責任だ。
 ほんらいは、「独立総合研究所も学者のなかで良心的なひとと連携して取り組んでいる」とか、「青山千春博士こそ、もっとも良質な日本海のメタンハイドレートを発見した研究者であり、メタンハイドレートの簡便で安価な(つまりカネをかけなくて済むからこそ既得権益のひとびとが喜ばない)探査方法を開発し、国内特許はもちろん、アメリカ、オーストラリア、ロシア、中国、韓国の国際特許を持っていながら、ただの1円も特許収入を得ていない」とか、それはなぜかといえば『中国や韓国など外国が、その技術を自国が創造したかのように振る舞って、日本は使うなと、近い将来にもしも言い始めたらフェアな国益を損ねる』というのが特許を取った最大の理由だから…などなどの話をフェアに、ありのままにすべきだろう。
 それを一切、できなかった。

 というより、そういう、おのれも関係するような話は一瞬で全部、封じ込めて、違う話をした。
 日本以外の諸国では、こうはならない。
 その話が事実かどうかだけが、問題にされて、それが発言者の会社の関係する話だろうが、プライベートでは配偶者にあたる研究者の話であろうが、まったく関係ないからだ。
 ぼくは国際社会とも仕事をしていても、こうした場面では、まったく国際基準を貫くことができない。ろくに発信できない人間になる。
 ぼくはもう無理だけど、次の世代、次の次の世代には、こんなふうに息苦しい社会が、誰でもありのままに自分たちのオリジナルな成果をすなおに胸を張って発信できる社会になってほしい。
 そのように風が通る社会に変える努力をこそ、ぼくはささやかに続けたい。


▼3月19日に退院してから、そろそろ1か月が近づいてくるけど、体力はまだ3分の1ほどしか戻っていない。
 二度まで命を救ってくれた自宅近くの名開業医によれば、「全身麻酔をしているから当然です。そのとき全身の機能がいったん停止したんだから、体力が戻るには少なくとも数か月かかる。くれぐれも無理をしないで」ということだ。

 土曜日の収録も、2時間を超えるあたりから、内心ではかなりの疲れを感じた。
 しかし、これを機会に躯を作り直すことに、あたりまえだけど、取り組んではいる。手始めに、仕事場のマンションの高層階の階段を歩いて上り下りしている。
 わざわざ言うまでもなく、もちろん節電にもいくらかは、なる。

 階段室をいくと、階ごとにひび割れがあり、震災の威力があらためて感じられる。それを感じるためにも、今の体力ではかなり苦しい上りも、踏みしめて登っている。





※ところで、この地味ブログへの書き込みに、「体調が悪いと言い訳をするな」というものがありましたが、ぼくがどなたに言い訳をする必要があるのでしょうか。
 ここはぼくの自由な庭であり、体調のことも書きます。

 これで思い出しましたが、「入院のあいだに受けた放射線量が160ミリシーベルト(16万マイクロシーベルト)」とあるが、間違いではないか?文科省HPによるとCTスキャン1回につき、放射線量は6.9ミリシーベルト。単純にCTスキャン(※レントゲン撮影は放射線量がより低いため省略)で160ミリシーベルト浴びるとすれば、23回ほど受ける計算になるから、さすがの鉄人の青山さんでも無理では? 放射線治療を受けたのかもしれないけど、とかく放射線に敏感にならざるをえない時期だから」という趣旨の書き込みもありました。
 もちろん間違いでも何でもありません。
 入院先の放射線技師に、きちんとお願いし、放射線量を計算して出してもらった数字だし、合計3週間の入院中に受けたCTスキャンは、おっしゃる23回よりも多いです。24時間以内に、複数回にわたって受けたことも、一度ではありません。
 それを過剰な医療被曝と批判する医師もなかにはいるだろうけど、特に腸閉塞は、命に関わっていたから、お腹の中を正確に把握することが優先されていたと考えます。
 ある外科医が「お腹をもう一度(切り)開いて、中を見るしかない」と主張する切羽詰まった場面もありました。
 ぼくはそれを、苦しかった息の下から即座に断り、そのためにCTスキャンを重ねることにもなりました。CTスキャンの多用のほうが、はるかに良い選択だったと今でも考えます。

 大腸癌のために腹を開いて、15センチ、腸を切り取って、そのあとの難行苦行をようやく凌(しの)いできて、それをもう一度、開けられたらたまらない。医療被曝がどなたにも、いつでも絶対安全とは、まさか言わないが、すくなくとも今のぼくが二度、腹を切られるより、ずっとはるかに害がない。
 ほんとにその場で、こう考えることができました。正直、あのとき意識がちゃんとあって良かった。

 放射線技師は「少なくとも160ミリシーベルト以上」と回答したのが、正確な書き方であり、間違ったのでも誇張したのでもなく、ありのままに、しかしなるべく穏やかに書いています。
 つまり、実際に受けた放射線量は、もう少し多かったでしょう。CTスキャン以外に、レントゲン撮影も山ほどやっていますから。塵(ちり)も積もれば山となる、ですね。

 そして、このブログに、これも正確に記したとおり、癌は早期で、転移も無かったですから、放射線治療は一切、受けていません。

 さらに芋ヅル式に思い出すと、「私が直腸癌だったときと、青山さんの話が違う。ウソじゃないか」という趣旨を、いくらか激しいトーンで書き込まれた方もいらっしゃいました。
 ぼくはおのれの症例について、医師が実際に述べたことだけを記しています。
 ぼくの早期癌の部位は、直腸ではないし、症例は、共同通信で医学記事を書いていたときの経験からしても、大まかには同名の病気でも人によって大きく異なりますし、医師の措置や見解もまったく異なります。

 この地味ブログは、言い訳のためにも、誇張した話をするためにもあるのではなく、人様は傷つけないようにギリギリ努力しつつ(だからスタジオ収録の時に、どなたに私心を感じたかも明かしません)、おのれのことはなるべく、ありのままに記していく。
 それだけのブログですから、できれば、ありのままに受け取ってくだされば、いくらかは、しあわせです。


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