▼2005年8月2日の火曜日は、大阪出張から羽田空港へ戻り、そのまま東京逓信病院へ。
異汗性水泡のその後を診てもらう。
水疱は出ていないけど、ときどき前駆症状のように、手のひらや手首のあたりがいくらか痛がゆくなることがある。
それをドクターに話すと、「青山さんが仕事量を制限していない以上、やむを得ないですね。それはまさしく水泡が再発する前駆症状です。水疱が出そうになって、それを何とか基礎体力で防いでいる状況ですね」との趣旨の答えだった。
▼羽田空港から病院へ、病院から独立総研の本社へと動くタクシーのなかで、ずっとモバイルパソコンを使い、『東京コンフィデンシャル・レポート』( 独研から会員へ配信しているレポート )を執筆する。
きょうは、郵政民営化法案の採決へ向かう参院の動きと衆院解散をめぐる政局のレポートだ。
タクシーの車中で大枠を書いておいて、独研・本社へ着くと一気に完成させ、配信。
それから大急ぎで、独立総研の主任研究員ふたりと打ち合わせ。
きょうは、独研の仕事の柱の一つである重要な研究会がある。
国民生活と日本のエネルギーをテロリズムからしっかりと護るために、政府、民間からキーパーソンたちを独研が責任を持って集め、一堂に会して、テロ対策について実務協議する。
肩書きをはずして本音をぶつけ合う、ほんとうに貴重な場が、この研究会だ。
▼先週の沖縄での「国民保護フォーラム」が終わって、すこし頭の調子がよくない。
頭の調子というと変だろうけど、要は、頭脳の切れがいくらか悪い感じがする。なんとなくボーッとしている感じ。
頭の回転が鈍ると、正直、ぼくの仕事は仕事にならない。
ああ疲れているんだなぁと、こころの底で感じている。
だけど、きょうの研究会のように重要スケジュールは次から次へと押し寄せてくるから、休みがほしいなんて贅沢を言っている場合じゃない。
打ち合わせを済ませ、研究会の会場へ。
エスカレーターを登りながら、頭の回転がきょうは鈍いことへの不安を、こころのなかで押し切る。
研究会、そしてそのあとの懇親会、懇親会の二次会、いずれも胸の内でおのれを叱咤激励して、力を振り絞って、進行役を務めた。
幸いに、研究会は、ちょっとびっくりするほどの成功だったと思う。
この研究会は、ぼくがまだ三菱総研の研究員だった頃から、実に足かけ6年も続いている。
すなわち2001年9月11日の米国同時多発テロが起きる前から、ぼくなりに「いずれ重大テロが起きる。日本も、日本らしい独自の備えを持つべきだ」と政府、民間の双方に訴えかけて、この研究会をスタートさせた。
この6年の歩みのなかでも、きょう2005年8月2日の研究会は、白眉の出来だったと思う。
政府、民間のいずれのキーパーソンにも、浅くはない理解と、軽くはない決意を促す契機にはなったと思う。
▼それなのにこの夜、ぼくは、独研本社に戻ると、がっくりと自信を失った。
理由は3つある。
ひとつ。
この研究会も、重い意味のわりには、独研にとっては赤字ベースだ。
独研はいかなる補助金、基金、そして借金も持たないから、このままでは経営危機に陥りかねない。
独研が株式会社でいるのは、営利を追求するためではなく、自立性を保つためだ。
それだけに、しっかりと経営しなければいけない。
社長のぼくが、講演会やフォーラムやテレビ出演に走り回っていると、どうしても経営がおろそかになる。
経営者失格ではないかと、自分を責めないわけにいかない。
ふたつ。
本の原稿が書けていない。
ぼくはシンクタンクの経営者であるより、もっと前に、一介の物書きだ。
物書きである原点を失えば、それは青山繁晴ではない。
心身が疲れていて、まともな執筆時間も、ほどんどない。そりゃ、そうだ。
しかしプロフェッショナルには、ただ結果があるだけではないか。物書きなら、良い原稿が現実に書けているのか、それとも構想だけで原稿に結実していないのか、そのどちらかしかない。
よく頑張りましたとか、頑張ったけど結果が出ていないのは仕方ないとか、結果が出ないのには理由があるんだからやむを得ないとか、それはすべてアマチュアの話であって、ぼくがプロの物書きである限りは、そんな話は一切、かけらも許されない。
みっつ。
テレビ出演が相変わらず、へたくそだ。
ぼくはもちろんテレビタレントではないし、テレビ評論家でもない。
安全保障や危機管理をはじめとする実務者だし、物書きだ。
それでもテレビ番組に顔を出す以上は、きちんと良い出演をするのが、視聴者に対する、あるいはテレビ局のスタッフに対する絶対不可欠の義務に違いない。
その義務を十全には果たせていない。
毎週、月曜に生出演している関西テレビの番組では、北朝鮮から郵政民営化まで、視聴者にホワイトボードまで使わせてもらって解説をしている。
視聴者の反応や、スタッフの受けは、まぁ悪くはない。
胸を打つ、応援メールも、驚くほどいただく。
それでも、実は、自己評価は、低い、低い。
自信を失ったまま、会社に泊まり込む感じだったけど、遅くまで残ってくれていた主任研究員と、若き秘書室長が、むりやりにタクシーにぼくを押し込んでくれて、どうにか帰宅できた。
ただね、帰宅すると、よけいに自信喪失が噴き出すんだよね。
家族も、たいへんに責任の重い仕事を持っているし、ぼくが寛ぐというわけにもいかない。
こうしたとき、ふだんならベッドにも入らずに、いや入ることができずに、服のままソファで眠り込んでしまって余計に肩が凝って腫れあがったりするのだけど、どうにか午前4時半ごろには、ベッドに入ることができた。
▼心身の疲労には、言われなき中傷を受けてがっかりするためということも、ないではない。
社会的発言をしている以上、正当な理由の見つけにくい中傷であっても当然くることを、覚悟しなければならない。
それは自分でよく分かっているから、あまり気にすることはないけど、気にすると言うより、なんだか、がっかりしてしまう。
それでも、こうやって数時間でも眠ると、また元気はすこしづつ湧いてくる。
武士道といふは死ぬことと見つけたり。
とにかく、ただ一度きりの生を、もはやおのれのためではなく世のために、ささやかに捧げて死のうと決めたのだから、そのおのれを信じるしかありませんね。
☆写真は、沖縄の「国民保護フォーラム」のあと、沖縄の知友が連れて行ってくださった海沿いのゴルフ場です。
(※ゴルフ場のHPから、この写真をいただきました。著作権は、ゴルフ場にあります)
「ザ・サザンリンクス」という名の、このゴルフ場の名物ホール、8番ホールです。
ここで生まれて初めてのバーディを7月28日に出しました。
手前のティー・グラウンドから、ただ真っ直ぐにグリーンを目指して1打目を打つと、海に落ちている崖をきれいに超えてグリーンに乗りました。
そして「必ず入ります」と声に出してパッティングすると1回で、ボールはころりんとホールに入ってくれました。
パー3打・120ヤードを、2打でホールインして、バーディです。
練習も経験もないのですが、なんとなく自分を信じて、体の柔らかさと筋力を信じる感じで、打ちました。
これですよね、これ。
連れ出してくださった沖縄の知友の友情に応えるためにも、良き自信をもっと持ちたいと思います。