Our World Time

ぼくの好きな三人衆

2005年08月04日 | Weblog



☆ぼくが沖縄入りするたび、アテンドしてくれる三人衆です。

 ひだりは、安室奈美恵さんにかなり似ている、眼のきれいな、ゆりちゃん。
 まんなかは、身長190センチ、なぜモデルの仕事をしないのか不思議なほどのカッコ良さなのに、自意識過剰なところが全くない好人物の、たわちゃん。
 みぎは、きりっとした琉球美人で、仕事をさらりと完璧にやってのける、りえちゃん。

 そして実は、りえちゃんは、秋になると独立総研へ出向してくるのです。
 もうすぐ、われら独研の仲間、みんなで楽しみにしています。

 三人の後ろは、台風の近づいたときの沖縄の空。
 厳しい色をしているけど、どこか明るさがある。

 

何のために、おのれを信じるか。

2005年08月03日 | Weblog



▼2005年8月2日の火曜日は、大阪出張から羽田空港へ戻り、そのまま東京逓信病院へ。
 異汗性水泡のその後を診てもらう。

 水疱は出ていないけど、ときどき前駆症状のように、手のひらや手首のあたりがいくらか痛がゆくなることがある。
 それをドクターに話すと、「青山さんが仕事量を制限していない以上、やむを得ないですね。それはまさしく水泡が再発する前駆症状です。水疱が出そうになって、それを何とか基礎体力で防いでいる状況ですね」との趣旨の答えだった。


▼羽田空港から病院へ、病院から独立総研の本社へと動くタクシーのなかで、ずっとモバイルパソコンを使い、『東京コンフィデンシャル・レポート』( 独研から会員へ配信しているレポート )を執筆する。
 きょうは、郵政民営化法案の採決へ向かう参院の動きと衆院解散をめぐる政局のレポートだ。

 タクシーの車中で大枠を書いておいて、独研・本社へ着くと一気に完成させ、配信。
 それから大急ぎで、独立総研の主任研究員ふたりと打ち合わせ。
 きょうは、独研の仕事の柱の一つである重要な研究会がある。
 国民生活と日本のエネルギーをテロリズムからしっかりと護るために、政府、民間からキーパーソンたちを独研が責任を持って集め、一堂に会して、テロ対策について実務協議する。
 肩書きをはずして本音をぶつけ合う、ほんとうに貴重な場が、この研究会だ。


▼先週の沖縄での「国民保護フォーラム」が終わって、すこし頭の調子がよくない。
 頭の調子というと変だろうけど、要は、頭脳の切れがいくらか悪い感じがする。なんとなくボーッとしている感じ。
 頭の回転が鈍ると、正直、ぼくの仕事は仕事にならない。
 ああ疲れているんだなぁと、こころの底で感じている。

 だけど、きょうの研究会のように重要スケジュールは次から次へと押し寄せてくるから、休みがほしいなんて贅沢を言っている場合じゃない。
 打ち合わせを済ませ、研究会の会場へ。
 エスカレーターを登りながら、頭の回転がきょうは鈍いことへの不安を、こころのなかで押し切る。

 研究会、そしてそのあとの懇親会、懇親会の二次会、いずれも胸の内でおのれを叱咤激励して、力を振り絞って、進行役を務めた。

 幸いに、研究会は、ちょっとびっくりするほどの成功だったと思う。
 この研究会は、ぼくがまだ三菱総研の研究員だった頃から、実に足かけ6年も続いている。
 すなわち2001年9月11日の米国同時多発テロが起きる前から、ぼくなりに「いずれ重大テロが起きる。日本も、日本らしい独自の備えを持つべきだ」と政府、民間の双方に訴えかけて、この研究会をスタートさせた。
 この6年の歩みのなかでも、きょう2005年8月2日の研究会は、白眉の出来だったと思う。

 政府、民間のいずれのキーパーソンにも、浅くはない理解と、軽くはない決意を促す契機にはなったと思う。


▼それなのにこの夜、ぼくは、独研本社に戻ると、がっくりと自信を失った。
 理由は3つある。

 ひとつ。
 この研究会も、重い意味のわりには、独研にとっては赤字ベースだ。
 独研はいかなる補助金、基金、そして借金も持たないから、このままでは経営危機に陥りかねない。
 独研が株式会社でいるのは、営利を追求するためではなく、自立性を保つためだ。
 それだけに、しっかりと経営しなければいけない。
 社長のぼくが、講演会やフォーラムやテレビ出演に走り回っていると、どうしても経営がおろそかになる。
 経営者失格ではないかと、自分を責めないわけにいかない。

 ふたつ。
 本の原稿が書けていない。
 ぼくはシンクタンクの経営者であるより、もっと前に、一介の物書きだ。
 物書きである原点を失えば、それは青山繁晴ではない。
 心身が疲れていて、まともな執筆時間も、ほどんどない。そりゃ、そうだ。
 しかしプロフェッショナルには、ただ結果があるだけではないか。物書きなら、良い原稿が現実に書けているのか、それとも構想だけで原稿に結実していないのか、そのどちらかしかない。

 よく頑張りましたとか、頑張ったけど結果が出ていないのは仕方ないとか、結果が出ないのには理由があるんだからやむを得ないとか、それはすべてアマチュアの話であって、ぼくがプロの物書きである限りは、そんな話は一切、かけらも許されない。

 みっつ。
 テレビ出演が相変わらず、へたくそだ。
 ぼくはもちろんテレビタレントではないし、テレビ評論家でもない。
 安全保障や危機管理をはじめとする実務者だし、物書きだ。
 それでもテレビ番組に顔を出す以上は、きちんと良い出演をするのが、視聴者に対する、あるいはテレビ局のスタッフに対する絶対不可欠の義務に違いない。
 その義務を十全には果たせていない。
 毎週、月曜に生出演している関西テレビの番組では、北朝鮮から郵政民営化まで、視聴者にホワイトボードまで使わせてもらって解説をしている。
 視聴者の反応や、スタッフの受けは、まぁ悪くはない。
 胸を打つ、応援メールも、驚くほどいただく。
 それでも、実は、自己評価は、低い、低い。

 自信を失ったまま、会社に泊まり込む感じだったけど、遅くまで残ってくれていた主任研究員と、若き秘書室長が、むりやりにタクシーにぼくを押し込んでくれて、どうにか帰宅できた。

 ただね、帰宅すると、よけいに自信喪失が噴き出すんだよね。
 家族も、たいへんに責任の重い仕事を持っているし、ぼくが寛ぐというわけにもいかない。

 こうしたとき、ふだんならベッドにも入らずに、いや入ることができずに、服のままソファで眠り込んでしまって余計に肩が凝って腫れあがったりするのだけど、どうにか午前4時半ごろには、ベッドに入ることができた。


▼心身の疲労には、言われなき中傷を受けてがっかりするためということも、ないではない。
 社会的発言をしている以上、正当な理由の見つけにくい中傷であっても当然くることを、覚悟しなければならない。
 それは自分でよく分かっているから、あまり気にすることはないけど、気にすると言うより、なんだか、がっかりしてしまう。

 それでも、こうやって数時間でも眠ると、また元気はすこしづつ湧いてくる。
 武士道といふは死ぬことと見つけたり。
 とにかく、ただ一度きりの生を、もはやおのれのためではなく世のために、ささやかに捧げて死のうと決めたのだから、そのおのれを信じるしかありませんね。 


☆写真は、沖縄の「国民保護フォーラム」のあと、沖縄の知友が連れて行ってくださった海沿いのゴルフ場です。
(※ゴルフ場のHPから、この写真をいただきました。著作権は、ゴルフ場にあります)

「ザ・サザンリンクス」という名の、このゴルフ場の名物ホール、8番ホールです。
 ここで生まれて初めてのバーディを7月28日に出しました。
 手前のティー・グラウンドから、ただ真っ直ぐにグリーンを目指して1打目を打つと、海に落ちている崖をきれいに超えてグリーンに乗りました。
 そして「必ず入ります」と声に出してパッティングすると1回で、ボールはころりんとホールに入ってくれました。
 パー3打・120ヤードを、2打でホールインして、バーディです。

 練習も経験もないのですが、なんとなく自分を信じて、体の柔らかさと筋力を信じる感じで、打ちました。
 これですよね、これ。

 連れ出してくださった沖縄の知友の友情に応えるためにも、良き自信をもっと持ちたいと思います。



沖縄を愛しています

2005年08月01日 | Weblog



☆写真は、沖縄県の伝統ある地元新聞、沖縄タイムスの2005年7月28日付朝刊に載った写真です(著作権は沖縄タイムスにあります)。

 7月27日に沖縄・宜野湾市のコンベンション・センターで開かれた「国民保護フォーラム」の第2部、夜のフリー・ディスカッションのようすです。
 手前、すこし赤っぽく見えるアロハを着ているのが、ぼくです。


☆みなさん、7月25日のぼくの誕生日には、ほんとうに沢山のこころ優しいお祝いメールや電子カードをありがとうございました。
 そして、お祝いのサイトや掲示板まで開設していただいて、めちゃくちゃに幸せでした。

 まだ、どなたにもお返事を出せていませんが、すべて読ませていただき、楽しく、うれしく思いました。
 すこしづつお返事も書かせていただきます。
 返事が遅くて、ほんとうに申し訳なく思っています。
 こころ苦しいけど、気長に待ってください。



▼バースデイ・ウィークのぼくは、ひときわ忙しく過ごしました。

 25日の月曜日、誕生日の当日は、早朝に羽田空港から大阪へ。
 いつもの関西テレビのレギュラー出演に加えて、在阪の公共事業体と独立総研・自然科学部との新たな研究プロジェクトの打ち合わせに出席。
 このプロジェクトはうまく育てば、日本国民が、かつては想像できなかった自主エネルギー源を確保する第一歩にもなる。
 夕刻からは、公共事業体の新しい首脳陣との顔合わせがあり、楽しいなかにも大切な夜になった。

 正直、誕生日であることを意識する暇もあまりなかった。
 関テレのスタッフや一緒に出演しているかたがたが、生放送の本番前に、花束とケーキでお祝いをしてくださった。
 ケーキはさすが大阪、すごくおいしかったし、心遣いもうれしかった。

 だけど、打ち合わせを経て生放送がはじまると、もうすっかり誕生日のことなど忘れていた。
 自分なりに視聴者のために集中しているので、まぁ自分の誕生日のことなど忘れるのは当たり前です。

 共同通信の記者生活の後半から、三菱総研の研究員の時代にかけて、誕生日というと、なぜか最悪に近い出来事の起きることが多かった。
 どうしてかなぁと、かなり内心で辛かった。
 そのうち、おのれの誕生日など、あまり意識しなくなった。
 私心を去ることに心を集中し、おのれを捨てて非力なりに世に貢献して死のうと思い切るようになってから、誕生日に悪いことが起きることも、不思議に、なくなったのです。


▼翌7月26日の火曜日はまず、別の在阪の公共事業体を訪ね、新しい幹部陣と顔合わせ。
 そのあと、記者時代から長いおつきあいのエネルギー企業のために、講演を行った。
 話を進めるうちに、聴衆のなかに眼の輝いていく人がいるようで、それが心強かった。

 ほんらいなら、この講演のあと東京に帰るはずだったのだけど、台風の動きを見て、大阪に延泊して、とどまることにした。
 7月27日に沖縄で開かれる「国民保護フォーラム」に講師として参加することになっていた。
 台風が首都圏に近づいているので、東京に帰ると、羽田発の飛行機が運休になる可能性がある。主催者の沖縄県庁も、国の総務省消防庁・国民保護室も心配しているだろうと思ったので、伊丹から飛ぶことにしたのです。


▼7月27日の水曜日、伊丹から那覇へ飛ぶ。
 この時期の沖縄行きの飛行機は、家族連れがとても多い。
 それは明るい平和な光景なのだけど、自分の子供が人に迷惑をかけても知らん顔の親がますます多くなっているので、どっと疲れる。
 ヨーロッパでもアメリカでも、こうしたことは、まず考えられない。
 親だけではなく、飛行機やレストラン、ホテルなどの従業員も、子供をわけへだてなく叱る。
 それでも言うことを聞かなければ、飛行機が飛ぶ前におろしたり、レストラン、ホテルからつまみだしてしまうこともある。

 子供に公共心を教え込むのが、社会の基本だとみなが知っているからだ。

 子供に公共心を叩き込もうとしないのは、日本だけじゃなくて、中国や韓国でも同じだ。アジアの恥ずかしいところと言うほかない。
 日本がいちばん、民主主義が進んだ国なんだから、まず日本から直したい。


 那覇空港に沖縄県庁の人が迎えに来ていて、すぐに宜野湾市の沖縄コンベンションセンターに向かう。
 この「国民保護フォーラム」は、午後1時半からはじまって、終わりは夜の9時を回るという強烈な長丁場だ。

 去年の9月から施行されている「国民保護法」は、重大テロをはじめとする危機のとき国民をどう護るかという重大な法体系なのに、あまり国民に理解されていない。
 そこで都道府県と、国(総務省消防庁・国民保護室)が一緒に、各地で「国民保護フォーラム」を開いている。
 ぼくと独立総研は、採算を度外視して、これに協力している。

 なかでも沖縄は、国民を護るべき軍隊(旧日本軍)が沖縄県民を殺害した悲惨な事実の残る沖縄戦の記憶が、まだ生々しいところだ。
 だから国民保護法制に対する反対論や懸念も強く、国民保護法制が、ほんとうに国民のためになるものに育つかどうかの試金石になる。

 だから、ほかの都道府県で開かれた「国民保護フォーラム」が2、3時間なのに対して、沖縄では8時間(途中の休憩を含む)というロング・バージョンになっているわけだ。

 まず、総務省消防庁の国民保護室長が「基調講演」を30分間行って、ぼくが「特別講演」を1時間行う。
 それから、沖縄県の副知事や、沖縄県うるま市の市長さん、琉球大の教授、宮古島の女性代表、それに国民保護室長、ぼくの6人で、パネルディスカッションを夕刻まで2時間以上。
 ここまでで「第1部」が終了する。

 さらに休憩をはさんで「第2部」が夜7時から、はじまる。
 ぼく、国民保護室長、それに沖縄県庁の担当者の3人で、もっと身近に参加者と向かい合って、長めのフリー・ディスカッションをやる。

 参加者は、沖縄本島だけではなく、離島のひとびと、さらに全国の自治体から、ずいぶんと集まっている。
 独立総研が配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」の会員のなかには、ぼくの講演を聴くために遠く千葉県から参加しているかたもいる。
 それも台風が心配ということで、前日から沖縄入りされているそうだ。


▼県庁も国も、沖縄県民の受け止めかたをずいぶんと心配していたけど、フォーラムは客観的に、公平にみて、大きな成功だったと思う。
 ぼくは、国民保護法制を国民のものにするための問題点、課題も、はっきりと具体的に指摘した。
 沖縄戦は、ぼくにとっても国民の安全保障を考えるための原点だ。ごまかすわけにいかない。

 最後のフリー・ディスカッションも、ほんとうに身近に市民と膝をつき合わせるように対話し、議論した。
 なかに「青山さんは民間人だから、何でも言えるんだから、政府と県庁の人に聞きたい」という発言があり、ぼくは「民間人だから無責任なことを言うということは、ありません」と、控えめにながら指摘した。

 市民みずからが「民間人」をおとしめて、どうするのだろう。
 市民みずからがお上(おかみ)だけを頼りにする限り、日本の民主主義は、わたしたち主権者のものになりきれない。

 独立総研は、いかなる利益団体、旧財閥、企業グループにも属さず、政府や自治体から補助金や基金などを一切受けず、いかなる借金も持たず、純然たる民間、そして公平な立場から、国家安全保障に関与している。
 日本ではまったく初めてのケースだから、なかなか理解されない。

 ほとんど無償にも近いかたちで、夜9時半まで身を削って公的フォーラムに参画していても、何のためにそんなことをしているのか理解してくれない人は、政府や自治体よりも、むしろ市民みずからのなかにいる。
 もちろん、理解してくれる人もいるから、がっかりはしない。
 そもそも、パイオニアがすぐに理解されるなんてことはない。
 すぐにニコニコと理解されたいなんて、その程度の覚悟では、こんな独立独歩のシンクタンクなんて経営できないです。


▼国民保護フォーラムのあと、那覇市内の居酒屋で打ち上げ。
 県庁のひとびとは、ほんとうによく奮闘して準備してくださった。
 ぼくは、市民、国民のためだけではなく、この県庁のひとびとの縁の下の努力に、何とか応えたい気持ちでいっぱいだったから、県庁のひとびとが幹部から若手まで「フォーラムをやってよかったです」と笑顔いっぱいだったのが、こころの底からうれしかった。

 沖縄の「国民保護フォーラム」がフリー・ディスカッションまで組み込まれた独特の長丁場バージョンになった始まりは、この同じ居酒屋だったのです。
 4月に、沖縄タイムスの主催する講演会のためにぼくが沖縄を訪れ、講演のあと夕方6時ごろから、居酒屋で県庁のひとびとと会い、フォーラムをどうやったら沖縄と日本のためになるか議論した。
 気がついたら夜中の1時ごろまで、7時間、話しあっていた。


▼ただ、フォーラムが成功だからといって、それでよいのじゃない。
 むしろ課題がしっかりと浮き彫りになったのだから、これからこそ、県も国も独立総研も、その課題に取り組まねばならない。


▼打ち上げのあと、ビジネスホテルですこしだけ眠り、朝4時ごろから原稿を書く。
 朝6時半から、那覇市内のゴルフ練習場で、すこし打ちっ放しの練習。
 沖縄の公共事業体の人たちと朝食を8時ごろからとりながら、原稿の続きを書き、合計5本の連載原稿をモバイル・パソコンから送信する。

 午後、沖縄の公共事業体の幹部、起業家らと、海沿いのひろびろとしたゴルフ場で、炎天のなかでゴルフ。
 ぼくは、この沖縄の公共事業体の幹部に勧められて、ゴルフを始めたばかり。
 と言っても、まだレッスンなどは受けたことがなく、人のスイングを参考にこんな感じかなぁというぐあいで体を動かしてクラブを振っている。

 海越えのショートホールで、初めてのバーディをとって、ちょっとわれながらびっくり。
 あとでこの「ザ・サザンリンクス・ゴルフ場」のホームページを見ると、もっともプレッシャーの強いこの海越えのホールを克服してくださいという趣旨が書いてあったけど、海にボールが落ちるかどうかなんて、ほとんどに気にならなかった。
 それより、沖縄の自然の美しさに、こころが馴染んでいた。

 アルペン競技スキーに打ち込んだ時代に強くなった足腰が、太陽に焼かれるようなゴルフでも、やっぱりぼくを支えてくれる。

 夜は、沖縄の青年会議所の人たちも加わって、沖縄らしい素晴らしくおいしい食事をいっぱいいただきながら、沖縄の未来をたくさん話しあった。


▼あくる29日の金曜日、朝からもう一度、別の炎天下のゴルフ場で公共事業体の幹部のかたたちとクラブを振って、東京へ。
 つまりは特訓だそうです。
 やる以上は、ゴルフもスポーツとしてやるつもりだけど、沖縄の公共事業体の幹部のかたは、ぼくに体を動かしてもらいたいのと、それからやはり『ゴルフをやると紹介できる人も増えて、人の輪が広がる』と考えてくださっているようだ。

 この無償の友情には、ぼくも全身で応えたい。
 だから、もともとは好きじゃなかったゴルフのクラブも振るのです。


 独立総研の本社に戻ると、すぐにテレビ朝日系列「TVタックル」のコメント撮り。
 放送は少しあとになって、8月8日とのこと。
 一問、予想外の質問があった。
 この回は、安倍晋三さんが出演するそうで、「カメラに向かって安倍さんに一言を」とディレクター。
 ぼくはカメラ目線で話すのがあまり好きじゃないので、ちょっとだけ戸惑いました。

 その収録が終わるとすぐに、独立総研の主任研究員の一人を送る会へ。
 この主任研究員は、防衛庁から初めての出向者として独研にきていた人で、無事に任期が満了し防衛庁へ戻る。
 明るい人柄で、みんなに好かれ、お互いに意義のある成果を積みあげることができました。


▼30日の土曜と31日の日曜は、さすがに太陽に焼かれ尽くしたせいか、疲れが出た。
 それでも、日曜にはいつものように自宅近くのジムへ行き、トレーナーの指導を受けながらバーベル、ダンベルを挙げて筋力トレーニング。
 そのあと水泳。
 競泳のフォームで、クロールとブレストを泳ぐ。

 仮眠する代わりに、こうやって体を鍛えるようになって、よかったと思う。
 無茶な話だから人には決して勧められないけど、ぼくには合っている。

 テレビの生出演(それにコメント撮り)、かなり重いテーマでの講演、長丁場で厳しい雰囲気のフォーラム、それに炎天下のゴルフ特訓、大切な会食や打ち合わせ、そしていつものように大量の原稿と、飛行機での移動を繰り返す一週間だった。
 そのわりに、体は軽い。
 疲れが出ているのだけど、体は軽い。
 あぁ、沖縄で体を動かしたからだ(下手くそだけどゴルフをしたからだ)と気がついて、沖縄の公共事業体の幹部に、こころ深くで感謝した。


 これが、ぼくのバースデイ・ウィークでした。