その後の「ぼくらの祖国」 … and the Evening Star

2011年12月25日 | Weblog


▼みなさん、いまは12月25日・日曜の午前2時28分、出張先の長野県にいます。
 凄絶な一年だった2011年もクリスマス・イヴが過ぎ、主イエス・キリストの生誕日を迎えました。
 ぼくはキリスト教徒ではありませんが、母と姉がクリスチャンであり、幼い頃から聖書にも馴染んで育ちました。
 赤ちゃんのとき、母に抱かれて、日本キリスト改革派教会(プロテスタント)で幼児洗礼を受けましたが、大人になって、みずからの意志による信仰告白をしていませんから、クリスチャンではありません。
 今後も、キリスト教徒になることはありません。
 ありませんが、親しみと、多少の知識はあります。

 主イエスが生まれたとされるベツレヘムへ、イスラエル軍とパレスティナのゲリラ部隊が衝突しているさなかに入り、機銃弾の撃ち込まれた跡が生々しい坂を下った先にある「キリスト生誕教会」を訪ねた時のことを、クリスマスのたびに思い浮かべます。
 教会の内奥では、主イエスの生まれたという、その場所に直接、手で触れることができます。そして原始キリスト教とも言うべき、古い時代のままの祭礼がおこなわれていました。
 しかし一歩、外に出ると、自爆テロで死んだムスリム(イスラーム教徒)の青年や少年、そして女性の写真が、石の柱に貼り付けてあります。
 ぼくは一枚、一枚を丁寧に見ていきました。


▼さて、最新刊の「ぼくらの祖国」は、版元である扶桑社の編集者によると、予約されたかたが予想を超えて多くて、初版本はすぐになくなるのではないか、という情勢だそうです。
 そこで、1月にすぐ、重版が出せるように、作業をしておくことになりました。

 まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。

 そのあと版元から、初版本のゲラが、どさっと届きました。
 というのは、あの4週間を超えてほとんど眠らずにサンフランシスコで原稿の仕上げを急いだ日々に、ゲラのチェックは一度しからやることができず、出版社の校正を信頼するほかなかったからです。
 もちろん、出版社の校正のかたがたはプロの誇りを持って仕事をしてくれたのですが、著者による校正は本来のぼくの考え方でも、一度では足りません。
 そこで重版に向けて、全ページをもう一度、著者の手で校正することにしたのです。

 ところが1月の重版ということは、年末年始に出版社や印刷所が休みになることを考えると、その全ページの著者校も、まったく時間の余裕がなく、またしても連日の徹夜仕事になりました。
 いくら徹夜には慣れているとはいえ、4週間を超えてほとんど寝ないという、あまりに無茶な仕事を終えたばかりでしたから、肉体よりも精神的に、ほんとうはきつかった。


▼だけれども、ゲラとほぼ同時に送られてきた初版本の実物、その装丁の美しさと潔(いさぎよ)さに励まされて、最後のページまで著者校を終え、修正を入れたゲラを合計61枚、宿泊先のホテルから版元の扶桑社へファクシミリで送りました。

 装丁は、原案こそぼくが提案しましたが、それを見事に仕上げてくださったのは、編集者とプロのスタッフです。
「日中の興亡」(PHP)、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)以来、装丁をたいせつに考えて、原案をぼくが提案するようにしてきました。子供の頃から、本の装丁というものが大好きだったからです。
 みなさんも、ネット上で読むだけではなく、本をやはり読みたいのは、手に感じる小さな重みがいいのと、そして装丁のデザイン、訴える志、発色ですよね。
 装丁がきっぱり美しいと、嬉しくなる。

    ※帯ありと帯なしの装丁です。


「ぼくらの祖国」は、少年少女でも読みやすいように、字と行をゆったり組んでありますが、およそ300ページあります。
 それを、独研(独立総合研究所)の仕事と同時並行で、急ピッチで著者校を仕上げていくのは、また言うけど、きつかったぁ。
 しかし、やって良かったのです。
 ちょっと信じがたいような校正ミスも見つかりましたから。

 校正したなかで、初版を読まれる人にお詫びして訂正しておかねばならない場所を、あらかじめ下記に記しておきます。

p24 (誤)百九十三か国ある(二〇一二年十二月現在)
    (正)百九十三か国ある(二〇一一年十二月現在)

p69 (誤)こんなことは書けない、書かないが
    (正)以下のことは書かないが

p75 (誤)つい二〇〇〇年の
    (正)ついに二〇〇〇年の

p81 (誤)柏崎・刈羽原発
    (正)柏崎刈羽原発

p92 (誤)車がやや乱れたで見渡す限り並んで…
    (正)車がやや乱れた縦列で見渡す限り並んで…

p102 (誤)四日後
     (正)二日後

p106 (ルビの誤り)ひろのちょう
      (ルビの訂正)ひろのまち

p170 (誤)一万二千人 ※2箇所
     (正)一万三千人 ※2箇所とも

p197 (誤)立ち尽くして、いると頭の中に
     (正)立ち尽くしていると、頭の中に

p223 (誤)栗林忠道大将中将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から戦死後に大将に昇進)
      (正)栗林忠道大将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から大将に昇進)

p224 (誤)中将 ※2箇所
     (正)大将 ※2箇所とも

p259 (誤)国会議員も沈し
     (正)国会議員も沈黙し

 特に、栗林さん、栗林閣下をめぐる箇所での校正ミスには驚き、すこしショックでした。
 これは、ぼくのパソコン上の原稿で消したはずの「中将」という言葉と「戦死後に」という言葉が、出版社に渡った原稿ファイルではなぜか消されていなくて、そのままゲラとして印刷され、出版社の校正でも「大将中将」という不可思議な言葉が見逃されたものです。
 最終的には、すべてぼくの責任です。
 深くお詫びします。


▼すこし落胆していると、青山千春博士が、いつも通りの平静な口調で「初版本の珍しい値打ちが出て、いいんじゃない?」と言ったので、多少は救われ?ました。
 救われてはいけませんね、ごめんなさい。

 こんなことを申して恐縮至極ですが、もしも興味のあるひとは、初版と重版を比べてみてください。
 ミスを訂正したほかに、ニュアンスを付け加えたところなどがあります。
 福島第一原発の所長だった吉田昌郎さんについては、本文中にわずかながら書き加えたところがあり、「重版のためのあとがき」にも、ひとことだけ記しました。


▼さぁ、すこし仮眠しようと思います。

 年末はまだ、独研から配信している会員制レポートが6本、残っています。
 さらに、原発テロを防ぐための専門家会議が複数あり、テレビ・ラジオも、関西テレビが大晦日の午後3時から放送する年末特番「青山繁晴の緊急提言 世界は動く!正念場の日本~明日のニッポンを子どもたちと考える~」の収録、テレビ静岡が12月27日火曜の午後4時半から生で放送する「年末回顧2011 あの日 そして 未来へ」への参加(出演)、ニッポン放送が元旦に放送するラジオ番組の収録などがあります。

 先日、ある大病院でおこなった人間ドックの結果が送られてきました。
 その悪さには、正直、呆れました。
 何もかも一気に悪くなっている。
 去年は、大腸癌をごく早期に見つけてくれた、同じ病院の人間ドックです。
 今年は、癌のようにすぐに手術が必要なものはなかったようだけど、去年は癌以外は、ほとんどすべて健全、ことしは癌はないけど、ほとんどすべて不健全…という結果です。

 今年は、いくら何でも無理を身体にかけすぎたナァ。
 そのなかで、愚かな中傷誹謗にもいくらかは対処していかねばならないのが、ほんとうに、情けないことです。

 ぼくは何も要らないのだから、せめて、祖国のためにささやかなりにやるべきことと、物書きとしての本来の仕事に、集中させてくれないかな。


▼写真は、いま出張に出ている長野県の空に見た、宵の明星です。
 こないだは明けの明星でした。
 凍りつく寒さのなか、救われるような光でした。
 画面の下の方、木立のなかに青いしずくが見えますか。




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