雲の海を見ながら

2014年10月01日 | Weblog
▼別に実況中継するわけじゃないですが、いまは羽田から伊丹へ再び、戻る機中です。
 日本列島の午後の陽光が空に満ちています。
 羽田空港に着いてから席の確保をめぐって、いつまでも繰り返される同種の事務的ミスの被害があり、よけいに疲弊しているのが正直なところです。
 しかし、伊丹に着けば、再び関テレに向かい、「水曜アンカー」の生放送です。
 おのれの状態は関係ありません。
 視聴者・国民に伝えるべきを伝える、ご自分の頭で考えていただく小さなきっかけを作る、ただそこだけに、力を尽くして集中します。


▼午前中にテレ朝に入ると、ひとつまえの拉致事件の話題(ぼくは参加していません)で時間が押して、つまり予定時間を過ぎていて、香港デモを考えるための時間は短くなっていました。
 しかし、香港の若いひとたちが中国共産党の圧力に抗している情況を、すこしだけでも視聴者に伝えることはしましたから、おのれの身体はたとえ酷使しても、ごくごくささやかながら意味はあります。


▼さて、先ほど出発した伊丹空港のサイン本の件です。(ひとつ前のエントリーも見てください)
 取り残された?かのように、1冊だけのサイン本を、このところずっと行き帰りに見ているのは、「スカイブック南店」(ANA側出発ロビーの9番搭乗口と10番搭乗口のあいだ。電話06―6856ー6689)です。
 前のエントリーに記したように、飛行機に乗らない人でも誰でも入れるスカイブック中央店で頼めば、この1冊も持ってきてくれます。
 レジの後ろに飾ってあるのですが、志ある若い定員さんは、この頃ちょっと複雑な表情です。長く残っているのが初めてだからでしょう。


▼ぼくの本職のひとつは、物書きなので、おのれが上梓した本はどれでも、ひとりでも多く読んでいただきたいという願いはあります。
 本は、書いただけでは実は成立していない。
 読み手があって、その読み手のなかで咀嚼、消化されて初めて、その読み手の本になる。
 だから書籍は、世に出た瞬間に、著者の手を離れてしまう。

 それが本にまつわる真実だと信じていますから、ぼくにとって著作に「読まれたい本」と「そうでもない本」の違いというものは無い。ありませぬ!
 無いのだけれど、実は、「何が何でも、何がどうしても、沢山のひとに読んでもわねばならない本」という特別な一冊もあるのです。
 それが、最新刊の「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」(ワニプラス/例えばここ)です。

 もともと、ぼくにとっては「ぼくらの祖国」(扶桑社/例えばここ)がまさしく特別な1冊です。
 だからこそ、この通称「ぼくそこ」が異例のロングセラーになっていることに、もの凄く勇気づけられています。
 ただ、「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」はすこし意味が違うのです。


▼「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」は、硫黄島から実際に、英霊の方々を最後のおひとりまで、その故郷に取り戻すための書でもあります。
 ご遺骨となってなお、おひとりおひとりがどれほど、懐かしい古里に帰りたいでしょうか。
 このつたない書であっても、それが少なくない人に読まれれば、英霊を具体的に取り返すための力になります。
 逆に、ごく一部の人にしか読まれなければ、英霊を故郷に、という祈りが一部の人のものでしかないという誤解にも、繋がりかねません。そうなれば、多額の費用が掛かる遺骨収集に税を投じる意味を疑う声が出てくるでしょう。

「水曜アンカー」(関西テレビ)の歩みのなかで、印象に残る出来事もありました。
 すべての玉砕の島々のなかで唯一、日本国内の島である硫黄島にすら取り残されたままのわたしたちの先輩方を故郷に取り戻すことについて、最初に問題提起したのは、この「水曜アンカー」でした。
 いまだに数多くのひとから「あの放送を視て、初めて、自分でも考えるようになった」という趣旨のEメールや、この地味ブログへの真摯な書き込みがあります。
 あるいは、ネットなどを善用し、過去の放送をいま視ていただいて「これまでの思い込みに気づいた」という若い人から高齢者までいます。
 しかし、その生放送のとき、CMのあいだに「そんなものに税金を使うのなら、幼稚園をつくってよ」という言葉もありました。当時のキャスターだったヤマヒロさんが「それは問題が違うでしょう」と言ってくれたことも覚えています。

 ただ、その時にぼくが胸のうちで感じたこと、今も同じことを考えているのは「こうした声がむしろ、敗戦後の日本では多数派であり、こうやって発言する人個人の問題にはしない」ということです。

 したがって、「死ぬ理由、生きる理由  英霊の渇く島に問う」はひとりでも多くの人に読んでもらえるよう、ぼくに、いつもよりさらに重い、重きも重い責任があると考えています。

 サインも、その気持ちで致しています。
 立ち入り禁止の硫黄島を訪れた時、その帰りの空に広がっていた、血の色の雲海を忘れません。  

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