2015年12月23日 午前7時30分 お蝶が旅立ちました。12歳と4か月でした。
遅くなってすみません。
何度も書こうとPCに向かうのですが途中で辛くなりなかなか書けませんでした。
*これから先は、長いし暗い話で写真もあります。苦手な方はスルーしてくださいね。
それと年賀状はお蝶の病院通いで忙しいので早めに原案だけ作っていました。どうしようか悩んだんですがそのまま出させてもらいました。
【異変と発症】
7月初旬、かなりの食いしん坊なお蝶がご飯を残しました。飽きたのか、それとも年も年だし夏バテか?
おやつも食いつきがあまりよくない。様子を見ていたけど夜中に何度か吐きました。
フードを変えたりして、その時は食べますがあとは知らん顔。
病院に連れて行き検査をしてもらったけど異常なし。食欲不振はやはり夏バテではないかと。
それに加えて、6月ごろ少し腰を痛めたのがぶり返したのか痛がるようになる。
食べたくない、でも空腹で気持ち悪くなる。そのために嘔吐を繰り返していました。
7月は痛み止めと栄養剤と吐き止めの点滴や薬で病院へ通い、少し落ち着いてきました。
8月、あまり良くならずレントゲンとエコー検査の予約を入れる。
検査の2,3日前から食欲も出て元気になりました。どうしようか迷ったんですが、せっかく予約もいれたしと検査を依頼。
そこで片方の腎臓がかなり大きくなっているのがわかりました。こりゃおかしいとその後血管造影剤を使って再度検査。
大きくなっている腎臓はほぼ機能していないとのこと。
その原因を調べるためにMRIのある病院を紹介してもらいました。
そしてその検査が9月。
なぜ2か月もかかったのか?それは血液検査で全く数値に異常が現れなかったからでした。
数値的には全くの異常なし、健康体そのものだったんです。本当にお蝶には可哀そうなことしてしまいました。。。
なぜもっと早く対処してやれなかったんだろう。後悔と申し訳なさで一杯です。
その後病院で事前検査の時、ようやく数値が悪いと診断されました。
このままでは麻酔をかけれず、まずは皮下点滴で安全な数値まで落とすため毎日病院へ通いやっとMRI検査。
結果は「腎細胞がん」でした。
【手術と治療】
まず悪い腎臓を全摘。そしてその一部を病理検査へ。すぐに免疫治療(生まれつき備わっている免疫の力を利用したり、免疫の力を強めたりすることで癌の発症や進展を抑えようとする)開始。説明を受けてスケジュールが立てられました。
しかしその免疫治療は府立大学との提携が必須。お蝶の血液やがん細胞から培養し作る、つまり生ものなので府大の予定に合わせての手術となります。
シルバーウィークも重なり、なかなか進展しないことにイライラ。。。何度か進展状況を電話で確認しながらやっと10月に手術が決まりました。
やはり血液検査の数値が悪いのでこれを下げるために病院へ通い、4日手術。
午後から麻酔からさめたお蝶に会いに(術後の心配があるため入院)、あと先生から説明を聞くために行ってきました。
やはり「腎細胞がん」に間違いなく、どうも肝臓も転移しているかも、これは病理検査の結果次第ですが。。。との事でした。
術後の経過も安定しているとのことで7日に退院。
連れて帰ってきても食欲もなく、あまり元気もありません。9日に病院へ連れていき、やはり数値が悪いとのことでそのまま入院となりました。
その間免疫治療開始。副作用もない治療ですが、一発目のピンポイントに攻撃するために悪い部分にマークをつけるという(説明下手ですみません。。。)樹状細胞の治療がお蝶には合わなかったようで、一時黄疸も出て危篤一歩手前まできてました。まぁこんなことは初めてだったらしく、府大の先生も心配して電話かけて様子を聞いてくれたりはしてたんですが。。。
その山場を越し、全く食欲のないお蝶を心配し、まだ不安だが連れて帰ったほうがストレスもなくなり安心して食べるようになるかもとのことで退院。13日間も入院してました。
7月から食べないお蝶に何とか食べてもらおうと手作り食も作ってましたがなかなか食べない。
ぶぶさんから色々と教えてもらって(この時の話が目からうろこで気持ちも楽になり本当に感謝です!)何とか食べてくれるようになりました。
週3回の免疫治療が徐々に効果を表し元気になってきました。この頃から手作り食もイマイチだったので、ためしにいつも食べてたカリカリフードをあげたらバクバク食べました(あたしの苦労っていったい。。。)
そして10月の後半。病理検査の結果が出ました。
やはり肝臓へ転移。癌はリンパ系のものなのでもう全身あちこちに回ってるだろう(膵臓、胆のうの数値も悪かったんです)。余命は1,2か月。
年を越せるのを目標に頑張ります、との事。
もう目の前真っ暗ってこんな感じなんでしょうね。お蝶を抱っこして待合室にいる間に勝手に涙は出てくるわ、家に帰っても泣けてくるわで。。。
でも泣いてても悲観してもどうしようもないこと、残された時間をお蝶のために何ができるのか、それを考えなきゃと思い直しました。
元気なうちにと姫路のバラ園へ連れて行きました。
でもこれが最後のお出かけになりました。
治療も効果が出てきてずいぶんと良くはなってきたんですが状態が今一つ不安定でもあり。。。食欲もあったりなかったり、元気もあったりなかったり。先生からは食べれるものは何でもあげていいよといわれたのでフードを食べないときはアイスや甘いものを栄養になればとあげてました。
この頃のお蝶は2,3キロ。あんなにおデブちゃんだったのにね。1キロ以上も痩せてしまいました。
でも元気は比較的まだありました。散歩は嫌がったけど、トイレも自分でちゃんとしてました。(おしっこはたまに失敗してたけど)
腫瘍が大きくなってきたら、徐々に下痢と嘔吐を繰り返し痛みも出るかもといわれてましたがそんな兆候も全くなく。むしろ7月8月のころと比べたら全然マシでした。
数値も安定してて、この分なら年越しも大丈夫だねと先生とも話し年末年始の予定を話し合っていたんですが。。。
【お蝶の最後の頑張り、そして旅立ち】
22日、病院の日。いつも通りの治療(採血と注射)をし帰宅。
朝から何も食べず(たまにありましたがそんな時は夜はきちんと食べてました)、1回だけ嘔吐。様子を見ていたらそれきりで熱も痛みもなくいつも通り寝て過ごしていて安定していました。
ただなぜか部屋中をぐるぐると歩き回る。そしてあたしの膝の上へ来たがるといつもと違う行動はしていました。
夜も食べずおやつも食べない。薬はアイスに混ぜてあげてましたが、いつも喜んで食べるのが最後の一口当たりでいらないと。。。
やっぱりちょっとおかしいかな。明日も全然食べなかったら病院へ連れて行ったほうがいいのかな。それとも次回(木曜日)まで様子見でもいいかな。
でも長年の習慣である寝る前に(シートを変えるときなぜかお蝶は大声で吠えるので)SYOちゃんの部屋へ行くのも普通に行きました。食べないだけで気になる症状はありませんでした。
そしてあたしの布団に入り一緒に寝て。。。とその辺はいつもと変わらず。
夜中2回、大声で吠えました。その都度どうした?大丈夫大丈夫と撫でてあげるとすぐにまた眠りました。
そして23日朝、あたしの胸元で眠っていたお蝶が大きな声でまた吠えました。そして痙攣のような症状が一瞬起こり、大きく「カーーーーーーー」と声を上げて息を吸い込みそのまま逝ってしまいました。
まさか亡くなるなんて、だっていつもと変わらず元気もあったのに。
だから亡くなった瞬間、それがお蝶の最期とはわかりませんでした。どうしたん?と思いお蝶を見ると目を開けたまま動かない、呼びかけにも反応しない、アカン!と思い必死で声をかけ胸をさすり。。。でもお蝶が戻ってくることはありませんでした。
SYOちゃんを起こし、SYOちゃんも諦めきれなかったのか胸をさすり名前を呼び続け。。。そして「お蝶、ご苦労さん」と声をかけてました。
いつも通りの日常の行程をし、いつも通りの一日を終えたお蝶。最後に頑張ってこなしたのかもしれません。
【思い出の地へ】
葬儀を25日と決め、24日はSYOちゃんがどうしても休めなかったので、お蝶のお気に入りの場所へお出かけしてきました。
まずはお蝶1番のお気に入り「しあわせの村」。
ここのゲートをくぐるとそれまで寝ていたお蝶が起きだしてわんわん大騒ぎしたものです。
着いたら走ってボール投げしたり一緒に走り回ったり。。。
当然それもせず私の膝の上に。
見えるかな?お蝶の好きな場所だよ。
そして次はこれもお気に入りの場所「大蔵海岸」
本当は歩きたかったんですが雨が降ってしまい屋根のあるベンチで一緒に眺めてました。
一緒に歩いたこと、走り回ったこと、楽しかったこと、忘れないでね。
一緒の日々が幸せだったことも。。。
24日は実家の母が来てくれて、母はお蘭を、あたしはお蝶を連れていつもの散歩コースを歩きました。
その後、母を駅まで送っていき、次は違うコースをあたしとお蝶だけでお散歩。
ただ歩くのではなく、お蝶が通った道をなぞるように歩きました。これが最後のお散歩になると思ったら泣けてきて、ゆっくりゆっくり歩いて帰ってきました。
【葬儀】
25日、宝塚動物霊園にて葬儀を執り行いました。家からちょっと遠いけど、ここならお友達もいるもんね。
棺に入れる前、思いっきり抱きしめました。どんどん痩せていったお蝶。22日に測ったら2,2キロ。ちっちゃいね。。。軽くなっちゃったね。。。
でもこれがお蝶の頑張りの証なんだね。。。こんなにちっちゃくなっても最後まで頑張ったね。
駆けつけてくれたパピ友さんたちからのお心遣いでお花に囲まれて華やかになりました。
そしてみなさんに旅立つお蝶にメッセージを書いてもらいました。
クリスマスで楽しい予定もあったと思うのに、駆けつけてくれ一緒に見送ってくれた、ぶぶさんファミリー。パルママさんファミリー。とんとこ一家さん。本当にありがとうございました。
【そして帰宅】
行きはお蝶を抱っこしてたのに、帰りは小さな骨壺を膝の上に。。。
この時点でもうアウト。帰りはボロボロでした。
近所の人やパピ友さんたちからお花をいただきました。
とっても綺麗。お蝶、よかったね。
【あたしの気持ち】
どう言えばいいのか。。。余命宣告されてから覚悟はある程度あったものの、突然だったため途方にくれてしまいました。
闘病中は、「どうしてあんなに元気だったのに。あたしの日頃の行いが悪いのか。それを直せば、神様はこの子を元気にしてくれるんだろうか」なんてことばかり考えたりしていました。
最初の頃は、なんとか食べて欲しくてネットで調べたり本を買い込んだりしてご飯を作ったり、病気のことがわかるまでは原因を調べたり、病気のことを必死で調べたりしてました。
あまりにも依存し合っていたのでぽっかり心に穴が開いた、というより体の一部がもぎ取られたような感じです。
寒い冬は、お昼寝も夜寝るのもいつも一緒でした。お蝶の温かさを感じながら眠るのが本当に好きでした。
お蝶はおかーさんがいないとダメ、と自他ともに言ったり言われたりしましたがそうじゃなかったんです。
あたしがお蝶がいなければダメだったようです。
今は落ち着きましたが、葬儀から帰ってきてからは、右見て泣いて左見て泣いて三歩歩いては泣いてと泣いてばっかりでした。
家中にお蝶の思い出が溢れているからです。まだお蝶の匂いが残っているものもあり。。。
これじゃダメだと思いましたがある人に「泣きたきゃ泣けばええやん。だって悲しいねんもん。泣いて当たり前やん。思いっきり泣いたらええんやで。我慢なんかせんでもええねんで。」と言われ「あ、泣いてもええんや」と気持ちが楽になりました。
まだ写真を見たり急に思い出したりして涙が出てくることはありますがそれはそれでええんやと。。。
今一番つらいことは、手を伸ばしてもお蝶に触れられないことです。撫でたい。抱きしめたい。もうそれが叶わないのかと思い知らされる事が辛いです。
いつかお蝶が見えなくてもそばにいてくれると感じるようになるのかな。夢に出てきてくれるかな。
お蝶はあたしのところに来て幸せだったかな。最後は病院で注射ばっかりで、そこに連れて行くあたしを恨んでるかな。
どんな気持ちで死んでいったんだろう。もっとしてあげられることがあったよね。早く気がついてあげれば辛い思いしないで済んだのにね。
どんな時もあたしを好きでいてくれたね。いつも味方でいてくれたね。
ごめんね、ありがとう、ごめんね。。。
もうぐっちゃっぐちゃな思いで数日を過ごしました。
でもいつかずっと先だろうけど、悲しい気持ちよりお蝶がくれたたくさんの出会いや優しさを懐かしく思えるようになれると思います。
時間はかかるけどゆっくりゆっくりでいいやと思ってます。
闘病中、よく歌っていた歌詞の一節
お蝶、「ひまわりのようなまっすぐなその優しさとぬくもりを」ありがとう。
あなたに出会えて共に暮らせた12年間は幸せでその思い出はいつまでも宝物です。
またいつかきっと会おうね!
長々と、しかもグチグチとすみません。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
もうこんな湿っぽい思いをブログに書くのは最初で最後です。(と思って思いっきり書いてもた・笑)
次に書くときは、いつものおちゃらけたブログに戻ります。(もしかしてまた軽く泣きごと書いてたらすんませんね・汗)
今までお蝶を可愛がっていただいて本当にありがとうございました。