鷺浦の市街地
鷺浦へは、今は、県道23号が整備され、日ノ御崎方面と平田方面を結び、海岸沿いに市街地をバイパスしている道が整備されているが、かつては、出雲大社の裏から、鹿に注意の標識のある車一台がやっと通れる細い山道を通り、八千代川に沿って市街地へと入っていくルートが陸路としては唯一であり、海から船によるアプローチがメインルートでした。
もっとも、市街地といっても5分も歩けば通り抜けられるほどの規模であり、北前船で栄えたといっても、他の有名な酒田(山形)、直江津(新潟)、橋立(石川)、敦賀(福井)、舞鶴(京都)などと比べ小さな湊町にすぎません。
それでも、鷺浦の湊は、すぐ沖の柏島によって守られた天然の良港で、北前船の時代は“風待ち湊”※1として栄え、明治以降になっても定期船の寄港地として賑わいを呈していたそうです。
しかし、山陰本線が開通し、鉄道が運輸の中心となると商船は寄港しなくなり、今見られる静かな市街地が残されました。
この50年で1,700人いた人口が200人を切るまでにまで減少し、高齢化率60%という鷺浦は、その歴史的価値を意図的に残したというよりも“たまたま残った”と言ったほうがぴったりとくる忘れられた街と言えます。
※1 北前船は、動力を持たず帆に風を受けての帆走船であり、順風の風待ちをしながら沿岸の湊を繋いで運行されていた。ただ、18世紀に横風、逆風での帆走が可能な弁財船が現れると沖合を一気に航行するルートが使われるようになる。
メインストリートを街へ入っていくと両側に漆喰壁や格子窓の連なる古い町並みが続き、やがて、その細い通りの先にはトンネルが見えてきます。このトンネルは、昭和10年に地元の人たちが手ぼりで造ったと案内があります。
■鷺浦のメインストリート
■昭和10年に地元の人たちが手ぼりで造ったと案内のある鷺浦隧道
メインストリートからは、何本も直角に路地がはしり、この路地へ向けて、各家が開かれています。
■メインストリートから山側を見る(格子により外から見えにくくしている)
■メインストリートから海側を見る
北西の季節風から守る
ところで、出雲地方は、冬に北西の季節風が強く、出雲平野には有名な“築地松”が一種独特の景観をつくっています。
■冬の北西の季節風を防ぐ築地松のある出雲平野の風景
築地松は、出雲平野に多く見られる風景ですが、やはり北西の季節風が強い、ここ鷺浦においては“間立”という仕掛けにより風を防ぐ工夫がされています。
■間立てのある風景(海岸線に沿って立ち並んでいます)
近くで見ると竹を縦に割って並べているのがわかります
鵜鷺げんきな会の活動
ところで、『"人づくり"の拠点である公民館が培ってきた「地域力」醸成のノウハウを結集しよう。』というキャッチフレーズで、島根県は、地域に根ざした住民自治活動(自治会、地区社協、地区体協、自主防犯・防災組織など)の中核を担っている公民館の活動に光を当て、公民館の実践活動によって「地域力」を醸成していくプロセスを実証し、「地域力」の重要性について世論を喚起しようとする『実証!「地域力」醸成プログラム』を行っています。
その中で、平成19年度からの事業として「鵜鷺コミュニティセンター」が選ばれています。
鵜鷺コミュニティセンターは、大社町立鵜鷺中学校跡を活用したもので、実証事業のテーマは、「地域の魅力を公民館が引き出す」・・・4軒の空家を核としたUIターン受け皿整備の取り組みを公民館が支援。するというものです。
この取り組みの中心となっているのが“鵜鷺げんきな会”です。
ここで紹介したいのは、この事業ではなく、活動の中心となっている“鵜鷺げんきな会”の方です。
この会は、事業計画書によると、2005年にげんきな高齢者とたくさんある空家など、残された資源を活用することで地区を元気にしていこうと誕生したもので、コミュニティセンターがその活動を支援しているということです。
会は、地元出身でUターンされた方が発起人となり、わずか12名で出発し※2さまざまな事業を行っています。
※2 だんだん倶楽部HPより
鵜鷺げんきな会のHPからいくつかの活動内容をみると、鷺浦の見所をHPで紹介といったようなPR活動に加え、かつて行われていた塩炊きの復活による活動費の捻出と鷺浦のPR、伝統行事「鷺浦のシャギリ舞」の保存※3などがあります。
※3 人口が200人を切った鷺浦では、総勢80名で行う舞は、住民の思いだけでは行うことが難しく、鵜鷺げんきな会のサポートが重要といえる。
また、コミュニティセンターの支援を受けた4軒の空家を活用した宿泊施設の運営があり、これは、空家となった古民家を改修して一泊1,000円/一棟(一日目は6,000円)で借りることができることから、リピーターも含め多くの利用者があるということです。
鷺浦で思うこと
限界集落とも言える鷺浦で、地区を維持し、伝統行事を守りぬく困難な仕事を放棄するわけにはいかない※4ということで鵜鷺げんきな会の活動があるわけですが、地域の活性化に伴って外部からの人の出入りが多くなることへの地元の不安をとり除き、受け入れられるようになるには、いくつかのポイントが見受けられます。
その一つは、会の活動を通じて地区に経済的に還元される仕組みをつくることであり、塩の生産や宿泊施設の運営などが現在の取り組みとして見られます。
いま一つは、活動への意欲をもたらす仕組みで、このことについて、「くらしまねっと」で鵜鷺げんきな会事務局の安倍勇氏は「新聞で取り上げられたりしたことで、少しずつ地区の人にも喜んでもらえるようになりました。TVの取材では、多くの芸能人が鵜鷺に来て、町の様子や私たちの活動を色々と紹介してくれるので、そういったことも楽しいですよ。」※5と言っています。
実際、鵜鷺げんきな会のHPでは、「志村けん 激ウマ列島ふれあい旅」(志村けん、上田竜平)、「ザ・鉄腕・DASH」(長瀬智也)、「鶴瓶の家族に乾杯」(ラモス瑠偉)などのTV取材の模様やリアルタイム 日本海の特集で鵜鷺げんきな会が行う塩つくりの様子が放映といったニュースが載っていて、これらが地域のモチベーションを高めていることが伺えます。
定住について、
今は、一定のスキル(経験、技術、人脈)を持った方を中心に受け入れられており、定住希望者も農業の経験者であったり、古民家を活用したカフェの経営や地元産の塩の起業化など、何らかの形で地域に貢献できることを希望しているようにみられます。
では、何もこのようなスキルを持たない方たちは、受け入れられないのでしょうか。高齢者の受け入れは、財政負担を増すことからどこの自治体も敬遠しがちです。Uターンは別としても、Iターンでは、希望者は、どうしても定年を迎える高年齢の方に偏りがちで、受け入れ側とIターン希望者とのミスマッチがみられます。
現に定住に関するよくある質問項目をみても、下記のように働くことを前提にした項目が並んでいます。
Q. ハローワークの所在地は?
Q. 地方公務員・県公立学校教員の採用試験について教えてください。
Q. 福祉の仕事に従事するにはどこに相談すれば良いのですか?
Q. 農業に従事するにはどこに相談すれば良いのですか?
Q. 林業に従事するにはどこに相談すれば良いのですか?
Q. 漁業に従事するにはどこに相談すれば良いのですか?
Q. 将来医療関係の仕事につきたいのですが、支援制度はありますか?
Q. 技能・技術を習得し、再就職するためには?
Q. 起業化のための支援制度(相談窓口、融資制度、補助制度など)を教えてください。
年金生活者が地方へ定住するとしたら、という疑問に対してどのように応えていけば良いのか、大きな宿題が残されました。
とはいっても、元気な高齢者はたくさんいるわけで、鵜鷺げんきな会の活動のような何もスキルは持たずとも、意欲のある方を受け入れて、地域に密着した生活を送れるようにすることも一つの答えのような気がします。
※4 実証!「地域力」醸成プログラム事業計画書から
※5「くらしまねっと」は、公益財団法人ふるさと島根定住財団が管理するUIターン情報HP
記:錦織英二郎
限界集落への定住、自然や伝統だけではどうしようもない気がします。
若者世代を呼びこむにはやはり仕事がないとどうにもなりませんね。
今できることは、大きな効果ではなく、小さな効果の積み重ねではないでしょうか。